最終個展『欧州巡礼』 – no,we aren’ + in this world. – 御来場御礼

日時 : 2024年 10月22日(火) 〜28日(月) 11時00分 〜 20時00分

会場 : デザインフェスタギャラリー原宿 WEST館 1-F


<記事全体で2万9000字強、所要目安60分>

目次



10月29日(火) 12時55分 TULLY’S COFFEE

 本当に、何から書けばよいのか。悲喜、悼み、情景、有難さ。交々こもごも想い巡り、筆で全て捉えられるのかと気圧されるほどだが、書かずにおれる経験ではない。

 教え子が自死したという。10年前に預かり、送り出して5年。15歳にして自ら先立とうとは。苦痛の極みを伝え報せる表現なのだろうと、今更受け取った。あの、生きて動いていて、話が通じて、泣き笑いしていたあの。叱り、なだめ、互いに書いたもので遣り取りをし続けていたあの教え子が。過去の記録を振り返ると人一人の一生分に価するほど、共に成長して別れたはずだったのだが、見返す写真や手紙からは尚笑顔も希望も読み取れなかった。その危うさを気に掛けないまま送り出してしまった。後々新たに属した群集の悪意に折れたという。

 誠に、人間であることを恥じずにおれない。

 とても独りでは抱えられず、およそ10年ぶりに後任の一人にひと言だけ連絡を取る。あれほど偉大な指導者の運営にも関わらずと思うと、行政の衰退が相当のものであることを感じる。大人も教師も愛することを知らず、子どもらがそれを学べるはずが、ない。アタマでは愛せない。心躍らないことなど愛しようがない。人の世の穢れ甚だしいこと、人前に立つ者の影響甚大なること、あの頃の自分の力不足、想像力の不足、今の自分であれば霊の向かう先は変えられた。あの時のあの子ども達であれば、それを伝えるには充分若く適していた。だが10年前、やっと方法を見出したばかりの自分は若すぎた。

 …やめよう。転生に幸多きことを祈る。神仏の慈悲を信じる。この先の、行き合う人々の苦痛を和らげるために活かす。発想や着想は無限で、愛する器量も無限であること。笑みのない生すらも、選んだとおりに経験できること。それほどの自由を授かる冥加。それを信頼するなら幾多の人生、苦悩の中でも天を仰ぐときが来る。長い道のり、身を焼く火も結局報われるものと知っていれば、いたずらに悲嘆しているべきではない。次に地上に生まれてきた時の為に、自分の進歩で星を耕しておけばよいだけのことだ。そのことを喜び、消化し、先に進めたい。喜ばしい経験を選ぶ自由も与えられていることを記して、供えとしたい。もう挫けない。

 結論を書く。長くなる。

 展示を使って遂げたかったことは、精神的進歩。物理的執着の放棄。喜ばしさの体現。天地神明の讃美。地を這う自身や誰かの苦悩を癒やすこと。そして何より、縁のあった御一人御一人とまた会いたかったこと。

 それらは全て、1つで同じことだ。期待や欲望、自己陶酔を手放してゆくことが成長で、それは空虚さではなく喜び、安らぎをもたらす。天地の導くところで、授けられて余り有る恵み・糧に感謝する度、飢えや不安や、不足を信じる強烈な呪いから解放されていく。泣き喚く内なる子どもをなだめる。同じ泣き声に気づいてなだめあった作者や作家、先達や後学、御贔屓くださった方々。

 泣き続ける互いの孤独や怖れ、失意や悲しみ、非難や後悔を、分け合っていると知ること。まるで鏡を見るように。楽しさ、好み、専念、尽力、愛着、喜び、安らかさを分け合って照らし合う。まるで鏡を見るように。泣き止ませて笑みに還る術を分け合い、共に喜ぶ。身体を用いる意義に、それ以上のものはない。ない。

 …これ以上、旅で自身をあやさずにいられるところまで辿り着いた。もうせずに居られるようになった。「もうせずに居られるようになりたい」と心底思えるようになったから。要らなくなった時に手放せないほどの心的投資や執着を募らせることは、迷いを長引かせるだけだ。雨が止んだら傘を手放す。川を渡れば舟は捨て置く。本当に、たったそれだけのことだった。「そこまで来たら、書物を全て捨てて安心していなさい」という師の言葉が思われる。感傷も、渇望も、心配も、悲嘆も。負い目も、固執も、画策も、虚栄も。解釈も、分析も、思惑も、仮説も。不要だ。どうして心躍らせるよりも頭を説き伏せる選択ばかりしてきたのだろう。喜びの少ない道ばかり選んでわざわざ迂回してばかりいた。身体や思考を”自分”だと思い込んでいたから。”身を永らえ、思考に従うこと”のほうを、「愛することや喜ばしいこと、安心していること」よりも優先していたから。人は目指したところに辿り着く。

 本当に好きなのは、庭であり、花であり、森であり、澄んだ川とその水音、パチパチと燃える焚き火の薪。珈琲を分け合うこと、食事を分け合うこと、魚を見つけたら伝えること、心通わすこと。雨の日の水田に鳴く蛙の声、風に揺れ陽に輝く早苗や草原を見渡し走る自転車道。

 全て、初めから与えられていたものだ。足りないものばかり探していたから気づかなかった。夏空の青に雲の輝かしさ、秋の空の深く高い青に刷毛で撫でたような雲、冬の寒さに身体を温める時。好きなだけ春の陽を浴び歩く、桜舞う畔、菜の花香る川沿い。喜び舞う蝶も蜂も。それら季節の移ろいを日記に記すこと、音楽に耳傾ける時間、美しく喜ばしくて自ら奏でたくなる曲、夢中で練習していたことに気づくとき、御茶でも淹れて茶請けを選び、心地良い疲れに窓を開けて休む。午睡から醒める微睡み、まだその日が楽しみでわくわくするとき。

 草木の世話、人に道を、席を譲るとき。教える相手に愛を注ぐこと。自己陶酔から解放された教え子達、自分自身の悪意から自由になった教え子達、愛することを体得して感涙する教え子、憂いを去って集中力の極致に至る教え子。

 …作ったものを、眼をキラキラ輝く星マークにして見上げている来場者。書いたものを夢中で読み進める読者。完成した展示に安堵すること。もう旅も展示もせずに居られること。またしたくなればしてもよいこと。…沢山好きなことがあった。中でも作ったものを愛でて下さる相手のあることが喜ばしかった。

 準備の苦痛がひときわ大きかった今回最後の展示、実行に移そうと思ったきっかけは今年の初め、参宮橋のギャラリーピカレスク。にんじんやさんの展示を観に行き、なおさんの個展のフライヤーを2枚組みで戴いて、やっぱり展示の予定があるって楽しみで羨ましく思ったこと。「自分もそう過ごしたい」という言葉を日記に記す前には、もうスペースの予約も入金もしていた。それも不思議な巡り合わせで、デザインフェスタに同時期に出展し始めて知り合った絵描きの彼方彩さんと、同日の出展予定になったのだった。嬉しく楽しみであった。

 その1月末から地球2周目。台北に旧正月の挨拶に戻ると、小判をざくざく忍ばせた長崎カステラ1斤を差し出す前から「戻ってきなさい、ビザを出すから、いつから手が空くの?」と、何よりの御守りをもらう。かつて自分を選り出して移住させて下さった先生は若くして亡くなられたと、街でバッタリ行き合った同業から聞いた。教え子の1人と懐かしい川辺の果てへサイクリングに出ると、年末に結婚式を挙げるというのだった。親心か、安心した。…シンガポールでも2年振りの再会があった。それから巨船で2週間。荷を再編しに琉球七夜、韓国、台南、タイ、マレーシア、そしてインド横断30日間。天をも呪う思いであったが、望んだ通りの苦難だったのだと、横たわるドバイの静けさの中で知った。サウジ、エジプト、パリ再訪。丁度デザインフェスタギャラリーパリが開業しようという頃。ルーヴルでニケ、モナリザを。リスボン、ポルト、NYC。師の学ばれたコロンビア大、もう十三回忌を迎えようというのに未だ出続ける新刊を、懐かしいブロードウェーの珈琲店でまた拝読する。遠く夕焼けを背に立つ自由の女神像。メキシコカンクン、ペルーリマ、マチュピチュ、ボリビアラパス、ウユニは人生最南端の地の果て。ロサンゼルスからサンフランシスコに乗り継ぎ、ゴールデンゲートブリッジを眺めて戻れば、長距離路線の帰国便に集うアジア人達。郷愁を補うようで安心する。台北で乗り継ぐ時、件の式の招待状をもらった。そして3年振りの上海再訪。愛しの魔都はまるでかつて恋した相手と会う約束をするような想いであった。何度も歩いた川辺の東岸、長らく振りのロースタリー、相変わらず素晴らしい場所だが以前ほどの狂おしさは無くなっていた。自身の成長をはきと知る。御呼び立てするとすぐの再会、同時期に移り住んだ邦人御夫婦と、実に染み入る火鍋で会食。その後新居にお邪魔して互いのそれからで互いを満たし合う。食事もタクシー代までも出して帰して下さるのだった。感謝。かつての住まいなど眺め歩いて、名残惜しまず帰国。早5か月、6月末の銀座で二夜、てくてく夏の予感を歩き、展示の下見にDFG原宿。4か月後に終えるその時に、これほど充実して終えられるものとは予想しなかった。手を動かさないでは、そんなもの感じられるはずがないのだ。

