四月六日(水)晴
四時半に起きる。日の出を撮る。外に出てダウンを重ね着し、三脚とカメラを持って灯台の裏手に回り込んだ。
懐かしい景色だ。ーーー初めてカメラを持って遠出した際に訪れたのがここだった。地図と水と数百円、夜を徹するにはかなりの薄着で、150kmも先から自転車で着いたのが深夜0時。あまりの景色の怖ろしさに一度引き返して道端で朝を待った。ーーー
そのときと同じ風景を撮る。十年前と同じ構図で。
やはり絶景だった。日の出る直前の、この日一番の寒さに透き通る空の青。そこに陽光の朱が射してくる。しばらく波の音を忘れていた。カメラを構えて設定を考えていたが、途中でばからしくなった。よく、観ておこう。他にも数人、来光を待つ人の姿があった。
ふと気づくと巨大な朝陽が水平線上に現れていた。だんだんと上ってくるというより、突然現れたような印象だった。地球がぐんぐん東に回っていくのだ。何千万年と繰り返し続く日の出でも、この一度を観られるのはこの一度。いつか終わりも来るものか。どう感じるのかと問われているようにも思う。難しいなあ。まあ綺麗だ。
あっという間に日の出の時間が終わって、海も空も白さを増し、いつもの景色が訪れた。夜とのこの、こころの違いようにはいつも驚く。
朝食、六時半。朝早かったのでそれほど空腹を感じなかったが、スープなど温かいものには気持ちが落ち着く。
八時過ぎに出発、茨城県へ向かう。君ヶ浜を流して銚子市街で初めて給油をした。満タンで450km以上走る。大きな橋で利根川を渡り、神栖市に入る。太平洋に面した茨城県南東端の街。「神栖町ではないのか」と勘違いしていたのだが、それは「新世界より」という貴志祐介の長編小説の印象が強かったからだった。波崎海水浴場脇には広い駐車場があったのだが、風に運ばれた砂でほとんど埋まっていた。諦められたように埋まっていた。
鹿島灘に沿って進む。風力発電の巨大な風車が十数基並んでいるのが見える。実はここが、旅の一つの目的地だ。どこにあるかも知らなかったが、昔原宿のギャラリーで観た写真の作家に訊いて、漠然といつかいこうと思っていた。晴れていてよかった。長く真っ直ぐな道路を進んでいく。どこか浜へ出るところはないかとやきもきしていると十一基過ぎたところで駐車場と展望台、浜辺に続く道があった。早速車を止めてコートを脱ぎ、カメラを二台背負って出た。
北から番号を振られた十二基の巨大な風車が、大きな羽をぐるぐる振り回している。展望台の上にある、字の消えかかった案内板によると、一号基から十二号基まで、二kmに渡って真っ直ぐに並んでいるということだった。羽の先と中央部分が赤い色をしていて、どれもお揃いだった。二、五、六号基は羽を後方に向けているのか、他と違って回転していなかった。
これほど巨大な人工物が、いくつも等間隔に並んでいるというのは不思議な光景だ。怖ろしさすら感じる。一号基と二号基の間を抜ける道が浜辺に続いていた。南に上った太陽の光を、二号基の支柱と羽が遮っている。わずかな回転に合わせて、影が進んでいく。奇妙な動きの巨大な影だ。突然その一基から金切り音がした。重厚な扉が開くような、弦楽器にも似た音だ。風を受けて回る軸が、丁度摩擦を音として発してしまう回転の速度らしい。よく聴いていると演奏前の楽団が調律をしているかのようだった。
浜に出て並んだ風車を撮る。砂地には蛤の貝殻やみさごのものか、黒い鳥の羽。風車のそれぞれが横並びに隠れているので、波打ち際までもう少し歩いて角度をつけた。
自然と人の、調和するようなしないような、何ともいいがたい光景だった。陸の果てで風を待っているオブジェクト。遙か先まで続く白い砂浜には、波立って粒子状になった海水が霧のように立ち込めている。海と空は薄青く、遠くの風車の足下を霞ませていた。夢中で撮っていると、波に靴を洗われる寸手のところにいた。それを狙ったように波が寄せてきた。あと一歩のところだった。波の精のいたずらか。
