デザインフェスタvol.58 出展日記,御来場御礼

日時 : 2023年 11月11日(土) 、12日(日) 11時00分 〜 19時00分

会場 : 東京ビッグサイト国際展示場 西4階 M-79,80ブース


<記事全体で1万4000字弱、所要目安30分>

目次



11月14日(火)晴晴 Reserve★銀座。

 やっと書き始める。出展はやはりやって良かったと思えた。マラソンや入浴と一緒、したあとで後悔することはない。山を下りて2週間後の出展で、それまでほとんど何も手付かず、新刊旅日記の校正もまだ、レイアウトもまだ、展示写真選びすらまだ、当然資材の発注も、在庫や消耗品の確認もまだで、渡航の支度も急ぎのものなど重なって潰れそうな思いだったと思う。

 乗り越えた、終わっている!成功裡に!今まで積んできた経験と、これまでに出会った人々が待っていてくれるという縁が支えであった。僅か3日で25万字もの校正を終え、レイアウトも装丁も済ませ、本当にまた燃え尽きそうな残り火の状態で資材の発注を先回しに、製本入稿、山の写真の整理や編集が済んでからやっと展示分の写真選び。

 本当にモノクロで出来るのか、悩みながらも選ぶのはなかなか楽しかった。お見せする人々の顔が浮かぶ。いつもいつも色彩を中心に展示してきたが、蓄積されて臨界点にあったのだろう、「いつかはやろう」と思っていたものが成就する頃合いだった。熟した実の落ちるように。

 ・・・色ではなく形状、形体、”場面への遭遇”、物想いなどが強調されたように感じる。足を止めて、ゆっくり味わう人は稀で、貴重だった。普段の作風や”会場”の需要からは離れていたと思う。でも気に入って、ポストカードや窓を求めて迎えて下さった方もおられた。これまで通り、カラーの中で隅に数枚というぐらいが良さそうではある。もしも今後があったとすればだが。

 会期の迫る中、着々、着々、音のしそうなほど着実に準備を進めた。先ずはアタマの中で生み、物理次元に展開する。数を数え、印を捺し、テープを切り、刷り出しを終えて、ずれのないよう切り分けたり貼り合わせたり、まるで写経か何かのように注意を注ぎ続けていた。そうしているうちに、ひとつひとつ済んでいくのだった。

 気になったのは資材の廃版。時の流れを思う。「新たなものを生み出すように」というメッセージか、「いつまでも続けられはしない」という諭しか。数あわせの為に無難な製品、余らなそうな品を作っている自分を見た。昔はもっと純粋に、自分の愛した風景を窓にして並べていたのだ。それは手に取る人にも伝わって、迎えられれば己も素直に嬉しかった。大好きな作が選ばれる、心通う交感となるから。今回は、新しいものよりも、人気のものを多く、手早く用意できるからと、偏っていたと思う。

 もう撮り尽くし、旅し尽くしてしまったらしい。「急ぐならひとりで、遠くへはふたりで」という言葉が何度も思われるのだった。これまで、急いで来た。体力なら今のほうがよほどあるというのに、楽しさ喜びから来るエネルギーは昔ほどではないと悟った。心動かず体は動かない。いよいよ、新しい喜びに漕ぎ出す頃なのだ。展示は、時の尽きるまでは続ける。せねば終われない個展も、作らねばと思う写真集も2つ3つ。そして、書かねばならない本。旅日記「(confidential)」、最善の、教育的価値を試みて。

 寿命が気に掛かる。それらの展示や制作全てするとなれば、どうやっても3年は掛かるのではないか。それに加えて新しいこととは。ーーーまあいいや。身体や地上のことなんて。永久に生きよう。”時”という制限を超越する為の試みだ。無限に、永久に湧く体力、生命力を表して。

 グループ展、ポートレート展、写真展個展「欧州巡礼 -(副題決定!)-」七七七音!。私たちの中に世界があるということ。展示スペースが甚大になる。とても一人の手では間に合わない。助けを借りるか、設営方法を変えて短縮するか。・・・物理的展開は後だ。只々手を付け始めるしかない。

 ーーー今回は体力に限りがあった。より挑戦的で、負荷があって、意義を感じる事業が必要なのか、只習慣として義務的に出展していたような面があって、眠る時間も短くなった分、他の出展者の方々との交流は実に最小限であったと感じる。

 それと、皆疲れていたように感じた。投影を除いても、「病がやはり気掛かりで全力ではない」とか「まあまあ元気ですが、気を引くばかりの表現に疲れてしまって」とか、毎度の通りに「倒れそう」な人とか、出展されていない方とか。

 以前なら、もっと学び取ろうと様々話を伺って回るのだけど、1日目は終盤まで座っていたし、2日目の朝も随分遅く着いたり、チャンスがあっても見送ったり。何かが生命力を妨げていた。それでも喜ばしい経験になったのは、やはり縁あった人々との交流の御陰。

 M.ISNさんより、メッセージ来る!

