四月一四日(木)曇
雨は止んでいた。地面がまだ濡れている程度だった。ここからは西の海沿いを行く。早起きをしても日の昇る海を眺めることはできないが、その反対に、夕焼けの海を見られるだろう。太陽を含めて撮影することを主とすると、午後の行動が多くなりそうだった。
車の中で静かに眼を閉じる。新しい日が来たことを、しみじみ想う。雑事に追われていた頃には、すべきことがあり、それを済ませるためにあくせくと動き回っていると過ぎてゆく一日。その分の達成感はあり、程良く疲労もあり、よく眠れもする。反省もありながら、充実もしていた。しかし魂を焦がすほど情熱を注げていたか、自信はない。生活もあり、世間の目もあり、自分にできることに巡り合ったからやっていたようで、「どうしてもそれを」と思えていたか、分からない。やっていくうちに喜びを能動的に増大させてゆくこともできたとも思うが。
しかしいま、かねてから望んでいたこの一日をまさに過ごさんとしている。それでいてこの懐かしい、初めて過ごす日に、充分な意味を残せる自信も、実はまだ無い。ずっと”当事者・責任者”でしかいられないのだ。「また明日も」という甘えや「どうせ今日も」という諦めは、意識の統制を乱し、意味も目的もない生半可な日々をもたらす。
意味があると信じて、淡々と努力を重ねよう。優劣も価値の差もない同じ一日だが、注ぐ意志の純粋さは結果を変える。何をしているか、外的要因は関係がない。
この記録を文書用の端末に綴っている途中、文字数が多くなり過ぎて書き込めなった。二つ目のファイルに続きを書き始める。もうそんなに文字を連ねてきたのかと驚いた。習慣というのは、手を鬼神のごとく動かし続けてくれるらしい。
さて朝食に、初めて炒め物を試みる。中皿ほどの薄いコッヘルだがうまくできるだろうか。米を洗っておき、浸している間に肉と野菜を切る。米を炊いた後にそれらを炒め合わせていく。火力が一カ所に集中するようで、ごま油はすぐに気化していき、鍋肌の色が変化していった。小さくて鍋を振ることができず不便だが、火の当たる場所を変えながら全体に火を通す。味付けは大蒜ハーブの岩塩。なかなかだ。ご飯も美味しく炊けている。ありがたいこと。食事を済ませて本屋に向かった。
コーヒー屋が開いてからはそこで記録と読書を続けた。三時間ほど。一五時半、午後の風景を撮りながら、秋田県の能代市を目指して走る。雲は朝よりも厚く、どんよりとしていたが、気にせず走ろう。
日本海沿いを南下していく。深浦町に入り、千畳敷という景勝地に着いた。海岸に広く平らな岩場があり、いくつかの大きな岩が目立っていた。寛永の時代に起こった地震で岩が隆起し、風雨の浸食を受けてできたという。水は清らかで、カモメやカラスが飛び交っている。駐車場に車を止めて、カメラを持って外に出た。夕日の美しさも名高いということだが、太陽の位置もわからないほどに曇っていた。一つの岩場に備えられた石碑に、一羽のカモメがとまっていた。背後の曇り空、水平線、なんとも意味深げな光景だった。
ぐいぐいカモメに迫って写真を撮っていると、「今日は夕日が見えないねえ!」と岸の上に建つ民宿の女将に声を掛けられた。「はい」「後でお茶でも呼ばれていって!」「?はい!」赤と黒のエプロン、恰幅のいい女将である。「お茶」と仰っただろうか。自分の癖か傾向か、聞こえた言葉にストレートに反応できない。言外の含みまでわざわざ取り越し苦労に考え尽くして、結局応えに困る。言葉というのはどうも選択肢が多いのか、見えない部分が多いのか。景色に気を取られていると尚更だ。「聞く方」であれば誰しもそうかもしれない。反応ではだめだ、対応しよう。
