六月二九日(水)快晴
七時半に起きる。朝食の調理などをしていると、犬を連れた夫婦や、旅の途中の人々、バイクのライダー、自転車乗りなど、様々な人が行き交い賑やかになっていった。まだ道の駅の施設は開いていなかったが、併設の花の即売所に足を運ぶ人が多かったように思う。野菜炒めと玄米の朝食を済ませ、九時に出発。土産でも買って帰ろう。新千歳空港に立ち寄る。相変わらず、多くの旅客で賑わっている空港だ。旅行を前にわくわくする人々や、その名残に最後の時を楽しもうと土産を選ぶ人々。その人垣の狭間に「黒い恋人」なるものを発見、あの報せをくれた旧友にと即購入である。沖縄で「赤の他人」を発見した時以来の歓喜。これはうそ。
一時間で切り上げて南下、苫小牧の市街にて記録を四時間ほど。その後、船旅の弁当にと、おにぎりだのサンドイッチだのを作ってからフェリーターミナルへ向かった。港への道すがら、空き地に広く咲いているたくさんの花を見かける。芝桜をもっと小振りにしたような桃色の花だった。乗船手続きの後に撮りに行こう。
一七時、ターミナルの施設の前に車を止め、受付へ。仙台や新潟など様々な航路ごとに会社や受け付けが違っている。半地下の「大洗行き」航路の受付へ行き車検証を見せ、乗船券と行き先表示の黄色の紙、港内の簡単な地図を受け取った。「一七時一五分頃に、乗船開始の案内放送が入ると思いますので、お車で施設の裏手に回っていただいて、お待ちください。」とのこと。あと一〇分。何とか行けるだろう。車のフロントガラスに受け取った書類を放って、来た道を戻ろうとハンドルを切ったところで何と「大洗行きフェリー乗船開始」のアナウンス。無視だ。急ぎ花の咲く空き地に車を付けて、写真を撮った。「考えて撮っている暇もない」とファインダーを覗きもせずにばしゃばしゃとシャッターを切る。納得がいくはずもなく、いつも通りに数枚だけ撮って、車で港に戻った。
大型のトラックなどからの乗船で、乗用車は後の乗り込みになる。まだ駐車場所で多くの車がエンジンを止めて待っているくらいだった。その列の一つに並んで、エンジンを止めて、船に持ち込む荷物の支度をする。カメラ、パソコン、日記や手帳、洗面用具、服、さっき用意した弁当に水、おやつは一人六〇〇円まで。バナナ別。かごに一纏めにして助手席に置いておく。二〇分ほどしてようやく乗用車の列が一列に案内され始める。係員に乗船券を渡し、その列に続く。隣には全長二〇〇mを超えようかという巨大なフェリーが停泊している。仙台行きだ。列の先に待ち受ける大洗行きも一九六mの巨船、霧の中に浮かんでは船尾のゲートを大きく開き、車を次々に吸い込んでいく。いよいよスロープを上がって船内に入ると、なんと船内に立体駐車場、二階甲板に上がる為のスロープまである巨大ぶりであった。案内された場所に車を止めて、荷物を持って客室に上がる。カーペット敷きのエントランスを過ぎて階段を上がり、乗船券に示された部屋へ。広間の角に荷物を置いて一息。一八時半、ゆっくりと船が動き出し、出航した。それまでに随分時間が経ったように感じた。
いよいよ旅が終わる。明日の今頃は家だ。感慨に浸りたいところではあるが、ひと心地着いてしまう前に済ませたいことがある。まずは写真の整理を済ませて、夕食。旅の間、何度食べたのだろうか、サンドイッチ。食事の後は部屋を出、展望レストラン横の窓辺の席で記録をした。
二一時、レストランの片づけも終わった頃、一時中断。展望浴場へ。街中の銭湯と変わらないくらいの広さだ。サウナまである。人の疎らな浴槽で頭まで浸かると、乗っている船のボイラーかタービンかエンジンか、そのとてつもない轟音が頭蓋を満たした。脊髄も胸腔も腹腔も、びりびりと痺れるような心地よさ。身体を包む温かい液体が船の大きな揺れに併せて傾くと、まるで胎児に還ったような安らぎを得る。洗い場の椅子で、これ見よがしに背中を晒す「全身お絵かき」の若い者が執拗にこちらの視線を確かめてくるが、一瞥もくれずに胎児。呼吸を忘れるほど。
二二時、再び記録。一度船外に出てみたが、あまりの恐ろしさに一〇秒と保たず引き返した。二三時、消灯時刻を過ぎた部屋に戻って寝具に身を横たえる。端末の電波は、太平洋沿いの各県各地との距離等によって、繋がったり圏外になったりしていた。