六月二四日(金)曇のち晴
六時起床。霧が立ちこめている中散策へ。今朝の駐車場には乗用車とバイク二台が止まっていた。頂上の展望台まで少しの階段と緩やかな坂を上ると、牛の像が立っている。開拓の時代、畑作は冷害に悩まされて実りがなかったため酪農に転換し、今この開陽台から眺められる広大な土地の大部分で酪農が営まれ、大きな成果を上げていることなどについて書かれていた。その隣には鐘の記念碑。展望台は円柱形の立派な作りで、一階に土産物屋やレストラン、二階にはギャラリー、その上の屋上に展望デッキがあり、弧を描いた長いベンチが複数あった。星空の観賞にも、風景の展望にも良さそうだ。曇っているのが残念だが、二階のギャラリーで行われていた写真コンテストを覗くことが出来た。主に北海道内の風景を募集したものだったが、一枚だけ福島県の空港の写真があった。花や動物や山、鉄道や航空機等、二〇点程。グランプリの作品は、この開陽台に夜雪が降り積もってゆく中に、一つハート型の雪が写っているというものだった。偶然とは思えないタイミングで撮られたものだった。
駐車場に戻ると、若いライダーの男女が上っていく後に、登山の装いで老夫婦が歩いていく。話してみるとトレッキングでここまで登ってきたということだった。東京からいらしたそうだ。「いいわねえ、若いうちから旅しておいた方がいいわねえ」「定年してから気づきましたよ。もっと早くやっておけばよかったってね」「何とか食べていければいいんだから」「ぜひ今後に活かしてください」そんな励ましを頂いた。
朝食はぶどう。小粒の種無しを皮ごと食べる。八時半出発。中腹まで下りると心なしか晴れてきているように思われた。林の木々の隙間から見つけた広い土肌の耕地が、一面朝靄をくゆらせていてとても幻想的だった。その靄が流れていくのと同じ向きに薄い雲が幾重も流れていく。写真を撮っていると青空まで見えだした。遠くから響いてくる鐘の音に振り返ると、先ほどの鐘の記念碑が見通せた。
真っ直ぐな下りの坂を心地よく飛ばしていき、その勢いのまま広大な農地の中、爽やかな風を受けて走る。三〇分経った頃には、遠くに山を見渡すほど空は青く晴れ、薄雲が風の形を表すように空高くなびいて美しかった。二重螺旋の薄雲まであった!
森深くを北上していく。日の暖かさと風の涼しさが心地よいので休憩、昼寝。寝具を久しぶりの日差しに当てて干す。端末で現在地を確認すると、海沿いを行くつもりが風の向くまま内陸を進んでいた。引き返す気にはならなかったので、知床峠へは北側から回り込んで行くことにした。山道を抜けると農地に出る。知床の山々が東に近づいてきた。さらに陸地の北の端まで出て見ると、遮るもののない海の風景。東の空からの朝日に照らされて、深い青色をしている。太平洋側では見られない海の色だ。一隻の漁船を陸で追う。追い越したところで道路の脇に止め、カメラを持って歩道の柵から身を乗り出す。青い海に白波をたてるその船を含めて、美しい青の空と海を写真に収める。一艘二層。
トンネルや巨大な滝などを通り過ぎて進む。珍しく信号に差し掛かると、道の駅ウトロの大きな施設があった。知床世界遺産の資料館も連なっており、その奥には漁港、周辺には土産物屋などもあってその軒先では鮭の干物がぐるぐると回転させられていた。外国人観光客が二人、通りの反対側でヒッチハイクをしている。万一帰り道で拾ったときの為、言葉の予習をしながら森と海の狭間の坂道を上っていった。水面が広く見え始めると、青色が視界を埋める。
森の中でも上りの道が続き、知床自然センターを過ぎると上りの国道から海側へ逸れる、下りの県道もあった。後で行ってみよう。そのまま峠へ向かう。羅臼岳の山肌が目前に迫り、標高が高くなるにつれて動きの早い薄雲も一層足早に流れていく。空が近づく。北向きの斜面には雪が残っていた。途中、あまりの景色の良さに車を降りた。見下ろせば坂道がうねりながら海へ、見上げれば白く輝く雲の掛かった美しい羅臼岳。そして全土に広がる密度の高い森。これまで見て来たものとは違う、どこか清廉な印象を受けた。ようやく巡ってきた短い夏にやっと目を覚ましたような、清々しい緑色が広がっていた。程なく知床峠に到着。一一時半。
