四月一七日(日)曇、雨、突風、晴
五時半、浜には他にも車が来て、何をするでもなく帰ってゆく人や、網とかごを持って波打ち際で何やら作業する人がいた。そういえば夜中に、首にへばりついてきた子どもに耳を喰われるという酷い夢を観て目覚めたのだが、寝返り不足だろうか。右耳がじんじんと痛んだ。昨日の写真の整理をし、水がないので朝食を後回しにして、六時半に出発。新潟県へ。
海岸沿いをゆくと、海に突き出した巨大な岩が目立った。中には注連縄が橋渡しされ、荘厳な雰囲気を醸しているものもあった。そして、ひときわ高くそびえる「立岩」という岩に惹かれ、車をUターンさせて近くの脇道に止めた。一〇階立てほどもある高さだ。車道から出て階段を下りるとすぐ鳥居があり、矢除神社という社が岩の梺にある。それを回り込んで右奥へいくと、岩場を数m上がったところの岩の狭間にまた鳥居があり、その少し上に注連縄が渡されていた。足元には波立つ海、そびえる巨岩、背景に水平線と空。何とも神妙な風景だった。
先に進む。「道の駅あつみ」で水を補給し、朝食を作った。野菜の焼きそば。火加減と水加減で焦がさぬよう。出来たものを海辺のベンチに運んで食べた。美味しい。風がずいぶんと暖かくなってきたと思ったら、雨が降り出した。少し読書をして再び海岸沿いを走る。新潟県に入ると広大な田んぼや道沿いの桜、渓流の風景が見られた。花散らしの雨に桜の花びらが舞う。苔に彩られた清流に乗って流れてゆく。うまく写真には収まらなかった。
海を一望できる海岸の広場があったので、車を止めて生姜糖をかじり、曇る海を撮る。沖に一つ、石油採掘の施設だろうか、クレーン付きの人工の島が見える。まだ雨が少し降っていた。雨がかからないようにと傘を差していると広角レンズの端がそれを捉えてしまう。なかなかうまくいかない。どうしたものかと工夫していると雨が止んだ。好機だ。雲も晴れて、みるみる青空が広がっていく。いい巡り合わせだった。納得のいく写真が撮れたので、車に戻って先に進んだ。その広場から遠くに風力発電の風車の列が見えていたので、近づいてとろうと思った。五分ほど行くと、その数本が間近に迫ってきた。いくつかを通り過ぎながら海岸に出られる道を探した。
一一時半、森林公園入り口を横目に、砂浜に向かう道を見つけ、一目散に進んでいく。車のわだちを辿っていく途中、スピードを落としながら嫌な予感がした。そして予感した為に実現してしまったかのように、見事スタックと相成った。前進も後退も、砂の上をタイヤが空転するばかりでままならず、空転するほど砂に埋まっていく。焦る。前後を何度切り替えてもどちらにも進まない。手で押してもだめ。まずいなあ。ひと気もない、車通りなど全くない。海岸で、タイヤの下に敷けるものを探した。こんなときばかりは、浜に打ち上げられたゴミをありがたく感じる。木の板やプラスチックの板の破片を四つ集めてタイヤの下に押し込んだ。これならもう大丈夫だろう。しかし全く進まず。後輪の沈み込みの激しい方のタイヤの下を探ってみると石がいくつも出てきた。これさえ取り除けばもう大丈夫だろう。しかし全く進まず。今度はそのタイヤに、別のタイヤに敷いていた板を持っていって差し込み、再チャレンジ。やっぱりだめか。ガソリンが残り僅かだった。調べてみると、前後に振るように、下がって止まり、進んで止まり、ブランコのように勢いを付けるのがよいらしい。いける!と思いきや進まず。体を一緒に揺すっても駄目。板は巻き込み始めているが駄目だった。助けを呼ぶか。服やタオルならたくさんあるから、駄目にしてでも敷いてみるか。そんなこんな奮闘していると、奇跡的に、中年夫婦が犬をつれて浜から歩いてくる!そして奥さんが声を掛けてくださる!犬を放り出して、ご夫婦で前から押してくださる!難なく脱出する事が出来た!何とありがたいことだろうか!重ね重ねお礼を伝えた。御二人の優しさと巡り合わせに感謝した。あそこでスピードを落としていなかったら、もっと奥まで進んだだろうが、きっと同じように砂にはまった事だろう。気づかれることもなく立ち往生していたに違いない。決して偶然ではないのだろう。
一二時、風車などには目もくれず、ガソリンスタンドを探す。給油サインが出始めていて焦っていた。一〇分程走ってようやくたどり着いた。さわやかな男性店員二名。日が出て暑いほどだった。そこからまた二〇分程行き、車を止めて一休み。いや、一安心した。今後よく気をつけよう。そういえば立岩から戻ったときにサイドのドアを開けたら本が全部ひっくり返って落ちてきたっけ。丁寧に運転しなければ。
買い物。昼食。