 150日目、無事帰宅。シャッター1万8261回、無事。データも日記も身体も。掃除、片付け、会計、焚き火の用意、18時には寝床に倒れて読んでいなかったものなどを眺めて4,5時間。翌朝に決まった食材やナッツを買い込み、断食明けのヨーグルトとりんご。実に染み入る慣れた土地の味。鍵盤、洗濯、着替え、荷造り、自転車に空気を入れて14時から25時までサイクリングし、焚き火をし、温泉。一瞬であった。

 薪を拾い、火を焚き、肉や魚や野菜や御茶を、暮れてゆく広い川辺の美しい夕焼け、月、風そよぐ草原、水音などのなかで分け合う。これも染み入る上海土産の青島ビール。無事の帰国、長旅の苦労を安らかに想った。

 翌日の6月末日、これまで書き積み上げたメモの選定、起筆前の静けさ。…今、その出来上がった製本版を、打ち起こす前のこの手書きのノートの段差埋めに敷いて書いている。「20万字」などと息巻いていたが、1日1000字も進めばいいほうで、書かない日もあり、5時間経って1000字も進まないなど苦しい期間であった。1か月半、3万字を超えたところでふと完成を悟り、終わりの言葉に感謝を添えて脱稿とした。丁度御盆の迎え火でも焚く頃合いであった。6週間寝かせた。とても読み返す勇気が出ず。それでも校正にやっと手をつけると見事な出来、1時間半、5文字加えたのみで完了した。先達の言葉ばかりだが、参照したものはない。旅日記『   』、目指したものが出来上がる。目指したところがそれであったから。遂げたなら捨て置き、次を目指す。

 製本する段になって数えてみると65頁の応答であった。驚いてしまった。旅日記欧州巡礼33歌、序歌、終歌。合わせて100歌。それも数えたわけでもなかった訪問国数。書き終わりを突然直観したのはその為か。更には展示の為に用意したマットフレームも100枚。実に不思議な数の一致だ。

 それら100歌と100枚を用いて遂げたかったのが、最後の展示、副題の – no, we aren’+ in this world. – であった。その発端を問えば我が導師、イタリアの詩聖ダンテ・アリギエーリの『神曲』、地獄・煉獄・天国各篇33歌と序歌を合わせた100歌の韻文。その作者が、生き身のまま地獄を経験したのだと分かる詩歌。そして誰しも生きながら地獄を味わう時期がある。願いを過つが故。地上の生が、魂を焼き浄める為の煉獄の一表現に過ぎないという言葉は、真、実に興味深い。愛と調和と喜び、静けさはそのまま天国。それら三界を具現しようと志したのが、この最後の展示だった。

 初めて用いた黒枠は地に、血肉の色、赤い写真を配し、白枠は天に、精神の色、青い写真を配して。そしてその狭間に巡礼記。けだし、天地の狭間で、浄火の中で旅している。数々の聖堂、数十万人を焼き殺したガス室や絶滅収容所。生命力で満ちあふれる森や草原、牧草地帯、草食む家畜、撫でる風、揺らぐ波、泳ぐ魚、無辺の海原、恵み有り余る星、写したものは全て太陽の光とその反映。

 目指したところに辿り着く。天と地の、どちらを目指しているのかが、魂の行く先を変える。それを意図して行なったので、文言や理知で伝わらないとしてもその影響を、訪れた人、関わった人は受ける。刊行したものを収めて下さった方は尚更。読む人にはもう後戻りできないところまで記した旅日記『   』。その人が何を目指しているのかということ。人は目指したものになるから。誰しも今の自分自身になろうと意図してそのような存在に辿り着いたのだということ。この展示を目指して、旅立って、旅を終えて、成就した。その本を目指して、読み書き行い、成就した。…もう旅も展示も読み書きもせずに居られることを目指した。それを成就した。

 大勢の創作される方々と目的を異にした点は、「せずに居られるように」と努めたことかもしれない。その実、全ての人がその点を本質的には目指しているのだが。年の初めに出展を決めたときも、昨年11月のDF58を終えたときも、青いアイコンを作った時も、それを最後にもうせずに居られるようになろう、終わりにしようと直観した。目指したものを直観するから。

 悩み続けた最後の1枚の展示写真は、搬入間近5日前になって「生花を飾ろう」と思い浮かんだ。まるで天から労いに花束でも授けられたようであった。初個展で展示した1枚の生きた葉は、押し花となってまだ記帳簿に。10年掛かって咲いたのだ。只々、無事で遂げたことに感謝が募った。



 8月後半は写真の選定、複雑なレイアウトを考え出してまとまらず、9月に簡素化。時間ばかり過ぎてゆく苦しい期間が続いた。色が合わずに並べにくくなったり、歌数と合わせる為に無理な配置になったりして、長い間最終決定に至らなかった。7日前にもなって写真を入れ替えるなどしている始末。これほど準備に苦しむのは初めてだった。

 9月下旬、なおさんの個展へ。同日のDFG原宿でもにんじんやさんやふた組知った方々の展示、他にも素敵な作を拝見して活力を貰う。同窓との会食もあって、その日の日記は4000字。残りひと月もないという頃になってやっと本腰、そういう時、別のことにまで手を出したりする。ガラス鉢に土3種を入れ苔・雑草を部屋で飼う。今も元気な姿が愛おしい。調理器具を組み合わせて燻製で保存食を作りながらの校正5文字。翌日には製本レイアウト、続いて表紙デザイン、見積もり。翌週に入稿、修正。

 10月。写真のレイアウトが常に尾を引く状態で、アスペクト比の調整、撮影地や詩歌引用部の一覧作成。展示主題と巡礼経路図作成、販売物の写真選びと資材確認、その印刷用テンプレート作り、フレーム加工の採寸を決めて型紙データを作り印刷しておく。

 残り半月となってようやく必要なマットフレームの数、寸法、材質などを決めて発注すると、大口につき搬入2日前の発送と言われる。とても間に合いそうになく、別のもので代用の相談をするがそれもない。しかし所望のものを2日早めて納品して下さることとなった。有り難いことだった。その他必要なものを買い出しに行くが、これまで愛用していたマスキングテープは数軒巡って見当たらず。新たな方法で適応するとそれがより簡易であったりした。

 展示レイアウト修正、展示位置の採寸と会場での採寸用具作成、各種データのバックアップ、詩歌引用の修正と印刷データ作成。そしていよいよ写真の印刷、6時間。乾燥を待って珈琲屋に駆け込み残りの作業を書き出すなど。フレームにスタンプ、ピン穴開け、特殊な窓抜き加工の印つけ、そして加工に丸一日。やっとの思いで写真の貼り合わせ、販売分までチョキチョキペタペタ、ラッピングに値札を作って貼るなども。

 彼方彩さん、体調優れず展示は中止されるとの報。虚しいだけとは分かっていながら、「データなどあれば私が勝手に額装の上展示しておきますが」などと差し出がましい挨拶を差し上げる。「大切な時間ですから」と遠慮下さった。

 搬入前日、ポストカードの印刷、贈答品作り、詩歌引用の切り分けをしている途中、抜けや誤りを見つけて修正、修正、印刷、修正。こころ折れそうになりながら遂げて、荷造りを済ませてたまらず一本締め、ダッシュで身支度、珈琲屋へと駆けて行く22時、日記。

「これまでも、作りながら人を想うことはあったが、今回ほど切に想われることはなかった。初出展から12年。一眼レフで撮り始めてから18年。簡単に手放せるものではない。それでも手放そうと意図できるところまで来た。」



 搬入当日、10月22日。

柔軟体操、荷下ろし、身支度、片付け。駅へ向かう道は快晴、爽やかに冷える空気、搬入日和であった。竹下通りにスーツケースをガタガタいわせるのも懐かしく、これで仕舞いかと思うと作業の前からしみじみするものがある。10時開場、道具出し、小綺麗に片付け、スピーカー持参で音楽を掛け、服を脱ぐ。毎度同様北面の割り付け位置取りから。作ったボール紙の型を壁に貼り、印にピン穴、こまめに測定。横渡し3m以上あったので分割しても良かったと思う。南面、西面までで2時間。

 そこに「御免下さい、エヌダブルエー様宛に、御花のお届けに参りました」と声が掛かった。手を止めて、謹んで受ける、赤いガーベラ、赤いカーネーション、赤いケイトウ、赤い実の鈴生りに深緑の葉。四度目。四度の個展に四回とも御花をお贈り下さった、出展仲間の写真勢ベテランMASAKAZU.ISONO様。本当に。本当に有り難く、もったいなく思った。まさしく展示内容に合致した、見事な濃い赤で感心してしまった。発信していた準備の様子を見ておられ、「赤を」と選んで下さったそうだ。お心遣いに応える展示にせねばと活力を増した。

