六月二六日(日)曇
七時半、コートを着込んで散策。先ずは本土最北端の地に立つ。円い台座に三角形の斜辺を成す二本の柱。その中に「N」の文字を象った像。「本土最北端の地」の文字。吹きすさぶ強風が冷たいが、僅かの感慨に浸る。思い起こすのは本土最南端の佐田岬。長かったと思う。随分と気温にも差があった。そしてこの寒気のする夏の岬が、カナダのモントリオールと同緯度と書かれているのを見て少々気落ち。後述。海を撮り、隣に立つ像をみると「間宮林蔵」の文字。和装に測量の道具だろうか、鎖の付いた板木を片手に、北の海遠くを見つめている。伊能忠敬に仕えた後、蝦夷の地の測量、探索で偉業を成した。樺太島が半島ではなく海峡を挟んだ島であったことを発見したのは、この人物が初めてだったという。名を知る人物の生きたほんの数百年前の時代にも、まだ地図が存在しないような未開の土地があったということだ。想像力を掻き立てるような事実だった。ここから西に三kmほどいったところに、出向の地があるらしい。
帆立貝に区切られた花壇を通って行く。南側は高台になっていた。上っていく途中に見た自販機の飲み物がすべて冷たいものだったが、需要はあるのか。上りきったところには旧海軍の望楼があり、明治時代の佇まいのまま保存されている。アメリカ軍との戦闘で亡くなった兵や漁民の慰霊碑も隣に。振り返って丘の方に目を遣ると、様々な記念碑が並んでいる奥に、広い草原。一番高いところに風車小屋。目立つのは巨大な折り鶴のような塔、「祈りの塔」。アメリカ発の航空機が、ロシア領に不当に進入した為撃ち落とされたというもの。事故というより、国際情勢等が絡んだものと想われるが、何にせよ多くの邦人やその他の旅客が犠牲となった。真相はまだ分からない。その慰霊の碑である。裏手に回ってみると、鶴の背筋を伝うようにハンドルの綱が下がっており、引いてみると上部の鐘が鳴った。明朗な響きだった。その他にも「平和の鐘」や「あけぼの像」、GPSの鉄塔や、学校跡地の記念碑、壁際にホタテ貝の大量に積まれた小屋などがあった。駐車場を見下ろすと、土産物屋に観光客が集まっている。観光バスが、自分の車の後ろに並んで二台止まっていた。昨夜から、三台分のバス用の駐車場所に止まっていたようだ。九時になる前にそそくさと出発。
三〇分ほどで稚内駅に到着。本土最北端の街、どんなものかと想っていたが、大きな漁船の並ぶ港や、それに面した物産展などの観光商店、立派な駅の建物、周囲にはホテルや住宅、スーパーマーケットなども並んでおり、人の往来も考えていたより多い。駅前の道の駅に止めて、朝食を作った。
一一時、稚内駅を見て回る。建物の外にまで延びている線路があり、車両止めの黄色い金具が目立っていた。日本最北端の線路と書かれていた。さらにそこから、いま歩いてきた歩道に向かって、線路と同じ幅で延びている色違いのタイル。かつてもう少し先まで線路があり、港に続いていたという。駅の建物に入ると、現時点での日本最北端の線路の末端に、その旨の看板が掛けられていた。ここから鹿児島県の最南端、指宿駅を過ぎて枕崎駅との途中にある西大山駅まで、線路が繋がっているということだった。壮大な距離だ。だが電車なら随分楽そうだな。
吹き抜けの広間に展示パネルが並んでおり、斉藤マサヨシという写真家の作品が展示されていた。「サハリン(樺太)国境紀行写真展」という題。ロシア領となったサハリンに遺された、かつての日本人の暮らしや遺跡を辿る。国境標石に始まり、神社や地蔵、建築、漁港など二七点。稚内の海辺からでも、晴れれば見ることの出来る距離だということ、数十年前まで日本人が暮らしていた土地であるということを想うと、臨場感があった。一三時半、併設のカフェで食事をし、記録を二時間。飽きたところでコンビニの雑な食品を買い漁り、駅の二階にあった机やソファーの並んだスペースで記録を四時間。映画館の受付が目の前にあって予告の映像が煩わしいが、菓子を手元に抜群の集中力を発揮した。
外はもう暗くなっていた。最北端の街で、殆どどこででも出来るようなことに時間を費やす。どこででも生きていけるのではないかという、人の暮らしの範囲の広さを想う。二〇時、真っ暗になった稚内を出発した。広い道路がずっと真っ直ぐ続いている。建物も疎らな見慣れない町並み。そんな中で英語のラジオを流していると、米国を旅した時のことを思い出した。
