六月二一日(火)曇時々晴、虹、嵐
この日はシュラフの中で寝袋を使って眠った。温かくて快適だった。外は早春を思わせるような冷え込みで、寒さが身に染みる。コートを着て散策に出る。ゆるキャラ「とまちょっぷ」のネーミングには若干無理があるような、いや、勢いを感じる。道の駅の施設を抜ける途中、消毒マットを踏むようにとの張り紙があった。ウィルス等を持ち込まない為だろうか。車止めの鉄柵の上に鳥の像が並んでいて、靴下のようなカバーやビニール袋が掛けられていた。いわゆる「お地蔵さんカバー」だが、ビニールまで掛けるとは。窒息だ、いや、心遣いだ。ウトナイ湖の水際に立つ。冬にはタンチョウヅルが渡来するという。向こう岸が見えないほどの広さか霧か。風で少し波が立っている。上空には鷲。周囲には湿原と、幹の細い木々が並んでいた。
七時半、朝食。運転席から隣の車を見ていると、御夫婦で旅をされているらしい二人。車内の荷物を漁っていた。荷室の広くなった乗用車だが、後部座席が荷物でぎっしり埋まっている。屋根の上にも箱を積んでいた。長旅だろう、どこで眠っていたのか気になった。その御夫婦も朝食の支度を終え、車外に小椅子と机を出して食事をしておられた。このときふと「空気の良さと食事の美味しさが比例する」と思った。火を使って調理する際には窓を開け放って食事をしていた。どれも唸るほど美味しかったのは、きっと空気の良さも手伝ってのことだろう。ドアを開けて、朝食の続き。少し美味しくなった。再び湖の散策、その後の読書を終えてもまだ八時半。時間の流れが緩やかだ。
出発、ここから一〇〇〇kmは、かつて旅した道のりである。海際の坂を上り切ると前にも撮った景色。再び撮る。崖下の波打ち際に、真一文字に単線の錆び付いた線路がある他は海と空。そんな広々とした風景の中を、かつての自分の記憶と擦れ違いながら進んだ。「ここで休んだな」とか「ここで食べたのは何だったか」とか。曇空に晴れ間が見え出すと、緑の草原と青空、白い雲の対比が清々しかった。牧地と草原、長い道のりを経て点在する街々。給油のタイミングには慎重になる。新ひだか町で給油。大きな川の水は雨の影響か、泥を含んで海に流れ込み、沖は水色、波際は薄茶色の、混濁した海に景色を見せる。
一一時半、道の駅みついしに到着。周囲に広いオートキャンプ場や宿泊施設、温泉施設がある。ここの「三石昆布温泉」には以前も来た。日当たりのよい駐車場に止めて休憩。その後、寝具を干しながら昼食をつくる。鶏、葉野菜を茹でて味付け、サラダは出来合いのもの。風も涼しく空気も良い。味もまた言うまでもない。一三時、温泉へ。昼間の露天風呂は眺めがいい。太平洋が一望できる温泉だ。その手前にはキャンプ場。風呂の縁に立って眺めていると丸出し。風の涼しさと湯の温かさが何とも言えず良い加減で、つい長湯をした。湯上がりに特殊訓練。ドライヤーの風を顔面で受ける訓練。
施設内には食堂や土産物屋が並んでいる。手作りパンが並んでいて、以前にも買ったのを思い出し、おやつに。一四時半、襟裳岬に向けて出発。山際や坂道、林道。信号も交差点もない、快適な巡行だ。えりも町に入ると建物が立ち並ぶ北側遠くに、壮大な日高山脈が見え、なめらかな雲が長く棚引いている。その麓まで続いているかのような草原、林道。写真に収めた。
襟裳国道を逸れて、いよいよ岬に近づく。日高山脈の峰を北海道全土のひし形中心から南に伸ばしている突端が襟裳岬だ。ここから岬までは上りの道になる。一七時。西を振り返れば高台から見る海が日の光で真っ白に輝く。その高台一面、強まる風になびく草原。この広さと風を写真に収めようと、小道や道路脇に車を止めては撮り、止めては撮りを繰り返す。そんな中、目に飛び込んできたのはとてつもなく大きな虹だった。東の空の雲と海を背に、並ではない分厚さの虹の根本が見えた。見通しの良い所に移動して撮りたい。猛追、虹を追いに追って広いところを探し、絶好の牧地草原に行き着く。その間に虹が、地から地へと繋がる美しい弧を描いて一層巨大に輝きだした。草原の中央に駆け出して数百m、柵に触れながらも夢中で撮る。広大な黄緑の草原、真っ青な空、その向こうは海だろう。薄く足早に流れる雲、背中で降りゆく太陽。刻々と変わる光の強さ。風は強烈で、景色に似合わず冷たかった。前方からの霧雨にレンズを濡らさないよう素早く、しかし正確な角度で撮る。電池がなくなりそうだ。水滴が写ってしまわないだろうか。拭き取るべきかどうか。そんな試行錯誤の末、撮れた後になってようやく気づく電気柵の痺れ、なかなか強烈だ。夢中だった。振り返って太陽に手を振る。OKサイン。素晴らしい風景に巡り会った。
それから虹が消えてしまうのを待ちながら、北側の風力発電の風車と牧舎、山の景色を眺めたり、白く輝く海を見たりしていた。間が途切れはするが、まだ虹は消えないようだったので、海沿いを先へ進む。崖の縁までは草原で、車道とは柵で区切られていた。太陽が雲に隠れたところで輝く海を撮影。止められていたショベルカーのキャタピラに上って強烈な寒風をしのぎながら。
