8月29日(月) ユーコン川5日目
 8時30分、鳥の声が聞こえ始める。豊かな森の良い朝だ。再び寝入りまどろみつつも、しばらく聞いていると耳に馴染みがある気がする。なんだいつもの目覚ましアラームだった。それならやかましいと止めてもうひと眠り、随分周囲に馴染んだ音だった。
 9時、川岸で顔を洗い、いつもの柔軟をする。非常な効果を感じた。日頃のトレーニングや食事の習慣もあってここまで不具合がない。日課を終えて薪を探し集める。手頃なものがあまり見当たらない。村への散策も兼ねて、カメラを携え少し先まで歩くことにした。
 踏みならされた土肌の道が南へ東へ続いていたり途切れていたり。その途中に赤茶の木屑を盛ったような場所がある。リスが松笠を剥いで食べた跡だろう。まだ新しいようだ。静かな森、鳥の声はしないが耳を澄ますと木から木へ、リスの駆ける音がする。気配を辿って進んでゆくと1匹、木の幹を登る影が針葉樹の途中、見上げる高さの枝節に止まった。茶の毛のリスが斜に構え、両手で何かをパクつきながら右目をこちらに向けている。迫り来る巨大な異生物を警戒しつつ食事中、すなわち仕事中。無駄のない暮らしぶりである。
 足元の植物の群れは見事な色艶で見飽きない。ふかふかの地面、黄色の短いシダのような葉を茂らせた苔が一面を覆い、そこに濃い緑の小さな葉を並べた枝が這って、所々にあの赤い実を実らせている。鮮やかな緑の若葉や黄色、別の葉の形をした真っ赤な低木などが朝露に濡れている。緑の針金を土に挿したような細い草、もう少し幅のある露草。赤、茶、黄色、黄緑の小さな葉の集合、枯れ葉や枯れ枝が横たわったり、その影に隠れて小さく真っ白なきのこが妖精のように息づいていたり。
 下ばかり目を引く。小道を見失い、森が深く辿れなくなったので、村は諦め木々を掻き分けてキャンプに戻った。
 10時、バレルやクーラーを運び出したら、焚き火を始めて湯を沸かす。朝の珈琲の支度だ。いつものドリップ珈琲を開けタンブラーの口に掛ける。良い香りがする。テーブルに蜜柑、レーズンスコーン、パン、塩キャラメルナッツバター、フライパン。焚き火で沸いた湯をやや冷まし、珈琲の粉に落とす。再び良い香り。蒸らして湯を注ぎ湯を注ぎ、抽出を待つ良い時間。湯を入れ終えたらフライパンのレーズンスコーンを、組んだ焚き火の薪に載せ遠火で温め。湯の切れたドリップバッグは火にくべる。カヌーが1艘、一人を乗せて過ぎていく。
 11時、朝食。蜜柑を食べたところでまた1艘、二人を乗せて過ぎていった。その前席に白髪の方、後席黒帽どこか覚えのある姿。珈琲は最高であった。温かいスコーンも最高なのであった。静かな川辺で、時間に追われることもなく、贅沢でもない珈琲とスコーンをゆっくり味わう。只それだけで格別の品に変わり、忘れがたい素晴らしい経験になる。
 普段の生活の中でも、特別に時間を設けるだけで体験できると思う。気を引く数多の情報に埋もれて、より”良い”選択肢を求めて迷い込み、気づかないだけなのか。それでわざわざ通信も電気も無い場所に出向かなければならないのか。いつもと同じ11時、どこでも等しい時間のはずなのだが。
 パンをフライパンでトーストし、塩キャラメルナッツバターを塗った。なかなか良い。もうひとつ。右の中指を熱した金具に当てて火傷。食器類を拭き上げて、水の濾過を夜までの分だけ1回分。
 陽射しが弱かったので焚き火のそばで寝具を干し、テントを逆さに。鳥の声が聞こえ出した。低い水辺で頭を洗い、足を滑らせ川にどぼんを思い浮かべる。焚き火で髪を乾かして荷物の片付け。マット、寝袋、テントを畳んでドライバッグへ。
 12時、地図を確認し、走行距離と野営地の位置のバランスを見て計画を立てる。今日は5日目。ここから40kmほどの所にスコットの勧める”TWIN CREEKS”の”GOOD CAMP”があるらしい。そこに到着すれば残りの距離は70km。あとの2日間で首尾良く行くだろう。
