四月一八日(月)晴
六時半起床。隣に車が止まっていて、畑で男性が鍬を振るっている。昨夜は暖かかったので寝袋は無しだった。朝食、写真の整理。農作業の方が声を掛けてくださった。「旅行ですか」「はい日本一周中で、関東から」「いやあいいですねえ、この後は?」「一度関東に戻って、また日本海側を」「西へ?いいねえ、おれじゃあ三日でだめだ笑」その後も長いこと畑仕事をしてゆかれた。自分だったら三分でだめだ。去り際に手を振ってくださった。
記録をし、読書をして九時半に出発。今日は湯沢へ行く。昨日取れなかったコーヒータイムが欲しい。無事たどり着けるだろう。安全に行こう。国道の大通りを行く。信濃川を渡ったり、懐かしい歌に涙したり。街に差し掛かると道路の両側に建物が並び、遠ざかると、ちょうど耕し始める頃の、水のまだ入っていない田んぼが山の方まで続いている。その中の一角に、まばゆいほどの鮮やかな黄色。菜の花に違いない。国道は東に折れて、その田園沿いを行く。わずかに縁石の途切れた部分を見つけて減速、農道に入って砂利道に車を止めた。ちょうどその畦道を真っ直ぐ行けばたどり着くようだ。
一〇時半、カメラを二台背負っていく。コートはいるだろうか。日があって暖かいが。長い撮影になると思って、少し暑かったが着ていった。正解だった。広大な田園の畦道を数百m歩く。やはり菜の花だった。サッカーコート二面分ほど、黄色の海のように咲いて、風に揺られていた。それから一時間、その場所で撮り続けた。いくら撮っても飽きないように思われたし、納得できる写真になったと思えなかった。雲が流れていく度に光の量が変わり、空も模様を変える。日が沈むまで変わり続けるのだろう。菜の花は、その土地に咲く全部で、一つの組織のように感じる。幹が無ければ桜が一輪も咲かないように、その土がなければ咲かないのは当然だが。
菜の花が好きだ。どの花よりも待ち遠しい。名残もありながら、区切りをつけて一一時半、車に戻った。百mほど歩いたところでもう一度撮りに戻ったが。
国道を西にそれる。コーヒー屋を探していたら一度渡った信濃川を、一方通行の大きな橋でまた渡ってしまった。再度その橋を経て、落ち着いて昼食。片づけて読書をし、一三時半、コーヒー屋に行く。温めて直してもらったスコーンと、コーヒー。素朴で美味しかった。旅の記録に四時間。日が傾いていく。一つ公の原稿を書く。それを済ませてようやく読書タイムだが、空腹で手が震えてしまってメモが取れないので三〇分だけ。
一八時半、食料の買い出し。夕食。何日振りかの動物性たんぱく質。それほど高いものでもない。自制と注意の集注だけで美味しくなるのが嬉しい。
一息ついて二〇時半。もう暗い時間だが、もう少し進んでおきたい。湯沢の手前の魚沼くらいまではいけるだろうと考えて、道を調べて出発した。信濃川沿いの土手の上、外灯の一切ないところは、今にも道を踏み外しそうだった。暗い農道を抜けると、地元まで通っている国道に乗り、安心する。こんなに遠くまで続いていたのか。急な坂やトンネルが珍しい。融雪パイプもあったかもしれない。道がすいていて三〇分ほどで魚沼を過ぎ、そのまま湯沢に向かった。一〇年振りか。昔何度となく山奥に車を止めて沢登をしたり、釣りをしたり、キャンプをしに来た場所だ。多少安心して泊まれることだろう。ホテルや宿泊施設、ゲレンデ駅などが見えてきた。国道から逸れて川を隔てた緑地に車を止めた。山の景色と川の流れる音もついている、森のそば、ひと気のないところだ。空気が澄んで心地よく冷えていた。二二時半、すぐに寝入った。