六月二日(木)晴
ふと目が覚めると、窓の外に見える空はもう明るくなり出していた。ひんやりとした空気の中、カメラを持って東の海際まで駆け出す。いままさに、桜島の向こうの空が太陽を待ち受けていて、濃い青に朱い光が射し、空と島の境目を桜色に染めているのだった。薄い雲が白く弱く光っている。埠頭のへりに立つと穏やかな水面の揺らぎが、足を濡らしはしないかと心配なほど近くに迫っている。日の出直前、空の低いところが暗く、高くにかけて煌々と光った。桜島と赤い灯台の間からいよいよ日が昇り、爪先間際の水面から見上げる空の真上まで、壮大なグラデーションとなる。静かな波音を聴きながら夢中で撮った。桜島フェリー早朝の便が、澪を残して真横を過ぎる。太陽が辺りを照らし切るまで一〇数分、この風景に見入っていた。もっと長くも、もっと短くも感じた。小蟹の何匹か入ったタッパーが足下にあった。若い釣り人が波際で竿を振るっていた。
景色を振り返りながら車に戻ると、擦れ違いざまに、散歩のおじさまに声を掛けられる。「もう一〇分か一〇何分か前だと、いい色だったでしょう。」「はい、それはもう。」「いやあ、やっぱり、朝日はいいね。」「ええ本当に。」一日の内でも特別な光だ。どんな人でも感じる良さなのだと思う。桜島を東に見る位置で夜を明かしたので見られた絶景だった。そのことを特に意識もせずにいたのだが、何か誘い込まれるようにこの埠頭にたどり着いたように思う。「我が胸の燃ゆる思いに比ぶれば 煙は薄し 桜島山」写真を送ると、父から返ってきた歌、読み継がれているものだろう。その土地の人々に共通の風景が、様々あると思うのだが、鹿児島のそれはやはりこの桜島なのだと、心に刻まれる思いがした。目覚ましのアラームを止め忘れていた。止めてからもう一眠り。
七時半起床、朝食。八時半出発。鹿児島市の中心街を散策する。市立美術館には、モネなどの印象画家の作品があるようだ。地下で開催されていた写真展を覗くと、この地の風景や催しの写真が見られた。もちろんその島もある。種子島からのロケットが、天に向かって光を残している写真や、祭りの写真などもあった。街中を歩いているともう夏のようで、シャツ一枚、自然と日影を辿っている。足下の吹き溜まりを見ると火山灰か砂か。
散策中、所々に銅像が立っているのを見かける。歴史に残る偉大な人物達のもので、説明の看板を読みふけっているうちに、興味をそそられて、手元の端末でも調べ始める。日が高くなっていく。西郷隆盛、大久保利通、島津氏。幕末、明治維新、開国、西南戦争…国を分かつ激動の黎明期に、勇んで舵取りをした名だたる志士達。彼等に比べれば大河ドラマのネタ切れの末に脚光を浴びた坂本竜馬など、見合い屋くらいのものだというのは確かかもしれない。鎖国の禁を破って海外へ渡航した青年達や、一国を相手に戦争を挑んだ藩、利益や名誉でなく理念と人道に尽くした人々。様々な歴史を含んだ土地である。
天文館通りを歩くと昔の記憶がふっと沸いてくる。正月の賑わいや繁盛の様子。二〇年も昔に入った料理屋が残っているだろうかと角を曲がると、まだその店が残っていた。路面電車の線路と平行に進んでいくと駅前に出る。駅ビルに観覧車が乗っている、これが文明開化というものか!といつも思うのだが。乗ったことはない。一二時、駅前のコーヒー屋で記録を三時間。
一六時、陽光に熱された車で出発、桜島を眺めながら、錦江湾の東の海岸沿いを南下してゆく爽やかさ。一八時、日が傾いてきたころ、砂浜の先の小島に立つ神社を見つけた。荒平神社。砂がやたらと細かく、肌触りがこの上なく良い。水は透き通って美しかった。稚貝の殻をいくつか拾っていく。日の入り直前に、海岸沿いの駐車場から写真を撮った。薩摩半島の南端に開聞岳、西寄りに日が沈み、北側に桜島の陰。素晴らしい風と夕焼け。空気を袋詰めにして持ち帰りたいほどだった。
南に行くにつれて人家は減る。一九時半、錦江町の小さなスーパーで食料の買い出し。バナナチップスを含む。これほど南の先の地まで来ても、求めるものが手にはいるというのはありがたい。祖母に連れられて晩の街をゆく孫達は寝間着姿、何とも懐かしい光景だ。更に車を走らせて南端へ。外灯はなくなり、山道に入っていく。上り坂でライトを消してみると凄い星空で、まるで宇宙へと昇っていくかのような感覚になった。危ない。野うさぎ、二匹目、たぬきのようなもの、そして四つ足でうごめく何かに遭遇しながら進む。急な坂や海沿いのホテルを過ぎ、二一時半、真っ暗な佐多岬前の駐車場に到着。巨大なガジュマルの樹が今にも動き出しそうだった。