六月一四日(火)曇時々雨
四時起床。眠気はある、朝いつもある程度に。朝の公園を散歩、五時には出発した。六時、奈良市に到着。朝食。ナッツとドライフルーツを入れた容器をひっくり返してしまったので拾い集める。収穫の喜びを味わうことが出来た。
八時、小雨の中、カメラと傘を持って散策に出た。「ならまち」を歩く。ここにも古くからの街並みが保存されており、江戸時代からの商店や、歴史ある寺の並ぶ路地だった。その中に「ならまち格子の家」という建物があり、当時の商店と住居のつくりを、実際に部屋にあがって見学出来るというものだった。九時の開館後すぐに見学に入った。細目の路地に面した店構えは、奥行きに対して幅が狭い。これは当時、店の間口の広さによって、課税されていた為だという。格子が特徴的な、店としての空間に始まり、居間、土間と中庭が続いて、その奥に手洗いや離れ、蔵と続く。随分と奥行きのあるつくりだ。このような商店兼住居がいくつも並んでおり、そのつくりが通気や生活音の配慮、広く感じさせる工夫、隣家との兼ね合いなど、様々な快適さを生んでいたのだという。畳、茶釜や火鉢、土間の竈など、洗練された古風な屋内だった。そうこうしていると、幼稚園児の軍団が攻め入ってくる。見学に来たらしい。一足先に外へ出て、その他の建物や資料館、庚申塔などを見て回った。畳の間が異様に落ち着く思いがした。家庭にも畳の部屋があるかないかが家族関係に影響するらしいと聞いたこともあるが、きっと本当だ。店の軒先に、さるぼぼを丸め込んだような赤い人形が連なって吊り下げられていた。資料館では、さるぼぼと対比して説明があった。「身代わり猿」と呼ばれ、疫病や災厄を祓ってくれるものであるという。庚申塔にも刻まれる猿は、毛づくろいをする姿が、災厄をもたらす「三しの虫」を食べているように見えることから、人形の御守りとして飾られているそうだ。どの街でも至る所で目にする庚申塔だが、こんな話を知ってから目にすると、また面白いと感じる。
奈良公園の方へ歩き出す頃には雨が上がっていた。階段を上がると五重の塔、周囲では堕落した鹿が観光客の持つ煎餅を追う。その先に阿修羅増像のある国宝館、東の地下道を通った先に公園が広がる。多くの観光客とだらけた鹿達が戯れていた。お客が鹿煎餅を買ったと見るや続々と立ち上がり、その周囲に群がる。煎餅売りの荷台に並んだ煎餅には手を出さないのが面白い。北の仁王門の先には東大寺が見えた。一〇数年ぶりか。線香の煙を身体のどこそこに掛けるとよくなるだとか、柱の根本の穴を通れるとどうとかいうことを思い出したが、建物が見えたところで引き返す。通りの向かいの春日大社へ。参道を歩いてゆくと、たくさんの燈籠が見えてくる。手水を済ませて先へ進み、募金、銭、無事の御礼。急ぎの小学生達が大急ぎのガイドの声で一斉に二礼、二拍手、一礼を済ませて急ぎ足で去っていったのが印象的だ。
バス停の時刻表を見て、バスを待った。自分一人を乗せて出発。市内循環の観光バスのようだ。奈良駅で降り、歩いて車に戻る。一二時出発。途中休憩を一五分。名古屋の渋滞を越え、一七時に岡崎に着いた。再び休憩をし、記録を三時間。二〇時出発。雨の中、コーヒーを飲みながら高速道路を夜中まで走ること五時間。高速道路がやたらと増えているな。深夜一時に自分の町に戻ってきた。わずかによそよそしさを感じるが、家の前に車を止め、一歩外に出るとその場に座り込んで、こみ上げる安心感にしばらく浸っていた。無事戻れた。
寝具や洗濯物、食材や機材を運び出して車を止め、入浴。仏壇の前で手を合わせる。窓を開けて柔軟体操をし、深夜二時、安らかに眠った。