六月一一日(土)曇のち晴
七時に起きる。曇った海を撮る。朝食は野菜、豆腐、漬け物、酢の物、果物。九時、街の景色を眺めながら、平和記念資料館に向かった。一〇時、凄い数の高校生達と一緒に館内へ。原爆の威力や構造、被害、被曝症、遺品などが展示されている。ただ眺めて外へ出た。数年後に改装し終わるそうだ。
館内入り口に戻ると、「地球平和監視時計」という時計が動いていた。「広島への原爆投下から二五八七七日、最後の核実験から一五七日」と電光掲示板が光っている。その下に、一五もの歯車が縦一列に真っ直ぐ連なっていた。一番上のものが、モーターに駆られてけたたましく回転している。一つ下の歯車の、中心寄りの小さいギアに動力が伝わると、その二番目の歯車は、一番上のものの一〇分の一程度のスピードになってゆっくりと回っている。さらにその二番目の歯車の中心よりのギアが、三番目の歯車の外側の歯に動きを伝えている。この三枚目もさらに一〇分の一程度の速度で、目を凝らしてようやく動いていることが分かった。それが一五も続いている。四番目から下は、動いていないも同然の速さであった。よく見ると、一五番目の下に、時計の外枠に埋め込まれた一六番目が、半分だけ姿を見せている。コンクリートか石膏で、全く動かないように固定されている。もちろん一五番目からの動力は伝わるようになっているのだが。この時計の説明を読むと「広島からの核兵器等廃絶への抗議」と書かれている。「このままでは人類が歩み続ける先に破滅が待っている」ということを暗示している。「装置の回転が、固定されている一番下の歯車に達した時、この装置そのものも自壊する」という発想で制作されたものであるという。
「砂暦」同様、この「地球平和監視時計」も、今も絶えず動いている。この記録を書く前も、書いている最中も、読み返すときも。人類は、軍事力に頼らない共生の時代を迎える時がくるのだろうか。かつて武士が刀を置いて、筆を執り始めたように。
雲が晴れて日が出ていた。夏の陽気であった。日陰を伝って街へ。一四時、コーヒー屋に到着。五時間。その後買い物を済ませて夕食。写真の整理をし、二二時出発。呉にて夜の港を撮影。仕事終わりのOLが話し込んでいる。その後は、若い釣り人が二人やってきた。「ここで釣りしてもいいですか。」「もちろんどうぞ。」水面が外灯に照らされていたので、釣りやすいのだろうか。場所を変えて再び港を撮り、二四時半、音戸の瀬公園の下手の駐車場に到着。