9月 7日(水) アラスカ2日目
6時起き、柔軟をして朝食にヨーグルト。荷物をまとめて7時にはチェックアウト。彼女は既に起き出していて朝の挨拶と別れの挨拶、キスを投げる。ブーツを履く、外に出る。朝露か雨かに濡れた地面。朝の冷え込みは怖いほど、東京の真冬のようである。着込んでいた。林の向こうの農地か空き地で朝靄が立っている。東の空にうね雲が広く低く掛かっている。上の端は朝陽で明るい。
ガラスの壁のバス停で待ち、7時半のバスに乗る、駅で降ります、レッドライン。たった5分の道のりなのだが歩いて行ける距離ではない。更に最寄りの停留所から荷物を引きずり歩いて10分。しかも砂利道、側道が無い。そもそも歩いているのが場違い、そんな殺風景な通りだ。世にも奇妙な巨大手裏剣型の交差点を過ぎ、6車線もの大通りを渡り、駅ロータリーへと続くであろう道に差し掛かると何やら看板「通行止め、迂回してね」迂回とは!他にも道があるということ!なるほどそれでGoogleマップは、そこまで見越して「高速沿いの森から入れ」と案内していたという訳か。
ならば急ごうその指示通り、車が時速100kmで駆ける縁石も無い高速道を。森とフェンスが続くばかりの不安も不安な敷地の外を。てくてくてくてく。入り口を探しひた進む。なかなか無い。てくてくてくてく。全く無い。てくてくてくてく。嫌な予感。散々自分で調べたとおり!入り口なんてある訳ない!まずい。8時を過ぎた、発車まで残り15分。あの看板から奥に入った別の道まで、一度戻って更に駅まで辿り着くには時間がない。森の向こうでディーゼル列車のエンジンの音が鳴っている。木々並ぶ森の手前にフェンス、そこまでは坂、雑草に満ちた土手の下まで。
立ち尽くす。どうすればいい。自分独りは走れば間に合うかもしれないが、それはブーツにこの大荷物が無ければのこと。歩くのもやっとの父には到底無茶な陸上競技の五輪決勝。
立ち尽くす。どうすればいい。このまま待っても自分独りすら間に合わなくなる。
森を見る。列車の黄色が透けて見える。
フェンスを見る。高さはあるが下には隙間。
土手を見る。
何やらうっすら、人の通った跡ではないのか・・・?
これしかない、行くしかない。
ーーーイギリス西部ウェールズ中央、僻地も僻地の山の中で遭難しかけた吹雪の日、同じことがあった。吹雪の中で進退極まり、雨具も無しにもはや恍惚と立ち尽くした後、山道ではない斜面を伝い降りた先、流れに掛かる針金を頼り川を越え、有刺鉄線も辛うじて越え、その後どちらへ進めば良いのか全く見当が付かなくなった時。・・・うっすらと、別の誰か、同じ群れを泳ぐ別の個体が、かつて同じく道に迷ってしかし進んだ微かな電子か量子の記憶か何かを受け取った。・・・魚の群れが1.5km離れた仲間の泳ぐ進路の変化を瞬時に察知して、同時に向きを変えることは知られている。魚類は鼻で電気を作る。人間も、かつて有した第6感か第7感というべきもので、雨の日などにはブラウン管のテレビの電子を、鼻先の退化した器官が察知するのを感じる人も多いだろう。鮫に襲われたら電池や機器を投げ込むとよい。同じく電気を使う生物。魚に出来て人に出来ない道理はない。そう、ただの直観。・・・その記憶、まさしく別の身体を生きる自分なのだと思う。その御陰なのか気のせいか、その後は迷わず雨風に朽ち果てそうな石垣を越え、恐ろしいほどの茨を掻き分け、全く人が手を触れていない森を抜けて、死んだ羊の牧場を進み、泥沼を踏み越えどうにか無事に宿へ戻った。ーーー