 この旅で初めてカメラのレンズを替えた。単焦点50mmから超広角へ。自然の広さ豊かさを収められればと思う。久しぶりの重いシャッター音。川を更に2艘が通過。荷づくりと身支度を終え、川に浮かべたカヌーに積み込み、焚き火の始末を済ませて13時15分、”GOOD CAMP:迷い靴下の岸”を出発した。薄曇りの空、綿雲の合間から陽が差し込む。
 この先、川は左右に曲がりながら大きく西へ進む。相変わらず水の流れがあって快適だった。漕がずに今朝の時程を記録したり巨大LPを撮ったりしていると、「右を進むように」との大きな中洲に近づき、漕ぎ負けて左に進んでしまったが近道になったらしい。
 空気が湿って重々しい。残りの生鮮食品や使う順序、献立などが頭に浮かんでくる。そんなものは浮かぶばかりで、実際調理する段になれば気にも留めないだろうし、考えずとも自然と適した選択ができるだろうに、どうしてかわざわざ浮かんでくる。1日2250回以上の選択、3万5000回もの決断。疲れるに決まっている。いっそ0まで減らしてみたいのだが簡単ではない。雨の予感に防衛本能、生存本能が働いたのか、景色を見るのに飽きたのだろうか。
 14時15分、この日の10km地点。丁度1時間でこの距離だ、良いペース。更に1km進めば累計200kmの地点であった。特段の感慨もない。差し掛かる大きな左カーブは”GOLD POINT”。高さ14~15mほどの砂の岸が数km続いているようだ。斜面はこれまでのものより緩やかで45度程度、崩れた所もあるが短い植物の緑に覆われている部分が多い。
 雨粒が落ちてきた。雷鳴も聞こえだし、不穏な先行き。差し掛かる”4TH OF JULY BEND”「7月4日曲がり」には中洲が複数。妙な名前を気にする余裕もない(アメリカ独立記念日)。霞む山並み、空暗く、川は銀色。18km地点でいよいよ水面一面をパチパチと鳴らし始め、続いて音も忘れさせるような本降り。カメラの本体をどうにかレインウェアの下に隠し、進路を記憶し紙の川地図も太ももの下に挟んでおく。あとは只、篠突く雨を受けるばかり。波立つ水面、濡れた手でパドルを振るう。うつむき加減に繰り返し、深く被ったフードの縁から前方を伺う。鼻先、唇を雨が伝う。防水の弱ったレインウェア下、太ももに雨の冷たさがにじみ、地図にまで達しているのを感じる。ああ嫌だ。降れば当然厭わしい。通り過ぎる”HENDRICKSEN SLOUGH”、次の中洲のどちらを進めば良いのやら、もういいやどちらでも、近い方へ。
 ああ嫌だ、嫌だ嫌だが仕方ないなどと思っていると弱まり始め、20分で止んだ。ほんの20分とは思えない長さの経験であったように感じる。川は西へ続いた。15時50分、25km地点。南の空の雲が晴れてありがたい日照りを得た。濡れた身体を少しずつ乾かしていく。後席は舟の内に溜まった水を汲み出す。日照りに気を取られていたが、北の右岸は”ERICKSON’S WOODYARD”で、かつて使われた砂金さらいの機械がひとつ沈んでいたらしい。どんなものなのか。和紙か海苔でも漉くように、網かふるいでも付いている程度の想像しか浮かばない。後々地図に載っていた写真を見てみると「エンジン付きの滑り台」というイメージ。滑り台の上り階段を回転する掘削用のバケットの連続にし、それが地面や川底を削って掬い上げ、滑り始めにふるい分けられ、滑り終わりには土砂と分離する。そんな仕組み。
 16時、漕がずに流した。晴れ間の覗く山際の空の青、遠く浮かぶ綿雲の白、暗い面の黒、霞む山。地図の余白にそのパノラマをスケッチ。静寂を行く、岸から落ちる砂の音。空腹を感じたような気がした。雨の厭わしさに対する反応だろうか。実験用のマウスも尻尾を摘まむとストレスから餌を食べに走るらしい。薄雲が流れてゆく。青空が広がったように見えたりもする。このまま晴れていればいいのだが、期待はしないことだ。