 初日11時、どうにか展示物を間に合わせて開幕!報告すると「どうぞお楽しみ下さい」との言葉が。1年前は共に写真組として出展し、お声掛けに足を運んで下さったり、写真集をお買い下さったりしていた。個展の度に、会場に御花の贈り物が届けられていて、わざわざ西から観にお越し下さったこともあって毎度毎度のお心遣いで彩を添えて下さる方である。

 そして何より数少ない写真組のベテラン出展者。「こんな写真がこの世で撮れるのか!?」と驚くような花火を撮った作品で、「そんな写真の撮り方が出来るのか!?」と驚くような制作過程のお話を毎度伺うのが楽しみのひとつだった。同ジャンルでこれほどインスピレーション、不思議さ面白さ、可能性を感じられる作品は稀だ。

 昔、暗いブースで何度目かの出展をしたころ、わざわざブースを調べて声を掛けに来て下さったのが初対面だった。わざわざ調べて声を掛けに来て下さる方がいる、というのが不思議だった。「写真勢弱い」と言っておられたのを覚えている。確かにブースもイラスト勢に包囲されていて、肩身の狭い写真勢でも、筆繰り続けてやっと1枚作を生み出す絵画勢に見劣りしない展示にしたいと思っていた頃。頼もしい先達を見出したように感じた。

 一瞬で撮れてしまう写真の特性は、アートにするには枷にもなる。注意を注ぐ、丹精を込めるということが、魂を表現させ、作品を生むから。でも、掛かる時の長さは主ではない。一瞬だけ咲く花火を作品にするのは、本当に一瞬だけのチャンス。そんな刹那の光陰にもアートする、意を注ぐ機会が宿っているのだと感じられる。瞬間瞬間の重み、貴重さを教えてくれる人は貴重だ。限られた機会にハートを込めようと思えるから。

 毎度のお気遣いに感謝を。ぜひまたお会いできる機会を捉えたい。

 skさん来る!!

 歩けるのか!!「倒れそうだ」と毎度の通り、直前まで制作し続けていたことをタイムラインで知っていて、毎度の専心や反省の言葉が健気に、自分にも響くのだった。それでいてユーモアを忘れないと来た。そんな方にユーコン・アラスカの旅日記を迎えて戴いたのが、とても有り難い、もったいない。極限まで疲れ果てた旅だったので、互いに引き合ったのだと後から納得してしまった。(サンプルをお渡ししてしまったすみませんすみませんすみません)

 新しく描いていらした藤が、いかつい。「二度と描かない」と言っておられた。(が。)拝見した作品集に並ぶ、精緻と端正。行き届いた傾注。描かれた眼光は誠に、私を見透していた。その静謐の眼で、作品を観て下さる方は貴重だ。稀な経験だと思う。存在に、専心に、御礼を。どうぞ御自愛を。

 件の食品に関する運営の対応には悩んでおられた。正義感の強い方だと常々感じる。自分も黙するばかりではいかんという思いにさせられて、やっとひと言ふた言。下に。

 宮内庁方、御二方来る!

 遠慮されてか名乗られなかったが「もし、以前にもお越しに」と伺うと「たくさん飾らせていただいています」という。前回頂戴した雅な差し入れに、ようやく直に御礼が出来た。再び、もったいないほどに、作ったものを迎えて下さった。御勤め先の建築の見事なことをお話に伺う。それはそれは、なかなか機会のないことだった。三度の来訪に御礼を。

 cccc!来る!!