突然だが、カモメが好きである。しかし漁船や港で、餌を追いかけて「ぎゃーぎゃー」と喚いている者たちではなく、ただ独り佇んで考え事をしている風のカモメがいいのである。脚を羽毛の中に仕舞い込んで風に任せて優雅に飛ぶ姿もいいと思う。そしてりりしい顔立ちとくちばし、美しい羽根の色がいいと思う。岩場や堤防に自分で捕ってきた雲丹や貝類を持ってきて食べるのも美味しそうでいいと思う。鳴き声は微妙だ。
ぐいぐい迫って撮る間、ふと振り返ってから視線を戻すと、石碑の上の一羽は消え去っていた。瞬間移動だ、思念飛行だ!今度はカラスを追いかける。警戒してすぐ逃げていった。石碑にカモメが戻らないかと見ていると再び女将さん。「どこから来たの?」「関東から来ました」「あらそうなの!」「海沿いをずっと、日本一周してるんです」「まあそう!終わったらどうぞ上がってお茶飲んで行ってね!」「いいんですか?」
やはり「お茶」だった。ちょっと緊張するが、迷ったらなるべく行こう。海岸から上がり、道路を回り込んでわき道に入り、宿の入り口へ。中からまた「どうぞどうぞ」と呼び込まれた。
ガラスの引き戸を開けると、記念写真やビールのポスター、土産物やおつまみ、地酒の瓶などが様々並んでいる。その土間の海岸よりの窓辺には一段高くなった座敷。素晴らしい眺めの座敷だ。その縁に置かれた石油ストーブの前に、「風が寒いでしょう」と椅子を引き出して勧めてくださった。湯呑みにほうじ茶も。
取り留めもない、でも一番話したかったことを全部話してくださった。写真の話、仕事の話、生き方の話、人と人との縁の話。一番がたくさんあるな。お茶とココアのおかわりをもらって話し込んだ。最後に、藤井保という写真家がここの近所の駅で撮った、宮崎あおいのカレンダーを見せてもらった。その写真家がこの民宿の常連なのだそうだ。その写真をみて、ポートレートも撮りたくなった。旅立ってからそんなことがよく頭に浮かんでいたのだが。縁というのは本当に不思議なものだ。
それにしてもすべて津軽弁である。単語が分からない部分は絶望的なように思われたが、主旨をくみ取りくみ取り聞いてみれば意外となんとか分かるものだった。
この女将さんはいつも何の気なしに見かけた人に声をかけているものかと思ったのだが、商売柄、その人の忙しさや予定などを察してからそうしている。その人との「縁の有る無し」を鋭く嗅ぎ分けるものが鍛えられている。自分はあくせく動き回ってきたが、これからはもっと暇そうに出歩こうと思った。「好きなように生きていくことよ、でも真剣にね、あんたはよかったよ、自然を愛して、人として成長していけば。そうしていい女と出会いなさい」「はい、きっと」
なんの情報にもならない名刺をお渡しした。でも同じエンブレムを手紙に載せれば気づいてくれるだろう。無事帰って書こう。「気をつけていってらっしゃいね」「ごちそうさまでした、御邪魔しました。呼んでくださってどうもありがとう」
日の入り前、海をちらちらと気にしながら海岸線を走っていく。刻一刻と光が変わっていく。銀色の海に青い雲の色が反映している。遠く青い水平線の間際の雲が晴れて、その表層が真一文字の金色に輝きだした。車を止めて、高台からその海の風景を撮った。ずっと変わらないようでいて、一瞬もとどまらない風景の変化。ずっと見ていたいくらいだった。何度も車を止めて海にカメラを向けた。
暗くなってしまうと景色を気にせず落ち着いて運転できる。一九時半、「能代山本スポーツリゾートセンターアリナス」という施設に着いた。地域のスポーツ施設で、温泉もあった。夕食に温かいものを。二〇時に温泉。やたら安い。お湯もいい。
二一時に車に戻り、写真の整理をして眠った。
今、様々な人に出会うように、様々な自分に出会っている。そのことが面白いと思う。素直にしたいことをする、それを真っ直ぐに喜ぶ。何度も忘れそうだが覚えていようと思う。