日本一周 [ 24日目 ]
一枚ガラスの自動ドアで区切られた部屋があった。真四角の部屋の中には何も無い。白い壁。石で出来た腰掛けが部屋の壁を一周取り巻いている。異様な雰囲気
一枚ガラスの自動ドアで区切られた部屋があった。真四角の部屋の中には何も無い。白い壁。石で出来た腰掛けが部屋の壁を一周取り巻いている。異様な雰囲気
それでもまだ美しくて、写真を撮り続けた。ようやくそろそろ帰ろうかと思って機材を片付けたが、歩き出すとまた景色の変化に気づいて、カメラを向けた。
寝袋に入っていたことに気づくと、旅の途中だったことを思い出す。
菜の花、水仙、チューリップ、ミント、カモミール、芝桜のような花、カスミ草の類
読んでは閉じ、読んでは閉じ。
自分はもう別人のようだった。
下流の川が起伏なく穏やかに流れるように、武蔵野の風景も起伏なしにゆっくりと流れていく。
黄色の海のように咲いて、風に揺られていた。
重ね重ねお礼を伝えた。御二人の優しさと巡り合わせに感謝した。
その後は夕食の準備。砂浜で焚き火をしよう。
それでもその身体に順応して、両足の者と同じ姿勢で止まって、海を眺めていた。
銀色の海に青い雲の色が反映している。遠く青い水平線の間際の雲が晴れて、その表層が真一文字の金色に輝きだした。
どういうことだそれは。うーむ。
何も珍しいものはない。そのまま突っ切る。よく見直しても何もない。少し疑問に感じた。何を指した看板だったのだろうか。「珍しいものどころか何もないが」と思ったとき、その何もない範囲の異様な広さに気づいて驚いた。
書を取らないとすぐ獣のようになってしまう。行動の基準が生命の維持や快適さに傾く。この旅も数日で日常化し、当初の目的は薄らいできて、走行し、栄養をとり、夜には眠るということが、単純に繰り返し始めている。
山や地面や街全体が、ゆっくりと下がっていく。
街の防災無線から「遠き山に日は落ちて」が響きわたる。脳裏に刻まれている、幼少時代の記憶を思い起こさせる調べだ。家に帰らねばならないような気分。夕暮れ、海辺の街。何でもない駐車場の風景を写真に収めた。
海上に出たばかりの朝日を撮る。どこに行っても朝がくるのだ。こんなに走っていても逃げ切らない。
打ち捨てられた自転車やバイクが見られる。鳶が一羽、ゆったりと飛んでいた。そして、こんなところでも桜は暦通りに咲いていた。見る人のいない花も、これほど見事に咲くものか。
この日一番の寒さに透き通る空の青。そこに陽光の朱が射してくる。しばらく波の音を忘れていた。カメラを構えて設定を考えていたが、途中でばからしくなった。よく、観ておこう。
さて、この春も桜を撮る。やっと撮る。もう咲いていたのだなと、気後れしていた。難しい花だ。撮ってみれば結局、天気は関係なかった。
もう違和感があった。十年も手に馴染んでいたはずなのに、わずか一週間で
あくび。涙。贅沢な、穏やかなひとときだった。
灯りが遠くに見えるばかりで、その他はもうただ広い、暗い海の風景だった。
荷物の整理を済ませる。撮影の機材、衣類、寝具、調理器具、調味料、書籍