六月一八日(土)晴
四時起き。ぼんやりとしながら出発。朝の空気が澄んでいて、窓を開けるとだいぶ涼しい。山の魅力の一つだ。鬼怒川沿いの清々しい景色の中、独走状態で進んでゆく。これは朝の魅力の一つだ。六時半、眠気が引かないので仮眠。まだ朝早いのだが仮眠。一五分のつもりが九〇分になっていた、という訓練。八時半、山間の道を進んでいく。福島県に入ると、山の麓に沿って水田の広がる緑豊かな風景が続いた。気分も和むところだ。一〇時、長い上りの坂道を上りきると、大きな湖が見えてきた。猪苗代湖。山の上で海を見ているかのようで少し不思議だ。巨大な白鳥の形をした船が、湖畔の駐車場を席巻するかのごとく停まっている。
写真を撮って一一時に昼食。
休憩後出発、一五時薬局でレーズンを買う。半出発、そこからは高速道路を進んだのだが、途端に事故渋滞に巻き込まれ、長いことのろのろと進んだ。管理車両が一台路肩を走っていった。ようやく通り過ぎた事故現場では、乗用車が一台壊れた状態で止まっていた。何かに衝突したらしいが、何にぶつかったかは分からなかった。路肩で若い男女が肩を寄せ合って泣いていた。怪我は無さそうだった。
一八時、前沢サービスエリアで休憩。夕日が山に差し掛かっている。一九時に出発。陽が落ちた後の、朱と蒼の混じる空を観ながら走った。
人生最後の夕焼けかもしれないと、ふと思った。この町に、世の中に、本当に人生最後のこの夕焼けを眺めている人がいるのかもしれない。自分にもいずれ訪れる日に似て。
実感が湧かない。これまで未来の自分の為を思ってあくせく働いたり、汗を流して運動をしたり、料理に手間を掛けたりなんだりしてきたが、自分が死ぬ日のことなど全く計算に入れないまま、漠然と末永く続くであろう未来を思ってのことだった。「今日人生最後の日を過ごしている人がいる」という想定が、人生の終わる日を思わせる。
語るべきことを語り終わって、書くべきことを書き終わって、会うべき人に会い終わり、助けるべき人は助け終え、執着も後悔もなく生き終えうるのか。それが今日であったとしても。
全くそんな準備は整っていないと感じる。また明日も同じように朝がくることを当然のように思っている。新しい週、新しい月、新しい年が来て、それが続いていくのだろうと。それも長くとも半世紀。一瞬の手違いがあれば、いつでも訪れる日かもしれない。一世紀も経てば、今生きている人々のほとんどがこの世を去っている。
未来の準備では足りないのかもしれない。未来がなくなることを計算に入れておかなくては。そしてそれを意識しながら、しかも明るく生きていくことだ。