 山に上がる日、「互い無事ならば是非」とお声掛けしていた。搬入前日、夜の海辺を会場へと独りとぼとぼ歩いていて受けた、お越し下さるとの報!活力を授かる。お達者であろうかと思っていた頃であった。

「きっとそれなりに」と思っていたら「それなりに」との言葉、ふふふと笑みがまぶしい。お会いする度磨かれてゆく美意識の体現が、活躍を窺わせる。問えば新たなデザインの仕事に掛かっておられるというので我がことのように喜ばしく、楽しみに思う。

 ・・・買い物に、獲得に、忙しく過ぎてゆく人々の波の中で、正面に佇み、題辞から紙の違いにまで眼を注いで下さる方は貴重だ。だからこそ、待っていた、言いたかった言葉を分けて下さった。

「近頃は、売るための表現に溢れて見えて、少し疲れてしまいました」と。自分も珍しく疲れてしまっていたのは、そういう”場”に居たからなのか。生命力を妨げられていたのは「売れるかどうか」に迷い込んで、「好き」を貫くパワフルさを忘れていたからかもしれない。大切なことを振り返らせて下さった言葉に感謝。

 これまでのこと、これからのこと、思い出話をあれこれと伝え合い、御来場の御礼を伝えてお見送りした。この日も御持ち下さった、とても素敵な珈琲の差し入れに重ね重ね感謝を。渡しそびれた御返しはいずれまた。

 tmさん来る!

「展示には、どなたか来て下さるのだろうか」と多少の不安を思った前夜、受けた「目指す!」のメッセージに活気づいた。日頃たびたびのメッセージが、その都度毎度ありがたい。創作も旅も孤独が下地!群れて安らぐ寄る辺があるなら踏み込まない域。夜の海を行く小舟、闇を見上げる電波塔。・・・それでも帰ってくるたびに、無事に収めて持って戻った青い写真に意義を与えて下さる存在。見ていて下さる方とは、実に貴重だ。愛顧に御礼を。

 szkさん来る!

 遠い異国を旅しては撮り、文章まで添えて本に綴じる、そんな展示をされているという方、まさしく同志と光差すように感じた。展示にお邪魔すると、知っているようで知らない風景、食品、文化を写した作品が。「この白いしりしりは一体」「それはそうめんアイスでした」「?」「凍らせた麺とアイスで」「?」「こちらは何かを固めた何か」「?」「これはプリン」「いかにも!」

 人とは旅するサーチライト。歩き、撮り、綴り、同じ探索の仕方でも、各々別の認識が別々の現実を照らす。自分が辿り着かないフィールドを、明らかにして帰ってくる人。自分の歩みの励みとなる人。ご足労と、新たな縁に感謝を。

 naoさん!!!来る!!!!

 1日目も終盤になってようやく会場マップを見るとご近所、ブース番号は予め知っていて、アルファベットも隣のエリアだというのにこんなに近所とは、互いに知らないまま展示に追われていた初日。終わりが近づき追い詰められて、やっと自分のブースに見切りを付け、撮りに回った先刻、真っ先にお腹に良さそうな酵素を差し入れに伺ってしばらくののち。実に貴重な、貴重な、巨大ライブペインターに時を割いて戴いた。その後も観に伺うたび筆を止め、絵の心象について語って下さるのであった。

 今回はしかし、やはり、御身体のことが気に掛かっていた。そして初めにその病のことを告げて下さる。「もしもと思うと気に掛かって、全力が出せていません」。掛ける言葉が軽々には浮かばない。只抱擁を。手前の新刊旅日記を「欲しい」と言って下さった。もはやその言葉だけで、書くに価した、甲斐があった。お忙しいのに「明日朝買いに来ます」と言って下さった。再びの抱擁。

 1日目の閉幕後、誰も居ない会場で巨大作を散々撮らせて頂き、疲れて家へ。2日目、気力を保つには10時到着がやっと。もう出遅れ気味で、着いたときには既にお越し下さっていた後だったそうだ。ご不便にお詫びを、ご足労に御礼を。この両日ではお渡し出来ずにいたことの意味を、思い巡らせた。・・・綴りながら、励まされ、思い浮かんだ人のお一人。そして病に挑もうというさなかにある方。

 対して綴ったことは、穢土煉獄の炎に身を焼き浄める旅路。その序歌は、現身の世の終わりある旅、その門出、抱擁、別れ、行く末の不安と怖れに身を存えんと藻掻く己の動物性。旅の終わりを待ち望む、120のうち第1の夜。

 ・・・どうか、病との歩みを無事踏み通して切り抜けられたとき、御祝いの手土産に改めてお届けしたいと思う。三度の抱擁に感謝!そして武運を、どうぞ健やかに。

 何の巡り合わせであろうか、この時お会いできず待っていたことでもうおひと方、本当に久しぶりに会うことが出来た。

 kntayさん来る!!!