荷物を引きずり駆け下りる。衣類が露を集めてまとう。坂降りた先、草葉の陰に水の流れでもありはすまいかと足元には気を張って。フェンスに到達、くぐれば通れる、荷物も通せる!その先も行ける!荷物をそのままもう一度土手を駆け上がり、父の荷物を代わって手に取り再び下ってフェンスをくぐって、森を抜けると駅舎より先のロータリーに出た!駅舎に駆け込みIDを見せ、切符を受け取り荷物を預ける。ホームに出る。目の前に青と黄色のアラスカ鉄道。遠く先頭、機関車両はごつごつとしたいかつい鉄塊。ホームは地面と同じ高さ。切符に記載の車両を探し、台車のついたステップを上る。車内に入ると物量豊か、2列のシートが左右にそれぞれ、広く、分厚くゆったりしていて座面も背もたれも柔らかい。高い天井広い窓、外に振り返る駅舎駅名”FAIRBANKS”の文字。発車の僅か5分前。
席に着いたがまだ落ち着かない。しばらくすると走り出した。左右に目をやる乗客たち。曇りの空にまだ薄暗い車両置き場、並ぶコンテナ。工場設備、廃品置き場、広い空き地、林を進む。ゆっくりとした走り出しだ。ああやれやれ。よかったどうやら間に合った。昨晩望んだ旅を彩るアクシデント。たしかにこれならほどほどだが、まったくどうなることかと思った。別の身体を生きた自分もGoogleを信じてなのか直観を頼りにしてか、あの小道を行ったのだろう。
初めてのアラスカ鉄道、路線全長760km。南の都市、アンカレッジまでは12時間。まずは途中、デナリ国立公園までの4時間。旅客はあまり多くなく、穏やかな旅になりそうだ。
車両の後部のドアの付近で中年女性の乗務員がマイクを執って車両の案内、乗車の注意、旅程の説明、景色の解説。歯切れの良いアメリカ英語で、無味乾燥の日課の反復を感じさせない、寝ぼけた客まで起こさんばかりのアナウンスである。真面目は当然、それ以上の知性、ユーモア、温かみを旅人たちに注いでいる。
一通り聞いたところで前後の車両を歩いて見学、早速食堂車があったので珈琲を注文。天井高く一層広い窓辺に掛けて、ナッツやドライフルーツと一緒に味わう。随分美味しい珈琲だ。心のゆとりがそう思わせるのか。それほど速度を出さない列車、がたごと過ぎゆく外の風景、アラスカの大地を眺めて暮らす。
言葉の不要な旅情が良い。初めて眺める、長年の憧れの土地である。初めてと知りながら、見慣れた自然の景色に安らぐ。思考の喚きに急き立てられず、何らコメントせずにいられることは、それ自体が稀な喜びだ。・・・温かく美味しい珈琲、いつものナッツとドライフルーツ、心に染み入る旅の情景、雄弁は銀、沈黙は金。及ばぬ筆も憚りながら、発言はどれも恣意的な観点に過ぎないが、沈黙は述べ立てる対象が余さず仮説に過ぎないと気づいている。
どこまでも続く曇り空。低い太陽、空に陰影、錆びた電柱、架かる電線。
どこまでも続く針葉樹林。若い木、成木、枯れた木、焼け跡、高さそれぞれ。
間に混じる広葉樹、黄や橙に染まる木もあり。若葉の色や小麦の色で土地の全てを埋める下草。
窓にかかった雨粒が風に押されて流れ伝う。僅かに途切れた雲から陽が射し、小高い丘の斜面が色づく。
背後の席には若い夫婦か、何も語らず肩を並べる。景色を見、飽きれば本。景色を横目に、飽きるまで本。珈琲の横に栞が並ぶ。憶測だけど、こういう夫妻が読んでいるのは大抵小説であると思う。純粋に楽しさのために書物に浸れる人たちだろう。
森を抜けると一瞬真っ赤な大地が見える。何だあれは。視線を据えて、再びそれが見えるのを待つ。木々が途切れてまた現れる。何なんだこれは!遠くの森が縁取る場所まで、赤・橙・黄の業火のように、色づく紅葉に埋め尽くされた真っ赤な平野。火の海のような平野を走った。もはやそこから景色を観ずには居られなかった。父も終始黙して景色を眺めていた。いつになく安らかに見えた。
「悪くない。やはり旅と言えば列車だ。無駄のない質実剛健」飾り気なく素朴で真面目、心身共にたくましい様。かつての旅を思ってか、ひと言ふた言父がそう言う。まるで自身の生き方そのものなのだと思う。
