六月一三日(月)曇のち晴
一〇時に起きた。惰眠だ、時間がもったいない。朝食にナッツ類を摂る。美味しい。一〇時半に出発、倉敷美観地区へ、カメラ片手に散策に出た。騒々しい一般道から路地に入り、数分、煉瓦造りや木造の建物の間を通り抜けると、白壁に黒縁のなまこ模様(ひし形の敷き詰め模様)をした、蔵造りの街並みに出た。壮観だ。暖簾の脇に格子、上に瓦屋根、奥に土間、そして軒先に鉢植えの紫陽花などが置かれている店も多い。そんな古くからの建物が、残っているだけでなく今尚現役で商売をしていた。酒屋、服屋、雑貨屋、文具屋、宿屋、茶屋、陶器店などが軒を連ねている。畳屋の前を通ると、爽やかな藺草の香りに足が釘付けになった。故郷の島が、手に取るように思い起こされる。通りを北に進み、突き当たりを右へ。同じ様式の建物が並び、開店の支度に掛かる店の人の姿もあった。西へ引き返すとだんだんと観光客も増え、列の出来る店もあって何であろうかと見てみると「たまごかけご飯」の店だった。いや、他の料理が売りの店だったかもしれないが、お客の列の合間に見えた立て看板に「たまごかけご飯お替わり自由」の文字を見つけて目を輝かせた為、他のメニューについては知らない。そしてがまん。
路地を南に抜けると広い通りに出る。柳並木の間に川。木舟が浮かんでいるのが何とも古風である。石の反り橋を渡ると、蔦で壁中が埋め尽くされたような喫茶店や美術館があった。力車に揺られて古い建物について説明を受ける人や、ガイドに導かれて観光する人の姿もある。道ばたに井戸が保管されていた。柵の横の説明を見ると、「この地区は空襲を免れて、明治期の街並みを今に伝えることが出来た」とある。それを見てふと改めて思った。今まで見てきた風景の総てが、ほんの半世紀前、焼き払われるか否かの剣ヶ峰に立ったのか。もちろん新たに出来上がったものや、自然に回復したものもあるだろうが。同じく生き死にの瀬戸際に立った人もあったのだろう。
川沿いを歩いていくと、きびだんごが売られている。本場だ。食わせた相手がお供になるというなら買うのだが、ならない。小道を東に抜けると、藩家跡、その先に赤煉瓦の紡績工場の建物がある。こちらも壁一面蔦に覆われている。古い紡績機械などが置かれており、ござや藺草の編み物製品がその工場内で売られていた。
一三時、車に戻って出発。岡山市や兵庫を素通りし五時間。途中水田の真ん中で休憩していると、真っ青な空に次々に入れ替わる大きな入道雲や巻き雲など、空と早苗の水田の風景が美しかった。大阪の四条畷に到着。一度来た所だ。夕食。本屋へ行くと、睡眠時間に関する本が一冊目に入った。なにやら三時間睡眠でも弊害はないという。昼寝など様々条件はあるらしいが。
ナッツ類とドライフルーツ、挽き立てコーヒーを買い込んで写真の整理を済ませ、二二時に移動。散歩と読書。二四時に眠る。