五月八日(日)晴
四時半に起きて朝陽を撮る。若者の二人組や中年男性が、昨夜の展望台に上がっていた。挨拶を交わして横並びに、東の空を見遣る。内湾の先、紀伊大島の陸地の上の空は既に朱く、高みに青く広がっていく。美しい空の色を眺めているうち、陸と空の境からオレンジ色の輝きが見えだして、隣の男性から「来た」の一声。空の青さが一層深まって、陸際の朱と見事な対比かつ調和。波はその両方を反映して紫色に揺れていた。みるみる太陽が全容を現して、程なく空が白み、特別な朝の光から、見慣れた日の光に変わった。各々もと居た所へ戻っていく。
清々しい緑の芝の原は、海にかけて緩やかな傾斜で広がっていた。外周の柵に沿って木々が立ち並び、真南ではそれが開けて、水平線が見られる。歩道をジョギングする人や、散策する人の姿があった。五時半、コンロを持ち出して薪を組み上げ火を起こす。朝凪後の海からの風が、火を大きくしていく。煙も低いまま流れていき、快適だった。鍋に水、沸いたところでチーズやスープを入れ、食パンを焚き火でトーストする。質素だが、素晴らしい朝食だった。
猫が三匹、四匹じゃれ合っていた。ゆっくりと朝食を済ませ、片づけをし、食休みを取ってもようやく七時半。伊勢に向けて出発。海岸沿いをゆく。途中、道端で桃色のネモフィラが咲いているのを見つけ、裏路地に入り込んで車を止めた。蜜蜂が花から花へと飛んでいる。白い蝶も寄っては去り、寄っては去り。自分もああでもないこうでもないと、カメラを構えてうろつく。難しい。低いところにいくつも咲いていて、通りを挟んだ向こうに海が広がっている。花だけを収めるにも間の取り方が分からず、黒いジーンズの裾を黄色い花粉だらけにしながら、写真を撮った。途中、携帯電話で同じく写真を撮りに来た女性もいた。レンズを変えても結局納得のいくものは撮れなかった。隣に咲いていた別の花を撮って去る。少し進むと、海に並ぶ奇岩が目に入った。「橋杭岩」。岩がそれぞれいびつな形を成して、途切れ途切れに並んでいる。そういえば五年前、夕暮れ時に見た覚えがある。そのときもまともに眺めず通り過ぎたが、今度もまた、手前の水面ばかり写真に収めて去った。
運転を五時間、途中で休憩に。なぜか芋けんぴと申し訳程度のオレンジが昼食。妙なものを摂ると余計に疲れる。栄養が偏っていて、身体から信号が出ていた。バランスの良い食事を心掛けて、運動の機会を得たいところだ。海岸沿いから内陸の田舎道にそれて、のどかな水田の間を、山の方へと上がっていく。トンネルをいくつか通って、坂を上っていくと林道に入り、その先木々が途切れた所に現れたのは丸山の千枚田。一面緑の山肌の長い傾斜に沿って、空の色を映した小さな水田が幾重も連なっていた。美しさに誘い出されて、まだ山の中腹の高い所で車を降りて歩いて下ったが、落ち着いて撮ろうと引き返し、車でその道を降りた。東屋と、数台分の駐車場があり、一〇人ほどの人々が景色に見入っている。高低差の大きい棚田の上部から、下方とその向こうの山々を一望する景勝だった。騒音はまるでなく、風も穏やかで心地よい。東屋で腰掛けて眺めていると、青い蜻蛉が蝶のような羽使いで舞って来て、腕を差し出すと止まった。写真に収めた。心休まる場所だった。
来た道を戻り、海際を北東へ。一六時、途中休憩後、伊勢に向かう。地を埋める木々、水田。都会に住む人々が忘れているであろう風景が続いた。一八時、伊勢神宮のそばまでやってきた。付近の道を詮索していると、パトカーや警官が目立つ。サミットが近いためだろう。一方通行や進入禁止が煩わしくなって、隣の五十鈴公園に止まり、一息ついた。明日の午前中にでも詣でることにして、近くで買い出し。栄養のバランスをと言いながら穀類が多い。写真の整理をして、蛙の鳴く田んぼの横で朝を待った。