四月十二日(火)快晴
朝四時、かなり冷え込んでいた。寝袋のおかげで身体の芯まで冷えるようなことはなかったが、岩手県よりも遥かに寒いことがわかる。四時半、携帯がアラームを一度ならして、それっきり電池切れになった。四〇%は残量があったと思ったが、冷え込んでなくなってしまったか。うたた寝しつつ、ゆるゆると起き出して、冷えきったズボンを寝袋の中に引き込んで温めてから履く。くつした、ダウンのコート。三脚とカメラを持って外に出た。よく出られたと思う。風が無くて良かった。
もう空が青くなっていた。堤防に駆け上がると見事な海の風景だった。長大な水平線を、ホイップクリームでも撫で伸ばしたようになめらかに覆う雲。刻々と色を変える東の空。だんだんと虹色の層が出来始めて、みるみる色が変わっていく。雲の輪郭が朱に輝きだしてから間もなく、太陽が昇った。動いていないように見えるのに、あっという間に姿を現して雲の上へと上がっていった。わずか数分の特別な光。歓喜するカモメ、カラス、波音。
あまりの寒さに手の感覚がなくなりそうだった。痛みだけ残して。こんなに手が冷えるものなのかと驚いた。真冬の寒さを思うと恐ろしくなる。インドの修行僧も、寒さには音を上げるのではないかと妙なことを思う。撮り終えて朝食。温かいものを。
六時、記録を残して出発の支度。青森県の北へ向かう。むつ市だ。丁度太陽が堤防よりも高く昇ってきた。
当地のラジオを聞いていると、昨日の寒さは例年よりも厳しく、雪も季節はずれだったらしい。いつもこんなに寒いわけではないのか、と何とはなしに安心した。今夜のことというよりも、関東とそれほど大きなギャップがあるわけではない、ということに。しかし雪崩注意報の呼びかけが当然のように話題に出てくるあたり、まだ土地柄を掴み切れていない。雪が残っているのか?街では見かけなかったが、そういえば遠くの山はまだ白いままだ。市街を抜けて平地をゆくと、「ラムサール条約登録 仏沼」という看板があった。その看板のほか何もない。矢印の指す方には舗装されていない農道があるだけだった。何も珍しいものはない。そのまま突っ切る。よく見直しても何もない。少し疑問に感じた。何を指した看板だったのだろうか。「珍しいものどころか何もないが」と思ったとき、その何もない範囲の異様な広さに気づいて驚いた。急いで脇道に入って車を止め、カメラを持って見に行く。見渡す限りの葦の原。木が一本。小麦色に枯れた葦と澄んだ空だけが映る。とても静かだ。何もないというのはすごいことだな。看板の出ていたところまで歩いていき、あぜ道を通っていくと、駐車スペースと案内の看板があった。ラムサール条約とは、国際的に重要な湿地を保護し、希少鳥類、特に水鳥を保護するための条約なのだそうだ。この仏沼には、オオセッカ、コジュリン、シマクイナなど三七科、一六一種の鳥類が生息しているという。もともとは海跡湖で水田として干拓されていったが、いつしかオオセッカなどの鳥類の生息地となり、野鳥保護の意見が集まるようになったという。不思議な歴史だ。だいたいの「人類と自然」の歴史の真逆のような流れではないか。何もないかと思ったが、動物にとっては楽園のように映るのだろう。雀によく似た、やたらと小回りの利いた飛び方をする鳥が、葦から葦へ飛び回っていた。
あまりに広いので、車に戻ってそのあぜ道を横切り向こう岸まで走る。奥にいくとなんと野焼きの跡。もともと深さ四mもある沼だったので、排水と野焼きで水量を減らすことで管理されているらしい。案内板にあった小川原湖も一段と広いようだったのでついでに見に行く。野道を迷いながらたどり着くともはや海のような広さだった。漁の船がいくつか出ていた。
車通りが少なく、直線の道が続く。快適なスピードでとばしていく。九時半、休憩して眠気を覚ます。十時半出発。途中山道では、斜面から広大な裾野へと雪をかぶった静かな山の景色が見られた。真っ青な真一文字の海の景色もあった。むつ市を横目に過ぎ、北端の海岸線を行く。山を下って海が見えてくると、漁村の風景が続いた。南の故郷の島景色を思い出す。漁師小屋や網、漁船、岸、防波堤。でも冬の厳しさがなお漂っているのを感じた。
一三時、大間崎に着く。まぐろやうに、いかなどを扱う食事処には目もくれず、休憩の後に洗っておいた米を炊いて、昼食にした。外はものすごい風だ。車が揺れたり、風音が鳴り響いていたり。味はまあまあだ。気の乗らないのが味に反映されている。寒そうだ。写真の整理を済ませ、一五時、意を決して撮り歩く。二重のフードにネックウォーマー。風強し、むき出しの指がみるみる冷えてゆく。本当に笑ってしまうほど強い風だ、いつもこんなに強いのだろうか!本州最北端の地へ。モニュメントや案内の看板、レストハウス、土産物屋、港。浅瀬にはカモメが寒そうに、みな風の来る方を向いてじっとしていた。太陽は雲に隠れていたが形は見えた。沖に小さな島、灯台と社がある。そしてその向こうに北海道の地が見えた。それにしても風が強いな。飛び立ったカモメも、宙で風を受け流すだけで進んでいかないようだった。何枚か写真を撮ったが指がもたない。車に戻って、暖房をかけた。