移動手段、自分はどれが好きだろうか。徒歩、自転車、バス、船、飛行機、どれも嫌いだ。強いて挙げれば騎牛帰家、精霊馬か棺桶か、リニアで飛ばして京都も10分。
・・・返す返すも。返す返すも「どこへもゆかずにおれたら」と、切に思う。
外に探して見出すものは、必ずや全て塵となる。漫然と住み慣れて、根を下ろし始めたコンテクスト/文脈/背景/条件から、逃れるためにその生活の基盤を去らなくてはならないときがある。それもまた、外的条件のみを指すのではないが、環境そのまま意図だけ突然変わることはない。例えば麻薬の中毒者は、ラップ音楽を聴き続ける限り更生できない。差別や暴力を奨励する意図の音楽を、選び続ける慣れた生活の表現からも抜け出さなくてはならないということ。
高く舞うには暮らした地面を諦め手放さなくてはならない。場を去ることは、オクターヴへのジャンプを促す。
その意味で、家とは墓標、三界無庵。両手に抱え、積み上げた財も名誉も重荷となって歩みを遅らす。
その意味で、この世は煉獄、三界無安。魂は身を焼き浄める為に彷徨う。傍らその身は自らを焼き焦がすまいと逃れ彷徨う。
生きづらいものだと思う。自分はまだ良い。それに輪を掛け苦悩に満ちて暮らした世代、虚偽も通貨と成り得た時代、嘘も方便、正直者は馬鹿を見た頃、体面体裁見栄甲斐性に重きが置かれた、父が旅をし暮らした半生。1969年、旅人たちの黄金時代、世俗を去らずに居られようか。
せめて自分は「ただの苦悩」で生命力を穢さぬ様にと思う。苦悩も喜びも、己自ら選択し、望んだとおりに享受している。自ら何を望んだか忘れ、望んだ不幸に己を浸し、リクエストした世の不公平を嘆くことすらも出来る。己の”真面目さ正しさ誠実さ”を、わざわざ世間に誇示するために、自身の周囲の悪意や不正や不誠実な人や事象に焦点を当て、自ら好み呼んで集める。そればかりになる。望んだものが”ぼくの稀なる有能さ”なら、鼻に掛けるほど膨らむ自尊の泡沫を追い、恥を怖れて失敗は避け、足を引くような他者とのもめごとに安住し、誰とも信頼を築かず終わる。望むものが物欲肉欲であるならば、身体の渇きが己を動かす。身体の知覚に服従し、束の間に得る感覚の奴隷となる。「喜び」と違い”悦び”はすぐに去るので、手に入れた後も別の何かを求めて止まない。ニュースやネットやSNSが最先端のステージとして、苦悩の喜劇を上演している。”安住”されている。
そのことを諭すこの旅なのだと確信する。人生望んだとおりになる。
・・・大きく曲がりながら走ると窓の行く手の先の方では、先頭車両や続く客車が弧を描きながら景色を滑る。古い村を通り過ぎたり、線路に沿って川が見えたり、黒い鉄橋を渡ったり。それらの景色の変化に合わせて、さっきの声の車内放送。いつの時代の建物だとか、どういう家族が住んでいたとか、今どのくらい進んだかとか。
目に穏やかな黄緑の原に1羽の鳥も見当たらない。白い木肌の広葉樹林が視界を一切黄色に染めたり、小川が野原に湿地のように注いでいたり、静かな池が濃い針葉樹の色を映して、虚空の闇のように見えたり、緑の草と赤黄の紅葉が見事なグラデーションを見せたり、赤く錆びた鉄屑の色で野原を蝕むような草木も。目新しくもあるようでいて、今まで散々観てきたようにも感じられる。知らない景色を知っている。知らない自分の記憶が沸き立つ。
山地に近づき晴れ間が広がる。青空と映す湖、間に綿雲、低い山並み、深緑の森、眩しい黄の葉や若木の黄緑。車両を移動し階段を上がり視界の広い展望席へ。寒さに紅葉の色が深まる。黄金色の森が広がる。登りの傾斜に速度を落とす。川の向こうに広い渓谷、採石場か天然の層か、岩場に斜めの巨大な溝が。