 16時30分、33km進み、累積距離は222km。川は山の合間を進む。正面西の方向から再び曇り始めて嫌な予感。地図が見られるうちに山肌の様子をスケッチして気を紛らわせる。北側右岸で、さっきまで陽に照らされていた”GRADY MOUNTAIN”、尾根が横長に続く山で、広い斜面の岩肌には隆起した部分と細く長く彫られたような部分が特徴的。雨だけでなく雪や氷に削られたことを想像させる。その溝の部分に多く木々が宿り、なだらかな斜面の部分は全体的にうっすらと丈の短い植物で覆われていた。描いているうちに空も雲で覆われていた。
 もうそろそろ今夜の野営地に到着しそうだった。しかし真っ直ぐな流れが続き、自分たちがどの程度進んでいるものか判断出来ずにいた。「この辺りか?もう少し先か?見逃したのか?」と岸寄りをうろうろと進んでいて岸に突っ込み、横周りに進路を取り直すなどしているうちに雨再び。ああ厭わしい。地図を濡らすのも気が引けるので見ないで進む。余計にどこだか分からない。尚もここかあちらかと速度を上げられないまま探していると、支流の注ぐ砂地の入り江、”TWIN CREEKS”に行き着いた。
「ああここだったのか、やれやれようやく・・・」と思うと同時に他所のカヌーが目に入る。2艘、先客がいる、泊まれるだろうか。ともかく入り江の砂地に着ける。どこから上がれば良いのやら、支流も瀬も判然としない。まあ立てればいいかという見立てで降り立ってみると、ブーツが砂地にやや沈み込む。
 荒涼とした沢と入り江で、倒木が枝を残したままやたらに枯れていたり、途中で折れたり曲がったりした木が散乱しているし、中には根ごと引き倒され掛けて、泥に汚れている木もあるしだった。この荒れよう、洪水か何かに遭ってから日も浅いようだが、他ではこのような光景は見なかった。泊まれるならばと思いながらも、これまでの野営地との差を感じないではない。
 到着は17時10分。ここまで4時間で39.5km、時速9.9km。たった4時間とは思えない。
 さて、支流と入り江を挟んで東の岸で、2艘の4人がキャンプしていた。その対岸、西の岸に上がってみると、切った木の幹を横並べにして拵えたテーブルや腰掛け、荷物台などがあった。石を組んだ焚き火の跡もあるし、少し奥の川へ寄った所には平らな土肌の地面もある。東岸の方が環境は良いのだろうが、空いているだけ良かっただろう。今からまた漕ぎ出して次を探し直すよりはましだと思う。
 砂洲に下り、濡れた船縁を掴んでカヌーを砂上に引き上げる。足が沈み込んで横にも滑る。まだ小雨が降り風が吹く。まずは屋根代わりのタープを張りに砂岸を上がる。木の幹テーブルの上方に、横渡しの木の幹が掛けられていたので、タープの一辺をそれに合わせる。針金を石で打ち付けて切り、テーブルに立って括り付ける。反対の辺にはタープ紐を通してペグで固定。ぬかるんでなかなか留まらない。作業しながら寒さに震え出す父。アルミシートを持たせる。
 再び砂洲に下り、濡れた荷物を砂地に並べ、両手で抱えて砂丘でも登るように、崩れた砂の斜面を運ぶ。更に足が沈み込む。荷物の数だけ繰り返す。少し奥、川辺の岸ぎりぎりにテントを張り、薪を探して東奔西走。乾いたものはひとつも無いし、拾って使えるものも無かった。鋸を手に、倒れた生木や砂地に出た根を切り集めたが、果たして火など付くのだろうか。試す前から半ば諦めてもいた。
 18時、真っ赤な鳥が支流の水を飲みに下りてきた。珍しい色に見入る。雀と鳩の中間くらいの大きさで、羽に黒と白、6度水面をつついて飛び去った。
 焚き火に掛かろう。石を組み直しもせず、針葉樹の棘がちな枝葉や、枯れているのか汚れているのかも分からない枝か根っこ、湿った太い木片などをやる気の無い並べ方で積み重ね、濡れたボール紙の端くれにライターの火を当てる。もう、諦めが場に表れていた。小さな火で、紙が乾くのを待っている。乾いた後、それが尽きる前に枝や薪が乾くだろうか。まあ無理だろう。
