9月 6日(火) アラスカ1日目
アラスカへ行くのである。人生の悲願を果たすときである。はやる気持ちを抑えに抑えて6時起床。余りの興奮に6時間しか眠れなかったが万全以上だ。荷物の確認、着替えを済ませ、ブーツは手にサンダル姿でいざアラスカへ。
チェックアウト後ロビーの奥で朝食を摂った。懐かしいワッフルメーカー。オイルスプレーを忘れたが生地を流して上蓋を閉じぐるりと回転、加熱が始まる。焼けたらフォークで皿に掬い上げホイップスプレー、苺ジャムとブルーベリージャム。温かい珈琲と一緒に。ベリーの入ったマーブルベーグルとクリームチーズ、牛乳も出た。余った林檎とシナモンロールは携えていく。
7時、空港行きのシャトルバス、「国内線のターミナルへ」と行き先を告げ荷物を預ける。5分で到着。荷を荷台から下ろしてくれたドライバーに心付け、アラスカ航空のカウンターでチェックイン。大きな荷物を預けて今度は保安検査を通る。世界最難関クラスの保安検査である!サンダルなのでいとも容易くすり抜ける。すり抜けることそよ風のごとし。
アラスカ北方フェアバンクス行き、やや西方への旅でもあり、時差行き先はマイナス1時間。7時35分搭乗、8時15分から3時間45分の飛行時間で現地到着は11時。多くの旅客がゲート前で待っている。彼らもまた、人生の悲願を果たしにアラスカへ向かうという訳であろう。うむ、誠に善き心懸け、開拓者精神である。
アラスカは米国最大の州、1867年にロシアから買収され1959年に49番目の州となった。その愛称は”the Last Frontier”、最後の辺境未開拓領域。人口は全50州中48位で人口密度が最も低い。州都ジュノー。
さて搭乗、ニヤリ窓際である。隣に父、同列通路側に乗り合わせたのはコンバットベテラン、退役軍人の白人熟年男性。我が国の脱軍国主義の一役を担い、民主的な統治・復興に御尽力戴いた方であろう。余りのベテラン振りにふるふると震えるその御手。せめてもの恩返しにと、御持ちのフォーンの機内モードの設定を御手伝いさせて戴いた。
「ああどうも。君、日本から来たのかい。昔下田と横須賀に行ったよ。お刺身は無理だったよ。給仕のガールに差し上げたよ。今朝のニュースは観たかい。」「はい、ちらりと」それに続いておそらくはアメリカンジョークを連発して下さっておいでのことと拝察したのだが、如何せんふるふると震えるその御声、否、一切はわたくしの不勉強につき誠に残念ながらほんの一点僅かばかりの理解が及ばず、大変有り難い御講話に与りながら甚だ、甚だ心苦しく慚愧に堪えない。
涙を隠して顔を背けて、遠く窓の外を見つめて反省。大いに反省しつつ地上、電波の届く内に行き先での交通手段を確認した後機内モード、時刻の設定も済ませておく。離陸直後は眼下にシアトル、いくつもの空港や港、定規で引いたような街並みや運河、列車に牽かれる多色のコンテナ、郊外には森が広がり遠くにレーニア山の雄姿。湖や入り江、内湾や離島が入り組んで、地形の複雑さはバンクーバー以上だった。氷河湖やフィヨルドなど氷の浸食で削られた地形で、天然の良港を持ち早くから発展したのだろう。ふと長崎の坂と雨と九十九島、大きな港の景色を思わせた。
その後の景色はホワイトホース行きと同様山地が続き、北へ行くほど緑の山には高いところから森林限界、雪が掛かり、雪深くなり、それから谷を押し出す氷河が現れる。鋭くそびえる真っ白な頂の数々、入り組む険しい岩肌の斜面、その他視界を占めるものは只、薄白い雲と無限遠の空の青。そうだ学生時代、同じこの上空を通り過ぎた。アトランタからの帰国便、その日も窓際、今同様にカメラを向けた。その頃は厳冬アラスカその真っ白真っ青の荒涼とした天地を珍しがって撮っていた程度に思う。いつか行こうと口では言ったものだが、本当に何の想像も当てもあったものではない。その淡い夢、忘れていた懐かしい光景、今からうつつにこの足で降り立つ。うつつに夢を抜かしに来た。それも二人分だ。御搭乗の諸姉諸兄一同、揃い揃って人生の悲願に立つ。すかさずベテラン「フェアバンクスには温泉があるよ。その熱を使った温室の植物園もあるよ。空港から50マイルくらいだよ。」そう、温泉である。悲願の温泉、温室植物園に立つのである。ない。
