六月九日(木)曇のち晴
六時に起きて直ぐ、また展望台に上る。曇っていて昨日とあまり変わらない景色ではあるが、雨上がりの霧が立ち込めていた。のんびりと本を読みながら朝食の支度をする。湯気の加減や音を聴きながら米を炊いていると、時計も火守りも無しに炊けるようになっていることに気づく。昔の人は、こんな風に知恵を蓄えていったのだろうと思う。繰り返し行うことはたやすくなる。
「ありのままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、想いなき者でもなく、想いを消滅した者でもない。ーーーこのように理解した者の形態は消滅する。」
この時読んでいた本の箇所の引用。二元論を超えるということ。願いがあれば迷いをももたらす。願うでもなく願わないでもなく、迷いがないのでもなく迷いがないということがなくなるのでもない。何度も読んでいる内容だったが、初めて理解した。そしてまたいずれ、初めて理解することになるだろう。繰り返し行うことはたやすくなる。
八時半、丘を登っていく小学生の列と擦れ違いながら、下ってすぐのところにある「秋芳洞エレベーター口」へ。係員に案内されて、一人乗り込む。地下八〇mまで音もなく下っている。少しの不安。扉が開くと暗くひやりとした大きな空間が、前方低くへと際限なく伸びているかのように見えた。なんなんだこれは。国内にこんな場所があったのか。
日本屈指の大鍾乳洞「秋芳洞」。総延長約九km、そのうちの一kmが観光向けのコースになっている。正面入り口から七〇〇m、黒谷入り口から三〇〇mの地点に降り立った。異空間に迷い込んだような気分になって、必死に周囲を観察した。足下はコンクリートで歩道として整備されているが、その他は手付かずの岩肌。少ない照明に照らされている岩肌は、全体が水分をまとっている。前方南に向かって低く空間が広がっており、左手には崖、その下に池。右側は少し上りの道。エレベーター乗り口の温度計は一七℃を指しており、室内プールのような湿気を感じる。
先ず右手の方へ進んでいく。縦に横に、無作為とはこのことだろう、屈んで進むような岩の隙間もあれば、見上げても先まで光の届かないような吹き抜けもある。水滴の滴る箇所や、滝のように流れるところ、水の落ちる音だけが聞こえるところなどを過ぎていく。「巌窟王」と書かれた看板、そして見上げるほどの高さのある石筍(せきじゅん)、鍾乳石の下に伸びる岩。きのこ雲か入道雲のように、いびつな凹凸を天に伸ばしている。ボタンの付いたパネルがあったので恐る恐る押してみると、スピーカーから大音量の説明が流れ出した。「鍾乳洞にある特徴的な石のつららと、その真下にできる石筍は、地表に降った雨の水が染み込んで伝ってくる間に、石灰成分などのミネラルを含んだものが、長い時間を掛けて積み重なったものである。二cm成長するまでに、およそ五〇〇年掛かるといわれている。目の前にあるこの「巌窟王」は、高さおよそ一〇m。一〇万年以上もの年月が掛かって出来たものと考えられる。」目の前に一〇万年があった。製作期間一〇万年、未だ未完。デザインフェスタで「三〇〇〇時間」掛かったという絵を見たが何倍だろうか。想像が追いつかない。突然背後を係員が通り過ぎて行った。誰の気配もなかったので驚いた。
その先や手前にも様々な形の鍾乳石があった。くらげの大群が滝を登っているかのような壁面や、高さ三mほどの富士山そっくりな岩、千枚田そっくりな扇状の階段、黄金の川が流れているかのような柱、聖母マリアを思わせるような人型の岩、ガラスの粒を散りばめたような細かい光を放つ岩など。折り返して川づたいに正面入り口から外に出てみた。振り返ってみると、崖下の裂け目から歩道が伸び、その下を青い川が流れている。周囲は木々に覆われている。洞内よりも蒸し暑い。
エレベーターまで戻り、地上に出る。人工のトンネルや地下道とは違う、冒険心を掻き立てるような驚きと不思議さがあった。
一〇時半出発。ダムの上で休憩。田舎の山道を抜けて広島県に入り、市街地に近づく。だんだんと交通量が増していき、正午過ぎには渋滞になった。事故渋滞。警察、消防、救急が丁度駆けつけたところで、交通規制が始まった箇所を迂回して進んだ。大きなトラック同士が正面からぶつかり、運転席の助手席側がつぶれている。後ろを走っていたタクシーも一台玉突きに巻き込まれていた。無事を祈るばかりだ。