ものすごい風が吹いてきた。突風警報が出ていたが予想以上の強さだった。車がずっと揺れていた。窓が割れるのではないかというほどの風圧と大粒の雨。屋上駐車場で小さな波が立っている。すごい風だった。外に出られず、ごま団子を食べながら、車の中で記録を進めた。
一七時半。雨は止んで一面乾いているが、風は相変わらずだった。海に向かう。動きの速い、橙色の雲の向こうではっきりとした円い輪郭をちらつかせる太陽。横風に酷く揺さぶられたが、いいスピードで駆け抜けた。海辺の道にでると、砂飛び注意の電光掲示板の文字。あたりの空気がベージュの風で霞んでいる。そしてばちばちとガラスを打つ砂。海側の対向車線を半分埋めてしまうほど溜まっている。強い風に捲かれて、湯気のような砂のうねりがすごい速さで地を這っていた。
海を目前に見下ろす砂利地の駐車場があったので、そこで止まって、車から出ないまま、夕日を眺めた。空はゆっくりと暗くなる。あまり色の変化に気が向かない。撮る気がなければ観る気も半減か。荒れ模様の海、波が激しくテトラポッドに打ちつけている。日が沈んで空が青に戻ってから、ようやく外の風に当たった。お湯屋に行こう。砂がまとわりついている。
駐車場を出て走り始めると、ガタガタという音がした。路面の凹凸だろうと思ったが、一向に無くならない。嫌な予感がして窓から顔を出して後輪を見てみるとぺったんこだった。それはもうぺったんこだ。参ったな。丁字路の脇に車を止めた。ガソリンスタンドまで走ってしまうか。いや、ホイールまで傷むと酷いことになるな。
まずはスペアタイヤに交換する。この車のスペアタイヤはどこだ。そもそもあるのか。工具はどこだ。そもそもあるのか。ダッシュボード内の説明書を引っ張りだして読み説く。暗くなってしまっている。軍手をつけ、ランタンをかざして、道にはみだしながらタイヤを替えた。後輪にはスペアタイヤをつけない方がいいらしいのだが、面倒なのでこのまま行く。ぺったんこの方を荷台に積んでガソリンスタンドをさがす。電話をしてから行こうと思ったが、数件かけてもどこも応答がない。直接行ってみることにしたが、どれもみな閉まっていた。まだ一九時なのだが。
まあいいや明日にしよう、と切り替えて一〇分ほど走ってお湯屋に向かった。難なく走れるようで少し安心していると、湯屋に着く直前、遠くに見覚えのある赤とオレンジの四角い看板が光っている。「スタンドか?」と一瞬迷ったが試しに行ってみると、まだ営業中のガソリンスタンドがあった。二〇時。ガレージの前に止めて店員さんに聞いてみる。「ちょっと待っててくださいね」と言われ少し緊張。別の店員さんが来た。「後ろに積んであるタイヤですよねー」「はいそうなんです、できますか?」「はいーやっときますよー。キーありますか」「よかった!」そういって安心して、積んであるタイヤを見てみると釘が刺さっていた。「もうちょっと優しく、大事に運転しよう」と反省していたところだったのだが、これはまあ、いい巡り合わせだろう。「どのくらいでできますか」「一〇分くらいですかね、中でお待ちくださーい」「おいくらでしょうか」「二一六〇円ですねー、スペアタイヤも積み直しときますねー」タイヤ交換を覚悟していたので拍子抜けする値段だった。お得な授業料だ。あっという間に直って鍵を渡された。「パンクしたままちょっと走っているので、若干傷んでますから、次のシーズンにでも交換するといいかと思います」とのことだった。安心して重ね重ねお礼を伝え店を出た。よかった。
二〇時半、お湯屋の駐車場で、工具を片づけ、改めて荷物の整頓をした。いろいろあったが無事で良かった。夕食。空腹と安心のダブルスパイスであった。ほっと一息。
二一時半、温泉。「女池 湯ったり苑」甲州赤ワイン風呂の香りの中、今日一日のことをしみじみ思い返す。自分も困っている人を見たら声を掛けようと思う。困ったときには人に頼ろうとも思う。記憶に残る、いい一日だ。
二二時半に風呂屋を出て月を撮った。薄い雲が美しい暈になっていた。この日は二重だった。車の屋根に三脚を構えて撮っていると、スローシャッターの最中に「月ですか?」と背後から声を掛けられて振り向こうにも声を出そうにも戸惑った。まあ一枚ぐらいブレてもいいか。「はい、薄雲が掛かって綺麗ですね」「素人目にはわからないものですねー、何にもない方が綺麗だとおもってしまうからねえ笑」気さくなおじさまだった。
二三時、農道脇の小川沿いにある駐車場の端に止めた。いい巡り場所だ。タイヤのことがあって少し遅くなった。眠い。写真の整理も記録も、後回しにしてぐっすり眠った。整頓した甲斐あって、寝返りしほうだいだ。
窓の端に、暈の掛かった月が見えた。