四月五日(火)曇
六時半、朝食にお湯を沸かしてスープを。体温が上がるとほっとする。八時過ぎに出発、国道一二八号線で外房、九十九里浜を目指す。地図を見ないで走り出すと途中で間違えている。途中どころか逆方向に出発していて二分でUターンした。
鴨川、勝浦と過ぎていく。数年前に訪れたことのある駅や、山の上の女神像など、長らく観ていなかったものがまだそこにあるというのが不思議だった。市街地を過ぎて海沿いの道を北上。昔泊まった宿の看板や、歩いたことのある道も見えた。
九十九里浜の海岸に出る。すごい風だ。カメラをもって波打ち際へ。カメラの設定を整える間に受けた風の強さ寒さで引き返したくなったが、新しいカメラの設定にかなり自由が利くということを発見し、寒い中数分設定に気を取られる。アスファルト色の砂は柔らかく、足跡がしっとりとついた。寒くなって戻った。
蓮沼海浜公園へ。巨大な展望塔を発見、十階建てのマンションほどもある高さだ。駐車場に車を止めると十二時半。昼食にしよう。お腹が空くたびに食べるものそれぞれ美味しさを感じる。この幸福も長続きすればいいのに、一時の心理的不均衡を整える程度で、それ以上の効用はない。
旅の最中にあって、自分を満たすものは何なのだろうか。食事や読書や撮影だろうか。「各地の風景を持ち帰って伝える」という目的の為に行動しているつもりだが。
差し当たっての結論は、外的要因とは関係がないのだろう、というものだった。困難も退屈も苦悩も、成長の機会に変えてゆく。ただのプラス思考ではなく、その先の目的があることと、そこにたどり着く方法を実践していくことと。その機会にはなると思う。
十三時半、カメラをもって展望塔に登る。平日ということもあって、敷地内は閑散としていた。展望塔の周りには、巨大なビニールプールやゴーカート、ミニSL、ウォータースライダーなどいろいろなアトラクションがあって、夏の休みならば大挙して家族連れが訪れそうな場所であるだけに、数組ほどしか見かけない侘びしさは哀愁をかき立てる。そしてこの曇り空。
さびれた展望塔を駆け上がる。頂上までくると、九十九里浜を端から端まで一望できそうなほどの高さだった。なかなかだ。数枚写真を撮った。車に戻ってさらに北へ。一昨日ラジオで流れてきたいきものがかりの「SAKURA」をふと思い出して、iPodを繋ぎ同じ曲を掛ける。昔は何のことはない歌のように思っていたが、時が経つほど心に染みるものだ。老いかしら。鼻先で歌いながら進む。大通りに出て、いい速度で流す。
ふと桜の花を見つけて、過ぎ去った後に思い直して、Uターン。鎌数伊勢大神宮。桜が目立った。曇りなので上手く撮れるかと悩んでいたが、撮ってみよう。二台背負って境内へ。鳥居元、左端を左脚で跨ぐ。手水、手、口を濯ぐ、取っ手を濯ぐ。どこで覚えたのやら。塩の化石というものが奉られていた。見た目はほとんど岩と同じだった。正面本殿に賽銭、ついでに御神籤。引くべくして引いたような内容だった。
「ーーー 一升桝には一升しかはいらぬ。ーーー世の為、人の為めに尽くして徳を積め。徳を積んで容器を大きくせよ。神の賜える財宝なら永久に逃げはせぬ。」
「風さわぐ 秋の夕べは 行舟も いりえしずかに 宿を定めてーーー心静かに諸事控え目にして是までの職業を守り 身を慎んで勉強なさいーーー」
「運勢、末吉 願事、思いがけぬ事にて叶う 待ち人、期待つよすぎると来ない 旅立ち、吉日をえらべ 商売、損にもならず利無し 学問、早目に目標を定め全力を尽せ 恋愛、感情を押え慎重に 転居、まちて行くが吉 縁談、時をまって進めよ、将来は吉」
実際、誰にでも当てはまりそうなことだ。そういうことこそ大事なのだろう。良く生かせば一つの指針になる言葉だと思う。
さて、この春も桜を撮る。やっと撮る。もう咲いていたのだなと、気後れしていた。難しい花だ。でも撮ってみれば結局、天気は関係なかった。気持ちの問題だった。いい色が出ていた。納得出来るものは一枚もなかったが、この気づきは収穫だ。以前夢中でカメラを執っていたころ、天気など気にも留めず、シャッターを切っていたはずだ。幼子が何の怖れもなく立ち上がって歩こうとするように、夢中でやってみる。最初の一歩の積み重ねだ。
思ったよりも長いこと粘っていた。「誰に見せたいか」、まだ考えもしていない。向こう見ずに撮るだけになっているようにも感じた。また次の機会にしようと車に戻り、千葉県の東端、銚子市に向かった。
十七時半、市街地で買い出しを。東に広大な太平洋、西には山並みに点在する巨大な風力発電の風車が見渡せた。夕凪か、羽の回転は止まろうというところだった。写真を整理する。十九時、コーヒータイム。店員さんに閉店時刻を訊いた。記録を済ませて読書だ。
二十二時、外はすっかり暗くなっていて、遠くの風車のあったところで、ランプが白く発光している。犬吠埼灯台に向けて夜道を行く。てきとうに走るとやはり迷うが、灯台の光が見えて来てから、それを目指して進んだ。灯台が近づき、暗闇の中で、切り立った崖の高さと間近の海の広さが一層強調されて感じられた。怖ろしさに繰り返す身震い。初めて訪れた時の恐怖と変わらない恐ろしさがあった。
灯台の巨大な眼から、とてつもない距離にまで及ぶ光線が放たれ、延々と広がる虚無の黒い空間を、もの凄い速さで駆け巡っている。この広さが怖ろしいと思う。昼間には水平線までしかない海が、境を失って無限になる。自分の立つ陸まで呑まれそうな思いがしてきて、平衡感覚が狂い出す。真っ直ぐ歩けなくなる。
二十二時半。到着しても恐ろしくて、なかなか車から降りることが出来ずにいた。フルーツをやけ食い。うまい。
少し外に出て歩いた。坂でもないのにふらつく。すぐに車に戻った。こんなところで眠れるのか。窓の外でちょうど灯台の光が四つ、四方にぐるぐると回っていた。二十三時半に寝た。