六月二二日(金)晴、曇、雨
三時半起床。外はもう明るい。コート、カメラ。多少落ち着いた風の中、岬へ歩く。芝の上で朝日を待っていたかもめたちが一斉に飛び上がった。皆風の来る方を向いていた。東の空には海上低く雲が掛かっていて、朝日がくすぶっていた。奥の雲が朝の強い陽光に照らされて橙色に輝いていた。
五時出発。北の空は晴れて澄み、広い草原の向こうに日高山脈の山々、特に中央には豊似岳が美しい。遠いところは青く、高いところは雲を被って白く、西側まだ陽の当たらない山肌は黒く陰っている。そんな大平原を止まっては撮り、止まっては撮り。交通量も交差点も少ないから、撮りたいと思ったところで止まることが出来た。国道三三六号に入ると、波を被るほどの海際の道が続く。半分トンネルのような形をした覆道も数多い。山も真近に迫っていて、土砂崩れから道を守るものだ。防波堤の上に置かれた雲丹の殻を探しながら走る。かもめの食事の後だ。贅沢な食事だが、用意は大変だろう。漁村に入ると綺麗に砂利石のしかれた空き地が目立つ。そこには漁師の家庭の親子が、長い帯のような、10mもあろう昆布を真っ直ぐ敷いていくのだ。丁度時期なのか、朝早くから作業している家が多かった。乾燥させれば立派な特産品となる。この地から届いたものを、自分も口にしたことがあるのかもしれない。ひとつひとつ手作業で敷かれていた。
かつての自分の記憶の影と擦れ違いながら進んだ。九時。少し内陸に入った道の途中で休憩。仮眠の後朝食。野菜を茹でて、スープを作った。作り終えたところで丁度ストーブのガスが切れた。風を受けながら食事する。いい味だ。読書の後、一〇時半出発。坂を上下していると、小径の自転車に荷物を積んだ旅人が過ぎていった。曇り始めた森を抜けると、釧路市街へと続く広い平地の道路。交通量も多くなっていく。道の駅に止まって、道順を確かめた。釧路湿原に立ち寄る。複数ある展望台から、最も近いところを選んで進む。
一一時半、釧路湿原展望台に到着。駐車場には何台かの乗用車が止まっている。南遠くに釧路市街の景色が僅かに見える。小雨の降り出す空模様。レインウェア、傘とカメラを持って散策に出た。展望台の施設横から始まる散策路が、森の中を一周している。一時間程度の距離だそうだ。そのくらいなら、と歩きだしたところに「ヒグマが出現しています。一人での散策は避け、鈴やラジオ云々」との注意の貼り紙を見る。仲間も鈴もない。木々の間の下りの木道を、どたばたと大足音で進んでいった。熊に遭遇したら、傘やレジャーシート等を勢いよく開くと、驚いて逃げていくと聞いたことがある。鋭い聴覚や嗅覚に比べて、視覚は劣るらしい。傘の閉じ紐を開けておこう。熊笹の間に黒い岩など見つけると驚く。吐息を息吹いて進む。短い吊り橋をがしゃんがしゃんと騒々しく渡る。渡り終えると中間地点のようだ。ここからは上りの道。どたばたと足を鳴らすのもなかなか疲れるものだ。汗をかきながら上った先で行き着いたのは釧路湿原サテライト展望台。とてつもなく広大な湿原を、高台から眺める絶景だった。森の端、木々の開けたところにせり出す展望台からは、一〇km以上先、湿原の反対側の山裾まで見えるのではないかと思われるほどであった。暗い色の木のまとまりと、鮮やかな草の茂みが斑に模様をつくり、そこに草自体の濃淡と水脈の陰りが加わる。低くなだらかな遠くの山は青く、空一面の雲が厚みによって影や空の色を含んでいる。聞こえる音は、風に揺れる森と心臓の拍動のみ。
砂丘、夜景、海、カルデラ、草原。様々な風景を観てきたが、これほど広いと感じた場所はあっただろうか。自然のまま手を加えずに残されているということが、土地の豊かさ広大さを一層感じさせる。釧路湿原も、ラムサール条約に登録されているそうだ。その意義は、自然や野鳥を保護することや学術的なものだけでなく、施設や資源に頼らないレジャーの一環として私たちを癒すとともに、自然の豊かさに人々の目を開かせる役割もあるだろう。