海岸沿いを南下して行く。思っていたよりも家が多く、ひと気のある街だった。歯医者やスーパーもあった。最果ての過疎地帯と思っていたが、そうでもなかった。想像するのもいいものだが、やはり実際に訪れてみて、気に入るとか、意外だとか、どんな意味が残ったとか、つまらなかったとか、そういうことを確かめてみるのがいい。そうして大好きな場所を見つけたり、愛着を育んでゆくことが嬉しい。自分の好きな場所といえば、例えばこの旅の一日目に到着した場所や、三日目に到着した場所や、地元の駅前のコーヒー屋だとか、写真展のブースの中だとか、故郷の海や防波堤の一番先のところだとか、土気にあるとある美術館とか、霧多布岬とか、久高島の浜辺だとか、週末のマラソンをしていた川原の土手だったりする。旅が終わったら、心に残った場所を書き出そう。
巨大な風車が視界に入って来て、その一つがぐっと近づいて来た。通り沿いにあるようだ。海の景色とあわせて撮れないだろうか思って、西の海、陸奥湾をちらちらと見ながら進んでいくと、その通りの右手に風車が見えた。いい位置だ。しかし周りが木に囲まれていて、その向こうの海が隠れていた。進んでもその木々が開けてこないので、引き返して、車を止める。どうにか写せないかとうろついていると、芝生の先の断崖のすぐ下に、弧を描き波寄せる入り江が広がっていた。高い崖の両腕に抱かれた美しい浜辺だった。残念なのは、驚くほど大量の漂流物やゴミまで抱えていることだ。漁網、ブイ、プラスチック製品。自然に溶け込まない塩化物。
風車から少し遠いが、水平線とともに写した。羽根の回るタイミングを計りながら。
再び沿岸部を走っていると、崖に突き出した大きな岩場があった。鳥居が二重に建てられ、そこから一気に二〇mほども登る小道が見える。「願掛け岩」という名。崖下では蒼い波が崖の下部を削っていた。車を降りて鳥居をくぐるとその岩場を半周するような横道があった。それに沿って進むと、巨岩の向こうの海を眺めることができた。岩の質が特徴的だった。いくつもの札束を連ねたような、”解像度”の粗い地質。薄い煉瓦の細かい陰影が、印象的だ。なんだかレトロゲームの世界のようだった。
その後も、何度も何度も車を止めて、沈んでゆく太陽と海と雲の、万華鏡のように万化する風景を撮った。先を急ぐのがもどかしい。刻々と変化を見せる景色、その場でずっとみていたい。
一七時半、夕日の反映が始まる。曇り空の向こうの太陽が段々と光を収めていく。モネの絵が現実になったような光景だった。高所から見下ろす海面は、自由に漂う幾千万の鏡となり、水平線から眼下の浜辺にまで、夕日を極大に引き伸ばして照り返しているかのようだった。その海の広さに、足がすくむほどだった。朱に染まる空、染まらずに残る鈍い空色、銀色の海が朱色の光の大道を表す。カメラを向けず、心にとどめた。
一八時、仏ヶ浦へ。車を降り、砂利道を下ると見晴らしのいい東屋、そこからは木造の階段を下る。なかなかの勾配、浦に降り立つと多くの異様な巨岩、奇岩が立ち並ぶ。その中央に祠。人の力の及ばない、自然の造形美の言い様のない美しさ、不思議さだった。それも珍しいが、海にせり出した埠頭から、日の入りの薄紫の空と、夕凪の後の少し荒い波と、光り始める四日月にレンズを向ける。特別な色の光の時間だ。
数枚で撮るのを止めて、降りてきた階段の最後の数段のところに座って眼を閉じる。言葉でも写真でも、写し取れないものがあると思う。
どれだけその土地の名物料理が旨そうであっても我慢できるのは、いや、我慢というよりも心惹かれないのは、独りでする食事が侘びしいという理由もあるが、そんなことよりも、無上の縁で行き逢うこれらの風景の美しさが、こころを捉えて放さないから。どれも再現しえない、唯一かつ一回限りの光の配列、環境音、大気の対流、心情との調和。ほんの一瞬間、宇宙の塵あくたに等しい自分の眼に、渾々と注がれる風景。その単なる影でしかないとしても、写真に収め、人に伝えることには意味があると信じる。あと、だいたい何を食べても美味しい。
さて日が沈んだ。真っ暗になる前に汗ばむほどの勾配を駆けて車に戻る。そこからは一切外灯のない山道だった。目的地までまだ一〇〇km近くあった。夜の運転は差し控えたいのだが、街に出ておきたい気持ちが強かった。
途中疲れて休憩をとった。糖分を補給しておく。海岸沿いを走っているつもりが迷走、方向感覚を失って右左折を誤り、「冬季通行止め」の看板を二つ見逃して、行き着いたのは行き止まり。しかしこれがもし行き止まりでなかったら、余計に迷い込んでいたことだろう。四月二五日までの通行止め期間を一度悔やんだが、よく考えれば救われた。
地図をみているとバックミラーに青く光る玉。車にすり寄って消えた。恐山の霊場から、人魂をお一人お乗せしたようだ。その後背中が妙にぞわぞわした。進路を取り直して道を急ぎ、二一時半、むつ市街に出た。事故がなくてよかった。
買い出し。夕食を済ませ、荷物の整頓をし朝を待った。二二時半眠る。