五月三日(火)曇のち大雨強風
六時半起き、車で記録や読書をした。本来はすぐに出発し、移動距離を重ねたいところだが、目当てのうどん屋が開くまで、時間があった。九時、食料の買い出し。このままいくと栄養が大幅に偏るだろうということで、生野菜や、果物、乳製品等を補充。さて一〇時前、昨夜調べたうどん屋に向かう。一五分ほどで到着すると、二〇台分ほどある駐車場がほぼ満車であった。かろうじて車を止め、入り口をみるとすでにお客の列ができていた。開店後まもなくなのだが、すごい人気だ。「手打ちうどん はゆか」。厨房では六~七人が朝からフル回転で働いている。ガラスのすぐ向こうで、生地を伸べてすごい速さで切っていく職人の姿も見られた。次々と客達が各々のめあてのうどんを注文し、揚げ物や添え物を盆に取っていった。五分ほど待つと自分の番、前のお客に習って今度は釜たま大。朝から気合いが入っているな。じゃこと青唐辛子の和え物、あげ玉、ねぎ、おろし生姜、美味しい水を添えて。醤油を少し。これまでの店とは別格の美味しさだった。麺の味が分かる。和え物がまたよく合い、たれ無しでも美味しい。揚げ物も良い味だ。簡素な食品でもこうも違うものかと少し驚いた。美食の趣味は無いが、ここはまた訪れたいと思った。
一一時、愛媛県松山に向けて出発。食後の幸福感は夕飯のうどんまで続く。はずだった。海沿いの道を行くと、麦畑や町、工業地帯がまとまりごとに過ぎていく。ラジオのチューニングをしていると、三味線の音、長唄「弁慶舟歌」が流れ、思わず聞き入った。育った国がらがあるのか、白川郷でも感じたことだが、妙にしっくりとくるわびさび、短調の旋律だ。初めて聞く演目だが、不思議と次にくる音が予知される。是非目の前で味わってみたいと思った。演目が終わると、地元のニュースが流れてくる。気象予報によると、この後の天気はそれは酷いもので、四国全域、特にこの後向かおうとしている西部については、大雨・洪水・暴風・波浪・雷等、聴いたことのある警報は全て出されている始末であった。あまり撮影が捗りそうな日ではないなと思いながら、まあ巡り合わせに任せるだけだと、予定通り進んでいく。一二時半、休憩。「チョコミントアイス」は嫌いだ。全否定だ。歯を磨く味だ。大阪での箱買いの奇行は、あまりの空腹のせいであった。いま、今朝食べたうどんの美味さに浸り続けているところ、決して買う義理はないのだが。ないのだが。
周りがチョコ掛けになっており、砕いたナッツが入っている。おかげでミントの味が多少陰っているので、なんとか食べ切った。まったく、なぜこのような苦行をしているか。といえば、先日の箱買いの奇行の報せを受けた友人が、ーーーもっとも信頼の置ける、はずであった友人がーーーなんとチョコミントアイス「あり派」であるという一大カミングアウトの末、通信を傍受した秘密警察に即刻捕縛された後、A級危険思想保持者として国家の粛清を受けたことに端を発するとか、しないとか。この事態を受けて、日々旅人たらんと励む一個人としても、思想の自由の拡大と、チョコミントアイスに対する歩み寄りが必要なのではないかといういたく寛大な結論に達し、いまひと度この悪魔のようなアイス菓子を手に取っているという次第である。終始眉間にしわを寄せ、苦しみ悶えながら食べた。まる。
温泉に向かう。途中、畑に眼をやると、それはそれは美しい黄金色の麦畑が、所々に広がっていた。是非写真に収めたいと思った。温泉に着いて辺りを探してみると、近くにも麦畑がある。水路の横の畦道を、カメラを持って進む。強い風に、金色の穂波が大きくなびいている。大気の形をはっきりと表すかのように、大きな風の手が一撫で一撫で麦穂を倒して去る。しなやかに起きあがってはまた次の風に揺れる穂。擦れ合う音、勢いを増す風。こんなに美しいものを食べていたのかと振り返った。地面に落ちた一粒に爪を立ててみると、白く粉になって舞った。揺れる穂波を写真に収めた。
温泉に浸かり終わって、畳の間で身体を休めていると、雨が強くなってきた。一七時、夕食に、やはりうどん屋へ。丸亀製麺。「お決まりでしたらお声掛けくださいね」と丁寧なお店の方。念願のざるうどんと野菜のかきあげをお願いすると、これまた丁寧に盛られたざるうどん。心遣いが具現されているのだ。そしてこれが驚くほど美味であった。いままで食べた料理の中でも、最高に近い味ではないか。全てが澄んだ味だった。むしろ割に合わないな。「水が良い」とは、(「人の育ち」の良いこという言葉であるが)何よりの豊かさだと思った。国土の資源の最たるものは、やはりこれらを育む山と川なのかもしれない。
大雨の中、四国最西端「佐田岬」に向かう。海辺の道を行く途中、荒れた海の向こう、雲間に見え隠れしながら夕陽が沈んでいった。雨が小降りになっていたので、ガードレールに車を寄せて、車内から撮影。そこからは海辺の夜道を進んでいく。途中、二〇時に道の駅で休憩。二〇分の予定が九〇分の仮眠に。気を取り直して西へ。日本一細長いこの半島は四〇km以上も続き、その地形の異様さは夜道を走っていても感じられた。緩やかな上り下りの長い坂を繰り返し、風に散った針葉樹の枝葉を踏みながら進む。西端に近づくと外灯が極端に減り、ヘッドライトを消すと、あまりの暗闇に心を呑まれそうな思いがした。そして、人の少ない土地ならでは、夜空に浮かぶとてつもない星の数。美しさよりも恐ろしさを感じる。空が穴だらけになっている。空を、地面や海や建物に置き換えても、その怖さは伝わるだろう。
明かりのつましい港を越えると、山の林道をゆく。巨大な風車が闇夜に浮かぶとこれもまた恐ろしい。細い道は道幅を増やす工事の途中でもあった。その道の終わりに、佐田岬駐車場。二二時半。開けた場の正面に広がる夜の海の風景。強風に雲が流され、雨はずいぶん前にあがっていた。波も荒く、白いところがみられた。車を止めて、外に出る。夜の暗さと風の強さと海の広さに足がすくむ。灯台の光が眼下の右手奥に見える。その灯台からまた、一際強く海面を照らす一筋の光もあった。
厚着をし、撮影の支度をした。三脚には風で揺れないように重りの荷物を吊り下げる。海側のフェンスのそばに立てて、構図を探る。ファインダーを覗いても目印になるものは見えない。何度か試し撮りをしながら試行錯誤していくのだが、差し当たって写し取られたその夜の風景の美しさにさえ、心打たれるのだった。目を疑うほどの星の数、流れていく雲、白波、九州の陸地から浮き上がる工業地帯の照明、灯台の光、漁船。
何か大きな巡り合わせが、この風景を見せるために、こんな大風を吹かせたのだと思ってしまう。ただの快晴では、水平線に掛かるの天の川など観られなかっただろう。
風の中、寒さに耐えながら一時間ほど撮影を続けた。りんごをかじりながら。