四月九日(土)晴
四時半に起き、上着を着込んで防波堤に沿って歩いていく。工事現場の真横を通って、水際まで来た。もう空が明るくなってきていて、日の出真近だ。地面に並んだ真新しいテトラポッドの間をすり抜けて、一番明るい山際にカメラを向けた。海鳥が一羽、近くをゆったりと飛んでいる。出てきた太陽を、海辺の工業地帯とあわせて写真に収めた。
防波堤の末端まで行って撮りたいのだが、何度か見回しても道が見あたらず躊躇していた。それでも、という思いがあって、結局、岩場や網に詰められた石の上を歩いて堤防を進んだ。行こうと思えばどうにかなるものだ。出来たばかりのような白いコンクリートの一本道を海の方へ進むと、鳥が近くの水面で群れている。堤防で鳥が餌を漁った残骸があって、普段からひと気のないところなのだろうと感じる。末端までくると、もう少し先に灯台があって、その灯台までの道は、堤防が波に洗われるほど低くなっていた。引き潮ならば歩けるのだろうか。
車に戻って朝食に。お湯を沸かして、野菜と麺を煮る。まあまあだ。
八時出発。高台の上の神社を見かけて、行ってみることにした。日和山公園の鹿島御児神社というらしい。とんでもない勾配の上り坂を越えて、駐車場に車を止め、カメラを二台背負って少し出歩く。陽が出て風も穏やかで暖かかった。公園の入り口には屋台やお茶屋がある。
東の方、山の下手の景色が見え出した。絶景だ。石巻湾とそこに注ぐ旧北上川、港の風景、牡鹿半島の山並みが、大きな鳥居と桜の向こうに広がっている。休日らしく、それを見に来た人たちがベンチに腰掛けたり、柵から桜を撮っていたりしていた。いい眺めだ。震災についての看板や祈念碑があった。以前の風景と見比べると、建物の多くが新しく立て直されていることや、まだ何もない土肌の土地が多く残っていることが分かる。墓地もあったが、墓石がどれも真新しく光っていた。
階段を少し下りたところに桜の咲く広場があって、花見にはうってつけの場所だった。男女が一組、敷物を広げて持ち寄ったもので食事をしようと準備している。その周りには散歩道があり、所々に文豪や詩人の石碑があって、この土地にゆかりのある句が刻まれていた。松尾芭蕉、石川啄木、その他、フランク安田の紹介の石碑もあった。
一通り歩き終えて、最初に観た鳥居の風景を、人がいないときに撮って帰ろうと参道に続く階段に座って待ったが、なかなか人ははけない。「今だ」と思ったら新聞社の記者が颯爽と入ってくる。これでもかというほど気合いのこもった堂々とした構えでカメラを構えて撮り、鳥居の横に座り込んでレンズを取り替えては撮り、取り替えては撮り。颯爽と去っていった。が、今度は家族連れの女児が鳥居に寄りかかって離れない。あとは君だけなのだ!鳥居の手前の陰に逆光で隠れて見えなくなったので、よしとして帰った。本当に画面にとけ込んで見えなくなって怖くなった。それ以降も人の往来は絶えなかった。
とんでもない下りの坂を車で下っていく。後ろの机に載せていたパソコンが落っこちたり、荷物ががたがたいいだしたりと冷やひやする。ガソリンスタンドへ。今では珍しい、有人サービスの店舗だった。窓を開けて「レギュラー満タンで」というやり取りをしたが、初めてかもしれない。いや、昔やっただろうか。非常に懐かしい思いがした。はきはきした受け答えで応じる男性店員、「レギュラー満タン入りまーす!」、他の店員「ありがとうございまーす!」、威勢がいい。窓も拭いてくれた。「車内掃除用のタオルです、どうぞ」と、絞ったタオルも渡してくれた。これは便利だ。お釣りのやりとりなども懐かしい。
自分の地元はもうセルフサービスの店がほとんどで、スーパーのレジにもそんなところが出てきたし、ETCなどもその類だが、金銭のみで何でも済むというのは確かに味気ない。アメリカ合衆国の大手ドラッグストアが、レジの店員を削減したら破綻してしまったという話がある。人に「仕える」という仕事の本質、心遣いはできる限り、と思った。敏感になるわけではないが、自分の身の振り方の反省として。
海岸沿いを走ろうと大通りをそれて女川町に向かう。398号線が道路工事のため、いろいろと迂回路の案内看板が出ていた。新しく建てられたばかりの女川駅。木肌が真新しく屋根も真っ白で何とも言えない流線型をしていた。しかしその先、何となく道なりに走ったら別方向だったようだ。引き返して、十一時半、昼食休憩。建設ラッシュで活気がある。どこもかしこも土が盛られて、新たに建物が造られるらしかった。近くのコンビニも三日前に出来たばかりということだった。駅前通りの新築の木造平屋の建物ではなにやら催し物があるようで、思った以上に人の行き来があって盛り上がっていた。
十三時出発。雄勝の方面に入り込んでしまって迷った。なかなかの遠回りになった。事前の確認は大事だ。小富士山を一回りしてもとの道に戻った。スピードを上げて、北上川の流れを追うように走り、漁村の風景を横目に気仙沼へ。過去の津波の浸水区間が時々看板で示されていた。
十七時、市街に着く。例によって買い出し。屋上駐車場で車を降りると、街の防災無線から「遠き山に日は落ちて」が響きわたる。脳裏に刻まれている、幼少時代の記憶を思い起こさせる調べだ。家に帰らねばならないような気分。夕暮れ、海辺の街。何でもない駐車場の風景を写真に収めた。「帰ってからが旅かもしれない」とぼんやり思った。行為に意味付けするとき、もしくは意味を察知する時、意味が与えられる。
階を降りてフロアマップを見、目的の食料品売場に向かったと思ったら真逆に歩いていた。やっと事前確認というものを試したのだが…。穀類、野菜を調達、夕食。食後にも残る空腹は栄養の偏りからか、ビタミンB群の不足だろう。
翌朝の景色のことを考えて移動する。海辺に公園があるといいのだが。津波でなくなったものも多かった。いろいろと調べていると安波山という展望の良い山があるらしく、すぐ近くまで車で行けるということなので行ってみた。携帯電話のナビに任せたらこれがとんでもない悪路に次ぐ悪路。三通りの山道の中でも、酷い順に一位と二位を選んでしまった。ものすごい坂で砂利にタイヤが空転したり、崖すれすれでUターンしたり、マゼラン海峡並の荒波立った山道だったり。知らんけど。あきらめずに調べてみると、他にも同じ思いをした人がいたらしい。「駅などの観光案内所で道順の書かれたパンフレットをもらうように」とあったが、あとは三つ目を選ぶしかないだろうと思ってそちらを進んだ。またしても迷いながらだったが、この東からの道が正解で、舗装路続きで駐車場まで来ることが出来た。気仙沼市街を一望できる夜景が広がっていた。
二十一時。車を止めてカメラと三脚をもって、展望テラスへ。五分ほどのちょっとした山登り。竜頭の門だの、海のみえるおべんじょだの、東屋、展望テラス、竜の鱗の階段だのだの、いろいろ整備というか蛇足というかされている、愉快なところだった。フットライトや電灯もあって夜でも足下がよく見えた。ありがたい。展望テラスから街を見ると、内湾に街の光が写る、また格別の景色が広がっていた。数十分写真を撮り、山を下りて駐車場で夜を過ごす。二十二時半。