五月六日(金)曇
五時に起きる。車を降りると駐車場を囲む側溝から猫が四匹、顔を出していた。昨夜同様、展望台に上がって景色を眺めた。曇り空で、日の出前の雲がグレーに、東西の海は少し暗い水色。山々の形が見え、海際の低いところに街が見えた。古代の地震や地核変動で、かつて海底にあった地面が隆起して、今の岬ができたということだった。また、海の水を全て除き去ったとすると、二〇〇kmほど先に、「南海トラフ」の深さ四,〇〇〇mにも及ぶ海溝が現れるという。何とも壮大な話だ。朝陽は見られないようだった。朝食、マカロニのスープ、オレンジ、バナナ。猫が辺りをうろついている。
七時、室戸岬灯台へ。山道を岬の方面に少し進む。車を止めて、最御崎寺への遍路道の先まで林の中を歩くと、景色が開け、山の上に立つ灯台と素晴らしい海の風景が現れた。横一線、一八〇度の水平線に、白い灯台。西寄りは特に開けて、海と空だけが見えるかのようだった。心なしか、地球の丸みが水平線に表れている。山の斜面ではうぐいすが鳴いていた。灯台は、背の高いものを想像していたが、三階立てほどの高さで、太鼓判のようなどっしりとした形だった。光達距離二六.五海里は日本一であるという。二mほどもある大きな目玉を備えていた。
道を戻ると、その途中に最御崎寺がある。空海の修行の地である室戸岬に、彼自身が勅命を受けて建立したといわれる。仁王門や鐘突き、土俵、仏像、本殿以外にも建物が並ぶ立派な寺だった。木々に囲まれて静かだ。遍路の方も数名訪れている。
車に戻って山を下り、再び岬の浜を歩いた。海上に隆起した荒々しい岩や、いくつもの層になった岩、珍しい植物などが見られた。「子授岩」という岩があり、小石を投げ上げて落ちてこなければ子どもを授かるという看板の説明。たくさんの小石が乗っていた。自分も一つ、拾って投げてみた。拾ったのは貝殻の破片だった。岩に乗った瞬間に烏が岩影から音もなく飛び出して、そのまま去っていった。妙に印象に残った。その他にも「中岡慎太郎先生の像」や山の中腹にある展望台を回って、八時に出発、徳島に向かった。四年前、夜中に一人ひた走った道だ。あの時はあまりの星の多さに恐ろしくなって下を向いて走った、青年の空海の石像も恐ろしく感じた、休憩をしたバス停小屋もまだある。海沿いの道をとばして四〇km、用もないのだが甲浦駅に立ち寄った。懐かしい場所だ。徳島方面からの電車の終着駅で、路線は階段を上った所にあり、券売機もない。周りはのどかなもので、田畑か住宅、少し進むと海が見えるというくらいだ。階段の横に観光案内の建物がある。中に入ると腰掛けや観光のパンフレット、机にスタンプ台など。そしてその机に一冊ノートがあった。「旅ノート二七年四月~」などと書かれていた。中を見ると、ここに立ち寄った人々の言葉がたくさん綴られている。「数十年振りに来た、次はいつだろう生きていられるだろうか、これまでにたくさんの大切な人を亡くした、過去にとらわれず未来を思い過ぎずに今を大切にしてほしい、親や周りの人を大切に」とか、「遍路の途中」だとか、「お盆時、これから東京のビッグサイトに行く」とか、「やっと昨日釈放された、自分のしたことの重大さを悔い改め、一度きりの人生を真っ直ぐ生きていきたい」とか、不粋な落書きや、昨日書かれたものもあった。「何年ぶり」というのが目に付くのは、自分もその一人だからだろうか。挟んであったボールペンをとって、膝の上で、自分も一言その旨と感謝の言葉を綴った。また訪れることはあるのだろうか。自分次第だ。
徳島県に入り、一〇時半休憩、否、思想の自由の拡大のための、七本目のチョコミントアイス。うーむ。苦役だ。心願成就に八八本食べることになるのだろうか。給油を済ませ、市街地に近づいて目に入ったランドリーで衣類の洗濯をした。一二時半から一三時半。雨が降ってきた。その後徳島市に入り、四国最後のうどん店。「うどんのやま」、釜玉うどんに揚げ物。だし醤油がよく合って美味しい。一四時、車に戻ってこの後の経路を考えていると、五年前に自転車の旅で利用したフェリー乗り場が近いことを思い出した。調べてみると、一六時半に和歌山への便があり、空きもあるようだった。鳴門海峡や近畿地方をショートカットして、紀伊水道を渡ることにした。運転の負担も軽くなる。早速南海フェリーの徳島港へ。一五分ほど。こちらも懐かしい場所だ。ドライブスルー形式で事務所裏の券売所に付け、難なく乗船券を手に入れた。八〇〇〇円ほど、二時間の航海で和歌山県に渡ることができる。車を指示された線に沿って止め、一時間半ほど、読書や散策をして待った。土産物屋や食事処のある券売事務所には、自転車での旅人やバイクのライダーが多かった。
一六時、船が着港。地震かと思うようなエンジン音だった。南海フェリーかつらぎ。なぜか昔はなかった萌え系のイラストがでかでかと船体に。何があったのだろうか…。船首が大きく上方へと開口し、和歌山からの乗用車やトラック、バイクなど、そして徒歩の一般客はまた別の下船口から降りていった。自分の前に並んだ車がエンジンをかけ始める。それに続いて、乗船券を係員に手渡して進んだ。船内の後方まで進み、指示に沿って止める。本などの荷物を持って、客室に上がった。新幹線の椅子席を並べたようなスペースや、一段高いカーペット敷きのスペース、勉強机のように区切られたデスクに電灯やコンセントのある席など。船首側にはグリーン席。一六時半出航、大きく左右に揺れながら二時間。ライダーや家族連れなど、思い思いの過ごし方をしていた。一八時半、少し暗くなった和歌山港に到着した。港のすぐそばの温泉にいく。駐車場で車を止め、夕食後、少しの仮眠のつもりで起きると二四時。遅くまで開いている施設でよかった。露天風呂の大きなテレビでは、カナダのバスケットボールリーグの試合が放送されていた。二六時。温泉を後にし、湯冷ましに夜道を徒歩で散策。入浴後に夜道を散歩していると、その街の住人になったような心地がする。二四時間営業のスーパーで果実やパン、野菜などを購入し、車に戻って朝を待った。