五月二〇日(金)晴
四時起床。窓を開ける。空が薄青に染まって美しい、いい朝だ。写真の準備をしているうちに、眼が慣れてか日が昇ってか、みるみる空の色が変わっていった。数枚撮って、三脚はそのままに、朝食の支度。この日の行動量を考えて選ぶ。洗米、浸水間に旅の記録と写真の整理。三〇分ほど待ってから炊飯、火から下ろしたらカレーのパウチと一緒にタオルに包んで蒸らす。いい出来だ。早くから畑仕事に来る人の姿があった。挨拶を交わす。
食後、車を邪魔にならない木陰の山道に移動して、準備を済ませて九時出発。カメラ二台と上着。陽射しが強い。坂を下りるとまず桜山八幡宮が見えてきた。脇の入り口から境内に入る。手水。本殿に詣でる。「筆塚」という石碑の横に、毛筆やペン等がいくつか奉納されていた。使い終えた筆で石碑の「筆塚」の字をなぞって奉納すると書が上達するという。石碑の字は黒く墨で何度もなぞられた跡があった。他に鯉の泳ぐ池がある。また急な石段が山に続いていた。参道から出る。三つの鳥居が直線上に見渡せた。古風な建物の続く道を川まで歩くと、橋の手前に一の鳥居が建っている。今までに見た鳥居で最大のものと思われた。五階立てほどはあるだろうか。川沿いを南へ。遠くに川の上に並ぶ鯉のぼりが見えてきた。そして川寄りの柵の前の路上に、白い布で拵えた出店のひさしが並んでいる。宮川の朝市。果物や漬け物、調味料や菓子類を売る出店、その向かいには土産物屋や軽食を売る店が並んでいて、賑やかだった。さるぼぼも並んでいる。川辺に降りてふらつく学生の姿がある。授業はどうしたのだろうかと思っていたが、その後も数多くの学生の姿を見て、どうやら修学旅行か何かのようだと気づいた。西訛り。通りを渡って東よりの小道をゆく。三町筋。昔の町並みが残る、商店や御茶屋の立ち並ぶ通りだった。ここも多くの観光客や学生で賑わっていた。民芸品や酒造場、観光案内所、土産物屋、美術館など様々。飛騨牛にぎり鮨の屋には行列が出来ていて、煎餅の皿に乗った鮨を食べ歩く人々の姿。初めて見る光景だった。赤以外の、色とりどりのさるぼぼを見るのも初めてかもしれない。小道を抜けて、赤く古風な意匠をした中橋を渡り、陣屋前の東屋で足を休める。修学旅行の中学生が弁当を広げていた。その後高山陣屋へ。江戸幕府が飛騨国を管理するために設置した代官所であり、国内に現存する唯一の、当時のままの役所であるという。今でいう県庁のようなものだろうか。立派な木造の門の向こうに中庭があり、正面の立派な御殿には大きな暖簾のような幕が下がっていた。一目見て車に戻る。古い町並みと、現代に暮らす人々とが接する街だった。
陽射しが強い。建物を撮っていても、地面が白く光り過ぎている。川沿いを歩きながら遠くの空に高く沸き上がる雲を見ると入道雲の形だ。夏が来るのだなと感じた。日照りの坂道を上って山道へ。木陰が涼しい。奥に建物があって、脇道が続いているようなので後で行ってみよう。一二時半、昼食。その後散策をする。林を抜けるとすぐ、弘法大師像や聖観音菩薩像などを奉った仏閣があった。石碑に鎖で繋がれた鉄の筒が掛けられている。古びた銅板の看板を見るとどうやらおみくじらしい。二〇ほどの運勢や教えが載っている。筒を入念に振って、底に空いた小さな穴から棒を出す。金属の棒に並ぶ一六の溝の印。看板を読むと「吉」。病は治り、心願は成就する。心良ければ叶い、悪しければ叶わないとのこと。眼の疲れが治れば良いが、どうだろうか。更に下へ進む。林道の立派な楓の葉の間から木漏れ日。見事な色。長い急な下りの石段にたどり着く。桜山八幡宮で見上げた石段だった。なんだこんな近道があったのか!と、損をしたような、拍子抜けしたような思いだった。また機会があれば使おう。
一四時出発。飛騨古川へ。一時間ほどで到着した。眼の疲れが酷い。手持ちの眼薬では効き目が無いようだったので、直ぐ脇に見つけた薬屋で一つ買う。一滴注すと痛みが退いた。良かった。さっきのおみくじ通りだといいが。雨雲が近づいてきて、空を覆いだした。ぱりぱりと雷の音をさせている。傘とカメラを一台もって一時間ほど散策。白壁土蔵街へ。観光客の姿はまばらで、着物姿の東洋人の他は二~三組の夫婦が歩いている程度。それよりも地元の人々の暮らしぶりが目に入る。古い町並みの中で、自転車で駆け回ったり、梅の実を集めたりして遊んでいる子ども。洒落た花屋の仕入れの風景、街行く買い物客。起し太鼓の里の池を泳ぐ鯉と水面の景色を撮っていると雨がちらほらと降ってくる。圓光寺の角で曲がっている水路を辿ると、大きな錦鯉が何匹も泳いでいた。灯籠の形をした目の高さの箱には麩でできた餌が袋に詰められて売られていた。
一回りし、雨を凌ぎながら車に戻る。来た道を戻って、一七時、大通り沿いで買い出し。糖分、酢酸を補給し、写真の整理をして一八時出発。見事な入道雲が、西に傾く太陽に、横から照らされている。静かな山道を西へ。音楽を掛けるとはじめに吉田兄弟の「津軽じょんがら節」が流れてきた。何度も聴いた曲だが、今改めて聴くと、寒い地域特有のパワーをひしひしと感じる。繰り返し繰り返し、一時間ほど聴いた。二時間半で福井県大野市に入り、大きなお湯屋で車を止めた。隣は水田と麦畑が広く続いていて、向こうの山並みがよく見通せた。月が掛かり美しい風景。写真を撮った。その後夕食。二二時、入浴。どくだみ湯があった。サウナで見た紅白ものまね歌何とかの、歌い手の演奏はどうも録音らしい。マイクの動きと音の強弱の変化が噛み合っていない…観客やコメンテイターはどう感じているのだろうか。
二三時、湯上がりに外で写真の整理をし、隣の畦道に移動して、月を見ながら眠る。