四月二七日(水)晴のち曇
八時に目が覚めると周りにも車が止まっていた。日差しがまぶしくてさわやかだ。少し移動して、朝食にした。一一時まで記録をし、一二時、兼六園に向かう。近くに車を止め、カメラを二台背負って歩いて回った。おにぎりをポケットに忍ばせていく。よく忍んだな。
名前ばかりよく聞く兼六園だが、「綺麗な庭」程度の知識しかない。「どうせ京都にあるんじゃないか」というくらいに考えていたほどだ。敷地に近づくと街中にも関わらず木々がたくさん見えて、大学でもあるのだろうかと思うような雰囲気だった。裏手にあたる南側の「小立野」という入り口で入場券を買って入った。急に森の奥のような、緑豊かな庭が広がっていた。すずやかな葉を茂らす様々な木々、竹の敷かれた階段をゆくと五重の塔を模したような石灯籠と古風な東屋。自然の黄緑色の鮮やかさに驚いた。鳥が鳴いて、葉の擦れ合う音。そして水路が爽やかな水音を立てていた。これは名を聞くだけあると感じ入った。水路に沿って進む。桜の終わった時期だが、緑の風景が美しい。巨大な松の木が枝と根を広げている。ここまで大きくなるものなのかと驚いた。ぐるぐるとどこから回ればよいか、見当もつかない広い敷地だ。日本武尊の像や灯籠、石橋、先へ進むと大きな池、霞ヶ池があり、内橋亭という小さな邸が池に迫り出していた。池を回ってことじ灯籠と虹橋を手前に写真を撮った。撮った後に気付いたが、これらが特に、兼六園を象徴する意匠であるという。知らなくてもカメラを向けさせるほどの優雅さがあった。池のすぐ東側が、街並みを見下ろす開けた景色になっており、能登半島や砂丘が見えるという。天気の良さも相まって見事な景観だった。ちょうど咲き誇って散ってゆく八重桜が、苔蒸した地面を広く飾っていた。噴水の前で一休み。補給。この噴水は自然の力で三.五mほども水が噴き上がるもので、日本初の噴水だという。もう一つ池、瓢池をまわり、園内を大きく一周、自然の美と意匠の美の調和を満喫して、「桂坂」出入り口より園を後にした。季節や時刻、天気によっても様々に風景を変えることだろう。「江戸時代の林泉回遊式大名庭園の特徴を今に残している。もともと金川城の外郭としてあった。加賀藩五代藩主・前田綱紀が作庭した。金沢大火で一部焼失したが一一代藩主・治脩(はるなが)が復興。一二代・斉広の豪壮な隠居所「竹沢御殿」が完成した年に、中国宋の時代の詩人・李格非の書いた「洛陽名園記」の文中から採って、宏大・幽遂、人力・蒼古、水泉・眺望の六勝を兼備するという意味で「兼六園」が命名された」という。
お堀通りの上を橋で渡るとすぐ、金沢城公園に入る。広い芝の敷地と周りの城壁。敷地を通って北東に出、東山ひがし茶屋街へ向かった。大通りに老舗が並ぶ。川を越えてすぐ東の路地に入ると、木造の古風な茶屋が軒を連ねていた。落ち着いた木の壁の色と瓦屋根、道もよく調和した肌色をしていて、軒先につばめが巣を作り、鳴き渡っている。網の目の細かい格子戸、白塗りの壁、のれん、入り口に行灯。店先に置かれた鉢植のつましい花が目を引くほど、無駄なものが見あたらない。なんとも落ち着く路地の風景だった。海外から来た人たちも落ち着くのだろうか。路地の突き当たりの菓子屋で、見覚えのあるお菓子を見つけた。以前に同僚がくれたもの、ここで売られていたのか。確かに美味しかったのをよく覚えている。
一通り路地を歩いて、写真を撮り、金沢二一世紀美術館に向かおうと思って、乗ろうか乗るまいか、バスを待った。歩くのも少し疲れてきたところだったので、帰りのことも考えて乗って行くことにした。すぐに次のバスが来るようだったので、透明なアクリルの中に独楽やビー玉の入った涼しげな腰掛けで待っていた。いっぺんに二台来た。そりゃもう間違えますね。一台目の方の、美術館を経由しないで金沢駅に向かうバスに乗り込んでしまった。でも今朝金沢について少し調べたとき、駅の建築も一見の価値ありとあったので、行こうかと迷っていたところだった。「世界一美しい駅」との呼び声もあるそうだ。一〇分と経たないうちに到着。
なんだこれは。木造の巨大な異形の門。そのすぐ後ろに続いてガラスの巨大な甲羅が、駅のエントランス、向こう100mくらいのところまで、天を覆っている。水路があり、木々が植えられてあった。とにかく門が目立つ。三階立てほどもあり、見上げると屋根の地面側しか見えない。ワッフルのような格子状が印象的だ。またその両脚は、立派な木材の柱が使われているが、一本が直立しているのではなく、一〇本近くの角材をまとめて、高さの真ん中あたりでくびれるようにひねってある。それがさらに二重構造で、内側でも何本かの木材の柱が反対向きにねじれて中央でくびれていた。よく乾燥パスタを鍋に入れるとき、手でひねると綺麗に広がるが、それをとんでもない極太麺でしかも逆行した二重構造にすればこうなる。なるのか?