眼下の景色の一面に雲が掛かると機内サービス。プレッツェル、ジンジャークッキー、珈琲を頼むとスターバックスの珈琲豆、激アツ注意の但し書き。窓の外、高層雲が間近に流れ、中層がその下背景となって留まっている。綿雲・うね雲・すじ雲・薄雲、ちりばめたように水平線まで続いていた。
雲が晴れる。まるで土星の環を谷伝いに曲げ敷いたような滑らかな氷河。どれも見たことのないほど美しい流線の模様をもっている。白い表面の奥に、その氷の深みの薄青を見せながら、削り残され平行している岩肌色のラインが続く。まるで白黒白の3羽の鳥、白黒白黒白5羽でもいい、それらが一糸乱れぬ隊列で列び弧を描いて飛んだ軌跡。どれだけ下っても幅の比率はそのまま谷同士の合流場所から伸びている。末端には砕けた氷河の浮かぶ湖などもあった。
街に近づくと雪の晴れた低地には緑の深い広大な森、赤土交じる広大な丘、黄色に色づく広大な草地。空色を映す無数の湖水と湿地の入り江、幾重も澪引く鈍色の川が、その色とりどりの大地をうねり、流れ、穴を空けているかのように視界を彩る。水の色と植物の色と土の色に砂の色とが入り乱れ、更には雲間から射す陽光が陰影を加える。
その広大さにかろうじて見える真っ直ぐな道路が、人の暮らしのささやかさを思わせた。自分一人来ようが来るまいが、何の違いもなさそうだ。そういう全く抗い得ない、無辺の土地を行くのは侘しい。それでも何とか生き繋ぐとき、その一部分に含まれる。ような気がする。通った後で知る通行許可。実際それすら我関せずと、只その厳しさと恵み深さを湛えて待つ土地。
航空機が雲より低く高度を下げた。窓の外には主翼の後ろに尾を引くベイパー。湿った地面に降り立つ証か。着陸態勢、エルロン低速、スラット、フラップ、展開一杯。速度を下げつつ揚力を得る。主脚が地に着き衝撃緩衝、ちょっと緊張、スポイラを立て揚力減衰。逆噴射、エアーブレーキ、慣性、前傾、減速、振動。
やや間があっての無事の着陸。現地時刻11時、アラスカ北方フェアバンクスに到着した。
コンバットベテランに別れを告げて通路を進む。荷物を回収、空港内には熊や白熊、狼の剥製、キャタピラの付いた箱型乗り物、天井から二人乗りプロペラ飛行機が吊されていた。バス停を探し施設東端へ。バスの時刻は1時間後。タクシーを探し施設西端へまた戻る。外へ出る。ぐっと冷える。ついに来た。一所懸命いざアラスカの気合いが入る。
だがタクシーの1台も見当たらないなと待っていると、人を乗せた1台が停まった。空いたところで乗り込もうかと思っていると後ろから来たもう一台からクラクション。騒がしいなと訝しみつつそちらに乗り込む。
宿の名前と番地を告げる。「どこから来た、どこへ向かう、何をしに来た、何日掛ける、オーロラ予報のアプリは入れたか、運が良ければ見られるぞ、もしかしたら狐も見られる、ここにはアイスクリーム屋があるぞ、野営は寒いがガス缶を付けてストーブになる道具もあるんだ、倒すと怖いが鍋に据えて使えばいいよな、明日の朝は駅に行くんだな、交通手段はもう決めたのか、名刺をやるから電話をよこせ、何時に行くんだ、さあ着いたぞお支払いは?」