一八時、襟裳岬の駐車場に到着。波打った広い駐車場が、崖の向こうに向かってせり上がっていて、その縁が天地を二分するように見える。まるで雲の上にうかぶ駐車場だ。南側には、岬の丘の地下に潜り込むように建てられた資料館「風の館」。風吹きすさぶ荒涼とした施設で、至る所潮風に湿っている。石垣や柵にぶつかった強風の裂ける音が轟いている。長く湾曲した暗いトンネルを通って吹き抜けまで来ると、資料館の入り口手前から真上に伸びる、風の渦を模した螺旋階段があった。ぐるぐると上って丘に出ると、景観に調和した石垣と芝。岬の終わりの峰を眺める広場には「風極の地」の石碑の文字。襟裳岬展望台到着。風の生まれるところにふさわしい、体験したこともないような風の勢いを感じた。コートから出した手がみるみる冷えていく。顔に当たる風は、ドライヤーの訓練の成果もあって一切気にならない。一切感じない。全くと言っていいほど感覚がないくらいの訓練の成果。
峰が南へ伸び、低くなっていくその岬の先端を覆うように、先程の虹が再び七色に輝いていた。とても幻想的な風景だ。果てしない海へと伸びる下りの峰に虹が架かる。冷たい風が東から吹き付ける。断崖の遙か下方では、あまりの風速に波が押し戻されて白く砕けるほどだった。無謀な烏が岩場を飛び立つが、少しも前へ進むことなく操縦不能になって後方へと投げ出されていた。全く救いも恵みもないような土地だ。立っているだけで怖くなってくるほどだった。しかし、そんな景色の中にも、自然の荒々しい、気高さのようなものを感じ取る。そばにあった石碑にはその感慨を表した短歌が刻まれている。初めて詩人の心情を知ったように感じた。この風景に行き合って、何の言葉も残さないではいられるはずがないのだ。自分が日記や写真を用いて何とか心に留められるようにと願っているように、詩人はそれを歌によって残す。その意味で、詩人は表現する者ではなく、印象を刻印された者だろう。選ぶべき言葉がもうそこにはあり、それを探し当てて繋いでゆくという、言葉の彫刻。
白い灯台を背に、突端へと伸びる階段を下っていく。展望台の岸壁の高さが一層増して見える。雨混じりの風に負けて、突端に着いた途端に引き返し、階段を駆け上がって、シャッターの閉じられた土産物屋の壁際で風を避ける。そのすぐ近くに、白い尖塔を持つ小さなバスの待合い小屋が、道路に面して立っている。自分にとっては想い入れのある小屋だ。久しぶりに入ってみる。引き戸を開けて一畳ほどの小屋の木のベンチに座る。天井の中央は丸く開いて高くなっており、あの尖塔の側面の小窓から光が弱く射している。壁には時刻表や、不審物への注意喚起のビラ、旅人の落書きだろうか、英語の文章やステッカーがあった。懐かしい。そして薄暗くて寒い。足下の隅には羽虫の死骸が少し溜まっている。
前にここで夜を明かしたことがあった。あの時も同じように風が強い日で、外は暗く、テントを張る場所を探すのを諦めた末、こんなところで一晩過ごそうと嫌々ながら決意したのだったと思う。それで自転車を持ち込んで食事をした。一六〇km先から走ってきたその日の脚は、数十kmも前から限界を超えていて、階段を上がることができなくなるほどの激痛。荒涼としていたこの地の、強風にも恐ろしさを感じた。冷えきった弁当もまるで味がせず、芯まで冷えるような寒さには少々参っていた。…懐かしさあり、しかし息苦しさもあって外へ出る。風の中よりはましだが、とても居心地が良いと言える場所ではない。西の海を眺めると、いよいよ日の入り真近になって雲や海の色が変わり始めていた。風避けのために車を駐車場の、せり上がった西の縁に止めなおし、風景に目を凝らす。
北西へ続く滑らかな丘。
草原の峰をいくつか折り重ねて見せ、海にせり出している。
永い歳月、波に削られたであろう崖下に、この日も白い波。
一向に止む気配のない突風は、背中に雨粒を叩きつけ始めた。
東から運ばれる薄雲が霧を伴って過ぎ去る。形を変えながら足早に流れてては、陽光を見せつ隠しつ留まることがない。
後は只々広い水平線。
それらが一緒になって今、壮大なグラデーションの夕焼けが視界の全てを満たした。視界の届かぬ遙か遠くまでも染めているのだろう。太陽は輝く白い円から、橙の光を雲に滲ませる。周囲の霧は濃く染まり、離れたところにかけて朱、赤、赤紫、紫。水平線は特に横に長い暖色。日陰になった雲間の雲の側面は白く残っているが、厚みのある重い雲は明度を下げた彩色。南に駆けて晴れた空は水色から深い青に。そして海はそれら全てに増して重い暗色。せり出した草原が黒いシルエット。一人の人間の感受性の容量を遙かに越えた美しさで、刻々と移りゆく風景、風、音、温度。空間の全て。
こころが足りない。いくら写真に収めても、ましてや言葉を重ねても、決して人に表現され得るものではないと悟った。つぶさに観た自分ですら、もう思い出すことはできない。時と共に圧し留めることの叶わない一瞬一瞬の、光と水と大気の配列。
太陽が沈み切ってからもう少し、陽の光が見えなくなってしまうまで、冷たく吹き付ける風の中でそれを見届けた。もう少し先へ進むつもりではあったが、今日はもう寒さで力が出なかった。ダウンのコートを着ていながら、身体の芯まで冷えきっていた。運転席でしばらく放心していた。
指先の温かさが戻ってきた頃には周囲は暗闇。霧に照りつける灯台の閃光が恐ろしい速さで回っている。そして一層強まる風に、車内にいても不安になった。調理も手洗いも諦めた。土産物屋の陰に車を寄せ直して眠る。足先が冷たかった。