 ピン押しのしすぎで指の痛みが限度を超えていたのだが、捨て身で東面も終え、展示写真を梱包から取り出す。

 13時、北面中央に1枚目アデア。3時間歩いて辿り着いた小村の、何でもない風景。よく帰ってきたものだとしみじみ想われる。

 14時、12枚目。

 14時半、28枚。北面完了。

 15時、南面16枚。スタッフからカフェラテの差し入れを受ける。久しぶりの英語がおぼつかない舌。

 15時半、28枚。南面完了。

 16時、24枚、西面完了。

 16時40分、倍のサイズを16枚、東面完了。

 17時、エンブレム、展示主題・序歌、巡礼経路図。虫ピンを丁度使い切る。



 仕上げに詩歌引用を貼って、18時には目標通り終われそうだと思ったら、再三持ち物メモに記した白マステを忘れてきたようだった。黒や虹柄はあるのだが、違うんですよねー。両面テープも使用できない規定。息抜きがてら、軽く場を片付けて買いに出る。服着る。セブンに無し、ファミマに無し、ローソンに無し、表参道いかついビルには有るわけ無し。それにしても朝だった惑星が夜になっていた。無心で準備していたから10秒くらいの体感で。

 無い。明日にするかと戻る途中、近所の古風な文具店で見出す。126円。10倍でも20倍でも買うのに126円。ありがとうございます。切らせていた水も買って18時に貼り付け作業。スケールにマステを貼り、5cmごとにカッター、手に取ってハサミで半分に。第1歌から、旅するごとく、北欧、東欧、西欧、南欧、33歌、そして終歌を貼り終える。19時完了。

 最後に、掲示した窓写真を壁から浮かせる作業。

 19時40分、大完了。大完成の一本締め。箱や道具を片付けて、場の様子を写真に撮り報告。荷をまとめて20時、閉館時刻、外へ出る。しばし放心30分。10時間。昨夜から食事もせずに駆け抜けた。…これまでの経験と、これまでの縁によって遂げ得たのだと思う。帰る。入浴、染み入る秋風、温かい湯。その後柔軟。これほど身に染みるのはユーコン川以来だった。心地良い疲労に任せて眠りにつく喜ばしさ、解放感、達成感。



 23日、水曜日。

数十時間振りの食事、ヨーグルト、柿。8時、懐かしの抗体抗原検査、台湾政府専用と繁体字であるので帰国の際にもらったものか、ともかく活用、ともかく陰性、その後の5日間も連続。列車内にもマスクをしない人のほうが大半で、まだ流行期ではあるのだが時代の一つが去ってゆくことを思わせる。

 11時、穏やかな雨上がる頃会場到着。もうあまり多くはないと思いきやずしり、昨日より重い販売品に機材。荷解き、照明の位置や向きを暑い中調整1時間。13時から販売品のディスプレイ。足りなかった値札を作って挿し入れてポップなど掲げ、やれやれようやくの搬入完了15時。携えたいつものナッツとボトルの缶珈琲で食事休憩をと、今まさに栓を開けんとしたとき!超巨大化した巨大な巨大教え子が来た。驚いてしまった。「成人しましたけど」とか言いながら、毎度選んでくれた見事な寄せ花を贈ってくれた。黄のガーベラ、黄のマリーゴールド、黄のキク科の花、橙・白のバラ。薄緑の実や葉、橙のリボンまで、まるで示し合わせたかのように展示を彩るものだった。爽やかな香りが部屋に満ちる。ドライフラワーにした今も。預かった頃の大手術の経験もあってか、薬学を志して2年目、相も変わらず勉学続きで街を出ることも稀という。調和を積み増してゆく姿が頼もしかった。

 息抜きか、刺激にでもなれば幸いな、地球一周、加えて一周分の風景を、満を持してお目に掛ける。「最も印象深い写真は?」と問われて、足早の御来場者には「プラハ」とひと言おすすめするのだが、どの風景についても逐一、小一時間語れるほどのいきさつと思い入れあり。分けても長くなる本音は、時間を掛けて下さる方に伝える。第32歌、天、イタリアパドヴァのスクロヴェーニ寺院、原型。その教え子らを3年間預かって後、旅した日本一周、徳島鳴門の大塚国際美術館で最も感動した展示品が、その寺院壁画の空間丸ごとコピー複製。「学生に、地元に、後世に資すること」を意図して建設された大美術館の一室。由緒も知らず、いつか現地へゆくとも知らず、地図に印だけしたのだった。

 退館後に読み返した我らが詩人、ダンテの神曲地獄篇に、先祖の名を書かれた金貸し富豪のスクロヴェーニが、ダンテ懇意の画家ジョットに依頼して描かせたのがそのフレスコ画であり、建てられた端緒であるとは、何たる奇縁。そうとも知らぬまま、その書を携え旅を続けて2年ののち、その実物を訪れて撮ったのがそれ。部屋の反対の位置に配した彼の詩人像。その書に倣って書き上げたのが五七の韻文世界最長、旅日記欧州巡礼。それこそこの最後の写真展の根幹・背骨となって、一室を貫いている。自分の旅の始まりから終わりまでを導いた、縁の妙味。

――ダンテ神曲第32歌「その才のもちあわせもなく有り様を語る私、真実から遠ざかりはすまいかとの危惧無しとはせず。なぜかなら、全宇宙の底をしるすことは、面白半分に取り上げれる企てと訳が違う。」――

 その展示を観に来られる方に、三界の旅、無事の帰りと成就をお伝えできる感慨。不思議。来場の方あって完成するごとく思われるのだった。…出版物も2冊、過去累算で全巻収めて下さった。新刊旅日記『   』第1号読者誕生であった。霊の行く先を変える、理路整然と常軌を逸した表現。他の子らの近況などを少し訊き、よくよく礼を告げて見送る。多年の手厚い支えに感謝。



 …「ベルギーから」「オランダから」「スロバキアから」「イングランド」「イタリア」「ポーランド」「フランス」「スイス」「スペイン」「ドイツ」「スウェーデン」「ポルトガル」「アフリカ」「メキシコ」「カナダ」「DCから」「NYから」「カリフォルニアから」「ユタから」「ハワイから」「台北から」などと、ご観覧の方々から伺う。住んだ土地や、つい先日旅した土地などから、遙々来られる方々。特に話が弾む。2年前と比べてコロナや為替の移ろいあってか、本当に訪日の方が多かった。ほんの数日で英語の口に戻ったほどであった。「そこの大学でした」とか「そこ生まれです」などと言われて驚く。自分と同じことを、洋の東西逆にして行っている青年ら。「3か月」「6か月日本を」「それ以前はタイや韓国を」「その後はNZを」という英国人らが3名4名集まってリトルイングランド。「君、この後一緒にビールでもどうだい」「わるいなのび太、この陶酔は出展者専用なんだ」

 入れ替わりに、お待ちしていたお客様、細井研作さんが、明日からの韓国旅行を控えていながら、19時にお越し下さった。2年ぶりであった。展示の”物量”をお褒め下さって初めて、丸一日以上も掛かった苦労が報われる思いであった。旅される方であればこそ、期間や記すものの多さ果てしなさを汲み取って下さるのだろう。旅配信や文具・手帳の集まり、イベント、他分野の方々との縁を縒り合わせて合同展示など主催しておられるという、自分の出来ないことを全てやってのける方。そのような方に「面白い、浴びるような旅の量」などと身に余るご紹介など頂き嬉しかった。ご多用中にも時間を割いて下さった、感謝。興味深い取り組みのお話にも。

 旅立ちを見送り、20時帰路。夕食、ツナアボカドトマトモッツァレラしそカマンベールキャベツサラダ。入浴。…着いて放心、帰って放心。食べて放心、洗って放心。浸かって放心、上がって放心。居ても放心、立っても放心。気づく度、次の行動のためにエンジンを掛け直さねばならない感覚。日記のログをつけて眠る。



 24日、木曜日。

11時半新宿南口の花屋に寄る。橙色のブーケを作ってもらった。ダリア、バラ、カーネーションに葉は緑、シャボンソウ的白い小咲き。オレンジの紙とフィルムで包み、紐で結ばれたそれ。花束作りの難しさ。袋まで買ってしまったが、手に持って歩く気分の良さ。視線を向ける行きずりの人々。会場にて、頂いた御花と合わせて赤橙黄で写真を撮り、終歌、地のフレームを調整、長らく決めかねていた最後の1枚に代えて、フィレンツェを想わせる色のブーケと師の言葉を冠して、搬入が完全に完了した。”Why are we in this world?”、”かの愛はかく”と。長旅を無事終え、長大な韻文旅行記を綴り終えた安堵を、やっと味わう思いであった。

 13時半、そこにいらした きそらのあさん。絵をお描かきになる方で、先日すぐ近く1-Aの部屋で開催されていた個展にお邪魔した。展示されていた絵の、絶妙なインクの発色、色づかい、飾り方などに感嘆、つい原画を買わせて頂いたほどであった。その時ほんのひと言かくかくしかじかと口にしたのを覚えておいでで、有り難くも本当にお越し下さったのだった。

