五月二七日(金)雨時々曇
六時半、藤の木を見に行く。蔓科でありながら電信柱よりも太い幹が、境内の隅から斜めに立ちのぼっていた。うねった木肌が空高く延び、別の木に寄りかかってから辺り一面に蔓を下ろしていた。薄暗くなるほど周囲を枝葉で覆っている。高さ二三m、蔓の長いところでは四〇mもあるという。是非満開の頃に訪れたいもの。
雨が降り出した中、七時に出発、石岳へ。佐世保市の市街地を抜けて山を少し上り、森の中の駐車場から山道を七分ほど歩く。木々の間を抜けると西の海に点在する大小様々な島が見渡せた。九十九島。夕日の頃はさぞ美しいだろう。雨のぱらつく曇空の中でも、その展望の良さに感じ入る。山を下りて朝食を作った。食後、内陸側を通って南へ。十一時、景観の整備されたリゾート地に入る。ハウステンボス。「森の家」を表すオランダ語、鎖国時代にも交易の盛んだったオランダの、その町並みを再現したテーマパーク。十三時、カメラを二台、三脚を手に、写真を撮りに行く。ちょうど雨雲も去り、陽が出ていた。
入国、ゲートをくぐるとそこは正しく、オランダそのものだった(行ったことはない)。運河の向こうに色とりどりの花が並び、大きな風車が三基、格子の羽で風を受けて回っている。その奥に、ロマネスク様式のアーチや、ゴシック様式の尖頭を備えた煉瓦造りの建築が見える。デルフトの門もすぐ近く。ちょうど目の前を、乗客を乗せた船が通っていった。見事な風景だった。コインロッカーに三脚を仕舞い込んで、広大な園内を撮り歩いた。どんなものであれ、異国の文化に触れるということは、ものの見方を変えるような新鮮な体験になる。日常、自分の使っている言葉や見てきたもののイメージが通用しない社会がある。中でも建築は、人々の生活を内包し、知識や芸術を生み出す場になるので、大きなパワーが込められていると感じる。その土地のもので建てられ、風土に調和するものが伝統として引き継がれている。意味の具体性はないが、生活を支える機能や景観に対する美が形として表現されている。
風車の中に入り、仕組みを観察することが出来た。国土の大部分が海水面よりも低いオランダでは、洪水の被害から土地を守るため、堤防とともに風車が建てられた。「地球は神がつくったが、オランダはオランダ人がつくった」といわれるくらいだ。低い土地から高い土地へ水を排水する仕組みが説明されている。風車の回転を、運河の段差部分で傾斜させたアルキメデス・スクリューに伝えて回転させると、樋に沿って水が上っていく。その風車の中でも実際に、長さ四m、直径七十cmほどのスクリューが水を上へ上へと運んでいた。風車があるということを知っていても、その実際の働きについては想像が及んでいなかったと改めて感じる。目で見ることでやっとその本質を見るのだ。水の排水だけでなく、メッセージを表すこともあったという。祝事があるときには、旗付きのロープを、四つの羽の先に一周させ、羽の一枚を最高点の少し前で止める。「これから」の意味。弔事ではロープ、羽の一枚を最高点より少し越えたところ。「過ぎ去った」の意味。戦時中には「休止」等の意味を、羽に巻いたロープで表したそうだ。
白い観覧車のある広場には、数多くのバラが植えられていた。見て回るだけでも大変な数だ。箱庭の格子を取り巻いて咲くものや、水路に沿って百m先まで植えられているものもある。その先にひときわ高い煉瓦の塔。百mはあるだろうか。海外からの旅行客に写真を頼まれる。撮ったものを見て随分と喜んで下さる。アムステルダムを模した広場では音楽のステージ。小さな池の中央に、グランドピアノの形をした木枠。枝葉や苔、花々が飾られている。広場の端々には鮮やかな花がこれでもかと置かれている。
港に出ると数々のクルーザーが波に揺られている中、一艘、立派な木製の帆船があった。デ・リーフデ号。一六〇〇年に、オランダから日本に渡った船を復元したものだという。乗組員一一〇名のうち二一名だけが生き残びたという大変な航海、五艘のうちの一艘だけがたどり着いたという。このような壮絶な冒険があったと知る度、自分の旅の穏やかさを思う。
建物の裏手に回ると、見たこともない数の紫陽花。これでもまだ早咲きのものだけのようだ。数百mに渡って紫陽花の垣根が道に沿って続いていた。そういえば、今年初めて撮る紫陽花だった。てまり咲き、額咲き、花びらの形、色、様々な種のものが並んでいた。
横道に入るとチャペルがあった。曇りガラスの自動ドアが開くと、隅々まで真っ白な式場。正面のガラスの壁の向こうは海。なかなかの景色。
一通り撮って回ると日が暮れ、人工光が目立ち始めた。三脚を回収してイルミネーションを撮りに行く。ちょうど雨が降り出した。電飾のちりばめられたトンネルを通った先に、展望台。上がってみると丘一面が真っ青に輝いていた。息をのむ規模。三脚を立てたが、雨が強くなったのでやめにして退場、車に戻る。歩いているうちに雨は上がっていたが、もう撮る気力はなくなっていた。この日だけで九〇〇枚撮っていたようだ。普段の四倍から五倍ほど。
二一時半、荷物を仕舞い込んで移動。西海パールラインを通って西海橋公園へ。橋の下は雨が降らず乾いていた。写真の整理の後、歯を磨きながら少し寝ていた。疲れていた。