一三時半、霞掛かった瀬戸内海沿いを経て宮島口駅に到着。昼食をとって、カメラを二台携え、宮島行きのフェリー乗り場へと歩く。辺りを見ると、小高い山が連なっている。陽射しが出て、瀬戸内海の向こうに浮かぶ入道雲が見えた。夏だ。JRのフェリー乗り場で切符を買い、乗り場へ行くと、一〇分ほどで船が来た。待ち時間も気にならないくらいの本数が、平日でもあるようだ。船の先端、へさきのゲートが港に倒れ掛かるように開かれた。そこを歩いて乗り込んでいく。階段を上がったデッキに出て、進行方向右側で待つ。陽光に輝く内湾、汐風の通る船の上。爽やかだ。
一〇分、宮島が近づいてくると、厳島神社の水上の大鳥居が見えた。接岸前には船が大きく左に曲がる。右側のデッキから鳥居がよく見えた。船を下りて屋根づたいに改札へ。係員に切符を渡して建物を出ると、たくさんの鹿達。ずいぶんとゆったりした姿の出迎えだ。正面に厳島神社周辺の、町並みの模型があった。一目見て、海岸沿いに神社を目指す。小さな貝殻を拾いつつ。それにしても至る所に鹿の姿。野生なら一〇〇mの距離でも一目散に逃げ出していくのだが、どうも育ちが違うようだ。陸上の鳥居をくぐると水上の大鳥居が間近に迫ってくる。潮が引いて、大鳥居の根本の周囲に海水が残る程度になり、社殿よりの浅瀬では水たまりを避けて歩くことが出来るくらいになっていた。
瀬に降りて正面から撮る。碧の屋根瓦付きの梁は高さ一六m、いびつな主柱の根回りは一〇m、その両脚には前後方向に併せて四本の支えの柱。朱。荘厳である。多くの観光客が瀬に降りたり、土手上から写真を撮ったりしていた。一人、水際で立ち尽くす白人男性、鳥居を撮ったり撮らなかったり、しかし一向にその場を離れる気配がない。何を待っているのかと訝しい。
厳島神社を参拝。縦横に端然と並ぶ床板や柱、屋根板。客神社本殿を過ぎ廊下を渡ってゆく。中央高舞台前、海に突き出した火焼前から、厳島神社本殿を臨む。荘厳である。潮の差すころは一層の景観だろうと思った。本殿で無事の御礼。西側出口へ。
大鳥居に戻ると潮が引き切っており、歩いてくぐることが出来る様になっていた。これを待っていたのか。西の空に差し掛かった太陽を背景に写真を撮っていると、小学生の波が。写真は切り上げて、水上大鳥居を歩いてくぐる。原木の太い柱に触れてみると、何とはなしにパワーを感じた。水たまりを避けながら参道に上がって、海岸の景色を撮っていると、高校生三人組に、「いい感じの写真を」とカメラを渡される。適当に連写してカメラを渡して立ち去ると、「え!?めっちゃうまい!あの人めっちゃうまい!」と八回ほど聞こえてきた。聞き耳を立てながら、しずしずとフェリー乗り場へ。日本三大名勝を回り終えた。全てこの旅の中で回ったことになる。
船に乗り合わせたスーツ姿の女性二人。一人に見覚えが。この旅の前に将来を約束した婚約相手だったか、厳島神社の巫女さんだったかのどちらかだと思うのだが。本殿にレンズを向けたとき、邪魔にならないようにと立ち止まって下さった人だったかもしれない。超広角レンズだったので先へ進んでもらったら頭を下げてくださったのだったかもしれない。帰り支度の直前だったのかもしれない。夜毎寂しさに枕を濡らしているかもしれない。いないかもしれない。いない。
さて買い出しである。今日はよく撮り歩いた。更なる力量の向上に向けて、和菓子を牛乳で流し込む訓練を追加。洋菓子の訓練も追加。りんごも追加。その他食材を補充し、廿日市市街へ移動。コーヒー屋で閉店まで二時間、写真の整理をした。その後は、海辺の緑地に移動し、車を止めた。桟橋が八つほどもあり、漁船やヨットが並んでいる。波に揺れて軋む音が聞こえてくる。先の訓練の疲労が腹に残っていたので、夜の海辺を散歩した。スケートボードの練習をする若者、座り込みデモか単なる無駄話かの若者の車座。そして大きな橋の梺、防波堤の途切れたところから小さな橋が伸びている。
バレーコートほどの浮島で釣り竿を振るう老人。話しかけてみた。メバルを釣りよる件、難しい件、仕掛けをいろいろ付けて、後は潮の調子次第じゃ件、わからんわな、しかし時間掛けたらまあ誰にでもどうにかなる件、粘りであるという件。釣りももう二五年は続けているという。丁度話の最中に一〇数cmほどのメバルが釣れた。これは面白いだろう。スチレンの箱には一〇匹近くのメバル、中には二〇cmほどのものもあった。どのように食べるのかと聞いてみると、食べたことはないという。御近所に配って回ると喜ばれるらしい。釣り人にはそんな人も多いとか。北海道産のものなどがよく店に並んでいるが、値も張る上、冷凍されたものだから、貰ったものは格別だという。「どんなメバルがうまいんか訊いてみたらな、そりゃもう大きいのでも小さいのでも、タダで貰って喰うメバルが一番じゃゆうてな」夜の海辺で二人大笑い。いい思い出になったところで別れて車に戻った。