五月二四日(火)曇後雨
五時半起床。おはようの焼きうどん。七時半出発、山口県を目指して走る。なだらかな田舎道で、信号待ちも渋滞も全くと言っていいほど無く、実に爽快だ。走り出して三〇分ほどすると、「仁摩サンドミュージアム」の看板を目にした。そういえば、六〇km手前にもこの看板があり、「世界一の砂時計」と書かれていたと思い出す。もう一〇年以上前のことだと思うが、教科書か何かに、「一年計砂時計」というものが写真付きで載っていたのだった。それを目にしてから、ずっと脳裏に記憶されていた。「いつかひと目見てみたい」とは思っていたが、図らずも叶う。休館日は水曜日。今日は火曜日。いい巡り合わせだ。急遽交差点を曲がって、駐車場に車を止めた。開館時刻は九時、まだ一時間ほどあるようだったが、周囲に公園があるらしいので、写真を撮り歩いていれば丁度良いだろう。五〇mmレンズのカメラを一台。片手にぶらり歩いて向かう。交差点と川を挟んですぐのところにその博物館の建物が見えてきた。高くそびえるガラス張りのピラミッド群。六基が大小様々、高台の建物の上にある。正面は段々の植木になっていた。その正面にではなく、植木の端の目立たない階段を上った先、コンクリートの壁に隠れたところに、その博物館の入り口はあった。先に公園を回ろうと考えていたところに見つけたので、てっきり出口か非常口かと思ったのだが、この目立たないところにある出入り口が、この建物の入場口らしかった。出雲大社のときの反省もあり、正面から入ろうと思ったのだが。ひとまず公園を散策。小高い丘には古墳の模型、その斜面に針の故障している花時計、麓にはパターゴルフコース。隣に誰もいない野球場、その奥には異様に長い虹色の滑り台。振り向いてピラミッド周囲、芝生の丘に上ると日時計があった。かなり細かい目盛りが刻まれていた。「8の字」を連ねたような波の線が、湾曲した帯状の影板にある。緯度や経度だけでなく、日光に対する重力の影響も加味してつくられているそうだ。周囲は良く風が通る芝生地で、陽当たりもいい。小さな花やイネ科の雑草が風に揺れている。一番高いピラミッドを見ると、その内側に、複雑な骨組みを備えたヒョウタン型の巨大なオブジェクトが透けて見えた。例の砂時計だろうか。丁度いい時刻だったので、例の目立たない入り口から入館した。一番乗りのようだ。
先ず見えたのが砂で動く水車や獅子脅しに似たオブジェ。ステンレスと美しい砂とモーターでつくられた「シャシャ」という作品。直径七〇cmほどの、腰の高さの皿の部分に溜まった砂が、中心の筒を通って上部の傘の四つの穴から断続的に流れ出ている。すぐ下の受け皿に溜まり、その皿の穴から蟻地獄のように流れ落ちると、その下の観覧車のような匙の水車が回る。隣でスコップの形をしたシーソーの、一方に砂が溜まって揺れ動く部分。そんなオブジェにしばし見入っていた。水とは違った流動性・質感を、刻々と感じさせる。背後の広いガラス窓から景色を見ると、そのガラスが館外で円筒状になっている。直径五mほどのその円筒は、砂漠のように、美しい砂が敷き詰められていた。その砂の中に点在する巨魚の骨の化石や吸盤を伴う触手を模した石のオブジェ。「君がいたとき」という作品。窓正面に置かれた一つの椅子に座って眺める。ガラスは側面を囲っているだけ、作品は屋外にあり、雨や風、陽の光を直接受けていた。少し、自分の時間の感覚が変化したように感じた。あくせくとした時の流れを忘れていられるような思いがしたのだ。次にいよいよ中央のホールの「砂暦」、世界最大の砂時計だ。さっきの一番大きいガラスのピラミッドが屋根になっており、周囲の壁面や机に様々な説明のパネルや映像、絵画作品やオブジェ、観賞の為の椅子が並んでいた。様々な大きさの砂時計が机に、また大きいものは床に、並んでいた。一二時間計砂時計は二Lのボトルほどの大きさだったが、次のような説明が書かれている。「上部を両手で包むと砂の落下が速くなり、下部を包むと止まる。」実際にやってみるとその通りになった。これは内部の気圧が外からの温度の変化で偏ることによって起こるのだという。砂時計が大きくなるほどこのような外部からの影響を受けやすくなるそうだ。隣には段々とサイズの大きくなっていく順で、いくつかの砂時計が並んでいた。自分の背丈ほどもあるものがやっと「一〇日計」。一日分の砂は二,七〇〇gほどだという。そしてホールの角にひときわ大きな砂時計。「砂暦」の実寸大のモデルだそうだ。直径一m、高さ五.二m。砂の自重で落ち切る角度や、硝子メーカーの腕に左右される因子、砂やガラスの物性に左右される因子など、明確な計算式によって設計されていることが説明されている。ここまで大きくなるとコンピューター制御で外気等の変化に対応した落下速度を維持しなければならないという。中央のくびれたノズル部分、「オリフィス」の穴の直径は〇.八四mm。江戸の硝子職人の手作りでも、一〇〇個のうち使えるものが二~三個。そこを一tもの砂が、丁度一年を掛けて流れ落ちてゆくという。
