六月三〇日(木)晴
最後の朝。窓からの光を見て、慌ただしくもカメラを持って船外へ。四時の太平洋上は既に明るかった。西側に連なる海岸線は、どことなく見覚えがある。岩手県のリアス海岸であろうか。ちょうどその手前を、大洗発の姉妹船の大きな船が、左から右へ凄い速さで通っていく。柵際に立ち足に力を入れて、紫の海と空と霞の中を擦れ違ってゆく遠くの船を写真の左端に捉える。ぶれていないだろうか、もう一枚と思っているともう向かいの船は右端に、そしてそのままフェードアウトした。船への注意が途切れてようやく気づいた、風と波と高所の恐ろしさに足がすくんだ。足元遙か下の海面が、見たこともない勢いで右へ右へ、飛ぶように過ぎ去る。凄い速さで地球が回っていってしまうかのようで恐ろしかった。
船の左舷の東縁に立つと、遠く船の左後方の雲掛かった海上が明るい。まもなく夜明けだ。濃い青の海、水平線から朱・白・紫の雲の層、高く晴れたところにすじ雲、南の海上には厚く黒いほどの雲が掛かっており、その左端高いところが朝の光に染まっていた。そしてその遙か上空には二六の月か、三日月形をした朝方の月が濃い空の青の中で輝いていた。柵に掛けられた救命の浮き具を入れて、それらの風景を撮る。まもなく朝日が昇った。壁際で冷たい風を避けながら、その景色を眺めた。
六時、もう一眠り。
七時半起床。朝食にはおにぎりと缶詰め。随分前に買ったような気がする。九州だったと思う。八時から大洗港着港の一四時まで六時間、昼食と休憩を取りながら記録を進めた。
港が見えてくるとかもめが窓の外で、船の周りを飛んでいた。荷物を整えて下船券を乗員に渡しておく。放送に従って車へ、周囲の車が捌けていくとエンジンを掛け、下りのスロープを走り降りて下船、その勢いのまま大洗港を後にした。一四時半。残るは家まで数時間の運転。気を抜かぬようにと慎重に進んだ。陸側を進むと広い田園が続いた。主要道に差し掛かると車の数が増え、のろのろとした足取りになった。
宇多田ヒカルが、色褪せないまま響いてくる。苦悩して書かれた曲など特に。奔放な曲もいいのだろうが、人の意識の複雑さを増してゆくような注意の結集した作品にはパワーが宿るものだ。
一七時。複数県を跨ぎ、ようやく地図の要らない見慣れた景色の中へ。安堵感が沸き上がってくるが、到着までとっておく。運転の疲れもだましだまし進み、残り数分の距離、給油を済ませ、「小銭の整理に」とコンビニで切手を購入して帰宅。一八時。家の駐車場に入り、エンジンを。
エンジンを、切った。
データ
・総日数…八三日
・総撮影枚数…一万七五五〇枚
・日記文字数…一九万文字超
推敲校正後…一八万七千文字超
・総走行距離…一万四三五七km
・燃料費総計…一〇万七五八四円
・コーヒー屋…三八回
・外食…七回(うどん六/そば一)
・乗船…五回(内フェリー三回)
次の旅の準備に取り掛かる。北米横断、移住、欧州一周。
二〇一六年 七月四日