のべつ幕無しとはこのことだ、ありがたくはない会話(尋問)に付き合っていて景色を頭に入れていなかった。カードを差し出す、機器が受け付けず別の一枚で支払いを済ませる。相手のスマートフォンの画面にサインと金額。これでいいのか?おっとチップが抜けていたのか。途端に落胆の色を顕わに早々に去ろうとする運転手、札現生を握らせておく。謝礼もとい謝れい。明日はバスと歩きで向かおう。
さて12時。着いたのは旅人集う評判の宿、雑木林の静かな一画、えんじの建物、白い窓枠、並んだ国旗。よく手入れのされた庭先、調度品、木々、植え込みで飾られた玄関前のウッドデッキにテーブル、チェアー、パラソル複数。木製のドアを押し開け中へ入る。カーペット有り、椅子と靴棚。靴を脱いで主人を探す。もう1枚正面に扉、開けてみるとリビングルーム、奥にキッチン、右手に階段。宿泊者なのか従業員か、自分を見つけて2階からオーナーを呼んでくれた。真っ白なネグリジェ風のワンピース、白髪に熟眼鏡、ゆったりとした話しぶり、これぞグランマ。魔法の書物や宝の地図でも置いていそうな部屋に通され、白い小さな犬が2匹足元に寄る。
「こちらへいらっしゃい、さあそちらに掛けて。IDはあるかしら、ちょっと待ってね予約を確認するから。ああこれね、***。一晩、御二人。用意はできていると思うわ。2階へ上がって見てみましょう。こちらのベッド、シーツ、タオルに枕、大丈夫ね。ここに置いてあるものも使って大丈夫。こっちがバスルーム、1階にキッチン、何か必要な物があれば何でも言ってちょうだい、大抵のものは用意があるから。そうそう、夜は玄関をロックするから遅くなるならここに書いた番号で開けてね。さあ良い子たち、こっちへいらっしゃい」呼ばれる犬もお歳であろうか、初対面だが時の流れを感じる場所だ。
荷物を置いて少し休憩、林檎をかじる。まずは明日の朝の道順、駅へと向かうバスや時刻や停留所等を改めて確認しておく。それからこの日の買い出しの道順。バスで支払う小銭も必要、そもそもいくらか調べておかねば。
13時半過ぎ、バスの時刻に合わせて出発、日用品の買い出しひとつで歩けば小一時間の道のり。雑木林か広い農地か牧場かしか視界に入ってこない僻地で、成り立つものか珈琲屋がある。小銭を作りに立ち寄るとなかなかどうしてお客が多い。持ち運ぶにも楽そうなパンプキンブレッドを買って出る。この日の分のバス代が出来た。大通りに出て屋根付きガラスの壁のバス停。少々待つとそのバスは来た。ブルーライン。
父はID提示で無料、自分は往復分を払ってデイパス。何というか、寒い土地、北米にしてはあまり口数多くなさげなお客の顔ぶれ。気のせいか、寒さ厳しさを感じ取らせる。フェアバンクスから西へ飛び出し”Museum of the North”、芝生の丘に白い現代的な建築。折り返したのち坂を下るとアラスカフェアバンクス大学。
少々待つ。運転手が勤務交代、和気あいあい、「こんにちは皆さん、調子はどうかしら。それじゃあ行きましょうか。」目の前の席に乗り込んできた学生たちの一人が応える。うにょうにょうにょうにょ。覇気はないが、刺激を探して誰彼構わずケータイ片手に声を掛けては反応を待つ女学生。お前構って欲しいだけやろ。これほどの僻地、暮らすとなれば暇ではあろうが。意識を向けたら目を付けられた、まんまと掛かった。
「観光すか?」「そうや」「どちらから?」「トーキョージャパンや」「ええマジっすか!それめっちゃクールですやん!!」「・・・」「アメリカとかマジ退屈じゃないすかだって毎日何も変わらないんですもん実際」
こちとらはるばるその何も変わらん土地まで来とんじゃ実際。お守りに割く活力は無い、音楽でも聴け。音楽を聴き出した。尚もうにょうにょ。心の橋、架けると高く付く相手が居る。
