四月三日(日)雨
六時半起床。何度か別の車が近くを通った時に目を覚ました。寝心地はまずまずだ。昨夜は少し冷えて、途中薄目のダウンを着た。朝食の支度。お湯を沸かし、とうふを切り、貝割れも短く切って味噌汁に。水が多くて薄味だ。でも冷えた体がじんわりと温まる。
今日は雨で、車の屋根にぽつぽつと降る雨音が小さく続いていた。そういえば、高所に足をすくませるという夢をみた。これは、他者の支えが無いことを心配しているということらしい。「客観的に問題を見極め、自身を圧倒している問題が何なのかを発見するように」とあった。自立しているかということだろう。目を閉じてみると、自分の都合通りの願いばかりもっていることに気づく。それでいてうまくいかないとき、願いながらも諦めようと力み、何かうまくいっても、悪い予感や不安にばかり気を取られている。いろいろと囚われている。
八時出発、湾岸道路を東へ。「美人多し 脇見運転注意!」の看板の面白さに目が釘付けとなり、つい脇見運転。だんだんと工業地帯の景色も色濃くなっていく。ラジオを聴きながら走った。いきものがかりの「SAKURA」が流れていた。住宅が全く見あたらなくなってきて、だだっ広い敷地の向こうの方に、巨大な煙突が見え始める。その煙突の間を真っ直ぐ海へと延びる道。その姿に誘われて寄り道をした。海際までくるとこれまた大きな風力発電のプロペラが見え、行き止まりには何台かの車が止まっていた。釣りをしにくる人が多いようだ、堤防に上がった所で糸を垂らしている。カメラをもって出、海を撮って戻る。雨はもう止んでいた。
元の道に戻って木更津へ。コーヒーでも飲もうと、市街を走る。見つけた広い駐車場に車を止め、先に昼食、丁度十二時だった。
荷物が多少心配だ。盗難など一度でも遭えば立ち行かなくなる。丁度監視カメラの真横なので大丈夫だろうと思いつつ車を離れた。中に入ると三つも四つもコーヒー屋があって、どこにしたものか、差し当たって本屋の隣にあった店に入り、レーズンサンドとブレンドコーヒーを頼んだ。この記録を終えたら読書だ。
空腹で筆跡がおぼつかなくなるまで読書をする。四時間ほど。十六時、コーヒー屋を出てアウトドア用品店を見つけ、ストーブ(調理道具)用のガス缶を買った。いよいよ空腹にせき立てられていた。食料の買い出しをしてりんごを食べた。こんなものでも最高の味だった。空腹以上のスパイスはないとはよく言ったものだ。簡単なサンドイッチにも、満たされる思い。水まで美味しく感じる。なるべく身体によい食事を続けたいと思う。
富津岬への道順を確認して出発、もう後三十分も掛からずに到着だろう。日の入り後で、少し暗くなってきた。
平地に建物は少なく、空の見通しがよい。海が近いのを感じる。富津岬公園へと右折。途中野外ステージで大音量のライブが行われていた。聞いてみたかったが、少しでも陽の色が残っているうちに岬からの風景を撮ろうと先を急いだ。外灯もない暗い道を岬の先端までくると、異様な形をした展望台の影が目に入る。不規則な高さの踊り場が何カ所もある、階段とその踊り場だけで組まれたような展望台で、大まかに言えば角錐形をしている。一番高いところはビルの三階ほどあるだろうか。風がとても強そうだ、どの階段から上ったとしても暗くて頼りない。とても一人では登る気にならなかった。車を止めてカメラと三脚をもって砂浜へ。遠くの工業地帯や、日没後の海を撮る。雲が流れている。何も無いといっていいくらいの、雲と海と沖の光。
家族連れが例の展望台へ上っていくようなので、ついていった。強風に足がすくむ。しかし上り切って見えてきた一面の海の景色に、夢中でカメラを向けた。西の方には横浜のランドマークタワーが見えた。その家族が降りていくと恐ろしいほどの足場の揺れ。続いて他の人が上がってくるときにも不気味に揺れて恐ろしい。朝陽は見られるだろうか、明日朝も来ようと思う。
車に戻って身を清めたり柔軟をしたり、片づけをしたりして過ごす。二十時。それからは、海に向けて車の後方のドアを開け放ち、静かに座って眼を閉じた。寒さは無く、風は穏やか、潮騒だけ聞こえる。ただゆっくりと時間を掛けて呼吸をする。あくび、涙。穏やかなひとときだった。
一時間ほど経っていた。不思議と寂しさはない。昔出会った旅人や、かつて眺めた海の景色のことを思い出していた。二十二時に眠った。