五月三〇日(月)快晴
六時半起床。素晴らしい晴れの天気だった。車を日向に移動させ、窓を開け放ち、寝具は天日に。何とも清々しい気分だった。太陽が地表にもたらすエネルギーは、たった一時間分で、現代の地球上のすべての社会が一年間に使うエネルギーに等しいのだという。小さな火で朝食を作り、食後はゆっくりと休んで陽射しを受けた。寝具は充分すぎるほど乾き、温まっていた。
熊本へ。海沿いを一時間ほど行くと、山が目立ってくる。斜面にみかんの木だろうか、実は見当たらないが葉が青々と茂っていた。工事車両が、黒煙を吹きながら行き交う。地震の被害の状況を推し量るが、想像の域を出ない。熊本市に入り、海沿いから市街地へと進んだ。緑川の土手を進んでいると、通行止めに行き当たる。地震の影響で土手の一部が崩れているらしかった。アスファルトの道路にもひび割れたところがあった。対岸に渡る。屋根をブルーシートで覆っている民家が目立った。瓦が落ちてしまっているようだ。瓦礫の山もあった。家まで倒れてしまっているというところは少ない。雨風をしのぐには何とか耐えるだろうが、安心して過ごせるわけではなさそうだった。
一〇時、国道沿いの温泉へ。大きな施設だったが被害はないらしく、通常通り営業している。隣にあった大きなショッピングモールは一階のみ、営業時間を短縮して開けているそうだ。またペット用品など、特別需要のあるものについては、駐車場にテントを張りそこで臨時に営業しているということだった。温泉には、地元のお客もいつも通りといった風で足を運んでいる。想像よりものんびりとした光景だった。
昼食。その後熊本市中心街へ。麦畑は何事もなかったように「秋風」に揺れている。麦にとっては実りの季節がいつも通りやって来ている。その向こうに崩れ掛かった民家の屋根が並んでいる。震源に近づくと、旧い木造の家などが大きな被害に遭っている様子が見受けられた。壁も屋根も斜めに折り重なって崩れていたり、コンクリートが割れていたりする。おおよそだが築二〇年以内の比較的新しい家には、大きな被害は見られなかった。駅前通りを通り過ぎる。あまり変わった様子はない。しかし、熊本城を見ると、地震の強さを目の当たりにしたように感じた。高い石垣の一部が、まるで砂山のように流れ落ちていた。城の屋根の瓦はほとんどが滑り落ちている。熊本大神宮など、跡形もなく崩れてしまっていた。歴史ある建物でも、経験のない大きさの揺れだったのか。立ち入り禁止のロープの真下まで、賽銭箱が運ばれていたので、銭を投げて復興を祈願する。周辺を歩いて回った。夏目漱石の旧邸宅もあるが、被害のほどは分からなかった。坂の上の家や高架の歩道なども被害があるらしい。しかし街中で建物が倒壊しているというようなイメージとは遠く、ほとんどの店はいつも通り営業していた。なんとか持ち直すだろう。
食料の買い出し。その後すぐ近くのランドリーで洗濯。一七時に熊本市を後にし、南へ。海沿いの橋や道がいくつか通行止めになっていた。迂回して進む。一八時半、水俣市の西、海際にある水俣広域公園に到着。いやに広い公園だった。駐車場だけでもすごい数で、いくらでも止められそうなほどだ。もっとも西側、海に近いところに止めた。
夕焼けの頃だ。カメラと三脚、虫避けを持って、堤防の端の階段を上る。明神神社の祠があった。神前で頭を下げて、元来た階段を何段か下り、景色に取り掛かる。ふと祠の横の、森に続く道があったような気がして、もう一度階段を上っていき、薄暗い脇道を進んでみた。鬱蒼と茂った木々の間に、確かに土肌の道がある。まるでトトロの森だ。少し進むと蟹が逃げていくのを見かけた。その森を抜けると何やら草原に出た。木々の間から、海の向こうの島に隠れ初めた大きな夕陽が見える。三脚を構えて数分、写真を撮る。足元を飛び回る蚊を気にしながら。磯では若者が二人、釣りをしていた。
撮り終わって振り向くと、薄暮れの草原の向こうに、三つの立派な施設が並んでいた。北寄りに熊本県環境センター、南寄りに水俣病情報センター、そして中央奥にある水俣病資料館。それらの間には池に浮かぶ球のモニュメント。道案内の看板でこれらの名前を目にしたときから、これは行かねばならないと思っていた。月曜は休館だろう。明日の朝の会館までは少し待つことになるが、どうしたものか。…こういう場合、大抵結論は出ている。あとは理由付けだ。待ち時間をどう過ごすか。とりあえず、寝る時間を延ばそう。果報は寝て待て?
車に戻り、窓を開け放って蚊取り線香を焚く。夕食に果物や酢の物、豆腐。昼間の洗濯中に摂った、おやつのりんごケーキが持久力を発揮していた。二一時に眠った。