正面の噴水時計も目に楽しい。優雅な造形と空間、主要施設への配置は、旅客を晴れやかに送り出し、また出迎えるにはふさわしい建築だと感じた。「雪の多い金沢で、そっと傘を差し出すような、もてなしの心を表す」という説明があったが、確かに目立つだけではないと思った。迷い道かと思いきや、いい回り道になった。金沢は、新幹線で訪れるといいかもしれない。
歩く。予定より格段に歩く。高まる空腹感。途中立派な神社があった。尾山神社。これも良い寄り道だ。三〇分ほど歩くとまた整備された通りに入る。迎賓館や金沢市庁を過ぎると、目当ての金沢二一世紀美術館にたどり着いた。裏手に来たようで、半周回って正面についた。周囲500m以上あるだろうか、芝の敷地、その中央にガラス張りの建物があり、平屋の構造で空の解放感がある。いくつかの銀のチューバが地面から生えていた。何だろうかと思っていたが、その広い敷地の中に一二本もあって、六対、地中でつながっているということだった。「知らないところで知らない人と、声の関わりが生まれる」という面白さがあるようだ。中に入るとシンプルなガラス張りの区切りや、いくつかの展示室があり、無料で観覧できる区間も多かった。入った正面にある中庭に、面白い展示物があった。まさしくプールそのものなのだが、地下の部屋にいる人々があたかもそのプールの底にいるかのように見えるというものだ。水面はガラスで区切られて、その上には実際に水が流れて常に波立っている。地下の青い壁の部屋がまるで水中のように見える。ここでも、知らないもの同士が手を振りあったり、ぼんやりと波に揺れる互いの姿を写真に収めるという交流があった。何枚も写真を撮っていた。天井がなく、開放的で自然の光に触れているというところも良い。館内を回っていると、透明なプラスチックでできた椅子が並んでいた。ガラス張りの内装と相まって不思議な光景だ。これも何度も写真に収めた。
北側にくると、細く薄暗い廊下の途中に、一枚ガラスの自動ドアで区切られた部屋があった。真四角の部屋の中には何も無い。白い壁。石で出来た腰掛けが部屋の壁を一周取り巻いている。異様な雰囲気を感じた。目当ての展示だ。タレルの部屋、「ブルー・プラネット・スカイ」。写真で見ただけでも強く惹かれたのだが、実際に部屋に入ってみると、その期待を上回る臨場感と不思議さと驚きがあった。踏み込むと外気で部屋が冷えていて、そのときようやく、館内が暖房で暖まっていたことに気付いた。わずかに風がある。しかし何も無い。天井を見上げると、真っ白な空が見えた。真っ白な天井の中央が、広く真四角に切り抜かれていて、空以外何も見えない。さっきまで見ていた空と変わりないはずなのだが、まるで別世界のもののようでもあったし、逆に強く現実の空を意識させるようでもあった。風の音と鳥の鳴き声、微かに道路を行く車の音が混じる。静かな空間だ。壁際のひんやりとした腰掛けに座る。背もたれが外向きに少し傾斜していて、見上げやすい。真っ白な空に、低く形の目立つ雲が流れている天井の真四角。青空が望まれるのだろうけど、真っ白の空というのも、不思議さが増して飽きなかった。ただ静かに座って眺めた。写真では伝わらないのだろうな。こういった、極限までシンプルで、しかし「美」というものの本質を汲み取ろう、削り出そうする作品が、とても好きだ。ここにいて、自分の好みにはっきりと気付かされた。
やはり館内は暖房で暖かい。先へ進むと、ちょうど中央辺りが中庭になっていて、ガラスで仕切られていた。その中庭の壁の上に、金色の銅像、題名「雲を測る男」。脚立に上がって空に定規を向ける人の像があった。「独房で鳥類学者になった男」の実話からヒントを得たという。面白い視点だった。測ってどうするのだろうか。そのほかにもガラスの壁一周、青いペンキの横線が描かれていたり、着ぐるみが寝ていたり、雨の日の窓の外を描いた映像作品が流れていたり、想像力を鼓舞する作品があって楽しかった。地下は市民ギャラリーとして、展示会が二つ開かれていた。互いに表現の作用が出来る、素敵な施設だった。その地下に向かうエレベーターもまた不思議な作りで、吹き抜けの一階と地下一階の一画が、それぞれ高さ2mほどのガラスで区切られているだけで、ワイヤーも何も見あたらない。ガラスにドアとしての切れ目があり、横にボタンが付いているだけだった。その地下に向かうボタンを押すと、屋根の無い空っぽの電話ボックスの様な直方体が、地下からどんどん上がってくるのだった。油圧式の巨大な柱がシリンダーになっていて、ゆっくりと伸縮していた。驚いた。エレベーターひとつでも、これだけ新しいイメージをもたらしてくれるのか。
一通り館内を見て、外に出た。雨が降り出している。弱いうちに戻ろう。あの部屋にもプールにも銅像にも降っていることだろう。傘を持っていなかったので、カメラを二台、服の裾で隠しながら、車に戻った。これが長い道のりだった。両手が塞がって、不自然な姿勢で歩いていたので、節々に疲れがたまる。やはり両手を振って歩きたいものだ。遠回りだったが、「鈴木大拙館」に寄った。建物の裏手の静かな水辺に雨が注いで美しかった。
一八時。ようやく車に戻って一安心。珍しくコンビニで飲み物などを購入し飲み干す。だいぶお腹が空いていた。夕食を済ませて、一九時、福井県に向けて出発。大降りになってきた。天気には、本当に恵まれていると思う。運がいいというより、いつでも天気を受け容れているとそう思えるのかもしれない。
二一時、福井県東尋坊そば、三国海浜自然公園で車を止めた。風、雨とも強くなっていた。