四月一九日(火)
五時に起きる。窓を開けると清流の音に珍しい鳥の声、澄んだ空気。素晴らしい朝だ。起きあがったまま目を閉じて空気を味わう。帰りの予定やその後の経路を考えた。残り一〇週間だ。六時。朝食の支度、写真の整理。この澄んだ空気と清流の音、鳥の声。何を食べてもおいしく感じるものだ。
一息ついてもまだ七時だった。なんとゆったりした朝だろうか。旅の記録を済ませて八時に出発、群馬県方面へ一七号を南下する。道ばたの桜が舞って朝日に輝いていた。山道やトンネル、急カーブなどを経て群馬県に入り、赤谷湖に差し掛かった。青緑の綺麗な湖の周りに沢山の桜が見える。道から少し入ったところに停車して、湖の周りを撮り歩いた。空の青と湖の青緑が清々しかった。
一一時半、沼田で休憩。長いこと読書。昼食。渓流の水音と鳥の声を聞きながら。内陸の土地には海がなくとも沢があり、自然の表情は海辺に劣らず豊かで、鳥、虫、獣、草木、花が、季節とともに生命の輝きを放つ。「この国の重要な資源といえば、それは人材でも科学技術でもなく、これらの山河だ」と社会学の内田樹先生も言っておられた。確かにこの山河なくして国はないだろう。どれだけ人と技術が豊かでも、砂漠に存えることはできない。反対に、どれだけ人が少なく技術が乏しいとしても、自然は生き続ける。むしろ一層豊かになるだろう。バランスが大事なのだろうが。彼の原発事故で、この国土の豊かさの一部分が永久に失われつつあるということを、すぐに忘れてしまう。あの色褪せたゴーストタウンを、つい先日通ってきたというのに。そして今、熊本の震災で、自分の故郷が永久に失われるかもしれないということも、もう忘れてしまっている。川内に原発があり、震度四の揺れに見舞われている。稼動を止める止めない以前に、そこに存在している時点で、常に頭の片隅に刻み込まれた不安となっていたが、どこか他人事のように、深く考える前に忘れてゆく。
宇宙の歴史を一年に縮めれば、人間の歴史など大晦日の、最後の一〇秒程度のものだそうだ。自然の恵みに感謝して、その美しさを深く捉えることくらいしかできない。できるところまではやっておこうと思う。
一四時、高崎に向けて出発。下りの山道がなだらかになると、遠く向こうまで見渡せる関東平野に入った。「帰ってきたんだな」と思った。まだ地元まで百何kmとあるのだが、安心感が湧いてくる。下流の川が起伏なく穏やかに流れるように、武蔵野の風景も起伏なしにゆっくりと流れていく。海辺や山間部にはない緑地の広大さと風の穏やかさ、そして安らかさがあった。
一五時、コーヒータイム。コーヒーとチョコレート入りのスコーン。四時間後、本屋。二〇時、写真の整理をして夕食。夜風があった。
二一時、国道を南下、四〇分程掛け、庚申山総合公園へ向かった。ひと気はないが、緑豊かで広い公園だった。