東の緑の斜面の、見下ろす向こうに海、そして国後島が真近に見える。北に羅臼岳の山頂、山肌は丈の低い木々、土の露わになったところ、高いところにかけては鮮やかな草原、青空との対比が見事だ。涼しい風が抜けていく。展望スペースを兼ねた歩道には、たくさんの超望遠レンズを備えたカメラが、三脚に据えられて東の斜面を向いていた。折りたたみの椅子も脇に並んでいる。「野鳥の会」だろう。学校に一人はいる、鳥少年・鳥少女の未来の姿。その他にも広い駐車場には多くの車やバイク、自転車が止まっていて、風景を眺める人や記念の写真を撮る人が多かった。観光バスが来ると余計に賑やかだ。車に戻って調理をしているとおば様達が「いいわねえ美味しそうねえ」と覗いていく。アイドルはつらいね。その背後でさりげなく携帯のビデオ撮影を始める若いメガネ、一瞥与えると何食わぬ顔で立ち去った。
急いで食事を済ませて一二時半に出発。食事は落ち着いて摂るのが良いと分かった。来る途中に通り過ぎた県道に入って知床五湖方面へ下りていく。谷を回り込んだ先の渓流沿いには、ユースホステルや小さな温泉宿がある。こんな山奥で泊まる物好きもいるものなのかと思った。そういえば我が家にもいた。自分もか。先へ進むと知床五湖フィールドハウスへ続く道から分かれた未舗装の砂利道があった。この先に、「カムイワッカの湯の滝」という天然の温泉の川があると聞いたのは、北海道への出発前。今通り過ぎてきたユースホステルで、かつて働いたという人の話。茂みで煩った漆かぶれが、仲間の採ってきてくれたというその源泉水の一塗りで治ったという。強酸性の湯が滝として流れており、沢を登っていくと熱い源泉が沸いている。「そこで初めて渓流釣りを初めた」というのだった。昔からことあるごとに一家で沢釣りに出かけていたが、それがこんな東の果てで始まったものとは知らなかった。自分の風景好きにも大いに影響した場所ということになる。
現在は湯温も下がり、落石の為湯の沸くところまでは登れないそうだ。新潟でのタイヤパンク以来、砂利道の走行にだいぶ抵抗があるので、ここで引き返す。国道に戻ってすぐ、知床自然センターに立ち寄った。年度始めに改装されたばかりだそうで、ワンフロアーの明るい木造の内装、入り口正面から右手にかけて様々な資料が展示されていた。子どもでも分かりやすい内容で、知床に生息する動物の前足の骨格標本を元にした生態の説明や、ヒグマの食糧や越冬の様子、子育て等についての展示、洞穴を実物大の模型で説明するものなど興味深かった。ちょうど小学生の集団が、施設の職員の小さな講演を聞いていた。反対側には土産物屋と軽食の食堂。施設の裏に回ると、「ウトロ崎灯台とフレペの滝」への散策路がある。往復四〇分。林の間を岬に向かって僅かに下って行き、木々の間を抜け出ると広い草原の丘の風景。鹿達が木陰で草を食んでいる。熊も頻出しているらしく、つい四日前にも付近で目撃されたことが施設の玄関の立て看板に書かれていた。まるでスターバックスの新製品でも紹介するような色使いにイラスト付き。余り緊張感がなかったのでここまで気軽なハイキング気分だったが、展望台に張られた熊の写真、しかも今立っているこの展望台から撮られたものを見ると、少し心配にはなる。
それはさておき、木製の展望台から観た風景の美しさ。高い崖の上に立つウトロ崎灯台が向かいに見える。入り江になったその高い崖の縁から、どうしたわけか水が染み出して流れ続けていた。大柄な滝のような流れではなく、か細い水の流れが幾つも崖下へ落ちていく。フレペの滝。ほろほろと水玉の落ちる様子から乙女の涙などとも言われるらしい。陸の方を見ても一切川も水の流れも見られないから不思議だった。山の雪解け水や雨水が地下を通って、この岬で染み出しているのだという。そして崖下深くの入り江の水は、驚くほど美しい青色をしていた。辿ってきた道を振り返ると、鮮やかな草原が向こうの知床の山並みの辺りまで見渡せる。広い空を飾るような巻き雲、風が爽やかだ。ふと海に目をやると、滝の手前まで遊覧船が寄せて来ていた。素晴らしい風景に行き合った。
車に戻り、海沿いの道を戻る。日が傾いて海が白く光り出していた。もう一つ、大きな滝を素通りして来ていたので、立ち寄っていく。道路沿いの崖下に沿って長い駐車場があり、多くの乗用車や観光バスが止まっていた。「オシンコシンの滝」。道路からでもその水飛沫が見えるほど迫力のある滝で、流れの近くの展望場所まで上がると、一面ミストシャワーで水を撒いたように濡れている。改めて見上げると大迫力。四階建て程もある急な斜面を、真っ白な水が隙間なく、いっぺんに二〇人は滝業させられるような幅の広さで轟々と流れている。これほど迫力のある滝は初めて見た。そして後回しにしたことが功を奏してか、西向きのこの滝に丁度西から日差しが射して、綺麗な虹が架かっていた。何か良いことがありそうだ!
