五月九日(月)雨
八時に起き、朝食を作る。食後一一時まで旅の記録をし、再び買い出し、乳製品に活力を与えられた。
一二時、五十鈴公園に車を止め、雨の中を伊勢神宮、「お伊勢さん」へ。傘とカメラを一台。五十鈴川沿いを歩き、古風な橋を渡ると、石畳に木造瓦屋根の商店が軒を連ねる見事な和の街並みだった。橋の通りの角に赤福本店、多くの人が御茶の時間を過ごしている。優雅な和装の座敷から、また縁側から、雨の注ぐ五十鈴川を眺めながら、あの銘菓をいただく、さぞ心地よいだろう。その他にも様々な商店が並んでいる。竹細工の店、香の店、練り物の店、干物の店、薬屋、松坂牛を扱う店、煎餅屋、陶器の店、御茶屋、木造の看板に木枠の自動扉のファミリーマートは面白い。南に進むと「おかげ横町」という通りに出た。ここもまた、食事処や御茶処、土産物屋等が集まっていて、軒先の腰掛けで甘味や御茶などを喫する人々で賑わっていた。平日の雨の日でもなかなかの人出だった。
一画を流して本通りに戻り、伊勢神宮内宮へ。軒が途切れて川と木々の風景に変わり、大きな鳥居とそれに続く橋。宇治橋鳥居と宇治橋である。鳥居の右端をくぐり、雨の五十鈴川を渡った。霊場と街の境を成す、水と森の味わい深い景色だ。幅の広い参道砂利道、手水場、複数の鳥居を過ぎて森の奥へと進む。途中、川岸低くまで降りて、五十鈴川の流れに触れることもできた。いくつか殿を過ぎ、高床式の稲蔵や巨木の間を通って、石段を上がると、いよいよ内宮正宮正面。手前の門には白いヴェールが掛けられており、全貌は見られないが、それが高じてか、何とも神秘的な雰囲気が漂っている。銭を投げて、ここまでの旅の無事と、日々の糧に、礼を。
白木造りに茅葺き、金色の飾り金だけの質素な佇まい。前の式年遷宮、平成二五年に新たに建て替えられ、天照大神が奉られている。神社の神殿としては、実に真新しく感じられた。三年程しか経っていないということだ。式年遷宮とは、二〇年毎に、内宮、外宮の二つの正宮の正殿、一四の別宮の全ての社殿、鳥居、御垣、御饌殿(みけどの)などの計六五棟の殿舎のほか、装束・神宝、宇治橋なども造り替える遷宮をいう。六九〇年、持統天皇の時代から二〇一三年の第六二回式年遷宮まで、およそ一三〇〇年に渡って行われてきたという。この式年遷宮を行う意義には諸説あるようだ。塗装していない殿舎の老朽化の為、建築様式の伝承の為、神道の「常若」の精神によるもの等。自分が初めて式年遷宮を知ったのは、ある海外の心理学者の本でだった。その本によれば、「挑戦」や「課題」に挑み続けることで、精神性を維持し続けること、向上し続けることを目的としている。世界のどのような神殿も宗教も、芸術やその他の文化もそうであるが、当初の偉大な輝きは、年月と共に次第に衰えてゆくものである。反対に、安住を捨て、新たな課題に挑み続けることで、その精神を錬磨し続けることができるのだろう。毎度数百億円の莫大な資金と、八年の歳月を掛けて行われるこの遷宮によって、他に類を見ない信仰の厚さと技術の伝承、その精神性の継承が為されているといえるだろう。
参拝者休憩所では緑茶をもらった。一五時、境内を出、来た道を戻り、車に乗った。雨の中名古屋へ向かう。給油し、国道を進んでいく。愛知県に入るとかなりの渋滞で、予定の倍近い時間が掛かった。市内に差し掛かると高層ビルが多くなり始め、その中心部では東京都心と変わらない栄えようであった。東京タワーに形のよく似た白い塔や、ビルと横並びに建つ観覧車には驚いた。一九時半、街並みを一目眺めた後、夕食。二〇時半、さらに岡崎市に向かって走る。二二時、温泉を見つけて立ち寄ってから、とある神社の裏手で夜を明かした。