車に戻って北へ進む。同じように、風車の並んでいるところも見られた。そして大きな石油タンクや巨大な煙突がいくつも見えてきた。これはまさに工業地帯。まごうことなき工業地帯。火力発電所やら化学工場やらが広大な敷地にひしめいている。国を賑わす主要産業であることは、この景色からも間違いなかった。
北上、鹿嶋市へ。こんなに海に近い街なのかというのは、地図を眺めて理解は出来ても実感は出来ない。これより先、陸がないという不思議さ、怖さ。大通りから町中の通りに折れて十二時、鹿嶋神宮着。参道沿いの駐車場で昼食。
春らしい陽射しと少し冷たい風。十三時半、記録を済ませ、コートは脱ぎ、鹿嶋神宮へ。カメラを二台背負っていく。整備された通りの先に大きな鳥居。異様に太く高い木々。よく整えられた土肌が、手間の掛かっていることをすぐに察知させた。鳥居の左端を左足で通る。手水、朱の門を通って本殿へ。信心深そうな仕草できびきびとお祈りしているYシャツ会社員風の方がいた。本殿より奥にもずっと道が続いているようで、その高くそびえる木々の間の道を進んだ。薄暗くなるほど豊かな木の数である。生き物も豊富にいるらしかった。鹿園、奥宮、御手洗場を過ぎて、数少ない桜の木に神経を注ぐ。昨日決めたとおり、今日は納得のいくものを撮ろうと思っていた。すぐ撮れた。足下の池にとてつもない数のオタマジャクシが泳いでいたことには、その後に気づいた。
車に戻ると十五時半。西にある「一の鳥居」を見に行く。実は旅の一つの目的地。市街地を思いつくまま走っていると、導かれたようにその巨大な鳥居に行き当たった。真っ赤で巨大な鳥居が水上に佇んでいる。遠近感を狂わせるかのような大きさの真っ赤な鳥居。異様な光景だった。写真を撮っていると、さっきのきびきびした人が再び鳥居に向かってうやうやしいやり方で、参拝していた。なにやらあくせく写真を撮って、近くに止めていた白いワゴンに乗り込んで行ったが、ネクタイを外し、Yシャツのボタンを全て外して腕を抜き、背側の裾がベルトに押さえられるままの状態、腰マント状態で運転していた。白く輝くランニングシャツであった。
ひたちなかを目指す。途中、城山公園の敷地に桜がたくさん見えて、撮りに上った。今見てきた鳥居が、こんな遠くからでも強い存在感で眺められる。桜祭りとのことで、たくさんの桜の木の下で人々が敷物を敷いて車座に飲食をしており、子どもたちは周辺を駆け回っている。春だ。
車に戻って北上を続け、目的地までもう少し。国営ひたち海浜公園。季節ごとの花々が名高い、特にネモフィラがよく聞かれる。中には入らず、近くの商業施設で車を止めた。広大な駐車場、大きな書店にコーヒー屋が併設されている。最高だ。先に夕食の用意、食料の買い出し。夕食は、うまく炊けるだろうか、初めて炊飯をコッヘルとストーブで行う。最大火力で約八分で沸騰させたのち、最小の火力で六分。蒸気の匂いが乾いてきたら火を止めてタオルに包んで十分蒸らした。その間、レトルト食品のパウチを蓋の重石代わりに、また蒸らす際の鍋敷き代わりに使って一緒に温めた。便利。いつもご飯を鍋で炊いていたので勘が働いたか、見事な炊きあがり。久しぶりに温かいご飯。パワーが出る。
片づけを済ませてコーヒー屋へ。サッカーコートの広さを越えるような広大な書店だ。一画のコーヒー屋は本棚やソファー、カウンター席やダイニングテーブルまで並んでいるという、落ち着いたつくりで、書店から本の持ち込みまでできるという。「旅のラゴス」の南の国を思い出す。
先に写真集を立ち読みした。普段あまり手に取らないのだが、藤代冥利のnude写真集は惹かれる悲しさが。
ハニーなんとかなんとかナッツなんとかソイなんとかラテとかいう甘い飲み物を頼んでソファーに掛け、机にノートや本や手帳やワープロを広げたところで前職の跡継ぎから電話を受けた。もの凄い忙しさだという。懐かしいものだ。忘れかけの記憶で助言を。そういえばと、他の人びとにもメールを送った。気づけば二十二時、閉店時間。広げたものをまた仕舞って車に戻り、記録を済ませると二十四時。眠ろう。