曇の日でこれだけの景色だ、晴れの日はさぞ景色の良いことだろう。必ずまた来ようと思う。湿地に近い探勝路も整備されているようで、いまは災害の為に封鎖されているようなのだが、再び開通した折りには是非。
冷たい風が抜けていく。レンズを雨に濡らさぬよう写真を撮るが、納得のいく写真にはならない。すぐに諦めがつく。それにしてもこの日記で最も多く使われている言葉は「広大」だと思う。その次が「美味しい」だと思う。人生のテーマに使えそうな二つだが、どうだろう。
車に戻り市街地へ。数十分高速道を進んでようやく建物が増えてくる。車を止めて買い出しに。デパートではガス缶は見当たらなかった。(実は後で偶然見つけたのだが。)通りの向かいのリサイクルショップには置いてあったがやめておく。その隣のスポーツ用品店に複数種類あったので、一つ選んで購入。このたび最後の一本になるだろう。本当はこの三本目も必要ないかと思っていたが、炊飯にはガスを多用するようだ。「夏であれば耐冷用ではなくノーマルのものでOK」のポップを見てノーマルを選んだが、北の地に進むにつれて、耐冷用でも良かったかと思うのだった。後述する。
食料も調達。肉、野菜、発芽玄米、乳製品、漬け物。昼食兼夕食に、野菜のスープを作って食事した。その後記録と写真の整理を二時間。この先観たい風景と泊まりたい場所があったのだが、日の入りを過ぎたため、どちらか一方にせねばならなかった。もう少し早めに出発すべきだったかと思ったが、善後策を。宿泊希望の地は翌日の立ち寄りに切り替えて、両方の風景を観る。一九時出発。厚岸あやめが原へ。
海沿いの道を進むうちに周囲は暗くなり、雨も強くなっていった。それでもかつて自転車で旅した地は、強く印象に残っているものだ。車のあまりの苦労のなさに拍子抜けするほどだったが、「ここで休憩をしたが休まらなかったな」とか「ここで同業の旅人と擦れ違って手を振った」とか「ここで食事をした」「展望台に上った」などと次々浮かんでくる。手元の端末の示した道の間違いにも気づく。そしてその旅で最も印象的だった風景に近づいてゆく。赤く大きな橋を越え、住宅地を過ぎる。山の手へと続く道の途中を逸れて、真っ暗な空き地に入る。降りしきる雨。
かつてその空き地の向こうには、広大な盆地を埋め尽くすような無数の花が咲き乱れていた。真っ青な空に真っ向から挑むような鮮やかな黄色。その狭間で瑞々しい山肌の木々の緑が仲を取り持つ。偶然に行き着いた、名もない絶景だった。
今、暗闇の向こうでライトに照らされているのは、枯れ草と、緑の茂み。時期も時刻も違うから期待はしていなかった。今でもあの光景は、心に焼き付いているから充分なのだ。ただ、また見られるものなら見に来たいと思う。誰かを連れて。写真では伝わらないんだ。
雨の中、山の間の林道を行く。外灯などない。ライトを頼りに、そして記憶を辿って進んで行く。もうすぐ目的地「あやめヶ原」だ、と思った矢先、右の森から黒く蠢く何かが二体、車道に飛び出し横切って行った。熊の親子だ!左の森に入る直前から直後にかけての姿を、ヘッドライトが照らした。後は通り過ぎたから分からない。一六〇cmと七〇cm程だったかと思う。四つ足で通り過ぎたのだった。心臓が止まるような心持ちがした。息を潜めてやり過ごすための、本能的な反射なのだろう。もし自転車だったらと思うと背筋が冷たくなる。
南へと続く横道に入るともうすぐだ。二〇時半。暗い駐車場を一回り照らして木の葉の下に止まり、クラクションを何度か鳴らしてエンジンを切った。ここも出没し得る場所だ。外に出ることをやや躊躇う。人影はない。雨も続いている。明日の天気を調べると、午後から晴れる様子、しかし「濃霧」と「低温注意報」の文字もあった。「低温注意」というものを初めて見たが、どんな影響があることだろうか。寒そうだ。写真の整理、着替えと歯磨きを済ませて二三時に眠った。