 絵の方に観て頂いたり、話を聞かせて頂いたりするのが、ずっと好きである。”足で探すか””手で作るか”という対置のような方法で、同じ平面に作を生み出すこと。…「どういうときに、撮ろうと心が動くのですか?」「うーむ。調和を見出した時かなと」建築も街も、デザインが美しいほど耐久性が上がり、治安が向上するという。夕陽を観て何のコメントも評論も必要なく美しいと思えるように、心静まるものに足が向かう。「こんな風景が実在するなら、描いているものなんてありきたりに感じます」「とんでもない、あんな絵を描けたなら地球2周分どころではありませんよ」

 肉体ではなく、精神の求めなのだと思う。それを肉体の求めるところをなだめながら探してゆかねばならない、容易ならざる創作の悲喜について話し合った。「何を描いて良いやら分からず、稼ぐにも忙しい時などありますが、専門でやってきたこともあって簡単に手放せることではないですね」とのお言葉。ご苦労を察する。先日拝見したときも「何で食べてゆこうか」というお話をしたのだった。長年自分も思うところある問いだった。

 近頃辿り着いた答えは「お箸」だ。お箸で食べよう人間諸君。シルバー可。もっと切実な問いは「何を食べたいか」の選択だった。「美味しいかどうか」の問題だった。稼ぎ、財産、安定を食べていこうとする人も多い。とはいえ、払ってでも食べたいもののほうにこそ、こころを満たす味がある。専業の味も、兼業の味わいも、稼ぎにならない趣味のそれでも。飽くまで喰らおう人間諸君。実力や巡り合わせが金銭を生んだり、生まなかったりするだろうが。堅気で稼いだ焼肉も、色、音、粘土や文字の羅列で稼いだ血肉も、感謝して享受したい。お箸で。

”稼ぎ口”の問いはプライドの問題、「何をしたいか」の問いは喜びの問題だ。街で、界隈で、一番の腕になるほど好きならもう専業だ。問題は、本当に好きかどうかだ。安逸な稼ぎや欲求の充足にも増して。予測可能な、理知的な安泰よりも、愛して止まず喜ばしくてついわくわくして手をつけてしまうことのほうに、表現するべき己の魂の形がある。誰でも分かっていて、アタマに説き伏せられている間は怖れや恥や罪悪感で覆われている。

 …もっとお話を伺いたかったなと思っていたのは、その答えを確かめたかったからかもしれない。早足で旅してまわり、綴り終え、展示し終えて燃え尽きた。もうどこへも、何も、表す気にならない。次の薪を集めようとわくわくしている。「それで、あれこれ手を出しているところです。次は自分が、何を描けば良いやら分からない期間を過ごしそうで」「書いたり弾いたり、頭が良いのですね」「アタマがオカシイだけでして、恐縮です…」もっとオカシイ人々を手本に精進したいと思う。理路整然と常軌を逸してゆきたい。二度と地上に生まれたくないので。絶対に嫌。一度で生き尽くし、燃やし尽くし、死に尽くしたいので。

 作り方・飾り方の違い、撮り方・描き方の違いなど興味の尽きない時間であった。根底に、己の魂の形を表してゆこうとする動機の一致があることをしみじみ思い、互いの今後に期待を掛けるのであった。

 セブンイレブンで珈琲を淹れ、ナッツで昼食。16時、突如の再会デザフェス運営Glory!!「為什麼!!なんで!!」「知っていました。来た。」びっくした。2年ぶりの会話が一昨日の続きのように沁みた。台湾時代、最寄り駅まで一緒というご近所。激務でいつも倒れそうだから、2年も居られまいと思い込んでいた。DFを4人で運営するというパワー。当日のチケットもぎまでしていた。この展示の宣伝も英語で発信してくれて、ボランティアスタッフの会議で出す御茶菓子まで買い回っていた。「また台北に戻るかも!」「私も旧正月には帰ってる!」「結婚式出るんだけどシャツ1枚でいいよね?!」「スピーチは?!」「ない!」「襟シャツかな!」「わかったありがとう!」

 びっくりしておいてこの会話だ。

「DF出る?」「出ない!」「じゃあ招待券。何枚いる?」「うーん。2枚」「足りる?」「じゃあ5枚?」「好的」「謝謝你」撮りに行かないとね。イベント後、DFGパリに視察に行くという。大きめのアートピースを1日30ユーロで営業し始めるとか。あの凄まじい立地には破格。「ルーヴルの向かいで出展してやった!」と言いたい人には良いだろう。「咖啡をごちそうします、何がいい?」「真的、那、可以給我一杯大杯熱的咖啡拿鐵嗎?謝謝」「好、不客氣」

 どうして会えないものと思い込んだのか。会えればと希いつつ、諦めようとしていた。世の中信じた通りになるので気をつけねばと思う。また会おう。再見。

 仏語ツアーガイドをしているという方がいらして、ルーヴルやセーヌ川の写真を遠い目で眺めていた。達者な日本語で、もう8年も東京に住んでいるという。「ああ懐かしい風景だ」という感想を、まさか撮りたてのパリの写真に頂こうとは、実に面白い。実は7年前の写真だけでなく、15年前と半年前のものも僅かに含めていた。自分が撮って回っていた頃から、その方は東京住まいを始めたということになる。各々に、過ごしてきた時や場所の思い出が募っていること、それらの堆積・沈殿が展示をさせたり、見るものから受ける印象を変えたりする。それらの相互作用。互いに知らない観点を見出す。その堆積の異様に多い人や少ない子ども達、また共通する人たちとのやりとりは印象深くもなる。…4つも窓の写真を買ってゆかれた。仏人の父が似たようなことをしているという。ざっくりと定点で撮った2000枚近いポジフィルムを、1畳分もある自作のライトテーブルに並べて、というアタオカ案件。お父ちゃんによろしくと告げて見送った。

 19時半、竹下通りスプリント、帰宅して夕食。寄せ豆腐に葱青葱茗荷生姜ごま油と醤油。ツナアボカドトマトモッツァレラしそキャベツチアシードサラダ、鳥。



 25日、金曜日。

起き抜けにアートピースの床際が空いてはいまいかと調べたが予約で埋まっていた。洗濯、柔軟、名刺を数枚印刷して出発。邦人の方でじっくり見てゆかれる方がいた。10年ほど前にデンマークの生涯学習プログラムで北欧、東欧、強制収容所など方々見学されたという。あれこれ懐かしんでおられた。「nwaといえばノースウエストエアラインが」「そうです丸パクリです」「今デルタに」「そうです丸ごと買収です」懐かしい話を初対面の人とする不思議さ。

 昨日の仏語ガイドの方が、イタリアからの旅客を伴ってまた来て下さった。思わず笑み。有り難いことだ。他にも縁あった都市からお客様。昆虫撮影の為にレンズを自作しているという方も。お一人、とても熱心に展示をご覧になってゆく方が。書いたものまで全て読んでおられるご様子、あまりにも稀なことで、ご出展の方か、まさか別れた甲か乙かと後ろ姿に記憶検索を掛け始めるとお声掛けするにも怖じけて自ら退出、意を決して戻ると別のお客様と入れ違いに去ってゆかれた。惜しい、何故そうも時を注意を割いて下さったのやら。続けてギャラリースタッフの方やDF60ボランティアの打ち合わせで来たという方が観てゆかれた。「ご苦労はかねがね。どうぞよろしく頼みます」「ありがとうございます」

 そうこうしていると先ほど熱心に観てゆかれた方がまたおいで下さって、応接を欠いたお詫びを告げるとそんなことより「この『御蜜柑を』という文、どういうことなんだろうと凄く興味があって!」と仰る。――雪降る夜のハンガリーブダペスト、不況に家を追われた若者が宿の前、暗い回廊で座り込んでいた。一度通り過ぎたもののいたたまれず、買った蜜柑を1つ手に、戻って「どうかね君」と問う。「ありがとう」との返事にゆっくり放る。時間がゆっくり引き伸ばされる。見事に相手の両手に収まる。「じゃあね」とひと言。――忘れ難い一場面をまさか質問されてお伝えすることになろうとは思わなかった。長旅も筆も、彼も私も、報われるような思いであった。手短にその旅の文脈や綴った本のその一節、展示に至る顛末を告げて、ご観覧の御礼。お買い物までして下さった。ご出展の方かと訊いてみるとラジオパーソナリティー、DF60の開閉幕等のアナウンスを担当しておられるあやめ椿姫さんで、今日その収録をしに来られたという。驚いてしまった。大変お世話になっておりました。

 DF会場にまごうことなく一番乗りして、まごうことなく最後に搬出をする出展者だったので、繰り返し放送されるその声を一番長く聴いていた回もあった。DF56あたりまでは少数多忙の運営スタッフが現場で放送していたのか、時刻が遅れたり放送が無かったりもしていたが、ご助力以来、びしっとキマる拍手が好きであった。自由なイベントとはいえ、終わりは肝心。長年思うところであった。…作ったもの、表現したもの、心込めたものが、様々、不思議な縁をもたらす。誠に犬も歩けばである。御礼。


