五月二一日(土)快晴
日の出前に寝ぼけながら窓を開け、目の前の景色を撮る。四時、五時、六時。七時にやっと起き出して朝食。この辺りは麦畑と水田が半々くらいの比率で広がっている。どんな食品に使われているのだろうか。八時半出発。畑の隅には整備された水辺があり、中央には木材の骨組みで出来た、ピラミッドを逆さまに立てたような謎の遊具があった。一辺が10mほどあり、長さ一mほどの角材が連なって出来ている。ジャングルジムだろうか。謎だ。国道を真っ直ぐ進んで行く。同じ道を真っ直ぐ進んでいるつもりだったが、途中大きく道をそれていたことに気づいた。再び農地の真ん中、折り返しがてら休憩に和菓子、読書。気を取り直して、一〇分ほど来た道を戻る。自転車だったら心が折れただろうなと、昔の旅を思い出す。曲がるべき道までもどって西へ。内陸を抜けて福井県の敦賀市を過ぎる。山道の途中、突然目の前に広がる海の景色。若狭湾だ。一一時、小浜市に入ると建物が増え始めた。そういえばこの小浜市、かつて米国でオバマ大統領が就任するというときにひと騒ぎしていたような覚えがある。懐かしい。就任演説を思い出す。一一時半、車を止めて昼食にした。一二時半、休憩後、近くのコーヒー屋で記録。地元の高校生が何組か、写真を切り張りして贈り物だろうか、寄せ書きのようなものを作っていたり、会話をしたり、「長い釣り竿のようなもの」の先に携帯電話を括りつけて自分たちを撮っていたり。その他親子孫三代の客、親子二代の客、親と孫二代の客、一人の客など。一五時半に切り上げてその後買い出し。
一六時出発。日本三大名勝、京都・天橋立へ。日が西に傾き始めている。日の入りにはおそらく間に合うだろう。若狭湾の、海と小高い半島の風景を眺めながら進んだ。原電が立ち並ぶ。京都・舞鶴に入ると交通量が多くなっていった。川沿いを北へ、天橋立への案内が出始める。
一八時、宮津市に入る。天橋立が見え始めた。どこで写真を撮ろうかと、少し急ぎ気味に探して回る。西側の与謝野町まで走ってみたが、夕陽を移し込めないので対岸まで戻った。宮津湾沿いの県道六〇五号。釣り人が何人か見られた程度の、静かな通りだった。今まさに対岸の山の向こうに沈もうとしている夕陽が、うっすらとたちこめている霞のに光を弱めながら、大きく真ん円に。その視線の下、横に長く続いている低い土地、天橋立。宮津湾は波もなく静かに茜空の色を映している。夕陽が山に近づくと、水面に揺らめく光の道が現れる。空が白、薄紫、朱、水色を用いて夜の支度。山の端に吸い付き、吸い込まれて行く。その直前の五分間で、車を止めて三脚を立て、カメラを据えて写真を撮った。いいタイミングだった。沈んだ後もしばらく空の色が移り変わる。見えない水平線の向こうまで沈んだだろうか、青が一瞬弱まって、暗さが増してゆく気配に切り替わった。そんな空を、車に戻って窓から眺めた。とても静かだった。湾を行く船の起こした波が此岸に到達すると、急に海のような波音がしだす。一〇〇程の波が寄せては返っていった。
一九時半、今度は翌朝の天橋立の景色を東側から撮るため、もうひと頑張り運転。与謝野町を一度経由するのだが、海を挟んだその対岸も宮津市のようだ。海沿いの市街地を過ぎて農道に入り、山に続く横道へ。成相寺に向かう。この坂道がとても急で、車がひっくり返るのではないかと怖かった。夜間は閉鎖されているはずなのだが、片方ゲートが開いている。ひと気はない。せっかくだからと進めるところまで進むとこれがまたものすごい急な坂だった。怖くなりながらもヘッドライトを頼りに五分ほど進む。徒歩だと四〇分の道のりだそうだ。
山肌の道を、けたたましいエンジン音と共に上り切る。良く整備された展望の良い広場に車を止める。エンジンを切ると全くの静寂、陰性の音が耳に痛いほど。暗い山の展望所に降り立つ。眼下に、とてつもない絶景が広がっていた。何だこれは。大急ぎで撮影の準備をした。ダウンを着込み、虫よけを携えて、三脚の脚を伸ばしながら植木と植木の間に設置。車のドアも開けたまま、夢中で撮った。夜空に浮かぶ満月が、真下の海を強く、南北に連なる稜線と水平線を弱く、入り江に流れ込む薄雲を微かに照らしている。紫色の海と黒い山々のシルエット。手前の阿蘇海と向こうの宮津湾を天橋立が隔てる。陸づたいに街明かり。ひやりとした空気、無風。遠くを走るバイクの排気音が小さく響いてくる以外に刺激はない。この上ない巡り合わせのように思う。別の経路だったら。晴天でなかったら。満月でなかったら。門が閉まっていたら。…何の因果で巡り会ったのか。世に偶然などないのだろう。
一時間ほど同じ風景を撮り続けて片づけた。写真では伝わらないだろうな。ドアが開いてたままだ。手足が冷えている。夕食。窓の景色を気にしながら二二時に眠る。翌朝も早い。