山に近づく、間近に霧雲、光を遮る。見下ろす谷川、水勢を増す。こんな岩場を登っていくのか?巨大な山岳、小さな列車が崖、山際を辛うじて這う。きしきしきりきり車輪が軋む。あんなに細いあんなに高い橋を行くのか?!怖くなるほど水面が遠い。通ってしばらく経って振り向く。山の緑と黄色の背景、谷に架かるほんのささやかな人工物。離れてゆくと毛糸のあやとりで作った橋でも渡しているかのように、深い自然の懐へ埋もれてゆく。
木々、植物で埋め尽くされた見渡す限りの山の斜面、川の水際、中洲も砂洲も。なびく金色、濃い緑色、所々に混じる紅。曇り空、白い川。黄色の斜面と緑の斜面が谷を挟んでせめぎ合う。居合わせた乗客皆、窓に顔を寄せて夢中で景色を眺めたり写真を撮ったり。ひと山かわすと景色が開けて向こうの山の中腹に、立ち並ぶリゾートホテルの建物群。山奥深くにも関わらず、こんなにも人を集める場所かとその密度の高さに感心する。
到着時刻や下車時の注意を告げるアナウンスが流れる。デナリ駅にはもう間もなく着く、お降りの方はそろそろ支度を、不要なものは車両の後方くずかごへ、預けた荷物の受け取り場所は後方車両付近の駅舎、アメリカ国旗とアラスカ州旗の青い旗が目印だという。荷下ろしまでに時間が掛かる、宜しくお待ち戴きたい、手回り品を忘れぬように、それでは皆様素敵な旅を。
12時10分。デナリ国立公園到着。4時間近くも車内にいたとは思えないほど車窓に食い入り、景色の変化を眺め続けた。昼の到着、降り立つ標高は海抜530mほど。地面は僅かに濡れているが雨は無く、気温は快適。北極星と北斗七星が並ぶアラスカ州の青旗前で預けた荷物が届くのを待つ。フォークリフトが前方車両で出発の為の積み込み作業を先に済ませている様子。その後荷物のコンテナが届く。
受け取り終えたら少し山手へ、観光センターなどを見ておく。吹き抜け3階分に渡って、山の景色を描いたパノラマパネルや動物の剥製、先住民の暮らしに関わる道具や歴史に関する資料が並んでいた。それより今は実地で実物を眺めたい。早々に出て水場で水汲み、付近のシャトルバスの乗り場で荷物を置いてベンチで待った。
バスはまだかバスはまだか、あれかこれか今か今かと気がはやる。何台か通り過ぎるがどれも目当てのバスではない。鉄道駅から離れたところにもう一棟、入園前の手続き等をしに行く必要があった。1kmほど先、そちらが観光バスや自家用車の駐車場が併設された国立公園の玄関口になっており、歩けない距離ではないが、荷物を引いて歩きたい距離ではない。
手元に用意していたシャトルバスの時刻表は、丁度明日で変更になるスケジュール。その明日の分を眺めていたからなかなか来ず、先ほど1つ逃したようだ。ようやく到着、緑のバスの東回り。大きな荷物も引っ張り上げて前方座席に置いて着席。ほんの僅か数分での下車。二つの建物、小さな方へ入ると先客、係員から夫婦の二人が説明を受けている。後ろで待つ、じれったい。ようやく終わる、書類を見せる、「・・何か御気掛かりなことでもありますか?」ピンとこない。どうやら場所を間違えたのか、入園証もバス乗車券も宿泊手続きももう一方の施設で行うようであった。”Backcountry Informaion Center”は野営地を利用しない、自然のままの土地に踏み込んでキャンプする場合の注意や情報、許可を得るための施設のようだ。
気を取り直して大きい建物”Bus Depot”、バス停車場へ。名前以上の役目が満載。入園許可証、キャンパー専用バス乗車券、野営場所での注意事項と宿泊者証を一度にもらう。想像以上に名高い観光場所らしい。事前にネットで済ませておかねば入園許可しか手に入らない。野営地の区画割りや園内バスの乗車人数などがきちんと定められており、今シーズンの残り一週、全て予約は埋まっていた。野営地の利用についても細かく注意が記されている。最大人数とテント数、火気の使用、食料や装備の保管、野生動物から保持すべき距離、車両の大きさの制限、発電機の使用時間帯などなど。
