四月四日(月)雨のち曇
五時半起床。起きて展望台から日の出を撮ろうと思っていたが、分厚い雲に空一面覆われている。少し経つと雨が降り、次第に強くなった。朝食の支度。雨が吹き込んでくるので窓は開けない、火を使わずに済ませる。
ゆっくり雨音を聴いていると、だんだんと弱くなり、止んだ。昨日撮った写真をPCに取り込んでおく。五十枚ほどだ。
八時半出発。南へ向かう。…南に下っていくつもりが東に向かって突き進んでいた。坂道の脇に桜、向こうに湖が見えたので、写真を撮りに降りた。レンズを付け変えなくて済むように二台担いでいく。以前まで使っていた機種と、新しく使い始めたもの。久しぶりに前のものに触ってみると、もう違和感があった。十年も手に馴染んでいたはずなのに、わずか一週間で新しい機種の方に入れあげているようだ。なんと薄情なのだろうか。やけに小さく古ぼけて見え、設定もおぼつかない、扱いも粗雑になっていることを反省した。どんな末路をたどるにせよ、大切にしよう。値打ちは自ら見いださなくては。
坂の途中に「三船山」という看板。左に曲がって一km少しというのでよってみることにした。すぐに駐車場と観光案内の建物が見えてきた。看板を見ると四十五分で回ることの出来る山道に、四季ごとの花が咲くらしい。丁度看板の両脇に桜とつつじが雨に濡れながら咲いていた。建物の隅には謎の水車発電器がカタカタと回っていた。パイプ、自転車のホイール、ホース、プラスチックのコップで組まれており、取り付けられたランプを灯し続けていた。「限られた資源を奪い合うよりうんぬん」途上国支援の呼びかけのビラが貼られてあった。
建物の向こうに、濃淡とりどりの緑とさくらの斑が美しい、小高い山を望む谷間。蛙達の声が数聞こえる。景色を観ながら山道を少し上っていると雨が降り出したので、傘を差して戻った。山道入り口に、細い荒竹の杖がいくつも置かれてあった。物干しにと一つ借りていきます。
車に乗り込んでルートを確認すると南の進路から外れているのに気づいた。少し折り返して進み、館山へ向かう。宇多田ヒカルが流れてくる。六年ぶりに活動を再開したということだ。六年か、何をしていたのだろう。自分もこの先の六年を考えるが、どうも漠然としている。ならば先ずはとこれまでの六年を振り返ってみるのだが、こちらも身になったのやらどうなのやら。どうやら迷いながら進むことになりそうだ。終わりを見据えて進もう。
ラジオの電波がなかなか入りにくい。馴染みの放送は聞こえないし、試行錯誤して気づいたのだがワイパーが止まっているとノイズが増えるようだった。途中いやになって消した。後で気づいたのだが、車外のアンテナ線を伸ばしていなかった為だ。海沿いを行く間、雲が切れて青空が見えだした。雲の流れが速い。道の駅鋸南に立ち寄ると、菱川師宣資料館なるものが隣にあった。出身の土地だそうだ。浮き世絵の巨匠、見返り美人図は戦後初めての切手の図柄になったとか。
館山駅付近までくるとコーヒー屋を探し始める。複合施設等が手っとり早い。この先もだいたいはモールということになるかもしれない。十二時、目的の場所に到着、南国を思わせるような椰子の木と広い敷地に平屋の建物。駐車場の一角に車を止めた。昼食。二十分ほど休憩をして、コーヒー屋に向かった。店外からは閉店しているのかと見間違えるような薄闇、入ってみると逆に外からの光が明るい。クロワッサンとコーヒー。吸わないが、窓際の喫煙席に。記録を済ませて読書をする。温かいコーヒーとぱりっとしたクロワッサンも美味しかった。
十六時、店を出て食品の買い出しをし、車へ。
旅立ってみると「あれも持ってくればよかった、これも持ってくればよかった」と後悔するものがある。だいたい食品だ。家では見向きもしなかった即席味噌汁だとか調味料だとか野菜だとか、そういった食べ物の大切さが身に染みて分かってくる。買い直して揃えていくことになると尚更。これからもう少し大事にしようと思う。後悔の無いよう。
車外に付いているラジオのアンテナを伸ばしていなかったことに気づいて、最大まで伸ばしておいた。FMラジオのノイズがすっかりなくなった。
お腹が空いてくる。今日の目的地まで我慢する。洲埼灯台へ向かう。あと三十分ほどの距離のようだ。走り初めてすぐに、海岸沿いの道路から見える日の入りの景色に心惹かれて車を止めた。厚い雲は沖で晴れていて、夕日はゆっくりと降りてくる予感をさせるように、雲に隠れたまま水平線の上の雲の端を光らせていた。大きな船が海上を行き来していて、また大きな鳶が上空を行き来していて、波が砂の浜辺を行き来していて。いい眺めだ。写真に収めて目的地へ。日の沈む前に着けるだろうか。
ラジオから三戸なつめの「I’ll Do My Best」という曲が流れてくる。曲の前後に新しい季節、新生活の始まりについて様々語られていた。自分も旅に出たが、かつてない始まり方だ。これも一つの新生活。限られた時期、限られた人数にしかできないことだろう。様々な経験を持ち帰って、誰かの役に立てばと思う。
洲埼灯台の入り口を通り過ぎていた。引き返して脇道に入り、車を止めて海辺を目指した。漁港まで徒歩十七分とある。その案内の指す、細い細い、畑や家や竹林の間を抜けていく道を通った。うぐいすが競い合うように美声を響かせていた。故郷の島そっくりな道だ。なかなか海にはたどり着きそうにないので、引き返して灯台のある高台へ向かう。お腹が減る。
灯台まで上がる階段を見つけて、上っていく。日が雲の向こうで海に沈もうというところだ。石段を過ぎて土肌の道を上り切ると、内房、東京湾を見下ろす高台。それは素晴らしい眺めだった。雲が大きく伸びており、日の光が弱まって、朱が蒼に変わる。灯台とともに夕暮れの海を撮った。灯台の敷地には花壇もあり、マーガレットが行儀よく並んでいた。
階段を下りて路上に戻ると、日が沈んだのを知ってか、うぐいすの声がかえるの声に代わってゆく。夕食だ。空腹は最高だ、食べるもの全て美味しい。
記録を進める。外灯がともって車内を照らしてくれた。すっかり暗くなっていた。
二十時に館山方面に戻る。暗い海辺の道、速度に気をつけて走った。少し迷って、大通り沿いの大きな風呂屋に着いた。100台は止まれそうな駐車場だ。「里見の湯」、南総里見八犬伝に関わりがあるとか。隣の土産物屋の角には時の鐘。アナログ時計だが。
入る前に読書をしていたら二十一時半になった。広々として綺麗なお湯屋で、湯も肌を潤わすようであった。
二十二時半、休憩場所で、ようやく旅程を確認しようと地図を眺める。あと十七日で一度地元に戻るつもりだ。北海道に入ってしまっては、最北端の一番遠いところから一気に戻ってくることになりそうだ。青森県で折り返して日本海側を進み、関東に先に戻ろうか。北海道は大洗からのフェリーで後回しにしようか。いろいろと考えたが、二十三時、閉店も近いので車に戻った。その駐車場でそのまま朝を待った。
この旅は果たして無事終わるのか。考えても終わるものではないだろう、一歩ずつ進み続ける他ない。