 本当にお久しぶりであった。5回ずつくらいそう言い合ったと思う。最後にお会いしたのはイベント10回以上前、5年半も経っているらしい。おお、時の流れよ、来し方よ。台湾、上海、シンガポール、道北、アラスカ、そして山々・・・その長きに渡って尚、互いに創り続けていた健気よ、殊勝よ。去っても離れてもやはり止められず、せずにはおれないことなのだ。魂のデザインが、「せよ」と身を駆る。同じ頃に初出展してからもう10年経つのだった。

 手を合わせ、目を閉じ、静かに思いめぐらす姿が実に美しい絵を描かれる。人、精神の本質を表しているように思う。以前作っておられた大きな絵に倣って、自分も同じサイズの写真を展示していた。それをご覧戴くと「本当に窓を開けて眺めているようだ」と、言い得て妙なる素敵な言葉を頂戴した。「確かに!」と思った、知らなかった!笑

 絵画勢の方々に観て戴くのが、いつも嬉しい。自らの腕で、調和した色と形と光の配列を生み出せる種族の方々。片や我々写真組はといえば!出来上がっているその配列に、指先ひと押し、秒で終わりだ。でも、「こんなに整った構図!私では全く見つけられません」と、脚で探して辿り着く苦労を悟って下さるのだった。同一の場所で900枚、疲労困憊するまで息を止め止め撮って収めて地球一周、持って帰って来た風景。

 津々浦々で行き合ったモノクロの風景も味わって手に取り、数多く迎えて下さった。爆買い。後日タイムラインでご紹介くださり、「郷愁とも違う、どうしてか泣き出してしまいそうな気持ちになりました」と嬉しい言葉を拝見し、自分まで涙が滲んできたのだった。無事の再会、その感慨が詰まっていたのかもしれない。・・・互いの素性も居所も出自も知らない同士で、何年越しにも再会できる人。創り続ける姿が励みをくれる人、そして最も意識を注いだ表現同士で交流できる存在は貴重だ。切磋琢磨の縁、励ましに感謝を。

 描く人の観点が、撮る者としての自分の観点に気づかせて下さった。自分は「場」を撮ろうとしているらしいと。”雲”ではなく「空」、”色形”ではなくそれらを「認識できる領域」。

 tksさん!来ていた!!

 2日目が始まって即刻ブースをほったらかしにし、西館1階へのあの長いエレベーターから会場中心部を眺めて降りる。降りた正面、デザインフェスタギャラリーの落書きブースが。タイムラインで見掛けたその方の絵を探し始める。下地の壁材凹凸や周囲の目立つ線まで頼りに、つぶさに探すが見当たらない!全体くまなく目を通したのに無い!と思っていると裏から人が。回り込んだらすぐ発見。そう、真裏から流れ出ていた気に引き寄せられていたのじゃ。ミニライペ、拝謁拝礼、ご報告すると昨夕ブースにまでお越しに。念を置いていって下さったとのこと。受け取っていたのじゃ!それで、居られず拝観に参上、不思議なもので分かるもの、きっとまた会えるのも不思議と分かる。気の流れじゃ!ご足労に感謝!

 それからA、Bのエリアを撮り回り、当然のごとく予定時間をオーバーして戻る。全く時も体も足りない。時も体も、明らかに足りていないアーティスト、3244氏もいた。またいた!7年前と同じ絵をまだ描き途中で展示していた!名刺を下さるのでそう告げると「これが像の完成予定図で」と仏の立像図絵を見せて下さる。

 いやいやいや。いやいやいや。7年経って今、御仏の顔が既に巨大ライブペイント並みの巨作で。ここから首、肩、胸、腹、腰、脚、足って。「台場のガンダムくらいにしたいです」って。いやいやいや。小指の爪ほどもない極小の文字がとてつもない数並んでいる絵画壁面。「輪廻転生あと何回で完成するのでしょうか」「来世頑張りますので見に来て下さい」2人で爆笑した。

 ”25万字五七の韻文を書いてやった!”と勇んで狂った作品を探していたのだが、ほんの三月と二十日で書き終えたと思えばかわいいものだ。永久に爆狂いしている作者と出会う経験は、貴重だ。「人間にはこんなことが出来るのだ」と体現してくれる。その達成は星を耕し、他者まで歩み易くする。

 ・・・そして。後日写真を共有し、「7年掛かりでまだ10分の1」と紹介すると「実は全体像はこちらで、中心に今描いている仏像が」いやいやいやいやいやいや。小さくて見えてないわ。宇宙じゃねーか。「さすがに輪廻何回か要るかもです」なんか、宇宙のために、ありがとうございます。宇宙をよろしくお願いします。

 Ask Allさん来る!!!