さてこれでようやく通行手形を得た。それほど長くはない滞在期間でもなるべく「飽き飽きして」帰りたい。再び今度は奥地へ向かう西回りのシャトルバスに乗る。約20km先の川”Savage River”までは、この時期30分間隔で行き来しているフリーシャトルが利用できる。そこまでは道路が舗装されており、自家用車でも訪れることが出来るらしい。更に約150kmの地点まで山道が拓かれ、来訪者・野営者向けの有料バスも乗り降り自由で活用できる。どちらも緑に塗装し直したスクールバスの転用だそうだ。その他にも周辺ホテル直通のツアーバス等を多く見かけた。しかしながら現在約70kmの地点、”Pretty Rocks”で山道は封鎖されている。年々その地点の地滑りがゆっくりと速度を増しており、どのバスもその手前までで折り返しの運転をしているとのこと。
建物裏手に丁度来たシャトルバスに乗ろうとすると、運転手、髭の大柄白人男性が降りてきた。「ベアスプレーはお持ちではないようですが、いかがですか?」「ええと、実は持っているのですが」「その実物はどちらにありますか?」「このキャリアーの中に」「それなら完璧です、どうぞお乗り下さい」そういえば空港で除外の対象になるかもしれないと思いながら、キャリアーに入れたままであった。さっきのバスでは訊かれなかったが、どういう意味の質問なのか意図が汲み取れない。持っていないと入園できないなどということはないはずだが。
その後発車まで何分か待つ。運転手が後から乗り込んだ人々に同様の質問をした。するとひと組の若いカップルが携えていると言い、取り調べを受け、リュックを丸ごと即没収、バスの外へ持ち去られてしまった。かと思うと運転手がバスの前に置いた小さな作業台で、そのサイドポケットに入れられていたベアスプレーをリュックの内部へと入れ直している。それでようやく意味が分かったのだが、山道の運転中、万が一にも暴発や破裂、誤噴射がないように、またそうなっても車内に飛散しないようにという安全対策なのだろう。崖や橋から大勢を乗せたバスが転落する等、大惨事を招き兼ねないそのパワー。通常の使用でも風下に向けて使わないとカプサイシンの成分で目鼻を焼かれてしまうので。
さて無事に取り調べ、危険物保管の安全確認を済ませて出発。まずはさっきの観光センターに停車。どうやら運転手が交代する様子。「やあ兄弟どうだい調子は」、もう一人ひょうきんな運転手がやって来た。「ああ、これで今季の運転は終わり。最後の乗客だったよ。しばしの別れだ」と降りていく。「まさかもう戻らない気か?」「そんなことはないさ、きっと」「そうかなら良かった達者でな。さあ皆さん、チャーリーにさよならの挨拶を。また来年会おう!残念ながらー(にっこり小声)。さて諸君はどこから来たんだい、君」「フロリダから」「フロリダね、ぜひ今度旅行したいんだけど。君は」「トーキョージャパンや」「ふーむなるほど。大きな魚市場があると聞いたんだが」「ええまあ、残念ながら」そんな朗らかな会話をしながらいよいよ山間の道を走り始める。
9月の前半約半月がアラスカの短い秋、始まればすぐさま晩秋といったところだろうか。列車から遠目に見ても美しく輝いて見えた、あの金色が降り注ぐような森をバスが駆けて行く。早々見惚れる乗客一同。「あの葉の黄色い木は何ですか?」「うーん、黄色と言ってもいくつもあって。例えば白樺や楓など」緑一色のタイガであったアラスカに、温暖化(太陽の黒点)の影響で黄色の広葉樹も増えているそうだ。
