五月二日(月)快晴
港、亀浦観光港で目覚める。昨夜はもう少し先へ進んでおくつもりでいたが、目的地があったわけではないので良しとする。せめて寝る支度をしておけばよかった。さて、この旅の最たる目的を果たす時がきた。讃岐うどんだ。大塚国際美術館はその前座といっても過言ではない。一〇年来の願いを超える目的になるのか。すごいな、一〇年以上うどんを思っていたことになるが。七時、事前に調べ尽くして決めておいた店に向かう。朝早くから開いている店だ。当然朝食は食べずにいく。ここまで、大間のまぐろに見向きもせず、天下の台所も素通りしてきたが、カフェを除けば初の外食となる。途中、美しい海の景色の、山の向こうから朝もやを白く輝かす朝日の風景を撮った。四方見展望駐車場の中央では大型犬が大きく横になって寝ていた。
香川県に入ると一層気が急いた。風景も目に入らない。八時、こがね製麺所志度店着。本場初体験ということもあって、敷居の高い(誤用であるが、入りにくいという意味で)地元の老舗よりも、ありふれたような外観の大衆的な店から慣らしていく寸法である。店外の品書きを眺めるが最初は基本の「かけうどん」と心に決めている。ざるうどんも捨てがたいのだが、次回にしよう。注文の仕方を心の中で再度確かめる。「厨房にうどんの種類を告げる、つけあわせはおそらくセルフサービス、そろったら会計」心を奮い立たせ、満を持して入店。ここからの六〇秒間、我が一挙手一投足に注いだ集中力は、昨日の濃密な五時間にも劣らぬであろう。
ーーーー…読者よ、いまありありと思い出し給え。「スタアバツクスコヲヒイ」にて初めていと難しき飲み物の名をば唱えし時の、その心の荒れようを。我が胸の内、その動揺を遙かに上回るこわばりに見舞わるること、推し量るはいとたやすき。「かけうどん小、”温かいほう”」我が勇ましき呼び声は大いなる過ち一つ犯しぬ。この声響きわたりし刹那の後、我が両の眼が捉えしは、頭上に架かる「かけうどん」の写真に「温」の文字ただ一文字。この店、かけうどんに「冷」は無し。力一杯に引き絞られた弓から矢離れるほどのわずかの間あって、厨房に構えし若人は温かいかけうどんに取りかかる。過ちにうちひしがれつつも、我が右腕、積み重なりたる皿一枚掴みて、暁に登り来たる海上の日輪のごとく黄金色に輝く揚げ物の、その数のみならず種類の殊更多きにこころいたく励まされ、太古の神殿に奉られたるかなとこに突き立つ大剣のごときトングを抜き取り、ひときわ大いなる輝き放つ「とり天」を一枚取りて皿に。ーーーー
昨日ウィリアム・ブレイクの絵を見た嬉しさから、寿岳文章先生訳のダンテ「神曲ー香川編ー」。刻みねぎ、あげ玉と、おろし生姜とわかめを添えて、店内の一角でいただく。美味しい。充分に美味しい。贅沢な食材を使った華美な料理もいいが、その土地土地にあるものを、その土地土地の仕方で食べるというのも豊かなことだと思う。水の良いところで食べたとき一層美味しいと分かるのがまたいいと思う。食後の達成感に二時間ほど酔いしれた。一〇〇万円を越える機材を積んだ車の鍵を、完全に閉め忘れて二時間も放っておいたほど、意気込んでいた。この旅の目的はほぼ果たされたのだ。
高松市へ移動、一一時半、彼のコーヒー屋で何の気なしに注文を済ませ、記録を続けること六時間。空腹。再度うどん屋に向かって走り出す。調べておいた店へ。一九時まで開いているということだ。夕日の美しい山道を抜け、隣町へ。途中信号は全て赤だった。はやりはやる気持ちを抑えつつ、大通りから小道に入り、麦畑の間を抜けていく。地産の小麦を使っているのだろう。期待が高まる。三〇分ほど走って到着してみるとなんと閉店後だったようだ。調べた営業時間より一時間早い表示が、店先に。すぐ別の店を探しに回ったが、東奔西走、ことごとく閉まっていた。これは取り返しのつかないミス。「欲に駆られてはだめだな」と痛感しつつも、打開策をフル回転で考える。冴え渡る思考回路。はなまるうどんで良しとしよう。少し先の綾川町まで走り、一目散。一九時半、まだ開いているようだった。安心から、頼む量を誤る。かけ大、コロッケ、げそ天。とてつもないうどんの弾力。本場のパワーを感じ、負けじとこちらもベアトラップ並の勢いで噛みついた。揚げ物もなかなか。ーーー急遽の変更もあったが、毎食欠かさず食事ができるというだけで充分だと振り返りつつ、すごい弾力を保持し続けるうどんを消化した。途中、焦りながらも夕陽の写真を撮っておいたことはせめてもの誇りに。二一時まで記録を進め、その後再びうどんや探しに全霊を注いだ。次こそは手打ちを。二四時、携帯の電池が尽きるまで調べつくし、そのまま寝入る。