ばかげた広さの土地に、テキトーに道路を敷いて、その末端からはまたテキトーな放射状にそれぞれの家へと歩道が延びる。区画も敷地もあったものではない。道路は長大、何時間も走ってようやく街に辿り着く。それくらい広大な土地が日本にもあった。
これまでの都市近郊での生活を振り返る。歩いてすぐのところで、食料から書籍から、衣類、雑貨、娯楽、交通機関など様々なものが手に入る。地面はアスファルトで埋め尽くされるか、切り分けられて高値で売り買いされ、それがまた刺激と反応の拠点になる。長時間の労働に寿命を費やす。景気や株価や金額といった数字に 一喜一憂する。
何というか、人工的だ。あれだけ大勢人が集まって働き食事し住まい、夜通し明かりが消えることなく、車が何万台と走り続けている街。それでもなお経済成長、経済効果などと聞く。この国土は経済のためにあるのだろうか。つましくも幸福に生きる為にあるのだろうか。別段意味など要らないのだろうか。英国のEU脱退に関するレポートが流れてくる。真っ当な話ではないだろうか。関税自主権を棄て、自国の通貨の発行の権限も放棄させられて、世界中の隅々まで資源と市場を求めて土地を蹂躙し尽くすグローバリゼーションの波に乗ろうという方が賢いのだろうか。国際化は人権擁護や格差是正の為にあるのだろうか。むしろその逆であろうか。いまこの国も全く同じ問題に直面していないか。TPPだの何だの、聞こえの良い誰かの都合でもたらされるのは、労働者の蹂躙か、それとも公正さと平等か。格差はいよいよ溝深く、国民は国家の犠牲となるか、それーーーーヘッドライトを消してみた。背筋のひやりとするような暗闇、見上げると無数の星。慌てて車を止め、外に出る。右も左も分からなくなるような暗黒の空間の中で、とてつもない数の星々が音もなく輝く。「ついに空に穴が開いた!」と怖くなるほどの星の数で、天の川が薄雲と見紛う程白く克明であった。どこか車通りのない暗い場所で撮ろう。地図を見ると丁度近くに「初山別天文台」があった。行ってみると、外灯がちらほらと目立つ。これでは駄目だ。少し焦りながら、内陸側へ当てずっぽうに車を走らせる。外灯の無いところ、車の少ないところ。
農道に入り、丘の下りの坂道を行くと、山並みの間から天の川を眺める、見通しの良い橋に差し掛かった。ここにしよう。道路脇、斜面に寄せて車を止める。準備はカメラ、バッテリー、三脚、ランタンに上着、余っていたバターのかりんとうも持っていこう。急いで荷物を担いで橋の手すりに歩いていく。車のヘッドライトを消したその場所は、もう果てしなく広がる闇の空間だった。自分の足下どころか足すらどこに出しているのか分からず、坂道を下ると水平感覚すら失いかけてふらつく。余りの静けさに耳が痛むような、陰性の音を聞いた。そして恐ろしいくらいに星の輝く夜空。星座も読めないほど。そして流星。
橋の縁に三脚を広げてカメラを据え、設定を整えてからシャッターを押す。焦点を整えてもう一度。色を確認してもう一度。構図を変えてもう一度。感光量を変えてもう一度。被写界深度を整えてもう一度。露光時間を変えてもう一度。それらの組み合わせを変えてもう一度最初からもう一度もう一度もう一度。遠くの茂みから狐か何かの叫ぶ声がし、近くでは猫の声が聞こえ、橋に上ってきた一匹が集会行為を始めたので、うるさい、どたばたと追い払う。
果てしなく続く撮影と集会行為の規制。レンズに夜露が降りて曇ってしまったので、車に戻ってエンジンをかけ、暖房の風に当てて温める。露が取れたところで再び撮影。朝になるまで続くかと思われたが、数時間経って目が慣れたのか、足下が見えるようになった。写真に写る山際も、明るくなっている。どうしたことかと思ってふらりと歩いて見ると、山の向こうに巨大な半月が昇って来ていた。
その異様な明るさに驚く。宇宙船でも現れたのかと怖くなるような不気味な光景。大気の揺らぎに星が瞬くように、その月も僅かにぼやけたような湯立ったような、ぐらぐらとよだつ光を放っていた。怖くなって、写真に撮りもしないで車に引っ込んだ。