木に挟まれた林道を抜けると山の合間、一方の中腹を真っ直ぐ進む。
絶景。
とてつもない絶景。
走る斜面、浅い谷、向こうの山の斜面まで、全てを埋める赤赤赤赤赤い低木、橙を含む黄色の低木、緑にそびえる針葉樹。おびただしい広さに及ぶ赤赤赤赤赤の低木、黄色の低木、橙を経るグラデーション、まばらに立って彩りを添える針葉樹。
その低木、まるで大地を蝕み、大地を汚染し、大地を蹂躙焼き払い、阿鼻叫喚の色の洪水。どれだけ語気を強めて荒げて書き殴ろうとも、この理解を超えた眼前の光景を描写できない、とても形容し尽くせない。ちまたあまたのガイドブックもブログサイトも。貴様らよくもその程度の表現ごときで筆を置いたな満足したな!と悪態すらつける。
バスの速さと震動で、全くまともな写真は撮れない。そうと知りつつあっちで連写、こっちで連写、ばしゃばしゃ100枚、もはやどっちに座って撮れば良いのか分からなくなり、通路でぐるぐる回転するほど。
「さあ着いたよキャンプのお二人。その坂を下りればすぐキャンプ場所だ、いい夜を」え?まさかもう20kmも進んだのか。余りに夢中で5分程度に感じたのだが。荷物を集めて急いで降りる。過ぎ去るバスの姿を見送る。本当にここなのだろうか。あっという間だ。
どこでもいい、とにかく急いで荷物を置いて、再び景色を観ねばならない、撮らねばならない。一刻一秒時が惜しい、残りの時間が限られている。あの絶景、少しでも長く、陽のある限り、心を尽くして眺めているのが使命であった。
荷物を引いてなだらかな坂をてくてく下る。宿泊証の地図を頼りに場所を確認しながら歩く。どうやらここで合っているらしい、”Savage River Campground”。
キャンピングカーや自家用車でも泊まりに来られる野営地で、30を超える車を直接、宿泊場所に駐めて過ごせる。食料保管庫、水場、手洗い、ごみ箱も多数。道すがら、半数以上に先客がいる。空いた場所から景色や木々や周囲の様子で選んで決めた。
1つの区画は駐車が出来るスペースを含めテニスコートほどの広さ、平地が拓かれ木々も列び周囲を林が囲っている。テーブルや腰掛けもある、水道も近い、静かで良い。注意事項に焚き火は不可と書かれていたが、専用の火釜が全ての場所に用意されていて、薪も集めて使えるようだ。網の高さも調節できるとあって、よくよく整備されている。道端の短い柱に宿泊者証をクリップで留め、テーブルのそばに荷物を置いた。
全く久しぶりでもないのに、ようやく再びテントを張れる、自然の中に住まう安堵が湧くのであった。こちらの方がホテル住まいよりよほど身に馴染む気がする。どこにテントを張ろうか。木々の下、下草の地面、きのこ前。柔らかく平らで静か、ここにしよう。椎茸ほどのきのこが3、4まとまって生えた木陰にテントを張って、寝具を広げて、荷物を入れてカメラとレンズを携えた。食料も全て持っていく。きのこが目印。
15時、南へ続く坂の途中に食料保管庫、隣に炊事場の屋根とベンチとテーブルがある。食料や調理器具、食器や水筒、化粧品に至るまで、香りのあるものは、テントに置いて離れることも認められず、すぐに使うものでなければこの保管庫か車内に保管する必要がある。このキャンプ地にはまずこの2畳くらいの小さな小屋型保管庫が有り、木造扉は隙間も覆う返しが付いて、上下にスライド式の金具、ドアのハンドル横には錠を通せる金具も付いて厳重だ。中に入ると棚が周囲に。”NOT Free”の棚に置く。”Free”と書かれた棚には使い途中のガス缶などが置かれていたり。地図によると他にも3箇所ロッカーが有り、下った先で鉄製の戸棚のような一つを見かけた。隣の炊事場は、野営地までの往復なしで食事が出来るという配慮だろう。