 ライブペインターにお越しいただく光栄!貴重なお時間を思うと、いつも描いている後ろ姿を拝謁するばかりでいたのだが、ブースを見に来て下さるばかりか、じっくりお買い物までして下さるのであった。どうしてお越しいただけるようになったのか、よく覚えている。もう10年も前か、自分の出展したての頃、巨大ライブペイントに巨大なお化けを描いていて、その巨大さに驚きながらふとブースの中央足元に置かれていたフリーペーパー第1弾を1部頂いて帰った。

 片付けも済んで一息、ページを開くと「なぜだ!いつの間に自分が書いた!」と何度も表紙を見直した。自分の外に別の己が居たように思って、思わず面識も無しにメッセージしたのだった。そんな文章からの縁。その後もフリーペーパー第2弾、第3弾と頂きに足を運んだ。今も作業机の隅には、何年も前に頂いたそれがある。

 書かれていたのは「アートするのか暮らしをとるのか」の問いに向き合う、真っ直ぐで率直な言葉。言いたかったことを代筆してもらったように染み込んだ。悩んで、書いて、描いて差し出せば伝わる相手もいるのだと、確信と勇気をもらった。

 その後の展示には自分も毎度何かしら書いたものを刷って配るを続け、今では3冊4冊と本を並べて売っている。本当に不思議な縁であると思う。己の心に火を灯す人が、どこにいるのか全く知りもしないまま、行き合うように導かれる。そんな相手がいまでも展示を継続していて、更にはブースに来て下さるとは。何と嬉しいことだろう。創作の支えとなる貴重な存在、縁に御礼を。

 スーツ戦隊現る!!

 何事だ!世を忍ぶ、仮の姿はynkiさんである。IR・X・音響各種スキャンに通信に、バリアもステルスも全て搭載されていそうなアーマーメットで出動されていた。かくして今回のDFも平和裏に開幕したのである。以前にも何事だ!と思うような装いマスクで来て下さっていた。”自分遊び”の幅の広さが楽しげで羨ましいといつも思う。この日も戦隊隊員を従えて出動、初参戦だという方まで灼眼キマリ過ぎ。

 前回お会いしたのは原宿での個展にお邪魔したとき、そしてまた近く展示をされるとの報せ!仲間と共に1人のモデルをポートレートするという企画、実に楽しげ、面白そうなお話だ。撮る人それぞれ機材も違えば撮り方も、時や場の選択も、見せ方も違う!そうなのか、知らなかった笑、ずっと独りで撮っていたから。

 そういった知らない世界に気づかせて下さる方。そんな人が御自身のお部屋に私の写真を飾って下さっているのだと、本当に、何かの拍子にタイムラインで目にして知った。5年以上も前にお売りした雲と海の連なる写真が、全く見知らぬ素敵なお部屋の壁に掛けられているではないか!シンガポールで多忙を極めて疲れ果てていた時で、目を見開いてしばらく、涙が滲んだのを思い出す。行方の知れずにいた自分の表現が、突然見つけ出されて帰ってきたかのように。

 そうだまだ旅している。人生最南端に居る。撮れる景色があるはずだ、ともう一度カメラを持ち出し撮り歩き、個展も計画して帰国、成就した。その再出発の第一歩が、大切に飾り続けて下さっていた人の存在で踏み出されたのだった。末永く、作ったものを愛でて下さる方は貴重だ。ご愛顧に感謝。

 hgmgnさん来る!