砂の種類についても記述があった。「鳴き砂」という天然の砂が、みかんを半分に切ったくらいの小鉢に入っており、擦り棒で勢いよく突き下ろすと「きゃっきゃっ」と、乾いた高音を出す。何だこれは。ホールに響き渡るほどの音も出た。初めて体験した。砂の粒子に特徴があるらしく、日本国内の一〇〇の浜で採取出来るそうだ。地元の浜で採れた鳴き砂を使おうと考えていたが、粒子が粗く、それだと一〇tもの砂を使うことになるという。そのためより粒の細かい山形県の砂が採用されたそうだ。この砂も、採ればすぐに使えるものではないという。ノズルを流れ続けるには、汚れや異物はもちろんのこと、微少な繊維の一本も入っていてはならないという。ふるいに掛けるにも、そのような繊維を分離できる網がない。作ったはいいが一tもふるいに掛けているうちに破れてしまう。たった一ヵ所破れただけで、最初からやり直さねばならない。汚れも洗い落とせば良いかと思いきや、洗い過ぎると摩擦係数が上がってしまい、流れなくなってしまう。比重を利用して風で分離する方法や、火によって異物を焼き落とす方法、その他にも様々な方法が考えられたという。
液晶画面で流れていた「砂暦」の製作過程にも見入る。入念な設計、砂の採取に一年、容器の製作にはドイツで半年、砂を入れるだけでも一週間。平成三年一月一日、地元住民の内、その年の年男年女一〇八名が綱を引いて回転させ、稼動を始めたという。
ここを訪れて初めて知る苦労があった。来る前には、「誰かが実現しているであろうアイデア」という程度の考えでしかなかった。しかし実現するには相当のパワーがいるということが分かる。そして「真の理解」は、手を掛けた者にしか得られないのだ。
ホールの外に掛けられたパネルには、この建物の設計をした建築家の言葉があった。正面に入り口がなく、ガラスのピラミッドや植木、林等が建物を取り巻いていたのは、この建築が風景に調和し、あの一年計砂時計の「砂暦」が、今も砂を流しているということを、街の中からでも目にし、思い馳せることができるようにということなのだという。ようやくあの正面のつくりに合点がいった。なるほど、単に商用として建てられたものではなかった。人の生命と切り離すことのできない時間を象徴する場所だったのだ。
その他にも様々な種類の砂時計や砂、オブジェ等があった。地下では「時間とは何か」というテーマの展示がなされていた。ジャック・マイヨールの潜水時間と同じ砂時計があった。その長さには目を剥いた。時間については述べたいことも多いが割愛する。一一時、砂の博物館を後に、車に戻った。来て分かったことが多かった。
昼食。一二時出発。同三〇分休憩、一三時出発。のどかな農地が続き、時々白い砂浜の海岸や水族館などの建物が見える。一五時買い出し。ひたすら西へゆくと山口県に入る。そこからもただひたすら海沿いを西へ。一八時半、ようやく山口県の北西部までたどり着く。角島大橋に差し掛かった。海に向かって長い橋が延びており、小島の横を通るとその奥で左にうねり、遠くの島に達している。海面からの高さは二〇mほどあるだろうか、見下ろしたその海の美しさに驚く。浜辺はもちろん、橋を一〇〇mほど進んだ辺りまで、透き通るライトブルーの浅瀬が続いていた。すぐにでも泳ぎに行きたいと思うほどだった。曇り空の下でもこの美しさならば、夏晴れの頃はさぞ美しいことだろう。橋のそばの東屋からその橋のある海の景色を眺めているうちに雨が降り出した。写真は夏に撮りに来いということだろうか。止むのを待ったが日も暮れ始めていたので、雨の中車に戻り、橋を渡って島を回った。道路こそ整っているが、雑草に埋もれんばかりである。西の端の灯台まで来たが、平日の雨の日ということもあって、人影はなかった。灯台付近の公園や土産物屋も閉鎖されていたので引き返し、東の端の公園へ。藪の中を抜けて一〇分ほどで着いた。一九時半。近くには牧場があり、景観がよい。駐車場からさきは草原、釣り場もあるようだ。そして海側に、一文字に横たわる水平線。雨雲とそれを映した白い海が混ざっている。雨の中、車の後ろのドアを開け放って夕食の調理。食べて片づけを済ませたら、蚊が入り来るのもいとわず、海を眺めて座っていた。そんなことをしていて眠くなったので、二一時には窓を閉めて眠っていたと思う。