荷物も減った、夜の支度も済んでいる。いざあの景色を観に行かん。静かな林の合間の道を、谷の方へと進んでいく。なだらかに下っている。沿道10箇所ほどの野営区画は大体宿泊者証が掛けられており、テントや車が置かれている。中には数十連泊という人も。奥へ進むと大人数の団体区画や、丸太のベンチを並べて作ったフィールドワークの講演講義のスペースまである。5分、10分歩いた先に、林が途切れて景色が開けた場所が見えた。崖の縁まで駆け寄った。
絶景。
とてつもない絶景。
山、谷、川、丘。それともこれが冥土か浄土か。何なんだこれは。
極楽地獄を下敷きにして下描きにして、この世の色と光と水と土、火と生命の粋を集めて練り、織り、染め上げたような、むせかえるほどの赤い海原、風にひらめく黄金の森、触れれば火傷をしそうな橙の絨毯。
見渡す限りの全ての山に谷に丘に木の葉に、一筆一筆緻密な彩色を施したのではないか。崇高なほどに鮮やかで、眼を焼き心まで焦がす。かつて経験したどのような絶景、達成、激情よりも、偉大で異様で非常な光景だった。確かに天地神明、神に彩色を施され、存在を授けられていた。
余りにも知覚も理解も経験も予想も想像も超え過ぎていて、写真を撮れば良いのか、眺めれば良いのか、どこを観れば良いのか、どこに立っていれば良いのかも分からない。
静かに観ていた父も「吐き気のするほど美しい場所」と敢えて言い、寒さを凌ぎにキャンプへ戻った。
それから独り更に2時間。手当たり次第に繰り返し、何度も構図を確認して撮り、何度も設定を調整し、何度もレンズを換えて撮り、東へ西へ山道を歩き川辺に下り、何度も撮影場所を変え、250枚写し撮り、設定も無しで素のままで撮り、動画も10度撮影し・・・もうそれ以上はどうしようもないと思うほど、この地を撮って立ち尽くす。あとは為す術もなく、手の施しようもなく、両手を合わせて祈るがごとく静かに眺めた。
もういいや諦める。自分の力でこれ以上、この極限の美の調和を、写して持ち帰ることは出来ない。17時半、呼び止めもしない静かなその風景を後にして野営場所に戻った。
途中食料を保管庫から回収していく。父は焚き木を集め終えていた。焚き付ける分を鋸で切り分け、焚き火釜に据え火を付ける。網を下げ鍋を載せ湯を沸かしながら、テーブルで夕食の支度をする。アルファ米、宿でもらった即席スープ、ガス缶をストーブに取り付けてフライパン、風除けにまな板を立て、油を引いて温まったらJohnsonvilleのハラペーニョ入りソーセージを焼く。ちりちりと良い音がする。沸いた湯を米に注いで再び湯沸かし。焼けたソーセージを器に、今度は卵を割り入れて目玉焼きを3つ、こちらも良い音。スープに湯を注ぎ、炊けた御飯を容器に出して、目玉焼きとソーセージを分け合って載せ今日の夕食。
18時。豪華でないが、ここはアラスカ。場所が余りに豪華である。絶景の後の冷え込む夕べに、焼きたて出来たての温かい食事を野外で味わう。ここはアラスカ、格別の味がする。こんがり焼けた少し辛味のあるソーセージ、半熟の黄身がとろりと彩りの良い目玉焼き、ユーコン川の七夜目以来七日振りに食べる御米と、温かいスープ。
途中、園の管理に携わる人だろうか、女性が画板を手に持ち周囲の区画の宿泊者証を確認しながら歩いていた。火釜から飛び出す長さの薪を切って使うようにと助言を受けた。実によく管理と環境への配慮が行き届いているのを感じる。
19時。食器の片付けは済ませたが、食事中にも鍋を火に掛け湯を沸かしていた。寒さに備えて熱を摂る。戴きものの珈琲で心の熱を。焚き火の近くに短い丸太の腰掛けを置き、紙のカップ、ストーブ、フライパン、ドリップ珈琲、茶請けを並べる。シアトル行きのバスでの旅にと買って持たせて開けていなかったウエハース少し。泊まったホテルの朝食に出た個包装のシナモンロールは袋を開けてフライパンで、軽くぱりっと温めて。