 あの髭は!思うが早いか直ぐに名乗って下さって、まだ浅い互いの面識を補って下さるのだった。この方も写真組、更には山の会、星の会、焚き火の会、キャンプの会、恐らく珈琲の会でも同窓らしい。嗜みがやたら共通している方で、展示に興味をもって下さるのも自然に感じるのだった。やはり写真は外、太陽の下なのだ。脚で探して言語も寓意も持とうとしない、それなのに美しくて心惹く光景に行き合うこと。そのことを、別の場所でも実践していてくれる同志の1人。伝わる相手がいるのだと思える経験、そんな相手は貴重だ。ご足労に感謝。

 2日目も後半に入って、昨日同様りんごをさくさくいわしていると、何の前触れもなく突如、大昔の教え子らが急襲、大進撃である。「何が起きたッ!!!」寝耳に濃硫酸。鳩がミサイルをくらったような顔をしていたと思う。記憶のアーカイヴを必死に大検索する思考、隅々まで思い返しても覚えのないその姿!「何が起きたッ!!!」

 それもそのはず、かつて手のひらサイズであった子どもが超大型巨人化しており、今ではもう自らの稼ぎでここまで足を延ばして、まったく素敵な差し入れまで携えている。若葉の頃しか目を掛けていない、花の盛りの一大人たちであった。

 ・・・誠に、人の成長の、全く想像もつかないパターンを発現させうる、無限択の軌跡を見た。何にも及ばぬ、何よりの手土産であった。教えること教わることとは実に因果なものである。同窓の子ら、自身の従事した師の顔が浮かぶ。

「実に感慨深いですね」「こっちの台詞じゃ!」

「相変わらず誰それはちゃらんぽらんをしております」「まったくけしからん、また謝罪会見をする気か」

「素敵な写真!たくさんあって迷います!」「地球一周分ある」

「素敵な恋バナはないのですか?」「そんなものは扱っていない」

「ご予定は?」「ええから!」

 体調の気掛かりはあったのだが、元気そうだ。ご家族も息災という。「日本一周はもう読み終えましたので」と、新刊の欧州巡礼だの窓写真だのを買っていった。かわいい子には旅をさせよ、か。こんな本、読み通せる人はいるのだろうか、同じ旅をするよりも大儀に思えるなどと、自分で書いておきながら感じていたが、昔から好学の彼ならば心配はない。第一号読者。字が極小さいので顕微鏡か望遠鏡で読んだ方が良い。後学の徒の後学になることは請け合う。彼岸への道標の1つとして。武運を。

 久方ぶりの来訪に感謝を。最後に皆で写真を撮ろうと赤エンブレムのペンダントを1人に掛けさせ、お隣様の写真組の方に1枚お願い、別れの挨拶、御礼を告げて、ご家族によろしくと見送った。ペンダントは次回回収である。

 一難、否、一騒動去って、今回のDFも残すところ数時間という頃、やっとの事でひと段落ついた心地に。ようやく周囲の出展者の方々に、お話を伺いに回った。

 左お隣、画像素材屋様、見覚えのある欧州建築などの素材データ集が並ぶ。

 斜め向かいに徳島県よりお越しの徳島県様。

 真向かいに中華美人様方、鯛焼きパンダ人形、デザインはパンダのふるさと四川省出身の留学生。

 並んで出展の手品師様、いかにも怪しいタネモシカケモイッサイナイ、盃やコインやスカーフ、トランプ。手と手の間を目にもとまらぬ速さで飛び交う1枚1枚。

 自分の右すぐ隣は、先ほど写真を撮って下さった写真組、猫の会の方々。全国の猫の会会員来場者が押し寄せていた。買い物をして下さったり、日本一周を読んで下さったりした。伺うと丁度、私が出展し始めた頃の歳数だといい、「国内全県の風景を展示しようと思ったが数が足りない、猫ならある」と、写真集を作って初めて出展されたという。

 懐かしくなり来し方を思った。・・・言葉の自由、筆の自由、思い出す国、切り抜けた困難。そしてまったく誰も知る人の無かった会場に、今では足を運んで下さる方や、作ったものを愛でて下さっている方、創り続けて腕を磨き続けている方々。芸術する多くの魂に出逢っているという有り難さが、何よりもしみじみと想われるのだった。

 初心を振り返らせ、継続することの豊かな実りを、過去に省み、今に喜び、未来にも期待させてくれる存在は貴重だ。思い返せば遠くまで来た。そんな自分の踏み耕した道が、少しの道標にでもなれば実に甲斐がある。新たな出会いに感謝を。

 ・・・徳島県から流れてくる御機嫌なビートのループ、人で賑わう会場の雑踏と響き合って良い。周囲一同、終始小躍り。音量が欲しくて手元のフォーンを連打する、ああ、自分の掛けている曲じゃなかったと我に返る。「流行りの曲なんて」と厭離したりもするのだが、同じ時代に皆で聴き知る曲があることも、いいものだなと最近は思うようになった。