景色は寒々しくものどか。並ぶ針葉樹、色づく広葉樹、広大な農地か空き地か、その向こうには小高い丘陵。少し進むと緑豊かな住宅街、市境を進み空港通りへ。
14時。店の名前が停留所名になるパターン。フレッドマイヤー西のバス停、その次セーフウェイのバス停、どちらもスーパー。市境を挟み西と東に立ち並ぶ。身体を二つに裂かれんばかりの難しい決断を迫られ英断、東のセーフウェイに向かう。
アラスカ南部の縦断数日、旅の食料を調達する。真っ赤と紺と藍と薄紅の彩りが眼にも麗しいミックスベリーの大きなボウル、再びバナナのヨーグルト、袋入りのシーザーサラダ、マーブルチーズ、薄切りロースハム、卵を12個、お馴染みJohnsonvilleのハラペーニョ入り、父が小さな歯磨き粉を買う。紙パック入りの卵液、紙パック入りの卵白液が売っていた。合理性もここまで来たか。
”Thank you for shopping with us.”セルフレジでしか聞いたことのないような丁寧な挨拶で送り出される。次、アウトドア用品店でガス缶を買う。500m先の”Big Ray’s”へ。大通り沿いを歩いて進む。敷地と敷地の間が目立つ。大体平屋、高くても2階建て、雪はそれほど多くないのか、屋根が平らでぺたんとしている。日が照りだして寒くはない、むしろ着込んでいた上着を一枚脱いで荷物に収めた。この時期例年平均最高気温は15℃前後だそうで、丁度暖かい時期の終わりの頃。といっても快適以上の暖かさには真夏の昼でもならない様子。この時期でも東京の冬と同程度の気温。冷温帯、内陸性の気候、夏には雨が多いそうだ。
さて到着、店内を一回りしてみるが、目当てのガス缶は見当たらない。声を掛けてくれた店員に訊いてみると、今置いていないが中心街にももう一店舗があるという。そちらに置いてあるとのことを電話で確認してくれた。住所と道順、フリーマップも持たせてくれた。
15時半、外に出て少し歩いてバス停へ。丁度良くバスが来る、4km先のダウンタウンへ、降りて数分徒歩で到着。店内正面にカリブーの頭の剥製。温かそうなコートやブーツ、帽子や靴下。二階へ上がるとスポーツ用か並ぶライフル、釣り具やその他レジャー用品。ガス缶を見つけて購入、さっきの電話の相手だったのだろうか「カナダからの旅行ですか」などと声を掛けられた。フロムはるばるトーキョージャパンや。
これでひとまず買い出しは完了、明日のバスの小銭をつくりに隣の雑貨屋に入る。シリアルバーを1本買い、外で荷物を整えていると、”50cents?”と声が掛かる。今作ったとこや、おととい来やがれ。「50セントは?50セント。それか1ドルでもいいけど。ポップコーンを食べたいんだもの」いや知らんがな。店に駄菓子をたかりに入った仕事帰りか何かの女。追い返されて”50cents? 50cents?”と練り歩く。ーーー昔、オーストリアのクリスマス市場で華やかな露店やリース、オーナメントに見とれていたら、突然女に抱きつかれた。両手をまわしに上手投げか!と思いきや掴まされる一輪の花。何たる不覚。祭りに浮かれて一本負けかと思いきや、すんでのところで手心まで受け花持たされる、一生の恥である。「貧しいこどもたちへの義援金を戴いております、いいえ返品はお請けしません、ちょっと、え?ちょっと待ちなさいよ払いなさいよ!」放り投げて立ち去った。ーーー比べてしまえばかわいいものだが、布施するにせよ熟練の技も味わいもない。今度は意識も向けないように、罪悪感に釣られぬように。まだまだこういう、穢土の亡霊に試されるときがある。直観抜き打ち小テストである。関わるべき人、避けるべき人。信じるべき人、疑うべき人。疑いながらも避けながらも、嫌悪というより穢土の苦悩の度し難さ、もののあはれにやあらむ。ポップコーンで癒やせるならばいくらでもどうぞと思うのだが、物で心が満たされることはない。ない。余計に飢え渇きが募るだけだ。シリアルバーたーべよっと。