デザインフェスタ開閉幕アナウンス担当あやめ椿姫さん

 さて金曜日、週末の3日間出展される方が何名かおられた。West1-Aでは、いらっしゃる予定であったが体調を鑑みて断念された彼方彩さんの作品を回想。…この縁あって自分の展示を終えることができた。是非また英気を快復されて、次の機会に作品を拝見したいと思う。

 1-B、「絵を描く合間の休憩に絵を描くほど」絵を描いておられるという、憧れの永久機関を実装したアーティストにじのゆにさん。入って驚く猛烈に桃色の一面、多数の作品!その左右にも多数の作品群!「聖」「夢」「影」の3つのテーマで展示しようという試みから、新しく描かれた原画などが三方の壁を埋めていた。「天」「煉」「地」、色に応じた写真の配置など、自身の展示と通じるところがあって不思議だった。

「描くものの着想はどのように?」「それはもう降ってくるとしか」その言葉が聞きたかった!授かったものしか表せない!これほど多作の方であればこそ、確信を強めてくれる。謙虚に受け取り続けるほかない。

 視線に惹かれたもの、祈る姿に惹かれたものなど、ポストカードを頂いた。その日のうちに自分の展示を観に来て下さって、件の三界三領域についてお話しする。本音以上の表現同士で交流するという、貴重な時間だ。色のパワーをぶちかますスタイルは同じ流派。真っ赤なサグラダファミリアの大窓、ミラノのドゥオモ、更には何と旅日記3冊をお納め下さった。どのような影響をもたらすのであろうか。御礼。



 1-C、包帯で作ったやばめの仮面をつけてB4用紙にコマ割り、緻密な線を描き続けている怪しい出展者、瀬戸岡薫さん。生まれつつあるその美しいページに見入ってしまった。「暇すぎて描いてるんですよ、ラジオ体操とかもしてたんですよ」「怪しすぎだろ…」「1コマ1週間とか1作に1年掛かったりします」「根性ありすぎだろ…」「ビルだらけのコマとかやってられないですよ、これとか」「やばすぎだろこれ…」アタオカ案件。「絵は寿命削るんでオススメしないっす」

 そう。寿命の反映、生命力の写し、賜物なのだ。食べていきたいものを食べることだ。何かを売ろうとされる訳でもなく、絞られた数の作品で、つつましい展示をされているように思えたのだが、注いだ時間は作の中に渾々としているのだと、その後も度々お邪魔して見せて頂いた絵の線一本一本に反省した。ネットで一瞥、すぐ次へと移ろいやすい大量消費の時代に、少なからず自分も染まっていると感じる。現場で数をこなす人、質を極める人、様々な人に会えて興味深い。手間を掛けて作られたものを味わう姿勢について、学ぶところのある交流だった。

「ああ、そうか!ハロウィンでその装いを」「いえ関係ないです」「ないんかい」ないんかい。「ハロウィン避けたいので早めに帰ります」帰んのかい。本当にさっさと帰ってしまった。



 1-D、昨日まではモノクロの、出産・育児にまつわる写真だけがつましく展示されていて、その他に何の主張もない不思議な空間であった。ふと搬出の片付けをされている方を見掛けてお話を聞いたら作者の方、お子様のお迎え前。御自身の御産の場面を家族に頼んで撮らせたものや三脚に据えて撮ったもの、中には「もう遺影のつもりで最期の1枚、子ども達を抱えて撮ったもの」もあったという。ワンオペ育児の四児の母、その写真を遺して行き着いた場所からどう戻ったのかは記憶がないという。そんな経験もあって生命にまつわる展示をされたそう。写真を仕事にしようと決心しての出展、めまぐるしきお子様のお迎え迫るという。母は強し、さとうしおりさん私が生む」。

 …その同じ部屋に週末は3名の方が「幻燈夜市」の名でご出展。和を思わす作品、夜の団地、呪術を施した人形とのかくれんぼ、写真や絵画、篆書体(てんしょたい)の字を取り巻く紅い糸、丁度ハロウィンの時季にふさわしい怪異のイラストなど。意図によって、こうも違った場になることが面白い。生命の来し方行く末。皆様文学畑で、装いも黒の和装、各々の作風でも統一感のある内容という、同じものを目指していることが察せられるチームであった。

 1-Gのお隣様はご姉弟で、時代小説「鬼平犯科帳」の主人公となった長谷川平蔵を紹介する展示。なんとその末裔であられるという。ご先祖の活躍を後世に伝えようという展示に行き合うことは新鮮であった。目的があれば方法もあるものだと思う。

 East101ーb、「結んで、舞って。」通りに面した間口も奥行きもある広いスペース、美術学生の団体かと思いきやお二人での出展。壁にもテーブルにも並ぶ作品、奥の壁ではライヴペイント、庇の下にもワークショップやドレスのマネキンなど、拝見するもの多々。よくぞお二人でと感心してしまった。奨学金を得てこの展示の機会をもったという。熱心なのだと思う。

 自作を前面に出してということもなく、教育的なねらいで様々な画材の用例や仕上がりの違いを見たり触れたりできるような見本などがある。訊くと美術の指導に携わるつもりだというお一人、瀧川さん。楽しさを分け合おうという意図から工夫を凝らしているようだった。教壇にも立たぬうちからとても感心してしまう。

 自分の展示をその観点で省みる。そのきっかけ・機会を得られることは貴重だった。自分の意図が何なのか、それに適した方法であったか。…泣く子をなだめる。心の進歩、喜び、安堵。写真も文も限られた手段だ。”何をするか”よりも「どんな存在になったか」のほうがもっと大きな影響を及ぼす。

…もうおひと方、高橋さんが観に来て下さって、書いたものにまで目を通して下さった。第30歌であっただろうか。「何という、生き方だろうか。何という、魂が今も、人々の中に残っているのか。…」それを読まれてか、「すごい、言葉が」と、読み続けながらこぼしておられた。表せば、辿り着く人も居るのだと感慨深かった。それだったのだ。追究したい、後世に遺したいと思える表現といえば、1枚の写真でも1冊の本などでもなく、「本当の」繁栄を求める意図だけだ。それが仮初めにも束の間にも、地上の片隅、一室に展開できれば、あとは天命を待つだけ。

 愛着のある写真だけでも、愛情を注いだ詩歌だけであっても足りず、愛するものをどれもどちらも追究して掛け合わせてやっと、読まれるに価する喜ばしさを宿したものになったのだと思う。写真も文も道具に過ぎないからこそ、最後の一度にして手放せる。「愛すること、喜ばしいことの追究」それ自体が何を糧として食べてゆくかの答えであって、展示の動機であって、伝達の主旨、進歩の方法、泣く子を癒やすことだ。

 このご出展の後にもすぐ、別の会場で展示をされるという熱心さ。渋谷ZAKURA「Z to …」



 3階303室、初美何某さんという方の写真展を拝見、「クラウドファンディングでご支援下さった方でしょうか」「?」「どうぞご覧下さい」「A1サイズ!A0まである!パネルが立っている!」「見るところが違う…」「? 何というのでしょうか、グラビア?」「グラビアというほどのものでもないのですが」「?」同じく写真を展示しておられるのだが、全く会話が成り立たないのが不思議であった。あの大部屋で、A0サイズやA1サイズを何枚も飾っておられるので、相当な思い入れかと思いきや魂を見出せず内容にも惹かれるものなく、あっけなく退散。不思議なこともあるものだ。後で伝え聞いたのはそういった産業の方面からのご出展であったらしく、自分が産業的観点をもたずに踏み込んでいたらしい。様々な動機が方法を見出していることを思う。そして互いの動機の乖離が大きいほど、理解の及ばない者同士となる。

 2階203室、RINTAさんoutput」。緻密な線が縦横無尽に形象を宿して広がり、都市を丸ごと描ききる、生み出すような絵に、思わず吸い寄せられた。線の選択も色の選択も無限であろうに、下描きもなさらずという鮮やかな作品!「描きながら、何を描こうか思い浮かぶのですか?」「まさにそのとおりです」迷いなく描き続けるお姿を思い浮かべる。

”描こうと思った具体的なイメージに従って描く”よりも、「描いている絵から着想を得て相互作用し続けて描く」ほうが、概して評価の高い作を生み出すという(チクセントミハイ)。定まったイメージも無しにあんな大きな白画用紙に取り組むことは、大洋に小舟で漂い出るような想像をさせるのだが、それまでに培った経験や技量、生活環境や習慣、何より楽しさが、遂げさせてしまうのだろう。出来ると信じられる範疇なのだ。互いにそれが別々の分野や領域にあることを知り、面白い。経歴の一行に「家族展示」とあってなるほどと思う。生き方が受け継がれる。どういう存在であるかが、共に生きる人に同調・同期をもたらす。

 後々自分の展示を観に来て下さって、窓を3つもお買い下さった。自分が出来ると信じた範疇の表現に、気に入って下さったものがあって嬉しい。各々の可能性に触れ合う時間だった。それにしても男前過ぎて宇多田ヒカルのいうノンバイナリーの意味するところを悟りそうであった。やば。解散!