 徳島県様はその御機嫌に乗せて、古代日ノ本に存在したと噂される”じゅりせん”なるものに見立てた武具、巨大鉄扇をふりふり、近づく来場者に片端からじゃんけん対決を挑んでおられた。

https://youtu.be/c6PIUGOEoH4?si=rXn8JtP8J2j1qWDF
Hoshifuru Yoruni

 少し疲れて座っていると、手隙の手品師様が、通路を挟んでひと品ふた品、披露して下さる。過ぎゆく人垣の合間を、首を伸ばして注視するのに消えるコイン、現れるコイン、増えるコイン。猫の会の2人と並んで「え!?」「おお~!」「え!?」、拍手度々、和やかなひとときであった。何とか英気を振り絞り、閉幕前の最後の離席、撮り回る。

 突如の遭遇!一年前のお向かいさん!

 DF56、10連ブースで大挙してアクセサリーなど展示しておられた方々、真正面におられたおひとり。なんと今回はライブペイント出展中!どうして気づいて下さったのか、まったく不思議な巡り合わせだった。「見た夢を描いております」という。びっくり!健闘を!

 辛うじて買い物一件、最初で最後、9BOXゆうききゆさんのナイスがおー!ひと言「ナイスがおー!」と言葉を交わす。

 完成したライブペイントや完成間近のものを駆け抜けるように撮って回ってそろそろ撤収、片付けに戻らなくてはとブースに帰ると、黙々と旅日記のサンプルを立ち読みする方がおふたり。なぜなのだ!と自ら置いておきながら不思議に思う。

 限られた時間の中で、人目に付きやすいもの、鑑賞しやすいものはやはり写真、視覚的、直観的なものだと思うのだが、随分時間を掛けて読み進めんとしている様子が珍しかった。「イラストの方が多い中で、写真を撮る方の書くものが読みたくて」「ようこそ。よくぞ見つけて下さいました」

 尚不思議であった。何故読みたいと思うのか。「元々文を読むのが好きなので」ならば結構仕方なし!おひとりは『日本一周』を、もうおひとりは『ユーコン・アラスカ』を(開封してお読み頂いた後。サンプルをskさんにお売りしてしまった、重ね重ねお詫び)。そしてそれぞれ写真やハガキと併せて、迎えて下さったのだった。

 実に不思議である。初めてお目に掛けたブースに立ち寄られ、留守にしていたからこそじっくり手に取って下さっていたのだろうか、最も時間と丹精を込めた制作物をお持ち下さる。そしてその後も、読むに掛かるだけ寿命を戴くことになるのだ。・・・丹精を込めておいて良かったと思う。それ以上のものには出来ないところまで仕上げておいて良かったと思う。後悔せずにお届けできるから。(誤字等御座いますすみません)

 その本が読む人を変容しうるかは分からないが、最善を尽くした。だから作り上げただけで自分は充分に満足していたのだが、それを買って下さる人までいるというのが何とも不思議なことだった。不意の出会い、励みに感謝を。

 その2人を見送って、近隣の方のお買い物やご挨拶に応じたところで19時、デザインフェスタ58、閉幕。感謝の大拍手。見納めの自ブースを写真に収めて服を脱ぎ捨て片付け始める。極大窓、品々、ディスプレイ用の道具、大窓、虫ピンやフック。1人また1人と去ってゆく近隣出展者の方々。帰路の安全と再会を祈念して別れ、名残と達成に感じ入りながらも手は止めず、疲労を押して急ぎの撤収作業。繰り返し響く場内撤収アナウンス。余裕で時間をオーバー、すみませんすみませんすみません。まごうことなく搬入一番乗りであったが、まごうことなく搬出一番最後であった。

 酷く大振りの荷物を携え、がらりと広くなった会場、ぽつりと白い自ブースパネルを振り返り見て一礼、歩き始めると思った以上に引く荷が軽くなっている実感があった。おお。遍歴の末に創ったものが、人々に迎えられてようやく意義を果たし始める時なのだと、しみじみ思うのであった。良い。ひいひい言って用意しただけある。そして周囲にもそんな尽力、苦労の末に結実した、無数の作品が集結していたのだと振り返ると、何と意義深く、進歩的な催事であろうかと感心するのだった。イベントスタッフおそらく4名で、よくぞここまで、と頭が下がる。ボランティアの方々にも。