16時、帰りのバスまで30分ほど時間があった。すぐ近くに”Golden Heart Plaza”という広場があったのでそこで休憩。中央6角形の台座に銅像、その足元から湧く噴水は台座の側面積まれた石に飛沫を立てる。取り囲む池も6角形、周囲に一周銅板の歴史資料。角の先、少し離れて花壇とベンチが中央向きに。黄色の花、オレンジの花が澄んだ青空、白い綿雲に良く映える。北は川沿い、川の向こうに真っ白な壁と青い屋根の教会堂。チェナ川は静かで並木の緑も美しい。こんな北方の街であっても植物の色、季節の風情に溢れていた。人を集める場所なのだろう。昼食の人、散歩の人、只の通りすがりの我々。”Golden Heart”とは街の異名で、1901年金の採掘と取引の場として始まったことに由来する。
1984年、アラスカ州25周年を記念してこの公園造りに着工、市民や企業等から基金を募り1987年に完成。市街地の中心として年間を通して祝祭や催事を行う場所になっている。中央の台座に据えられているのは、厚い防寒具を身に着けた父母こどもと赤ん坊、左右に寄り添う犬が2頭。銅像”Unknown First Family”、特定の人物をモデルにしたものではなく、全人類の、フェアバンクスの、現在の、そして未来の全ての家族を象徴し表現されたものだという。アラスカ州100周年の2059年1月3日に、この地に埋められているタイムカプセルを開ける予定だそうだ。
16時半、バスに乗り街をぐるりと一周する道のりで帰ってきた。軽い観光に丁度良かった。綿雲の下に虹が見えた。17時に宿に到着、食料を冷蔵庫に入れておき、ついでに夕食も調理する。父には白米速炊き。卵のパックを半分に切る。6個使ってプレーンオムレツ。冷蔵していた挽肉炒めを温める。シーザーサラダを皿に出してドレッシング、トッピング。「あら良い香りがするわねえ。ちょっとこの棚戸は閉じても良いかしら、少し散らかって見えるから」どの部屋も行き届いている訳だ。
18時、荷物の整理。その後2時間調べ物を。また明日のバス、縦断途中の国立公園、そこでの手続き、交通手段と時刻の確認、縦断を終えた先での乗り継ぎ。明日出発してからは、数日の間ネットも電波も無いものとして事前に先まで調べておく。スマートフォンもインターネットも無かった時代に旅した人のことを想う。それこそ宝探しの旅のごとくに思われる。地図を携え歩いただろう。辞書を携え歩いたのか。時計もノートも持っただろうが、天気予報も目覚まし時計もバスの路線図も懐中電灯も、全て手に入った訳ではないだろうに。
時代の変わった現代の旅。情報の得にくい場所へ訪れる際、緊張がある。いくつもいくつも事前に情報を集めたくなる。確かにそれで失敗は減り、効率も良く、行ける範囲も広くはなる。だがやはり「ずっと快適」は味気ない。それは多分、「漫然と過ぎる日常」に等しい。旅する魅力が減らないように、ほどほどのアクシデントに見舞われよう。
21時、マグカップに隣の部屋のメーカーから珈琲をもらって、数日振りに家族に連絡、動画を送る、これも便利。その後日記を付けて明日の列車の切符と国立公園の入場券、園内野営の予約証を用意した。電子データで、これも便利。リビングに集う旅人たちはビールを飲んだりギターを弾いたり、オーロラを見に出る約束をしたり、本を読んだり。中には遠方パタゴニアの方から来たという女旅人もいた。一番広い壁の面に、世界地図でも見たことのない大きさの、アラスカ全土の地図があった。冒険中、冒険心を掻き立てる。
22時半、シャワー、柔軟、23時に就寝。夜気は冷えた。オーロラは見えない。