ということで帰りに売店でソフトクリームを買い、車に戻った。美味しかった。オホーツク海沿いを、北西へ進んで行く。湖が、地図を見ても目立つ程大きく、多い。一つ目に立ち寄った「濤沸湖」には、湿原のように葦や菅が茂っており、湖畔には牧舎のような屋根付きの展望台と、そこに向かう長い木道があった。近づいてみて驚いたのだが、屋根一面に草花が生い茂っている。その屋根下をくぐって湖側の展望階段を上がる。曇りがちで太陽は隠れていた。湿地には似合いの空模様で、落ち着いたグレーの雲の下で静かに揺れる草葉が印象深い。
夕焼けが見られるかどうか分からないが、次の網走湖の東側のほとりで、朱に染まる湖の風景を撮ろうと思った。国道三九号線が、丁度湖畔をなぞるように南北に延びているので、その中央付近で撮影場所を探そうと、陸へと延びる横道に入った。これが何故か山道を進んでいく。海抜がぐんぐん上がっているのだが、このまま進んでいて湖畔に出られるのだろうかと疑い始めたとき、山の斜面の道路脇、木々の途切れたところから、遠く見下ろす網走湖の風景を認めた。二度折り返して近くの道路脇に止め、急いで機材を準備する。太陽の姿は見えない。しかし、雲の隙間から湖面とその向こうの山並みを照らすように青い光のヴェールが降り注いでいた。輝く湖、空をゆく雲、足下の斜面から湖まで遠く延びる草原。山のシルエットが背後の白い雲にくっきりと刻まれているが、麓は霧掛かって浮き上がっているかのようだ。はっきりとした光の線が、太陽を基点にして放射状に地を照らす。レンズを三種類使い回し青、白、黒の絶景を撮り続ける。図らずも素晴らしい景色に行き着いた。しかし、刻々と変わってゆく雲の配置や光の加減に気の休まる暇もない。数十枚立て続けにシャッターを切り、一度車に戻って通行の妨げにならない場所に止め直した。太陽が雲間から露わになると、ようやく一息ついて風景を眺める。日没の頃にもう一度、今度は水際で撮影しようと考えた。先に夕食を済ませておこう。
一八時、車で移動。ぐるぐると迷っているうちに「網走監獄」の建造物を保存した資料館に行き着いた。道には迷っても、生き方には決して迷わないようにしよう。真っ直ぐに生きていこう。この網走の空に誓って。さて再び元の高台の近辺に戻って、大きな網走湖を見下ろしながら調理を始めた。先ほどより少し東よりの場所だ。ここからも充分に美しい風景が見られる。その風景に向かって車のドアを開け放ち、米を炊き、野菜炒めを作る。虫達は外を飛び回るだけで、こちらには入ってこない。北国の夏の涼しい夕べの風が、優しく吹いてくる。紫色に染まっていく雲と湖と、その水面に立ち込める霞を眺めながら、最高の夕食の時間を過ごした。いつでも心配なく手に入る食料の、偉大な恵みに深く感謝をする。糧を与えられている限り、その者は生きていても良いのだと、教えられているのだと思う。真っ赤な夕焼けではないのだが、とても静かな場所で、薄紫色をだんだんと暗くしてゆく網走湖の風景を見ながら過ごした。ここで充分だった。
二〇時半、お湯屋へ。山を下りて一軒の旅館で車を止め、玄関へ。民宿のような、アットホームな宿屋だった。風呂は教室一つ分程の浴場。貸し切り状態。心地よい温かさだったが、三〇分で出る。二一時半、能取岬で夜を明かすことに決め、出発。草原の風景と、そこに辿り着くまでの真っ直ぐな道の風景が見物だそうだ。外灯も一切無い真っ暗な森の中の道を進み、草原に差し掛かってから数分。霧を照らしながら回る灯台の光が近づいてきて、だだっ広い駐車場に到着した。二二時半。誰もいないようだ。隅に車を止め、ただ灯台の光だけがぐるぐると回っている心細い暗闇の中で眠った。