 West2階2-A、被服オートクチュール、4名の作品展「Haute couture?展」。案内下さったReiさんの作には古風な柄の無数のリボンが、ステゴザウルスのごとくマネキンの背筋に。お祖母様の着物を使ったそう。ドデカリボンの真っ赤な恐竜のごとき装い、プロモーション映像などに用いると聞いて納得。そのマネキンが握りしめているのはリカちゃん人形。「4人それぞれ、心象を鏡のデコレーションで表現していまして」と、壁に掛かった異様な鏡、左右に並ぶ3段6体、顔の見えないリカちゃん人形。上下の端には無数に重なるフォークとスプーン、サイコロ多数。「やば…」「立場の弱い、性別の苦難を」とのお話。”リカちゃん人形”の記号性に目醒める。すみませんすみませんすみません。「視覚的な情報を主に用いておられるように感じました。隣の方の作は手触りを大切にしているように思えて、対比的に」「ああ、初めて気づきました」互いに学ぶことがあった。装いも、いの一番に判断材料となる記号だ。旅でも自他に向ける判断要素として気をつけるところである。悪意を呼ばぬこと、善意を見分けること。

 となり2-Bは「うみшもも」アルビノ思わす白髪赤眼が不気味な桃色の絵画、対の壁には海色か、人、草、階段その他、キャンバス布にそのまま描かれた作も。美術学生2名の展示だろう。



 アートピースにはハロウィンをテーマにした作も入れ替わり立ち替わりしていた。中にはギャラリースタッフ陣が一区画を合同で飾っているところもある。機会を捉えると愉快な経験を生むものだと思う。過去にハロウィンを特別愉快にせんと努めたことはない。トロント住まいのころ、カオナシメイクの虚無顔でいつも通りの珈琲屋、読書したのがせいぜい。パンプキンにカオナシのジャック・O・ランタンを刻んだのがせいぜい。台北でカオナシ仮面を手ずから作って被ったのがせいぜい。絵描きのスタッフOSAYUさんの原画を2枚頂戴して部屋に飾ってみると初めて感じる季節感があった。機会も季節も捉えなくては去ってゆくことに気づく。その他見覚えのある出展者の方の展示やイベントボランティアをされるというOMAMEさんの展示、カプセルトイディスペンサーが目に付きやすい区画にあって、場の設定、ベテランらしいと知る。「搬出ついでにアートピースに出展して荷を減らそう」というアイデアも既に実行済みだと伺って驚いた。逆に「週ごとに配置替えの為三度も四度も来なくてはならなかった時も」というので笑ってしまった。先人の知恵。月莉さん、原画がとてもとても欲しくなる。振り向いたところに4区画も使っての展示はNariyaMikaさんという方の版画など。測り尽くしたような飾り方、間の取り方、語感や哲学、Simplicity。血液型は100%超えのA型であろう、会わずともそうと知れるほど気遣いがはっきりと場に表れていた。その点でも感心してしまう展示は稀であった。空いたお菓子の包装袋などことごとく折って畳んで結んでしまう魂であろうこと請け合いであった。



 …かくのごとく、ようやく他の展示を観て回るくらいに体力を回復し、やっと来場や贈り物への御礼など書き始めた日。閉館時刻には帰宅、木綿豆腐に薬味だのごま油だの牛だのを添えて夕食。

 この日の朝、おひと方予定が合わず来られない旨のメッセージをわざわざ下さった方がおられた。自分が勝手に日時や場所を決めてしているというのに、全く有り難く申し訳ない想いであった。7回前の展示から、10年。毎度足を運んで下さっていた方であった。無念も人の世の妙味とつとめて思いながら、行き届かぬ案内のお詫びや重ね重ねの感謝をお伝えした。



 26日、土曜日。

8時、無くなりそうだった名刺を再び刷り増し、抗原検査、柔軟体操、頂戴したポストカードを撮影。竹下通りでランボルギーニ5台が並んで渋滞していた。参道のほうをゆくと左手からやっと出てくるそれら。仮装の人出で賑やかだった。East館隣の画廊にお邪魔してから到着。11時。知人の展示を観に来られた足でお立ち寄り下さる方や、写真に写った線路・列車を見て饒舌極まる方など。…車両を一瞥、国が分かるとか。本当に様々の分野あることを思い知る。「撮り鉄構図といいましてかくかくしかじか」界隈では最早構図まで歩留まりの良い定型があるという。それってもう、和歌だね。みやびなることいとをかし。意図が表現を、果ては定型を持つ。半年先も分からない旅や物書き、構図のコの字も気に留めず作ってきた自作にも、きっと分類や定型を見出せるだろう。ついには辞めることも、全ての創作の定型だ。

 さてお定まりの珈琲休憩京急急行、参道まで出て1杯携えとんぼ返り、ひと息つこうと思ったその時、「どうもお久しぶりです」というまさかの声!まさかのMASAKAZU.ISONO様御来場であった。びっくりしてびっくりしてしまった。思わず跳び上がって抱擁一瞬「Oh my Gosh!」とか何とか叫び気味であった。「四度の個展に毎度欠かさず御花を贈って下さった方」と初日に書いたご当人登場、DF写真勢ベテランで驚くような花火の写真を展示される方である。関西にお住まいの方である。会場は関東という所にあるのである。

「早くからやるいうてたからねえ。2月にひこうきのチケットとってね」…半年以上も前から、来場の予定を決めていて下さる方がいようとは。励みに身の引き締まる想いであった。心を込めておいて良かったと思う。写真展をしている身でいて、その様子は写真で伝達しきれない。実体化して、観にお越しいただいてやっと経験、伝達できるものであることが、旅に似て情景を深くする。実体化したときには、自分自身でも予期を超えた驚きがあった。来て下さった方のみ得るものが、何かあったろうと思う。

 さておき贈って下さった素敵な御花の御礼を、重ね重ねて七重の腰を八重九重にお伝えした。初日からずっと、御礼の言葉やあれやこれやを考えていたのであった。「赤い写真を見掛けたから」とぴったりな赤い花を選んで下さったそうだ。毎度、このお心遣いを含めて展示が成り立ったように思う。2年前にもDF56で御礼した以来の再会であった。どんなとりとめのない話であっても、互いのその後の無沙汰を満たすのであった。「池袋寄ってきたら芝生の広いところにコスプレした人らが大勢おってね、しかもみんなカート引いてフラッシュアンブレラまで立てて撮影してるからびっくりしてもうてね」百鬼朝行の話。「ルーヴルの原物から型を取ったいうサモトラケのニケが、三重の山奥の近鉄線駅降りたところにあってね」榊原温泉口駅すぐ北、知らないこともあるものだ!インドの話、夕刊に写真が載ったけどという話、ソフビの話、ご家族の話、DF60当選率60%の話、11月は遊びに、5月は出展(出展名 Fluke Flower)に、というお話、そのときは呑みにでもというお話などなど、1時間が10分か、3時間かくらいの体感であった。

「最後やいわんとまた続けて下さいよ、お花贈られへんようなってしまうやないの」自分も応えに逡巡一瞬。誠に写真勢は絶滅近し。先日のイベントでもまとまってブースが10並ぶのがやっというので驚きため息、我ら写真勢の若輩らに声を掛けて橋渡しにして下さっていたのがこの方であった。「会場にカメラ提げて来てる人すら少ないからねえ」と、共通する分野で共通する観点、共通する実感を持つ人のいることに、今更有り難さが殊更感じられるのであった。時勢なのか池袋の為か、自然景などもう1人しか知らない。そこから2ブースの自分が身を引こうという、激動の時代なのであるね。とはいえ、してきたことは今後活かし続けようと決めている。より楽しく面白い方法で。

…まさかとは思いながら、贈答用の額付き透明写真を用意していたので選んでいただいた。金縁に黄金色の紅葉メープル。御礼に御礼を重ねてまたの再会を約束し、見送る。御花はその後も鮮やかで、一層思い入れの深いものとなった。ありがとうございました。


ルーヴルの原物

――いつの間にやら冷めた珈琲を飲んで、御近所の出展者が紙に寿命を注ぐ様子など見物しにいっていると、背後に更におひと方、紙にキャンバスに寿命注ぎ続けるあの、あのなおさんが、立っておられた。びっっっくりしてしまった。今この部分を10日も経ってからやっと書き進めているのだが、今その最中にまで目や口をかっぴらいてしまっている。びっくりしてしまった。お邪魔していた薫さんに失礼を告げて退室、「Oh my ななななな!なおさんおおおおお身体は」とか何とか言いながら抱擁一瞬、「大丈夫なのですか」と伺うと「活動限界間近で」とのこと、まだ手術から2週間という頃でありながらお越し下さったのだった。義理堅し、何とも訳し申ない(原文ママ)もったいない思いであった。部屋を空けている間にご覧下さっていたそうで、毎度ながら感想を言葉にしてお伝え下さるのだった。「揺らいだような、重なり合ったような像が夢の中のように感じました」

 …インクの羅列に光かざしたパターンを、有意に、値打ちあるものにしてくださるのは、観る人の意図であろうと再び思う。四度の個展、全てご覧下さったのは、全く予期せぬことに、デザフェスを訪れて以来ずっと、最も楽しみに拝見していたライヴペイントの作者の方ということになった。全く不思議な巡り合わせだ。旅も展示も創作も、するものだ。互いに寿命を注いだ分、互いの寿命を注いだ表現に行き合い、味わうことができるのだろう。お得感。寿命を注ぐだけある。