珈琲の袋を開ける。ああ良い香り。カップにドリッパーを掛け、少し冷ました湯を落とす。また良い香りが立ち昇る。しばらく蒸らして2度3度、量を見ながら湯を注ぎ足す。白いカップに湯気立つ珈琲。温めたシナモンロールも良い香り。極北極地の肌寒さの中、焚き火の前で戴く飲み物、贈り物。これもまた旅のひとつの愛しい風景。
19時半。活力を得た。片付けをして、保管庫に荷物を預け、カメラを持って再び南へ道を下る。また撮りに行く。景色を撮るのはもう諦めた、どう諦めた、諦め切れぬと諦めた。途中道端で見る低木が、あの遠景を染めている真っ赤な色を、同じようにその小さな木の葉に映している。爪ほどの大きさで、帆立貝の形によく似た可愛らしくも赤々とした葉。枝の伸び方分かれ方と相まって、立ち昇る焚き火の火の粉を思わせた。
さて再びまみえるこの絶景。陽の向き、空模様が変わってその絶妙な極彩色を移ろわせている。連なる山、広がる谷、その山間を流れる川、小高くなだらかに続く丘、うねり輝き暗がり動く乱れ雲、微かに覗く青い空。山の裾野、丘の斜面を埋め尽くす赤。谷を川辺を埋め尽くす黄金。更に合間に押し込められて彩りを濃く密にする橙。細々と空いた隙間を借りるように立つ針葉樹の緑。
晩秋。順々に旅をして辿り着いたのがこの日というだけなのだが、まるで狙ったような、素晴らしい時季に訪れたらしい。山の生命が収穫をもたらし人や動物の生命を繋ぐ一方で、その実った草木は枯れ始める。生と死の隣り合う、自然の循環の節目。ハロウィンや感謝祭などの行事が秋に多いことにも関わるだろう。
地上、物質、知覚の表現を超越しているものだけが、それら物質的な存在も、生命力も、生きること死ぬこと自体をも生み出す源に成り得る。人には、例えば空間を生み出すことも、消すことも、歪めることも、色付けすることすらも出来ない。「存在」以上の価値を、決してこの世に創り出せない。
またそうであっても、人と自然が対立する必要もないし、対立していない。ネイティブアメリカン、インディアンたちは、自然のあらゆる物に神を見出し、何もかもを崇敬、崇拝の対象とした。人間もまた自然の一部であると考えられている。その価値観は、物質的な価値に埋もれた自分たちには体得しがたい。
南東の山に大きく掛かる影が見えた。見えていたが初めて気づいたのかもしれない。雲の影ではなく、太陽が北西の山際に低く差し掛かって出来た巨大な地球の陰だ。じっと目を凝らしたり、逆にぼんやりと視線を向けていたりする間に、その影が、西向きにゆっくりと移って行くのが分かる。今この場所で夕焼けの刻が過ぎており、もっと西に向かって朝をもたらし、遙か東からこの場所にかけて夜陰を引きずり持ってくる。その移ろいがはっきり見える。地球が回っているのが分かる。
心の器量の小ささ足りなさ、独りで眺めるもったいなさを感じずにいられなかった。
まぶたに、心に、魂に、その光景を焼き付ける。
それを下絵に、頭蓋の裏にノミカナヅチで刻み込む。
もうそれ以上に味わうことも残すことも、満足に伝えることすらおそらく出来ない。
諦めて、只々眺めるだけだった。
21時、山の向こうに陽が隠れ、観念すると途端に寒さが身に染みる。随分気温が下がったようだ。そしてまた、気づけば憧れの土地アラスカにいる。不思議な感じだ。1時間半でもう108枚、写真を撮り足してもいた。野営地に戻って歯磨きをして、やっぱりもう一度とまた眺めに行ったりもした。寒かった。
テントはどこだ、きのこ前。柔軟をしながら暗くなっていく空を観てようやく、あとはもう眠るしかないとほっとする。22時就寝。夜中強い風が吹いていた。