 食中毒製品が販売されてしまったことにも、大きな文脈から認めるべき巡り合わせがあるのだろう。有象無象も擁することが出来る規模の大きさが、俗な動機も引き寄せる。「人の経験の『質』に資する、丹精注いだ事業」を志しているのか、それとも“稼ぎや自己陶酔“に根差しているのか。主宰も、場を借りる参加者も、反省の機会を差し出されている。

年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず

 ーーー花は年ごと同じに咲くが、人は年ごと変化してゆく。会うたび会うたび、自分は俗化してはいまいか。訪れる人に成長した姿を見せられているか。ここで皆さんに会うたび、そう振り返った。

 売るための表現。

 創作を続ければ必ずぶつかる壁、障壁。1セントにもならない制作!一声の評判にもならない作品!極上の美しさを宿す「純粋な経験」は、それに触れたいと思う他者が金銭を対価に譲り受けるという”価値”の仮説的な置き換えに巻き込まれることで、二元性へと迷い込んでゆく。

 分離していない、全体性であった「芸術する喜び」が”美か金か”に分離する時期。”喜びを取るか暮らしを立てるか”仮説の中で彷徨う段階。そんなものは「一体」なのだが、美を追究する霊性を、動物性が足引き惑わす。ハートを忘れて、ハラやアタマに従う文明。

 その狭間にある苦悩こそ、「人生」と呼ばれる学びの領域である。美を愛でる霊的存在たることを、忘れて動物性に屈する。欲や不安や自惚れに駆られて忘れる「愛でる喜び」。それら両極を宿しているから、天使でもなく獣でもない、狭間で学びに育つ人間。

 作ったものも書いたものも、イベントも会場も、世も星も、形あるもの全てはいずれ塵と化す。それらに拘うことなくいられているか。献身、専心、愛と喜びに依拠しているのか。何の利益にならないとしても続けられるか。

 ・・・誠に貴重な反省の機会となる催事だ。だった。これが最期の参加であったのかもしれない。確証はないのだが。例えそれが次回10回目でも100回目でも、僅か1回目であったとしても同じことだ。どれだけ霊を注ぎ切れたか。催事があろうとなかろうと、行き着く先は、行き着くべきは、現身を去った無形の領域。”何を”は問題ではない。「どれほど」真摯に探求を続けるかの問い。その大いな励みとなって下さった魂たちに御礼を。残りの展示には傾注を。

 集中力とは人生そのもの、存在そのもの。

 後記

 とぼとぼ帰宅、重くて敵わない荷を何とか部屋に上げ、身支度、日記、柔軟を済ませ床に就く。たちどころにぐっすりスヤスヤ。

 朝はゆっくり起き出して柔軟、身体を動かしたら掃き掃除拭き掃除、出展道具の片付け、展示作品の収納、販売品の保管作業や在庫の記録、掃除を再び、ごみ出しを。

 跡形も無い部屋、天気が良くて風を通した。練り胡麻、すり胡麻、きな粉、オーツ麦、ナツメグ、レーズン、ヘーゼルナッツ、チアシード、バナナ、ヨーグルト、豆乳を器に。作業にも使っていた机に据えて、やっとの食事。

 手を合わせるとふわりとレースのカーテンがなびいた。湧き上がる安堵、充実、達成感。ほっとして、もう一度手を合わせて食べる。創造の返す波、その静けさを久しぶりに味わった。

 それから延々記録の作業、渡航の支度で大使館、久しぶりのサイクリングで街外れに出て、広大な川沿いの夕焼けを眺めながら外で湯沸かし、頂いた差し入れの珈琲やお菓子を、鳥達の声響く中で静かに味わう。心の静けさが、何より甘美だった。

 ひと息ついて再び記録、24時間。デザインフェスタに出展し始めたころから、展示の構想や記録、感想、その他簡易の日記用としてノートを持ち歩くようになった。今その18冊目が、上の記録を書き上げたところで丁度満行、使い終えたのだった。

 わざわざの御足労、寿命を割いて来て下さった方へ、吟味するには少ない時間、伝え足りない御礼の言葉を補う意味でも、手で書いた所感を打ち起こしてここに載せようと思った。

 またここに綴ったことのほとんどが、これまでに、この会場で、この催事を通じて行き合った人々についてであることを思うとき、尊く、ただ自分独りの日記に留めておくのではいられなかった。

 以上、重ねて御礼を。またどこかで、どうぞお元気で。 nwa

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