四月十一日(月)雪のち雨、晴
寒くて何度か起きるたびに、寝具を身体に引き寄せる。これほど寒いとは。地続きで走って来ているから、ゆっくりと北上していく間の気温の変化には鈍感だった。今夜は寝袋を出そう。外を見れば雨かと思いきや雪だった。四時半に起きて日の出を撮ろうと思っていたが、やめた。五時半、寒いが起きて窓を開ける。朝食。白湯、果物、穀物。これまでほどの美味しさは感じなかった。寒い。空腹よりも暖かさが優先か。運転席で昨日の記録をしている間、さらに冷え込んでいった。キーボードを打つ指がかじかむほどだった。
八時、青森県八戸に向けて出発。雨は上がって晴れ間も見えた。三陸自動車道を何度か通っていく。高台からの海の景色が美しくて、何度か車を止めて撮った。大きな橋から見る、海へ向かう谷とその向こうを水平線も見事だった。写真を撮っているとまた雪が舞ってくる。曇り空から、雨よりも軽やかに舞い降りて、地面にすぐとけ込んでしまう。見慣れない動きだ。ずいぶんと風に流されて、横に漂っていく。
十一時、久慈市。食料と水の調達。体温の低下が著しく、風邪を引きそうな予感がしている。まずい。どういうものを食べるといいのだったか、よく覚えていない。果物や生野菜ではだめなのだろうということは分かるのだが、手軽さには敵わず、続いてしまっていた。調べておこう。さし当たってスープなど、お湯を使うものを選んでおいた。
十一時半出発、一気に八戸へ向かう。午前のうちに到着してお湯屋に行き、コーヒー屋で本を読もうと思った。書を取らないとすぐ獣のようになってしまう。行動の基準が生命の維持や快適さに傾く。この旅も数日で日常化し、当初の目的は薄らいできて、走行し、栄養をとり、夜には眠るということが、単純に繰り返し始めている。
目標が努力を正当化する時期が過ぎ去ると、その先、目標を正当化するのは努力だけだ。ここからが試されどきなのだろう。「意味をもたらすように」と祈るがごとく、前進を重ねる。動機などというものではなく、ただ眼前に顕在するものとしてその目標を果たせるか。無感情な機械のようにであっても、美しいものを探して撮り続けよう。無事持ち帰り、人に伝えてからが本当の旅だ。
十二時半、八戸着、昼食。まあまあだ。寒い。お湯屋を探して向かった。長寿温泉。人々の話言葉に土地柄を感じる。お互い背中を流し合う長老方。さっぱり、温まった。温まったが嫌な寒気をわずかに感じる。十四時半、コートを着込んで近くのガソリンスタンドで三度目の給油をした。雪が多くなってきていた。スタンドの若い店員のイントネーションが印象的だ。自分の関東弁が通じるか、みっともなくないかと、少し気になる。
十五時、下田のコーヒー屋で読書。ソイモカ。膝掛けを借りて肩にかけるという寒がり方。地元の方々は自分ほど厚着をしていないようだった。
十九時、店を出て海辺に向かう。街灯が少ない。海辺の工業地帯の奥に進むと、廃墟と化した漬け物工場があった。漬け物バケツが沢山放置された、屋根だけになった工場。まがまがしいものを感じ、退散。川を一つ越えて林道をすぎると今度は殺風景ながら、堤防のふもとまでたどり着いた。海上で光る雷。遠くの岸がやたらと光っている。
林の向こうに街灯り、その上には四日月と星々。
あれだけ寒がっていたが、カメラを持つとそれほど気にならなくなる。妙な悪寒も消えた。こころ次第なのか。
撮り終えて食事の支度。この旅で初めて焚き火をする。持ってきた小さなバーベキューコンロに薪を組み置いて、新聞紙とマッチで火を起こす。三枚目の新聞紙でどうにか薪にも火が着いた。
鍋に水、あっという間に沸いたところでマカロニ、ポタージュのもと、チーズ、パン耳。温かい火に当たりながらの夕食はとても良かった。再びお湯を沸かし、食器をすすいで片づけた。火が収まって赤々とした炭の熱に当たりながら過ごした。
二十一時半、水をかけて焚き火も片づけ、シュラフに入れた寝袋にくるまって、明日の計画と一時帰還までの旅程を考える。どの街で夜を越そうか。
二十三時、寝袋の口の部分を引き絞って仰向けになると、窓の外に星が輝いていた。なんと贅沢な眺めか。眠ろうか眺めようか意図せず迷っていた。眺めるのをやめて眠ることにした。