六月七日(火)雨のち曇
四時に起き五時に起き、窓の外の曇り具合を見るなり二度寝三度寝。六時に起きて外に出るとふなむしの軍勢。みな道を開けてくれる。遠くにかけて緩い弧を描く「黒ヶ浜」の全容が目に入った。名に違わぬ黒い浜だ。海岸を成す手のひら大、大きめで丸みのある石は全て黒く、霧と潮しぶきに濡れて艶やかである。石の形から故郷の海岸を思い出したが、黒い石の海岸は初めて目にした。海上に立ちこめる霧が一層の対比を成していた。その海沿いを車で進む。ガードレールもなしに狭い道路が波の直ぐ間際を通っており、それが断崖絶壁の麓。ここに霧が立ち込めているときて、何か煉獄か冥土の淵でもさまよっているようだった。海に突き出た二つの岩に、注連縄が渡されている。夫婦岩か。看板に説明が。神武東征の折、船がここでぴたりと進まなくなったそうだ。海中に大蛸が棲み、イザナギの剣を抱えている。二人の姉妹が潜り、命と引き替えにその剣を天皇に御渡しし、「ここを往く際には私たちが御護り致します」と、岩になったとか。「姉妹岩」という名であった。
岩場の狭道を過ぎると漁港に出たので引き返す。姉妹岩に佇むカモメ。今度は森の中へ。「関崎稲荷」の鳥居が道路脇に。横には「不法投棄は五〇年以下の懲役!三億円以下の罰金!」の看板。まあ、以下ですし。車を降りて鳥居をくぐり、鬱蒼とした森の奥へ進む。長らく人が足を踏み入れていないかのような雰囲気だ。茂みの奥に塀が現れて、奥へ進むと石段の上に門があった。関崎灯台。大分県最初の灯台で、明治の頃に灯ったとか。使用されていた第三等級のレンズはその後、向かいの佐田岬灯台に転用され、以降第四等級レンズが使用されるなど移り変わり、現在はLED電子化。「この灯台が、点灯以来数多くの船人の命と貴重な財産を人知れず救ってきたであろうことを想うとき、これからも夜毎美しい光を沖行く船に投げ掛け続けるよう祈念するものであります。」社団法人燈光会の言葉。染み入る。塀をかわして裏に回り込むと、茂みの間から海が見渡せた。霧一色で、佐田岬は見られなかった。しかし、あの時あの場所から、こちらを眺めた時のことをよく覚えている。
ーーー恐ろしい夜の海に浮かぶ銀河と灯台の光。翌朝出会った岡山の二人や栃木のライダー、みかん売りの老女。そして対岸の緑の島を、特に珍しがるでもなく、「大分県かあ」と眺めた。ーーーもっとよく見ておくのだったな。あの時、ここまで来ることをよく想像していなかった。見えないのに、今更感慨深い。そして、各地に建てられた灯台は命を救うものだということを知った。いつもいつも何とはなしに心惹かれていたのは、そのためかもしれない。
一〇時、運転。昨夜恐る恐る進んできた薄暗い森の中は、霧と弱い光に彩られて神秘的な光景。一一時、街に戻り朝食。その後温泉だ。日本一の温泉地だ。湯上がりのもっちりたまご肌具合も日本一だった。おそるべき頬の吸い付き。四日経ってもまだ吸い付く。
牛乳をぐっと飲み干して内陸方面へ、市街地を走る。中心部にそびえ立つ異形の塔、「グローバルタワー」は地震の影響か休止。由布院に向けて進むと、途中の山道ではもの凄い霧に遭い、一〇m先も見えないほどになった。
ゆっくりと進んで一三時、由布岳の麓の登山道入り口に着く。霧が晴れてきている。なんと美しい光景だろうか。裾野原から山の頂上にかけて、鮮やかな黄緑色。青空を流れ行く雲。かっこうが鳴いていた。登山道は閉鎖され、土の崩れたところも見受けられたが、その分、人のいない静けさも手伝って、見事な風景だった。是非また登りに来ようと思う。
一五時、由布院に到着。カメラを片手に、湯の坪街道を散歩。商店や食事処、美術館や湯宿が建ち並ぶ、風情のある小路が続いていた。練り物やソフトクリームなどを食べ歩く人々。スヌーピーカフェ。公園に古びた蒸気機関車。街道を外れるとのどかな田園風景。川沿いを戻った先に金鱗湖。温水が流れ込んでおり、寒い日などはもやがかかるという。周辺には閑静な宿屋が点在し、緑豊かな庭園が広がっていた。コーヒー屋かそば屋かわからないが、坂の上の店からあひるが堂々と歩いて降りてくる。これはこれは大名行列か。茶の凛々しい羽。総勢二羽。
一七時、出発。福岡県方面へ北上する。再びの皿倉山へ向かうことにした。九州に入った当日にも訪れたが見逃していた。山頂まで上れば夜景が眺められるということだった。夕暮れには間に合いそうにないが、行ってみよう。山間の道を快適な速度で抜けていく。風が心地よい。平地ののどかな農道に出ると、太陽が西に傾き空がゆっくりと朱く染まっていく。誰もいない、虫達の声が聞こえてきそうだ。真夏の日差しや、急な夕立などを眺めて見たくなるような、愛おしげな農村だった。しかし先を急ぐ。
福岡県の北九州市に入る。皿倉山の麓から、細い山道をうねうねと上って行く。途中垣間見られる夜景に心震わせる。一〇分ほど山道を行くと、ビジターセンター前の狭い駐車場に到着。二〇時。急いで機材とお腹の支度。パンや果物を丁寧かつ大胆に口に押し込みつつ、フリースとレインウェアを着込み、貴重品をリュックに。三脚を担いで両手にカメラを持っていざ出発。山道を歩いて、頂上まで一〇分ほど。
汗が不快に感じられてきた頃、山頂の展望広場に到着。先日既に「世界三大夜景」を長崎で見てきたから、とそれほど期待はしていなかったのだが。視界に収まり切らない程の夜景が西から東に掛けて広がっていた。驚いた。とてつもない光の数だ。低い雲が街の光を帯びて光り、その合間に三日月が見えた。北側の日本海が、光の途切れた暗い部分となって、山口県の下関まで地図通りの地形を縁取っている。
風の中、塀に上って、その縁に三脚を立て、写真を撮り続けた。汗を纏った上着を脱ぐ。果物の残りを丁寧に口に押し込む。二、三組の男女も眺めていたが、すぐに下りて行ってしまった。広い展望広場で一人、雲の流れを見計らっていると、風に晒されて冷えてきた。街が雲に覆われて真っ白になったので車に戻る。二二時。