「1冊下さい」と写真集をお納め下さった。付録の新刊3冊目と、喜んで下さったガンジス景色のポストカードを御礼に。皆勤の贈答までよければと断捨離合戦、「もう部屋が」とのことでお気持ち合戦。御礼と御健勝をとお伝えしてお見送りした。びっくりしたままであった。びっくり続きでこころが足りていないのであった。ありがとうございました。

 その後つつがなく20時、家路。牛だの茸だのを蒸した夕食、写真を整理して眠る。

 27日、日曜日。

検査、柔軟、身支度をして10時前には表参道の珈琲屋で、御礼や他展示の紹介などしているうちに11時。急ぎギャラリー着。ほどなく焼肉大学同窓が現れてどかんと手土産を置き、すごい量の写真を買って、中庭のバーで野草ラテ、仕事の愚痴を軽くかましてさっさと帰って行った。ニューデリーで殺気立っていた時、私の姉が鍵盤演奏する姿が映像で送られてきた。姉弟と知らずに長らく同僚であったという。

 さて机に置いていた記帳簿を開くと懐かしい、最初の個展で飾ったパキラの葉、自室で長年世話していたもの、押し花として留められていたり、かつて教えた子どもらの言葉や名前、恩師のもの、焼肉大学焼肉写真部諸先輩方のそれ、同焼肉文学部同窓焼肉物語作家のそれなどが並んでいた。一番新しい記帳に気づかぬまま1年経っていたものがあった。かつてDF47で向かい合わせに出展していた写真勢のお一人ソライロさんが、DF58に来て下さっていたのだった。そうとは知らず、ようやく気づく。無沙汰のお詫びにすぐメッセージ。こういった縁もある。か細く残る間柄や、繋がり消えゆくを待つような縁も。…一筆であれ、作ったもの表現したもので残る縁もあるだろう。良い影響を希って送り出したもの、受け取られたもの。作者の過去も人格も、作ったものも稼いだ額も、関わった人の記憶もどれも、全ては塵と化す。逆に、それらを発生させた動機や意図の影響は、形も無しに永久に物事の成り行きを変え続ける。そのことのほうに気をつけようと思う。

 写真集に写真いくつかをお買い下さった合衆国よりのお客様。「サインして下さらない?」と言われてまどう、うねうねさした字。「サイフを持って戻ってきました!という方が、旅日記欧州巡礼をお求め下さる。新刊『   』が5人もの人に渡ることになろうとは思わなかった。「言葉がすごいんだよ!」とお連れの方に促して下さるその言葉のほうが余程輝かしかった。上階の絵画展を観に来たという美術学生の方は、異様に物静かなご様子で観て下さっていたのだが、印刷の具合で青一色にしか見えない写真から「クラゲがいました」とびっくりするような観察眼で生命を見出しておられた。思わず印刷のまともなポストカードのそのクラゲをお見せすると、合わせて数枚お買い下さった。ちなみにイスタンブルの金角湾、数並ぶ船のスクリューにやられて海とブレンドされ放題のミズクラゲ。じっくり観て気づいてもらえることは、嬉しいことだった。観る人の力量によって育てられる力があると思う。子育て?

 さて14時、日課の珈琲、ナッツをバリバリサクサクいわし始めて数十秒。いざ会場に踏み込まれたお客様とズバリ目が合う。咄嗟に背を正して口元を手で隠すも時は遅し、「珈琲とナッツをバリバリサクサクいわしているだろう」と完全に見抜いておいでのつむさんであった。「珈琲とナッツをお召しだろうから」と”珈琲豆入りチョコレート”を差し入れに贈って下さったのだった。敗北、大敗であった。丁度バリバリサクサクしているところで目が合おうなどとは。

 …およそ1年振りで、DF58にお越し下さって以来だったが、あちこち旅する間にも写真にメッセージを下さっていた。半年近くも果たせるものか分からない地球一周、南米地の果てまで独りゆく旅を、読者よ、想像してもらいたい。ふた言み言の言葉応えの、有るや無しの大きな違いを。半年がかりで地球一周しながら想像してもらいたい。きっとお分かりになるだろう。…各地で経験したあれやこれやを、その土地その土地の写真ご覧頂きながらお話しする。ギャハギャハいいながら話していて、心細い地球の裏、これ以上殺伐とはしようのないほど荒涼とした地の果てから無事に戻った感慨がふわりと湧いた。

 そこでようやく、やっと帰り着いたような思いがするのであった。お待ち下さる方あっての旅であると思うのだった。五度も六度も展示に来て下さる方がいたからこそ、旅も展示も果たせたように思う。何の応えも得られないものであったとしたら、出来そうにない。第一には自身の望むところであり、徹頭徹尾そうなのだが、それが他者の待つもの望むものになることのほうが、結局意義を大きくするのだと思う。…御贔屓に感謝を重ねてお伝えし、贈答用に作ったものを選んでいただいた。銀のフレームに、重厚な雲の合間から射し込む陽が水平線を照らす、透明なモノクロ写真。「こっち!」と即応して下さったのだった。御礼。また何かの方法で、ギャハギャハお話しできる機会を作りたく思う。

 お見送りして、以上で、思い当たる常連の方の来場はひと段落し、差し入れの焼肉ドーナツで過補給すると日曜も夜、出展者同士で行き来したり、搬出の方にご挨拶して別れるなどして、自分も搬出第一段階。大きな写真や各1冊を残した出版物をスーツケースに。雨降る前にと少し早く外に出るとまさに降り始め。朝、降ると知っていながら忘れた傘を取りに戻らなかった出がけを思いつつセブンイレブンで傘買う。竹下通りスプリント、列車を降りる頃にはもう止んでいた。絹豆腐の厚揚げ、鰯、蜜柑。荷を片付けて身支度、柔軟、ログ記録。



 28日、月曜日。

駅で牛の自販機を見掛ける。原宿にはお子様連れ大挙、来場のおひと組に訊くと運動会の振り替えだそう。とはいえ月曜朝、ギャラリーは静かなもので、頂いた差し入れのラテを手に、スタッフの方とあれこれの創作談議。「じゃあ合同で展示しましょう」「いつやるか」「今でしょ。来年の」「何やるか」「知らんけど」そういう訳で来年の出展が決定した。何をするのか、誰を巻き添えとするか。何故やるのか。どうなることやら。

 さておき写真の展示も終わりが間近となり、この日を最後にもう撮れなくなる光景、表現を写真に納め、感慨をいいかげん記し始めなくてはと、巻を跨いだ1つ前のノート、丁度30ページ前。初めの行に日付と場所を記してぼんやり10分。「ここまで書いて筆進まないなど過去10年ない。子どもの頃のようだ」と書き始める。本当に、想いが様々×100巡って、何から書こうか。やはりこれまでに行き合った人々、とりわけ応援して下さった方、来て下さった方についてであろうと数行進んだところに突然、超大型不審生命体が強襲。

「何者だ貴様はァァアア!!」「だれそれです!」「うるさい帰れ!!」うるさい帰れ!!本当にうるさい、居るだけでうるさい!一撃で追い返してノートの続きに、「わざわざお越し下さった方への感謝」を重ね重ね書きたいというのに、もはやひと目見ただけで完全にうるさい。ああ全くもう本当に。本当に、こういう生命体なのである。一番良いところで大どんでん破壊をもたらす。誠に、何という巡り合わせであろうか、先日御花を携え来てくれた超大型巨人勤める超大型薬局で、不意に行き合い「いついつどこそこ」と聞いたらしいその超大型不審生命体が、10年。10年経って突如出現、大破壊をもたらしに襲来したのであった。

 膝丈以下の存在に過ぎなかったはずが、遙かに見上げて目を細めるほど巨大化しており、「この春成人しまして、10年前に先生から戴いた手紙を、家族との初めての酒席で読みました」などと述べる。我が経歴に於いても、いや、歴代指導者全てにとっても最大の天敵であったのが今、てらうことなく会話が成立しており、大変な違和感を覚えるのであった。「三日会わざれば」というが、「三千日」超えである。最も心配していたその生命体は現在どこそこで学んでおり、Jリーグの練習試合で審判を務めているとか、一丁前に運転免許など持っていて現実味の濃い10年の歳月にしみじみ、「貴様のごとき生命体が運転なぞとは誠に世も末」と大分言葉の優しい成長への労らい労わり。前任や私や後任や、その後縁あった先生方の叱咤叱咤叱咤激励の御蔭ですという。地球最大の心配はひとまず良しとして、では他にも心配していたあれやこれやは善き人間となったのかと問うたら「はい、とても。とても落ち着いて、良いやつですよ」という。また1つ安堵した。力及ばず、五輪金メダリストに預けて旅に出たのだった。

「・・・・を覚えていますか?」「当然」

「亡くなりました」「そうか」

「自ら。五年経ちます」「そうだったか」

 それを伝えに遣わされたのだろう。丁度展示を終了する時刻であった。会期中は暗澹とさせず、しかしそのことを知らぬまま生きてゆくことにならぬよう。最後の機会に、その役に最も適した者が遣われた。首尾の調和の完全なことが全く不思議であった。その生命体が最後の最後のお客様という事実だけは甚だ不本意であったが。

 たまらず、10年の旅と最後の展示をもって体現したかったところを、10年振りの最後の授業に語る。生き死にが選択ではないこと。身体の寿命は事故も含めて誕生の時点で決定していること。それが現行の科学的見解に於いても最も真実に近い理解であること。魂は期限の決まったその器を用いて、生きながら地獄を彷徨ったり、天国を目指し見出したりすること。その狭間の煉獄という地上的表現を、私達は旅しているのだということ。

 …天に白枠、青い写真は霊の色、地に黒枠、赤い写真は肉の色、狭間を彷徨う詩歌巡礼記。最後の1枚は師と仰いだ偉大な詩人と先達の言葉。「no, we aren’t in this world.」そして花。建設的動機に、周囲の人々が花や差し入れまで選んで応援に来て下さるということ。正直もう片付けたい時刻であること。ぶぶ漬けでも食べはりますかいうこと。

 スタッフの方に頼んで写真を二人で。これは土産に持って行きなさいと、遊び心で初めて作ったアクリルキーホルダー。「これ下さい」と自分で稼いだ銭で買ってくれる感慨。訊きたいことは互いにまだまだ山ほどあろうがそこまで。「もうええから!帰れほら!もうええから!」と懐かしい遣り取りで追い出して抱擁一瞬、成人式のスーツを仕立てに東京駅で待つ家族と合流するというその生命体に、「お母ちゃんらによろしく」と伝えてしばらく後ろ姿を見つめて15時半。



 ――これにて終了、多年のご愛顧に切に感謝を」などと綴ろうとしたところで、先日予定が合わずと連絡下さった方から「ギャラリーには何時までいらっしゃいますでしょうか」とメッセージを頂いた。お忙しいであろうに、最後のほんの一瞥のために駆けつけて下さろうというのだった。誠に嬉しいのだけど、写真も片付けてしまった後になろうしとても申し訳なくて何とお伝えしてよいものか一瞬迷うがいやそれでも会いたし。「20時までで、お見せできるものもありませんので、どうかご無理はなさらず…くれぐれもお気をつけて」とお返事した。「到着遅ければ気にせずどうぞお帰り下さい…」とのお気遣い。展示に名残は無かったのだが、片付けてしまうことが何ともためらわれる思いだった。

 詩歌を外し、主題を外し、まだ見せられる。他所で完成したらしいライヴペイントを眺めに出、戻って写真のピンを片方ずつ外し。スウェーデンからの訪日客にオススメのレストランを問われて「鰻でも」と地図に示してやり。東面、西面、南面、北面の写真を歯がゆくも外してゆく。包装、梱包、荷造り、ピン穴を埋めるパテを借り、ヘラに小さく取っては塗り、取っては塗り、穴した高さごとに部屋を回ること数度。真っ白になったその部屋で、最早することはなし。スタッフの確認を受けてお世話になりましたと御礼、19時半であった。

 赤・黄・橙の花と小さな窓の写真を机に並べると、入り口から懐かしい声、さしかしご到着であった。まぶしかった。灯りひとつ増したかのように感じる。流石にデザイナーであると毎度感心する居立ち振る舞い、声音に装い。互いの無事、御足労の御礼、それからのことなどひと通りの会話、「こんなものしかありませんが」と机に並べた作を展示の代わりにお見せする。「こんなものお好きでしたら」と、毎度のように差し入れを用意して贈って下さるのだった。本当にもったいない思いだった。シンプルで上品な、好みの焼き菓子、嬉しかった。

 …初個展の1つ前のイベント出展から10年、以来8回、全てお出掛け下さったのだった。御礼に、パリ・サントシャペルのステンドグラス、透明写真を赤銅色のフレームに入れたものをお贈りした。「あの時イベントで知って、初個展にお邪魔して、でしたね。もう10年になるんだなあ」と。表現しがたい感慨、感謝が湧く。「これからは物書きなどを中心にされるんですか?」「分かりません!でも何か、新しく楽しいことで再会できるように、修業してきます!」青い写真やエンブレムに使っていた作など、たくさんお買い物をして下さった。お礼やお返しを、もっとしたかったのだが展示もなし、無念。「デザフェスは遊びに行きますか」「wさんが出展されないならもう」との言葉。それでも何か足しになればと招待券を2枚。一緒に写真をと誘って下さり、白い壁を背に1枚。別れの挨拶、「お蔭様で最後まで頑張れました」と、きちんと言葉で、背を伸べて御礼を伝えればよかった。いたたまれず、握手をもらってお見送りした。

 ほんの20分にも満たない時間であったが、ここまでの長旅も出展も報われるようなひとときであった。かくしてnwaの写真展示は全て終了した。――



 それから10日も掛かって筆を走らせ続け、悼みや静寂に涙しながら、件の10年前に書いた手紙の写しだの、10年前の教え子らの写真や遣り取りした手紙・日記だのを読み。展示の会計、ドライフラワー作り、余った資材で紙のペンダントを作ったり、久しぶりに珈琲を淹れ頂いた差し入れなどをゆっくり味わったり。

 旅日記欧州巡礼を書いていた頃以来、2年弱振りに訪れた珈琲店もあった。日課も手に付かず、とにかくその時集中できることを、と綴り続ける。

 11月4日、月曜日は祝日振替、息抜きに3か月ぶりの焚き火をしに出たが全く別の季節になっているし、荷も装いにも準備の手順あやふやなまま。空気を入れ直した自転車で、大荷物を背負って、爽やかな秋風の中、街外れの川辺へ。広げたシートに荷を投げ、近くの森で薪を拾い、焚き付けに持ってきた刷り損じの印刷用紙をひねり、薪と一緒に火床に据える。長い枝は手折り、火のそばで乾くように並べ重ねる。川の水音、飛ぶセスナの音、鳥の声。ミニテーブルにマグカップや頂いたお菓子、小刀、割り箸、オニヤンマ、その他食材、用具など。

 火入れをするともくもくと薪の湿気が立ち昇る。湯沸かし、ホイルに包んださつまいもを火床に。麦茶を煮出したり珈琲を淹れたり菓子を頂いたり。肉や野菜を茹でたり、芋の向きを変えたり、茂みに赤いクコの実を採ったり。青々とした草原、水の多い川の流れ、夕日が遠野に近づくとほっそりとした四日月が目立ち始めて美しく、空も茜に見事な色。

 ほうじ茶を淹れ、火に掛けて2時間経った焼き芋を割ってみると素晴らしい焼き上がり。バターを添えたり牛乳で酔ったり。米油を火に掛け、もう1つの芋を輪切りや厚切りにして揚げ、琉球の塩など振ると絶妙、御茶と良く合った。紫蘇、玉葱スライス、レタスに千切りキャベツのサラダ。チェダーチーズ入りソーセージをこんがりいわしてレモンマスタードを添える。凄まじい美味に目を見開く。なんなんだこれは。

 見渡す夜の原には霧が低く掛かって幻想的。火の始末、片付け、荷造り、ひやりと夜風の心地良い中を走り戻って温泉。木星光る露天風呂。14時半から25時半までの心地良い疲労に眠って英気を回復、続きを書く。



 …遂げたいと思っていた旅も、書こうと思っていた本も、済ませようと希っていた展示も全て終えることができた上での、久しぶりの余暇。そして今書き終えようとしている出展の記録。内容のほとんどが訪れて下さった方々についてであり、これまでに得た縁の御蔭で書かれ得るものあることを、切に御礼申し上げ、先の歩みの糧としたい。奇しくもノート33ページ。加えて焚き火の1ページ。…せずにおれなかったことをし続けた結果として、展示や著作が出来上がり、応援して下さる方、応援したい方との関わりを得た。

「あちこちゆく度に、残したいと思う風景の美しさや経験の味わい深さに促されて、写真や文章に記録する活動が、創作や展示にまで至った」というのが、ことの初めと短いいきさつ。本当に遂げたいことは、技能でも誉れでもなし。集中力と全き静寂をこそ。その方法の大なるひとつは掴んだものを放すこと。要らなくなったものから手を放すことだ。もしもまた必要な道具となるなら使えばよいが、自らそうなるようにとは望んでいない。撮ったものを使ってもらったり、アタオカ案件協同出展を企てるなど、これまで作ったものを活かしながら全く素養も腕の覚えもない分野で、再び展示ができるようにと修業を楽しむ所存。一眼レフで写真を撮り始めた頃から「遙か未来に撮り終えたら絵に使おう」と考えていた。懐かしいものだ。

 思い返せば遠くまで来た。日本一周、北米横断、欧州巡礼、中華三国、ユーコン・アラスカ、道北、山奥、地球二周。計50か国ほど。文も写真も、旅の良い乗り物だった。不要になれば携えるには重荷になる。枷を去り身を軽く、霊を自由に。

 またどこかで、どうぞお元気で。 2024年11月5日 nwa