 陽の当たる東の彼岸を眺めながら、森の影で薄暗く寒々しい西の此岸につくばう。日向の岸辺で威勢良く上がる焚き火の煙、飢えを誘う料理の香り。こちらの4倍も広いのではないかという真っ赤なタープが端正に張られており、充分な装備やテントがその下に覗く。
「人生のようだな」と思う。途端に「人生のようだな」と父が言う。酷な試練、惨めな思いもいずれは良い思い出になるものだが、振り返るからこそであり、さなかにいて心地良い訳ではない。身体や思考は逃れようともがく。逃れんと欲する不均衡ばかりに注意が向かい、「ああであったらこうであったら」と仮説ばかりが心に浮かぶ。ああまさしく人生のようである。「ユーコン川を下れたら」と日頃の退屈ばかり思って来たはずが、いざ来てみればまたその場の苦労を逃れようとして、別の条件を思い浮かべる。
 40~50分、これは付かん!もうストーブで焼き払ってしまえ!ガス缶を調理用のストーブに取り付けて栓を開いて火を付ける。ごうごうと火を噴くストーブで薪を下から燃やす勢い。そのままその火を調理に使えば食事には事足りるが、身体を温め心温める焚き火が欲しい。それでもなかなか付かない火。乾かすだけでこれほどの熱が必要だとは、太陽とは便利だ。偉大か。酸素も便利だ。
 19時10分、苦節1時間。今日こそ泣き寝入りかと頭をよぎった雨の後であったが、ついには焚き火に火が宿った。主はこれを見て良しとされた。うむうむよしよし。山あり谷ありこれも人生。今後雨を理由に焚き火を諦めることは無いだろう。惨めな思いも安堵に変わる。夕食の支度に取りかかる。林檎を切る。湯を沸かして2人分のアルファ米に注いでおく。メスティンに油を引いてお馴染みJohnsonvilleのチェダーソーセージ4本、焼ける音まで美味しそうだ。こんがり焼けたら食器に移し、続いて目玉焼きを2つ。半熟になったら一つを食器に、一つはそのまま。出来上がったご飯と焼いたソーセージ2つを添えると全く以て朝食然としているが、条件や場所が素晴らしい御馳走に変えた。
 19時半。苦労も忘れて温かい夕食。困難の後は見慣れた食事がありがたい。こんなに美味しいものだったとは。振り返れば焚き火もある、寝床もある。屋根もある、テーブルもある。時間もある、ようやく水の流れる沢の音に、気づく余裕もあった。何事も、よく賞味する心の余裕が必要だ。食料にも余裕があるので熱を得ようと袋麺、味はそれほどでもないが、雨に濡れた日陰の寒さを内から癒やす。食べずに進んだ昼食分にとパンを焚き火で炙ってトースト。ナッツも少々。これだけ摂れば夜冷えても大丈夫だろう。何より眠くなるほど満ち足りれば、多少の不幸や困難は眠気に溶けてゆく。果報寝て待て三年寝太郎。
 20時半、食器を綺麗に拭き上げて調理用具も片付けて、食料も仕舞い込んでバレルやクーラーを砂洲に戻す。カヌーで覆って縄を倒れた木に結び、岸に戻ればあとは夜を待ち身支度を済ませるのみ。21時。焚き火に当たって衣類を乾かす父。そばの小椅子に石と一緒に川地図を載せ、濡れたページを火で乾かした。少し焦げたり香りが付いたりもしたが、充分書き込めるほどに乾いた。山と空のスケッチが滲んでぼやけている。真ん中に「大雨!」と書いていたが、いつの間にやら止んで良かった。その他ライフジャケットやブーツ等を近くで乾かした。
 21時半、乾いたものから片付けようかと地図を手に取ると、ページを束ねた背のリングが焚き火の熱で広がってしまっている。紙が外れてしまわぬように形を揃えて銀色のガムテープで背を覆った。重要な情報源だから、補修の仕方に気を遣う。Googleマップに無い情報が、1万2万と載っている。とても無しでは進めるまい、失えば途方に暮れるだろう。その他の乾いたものと合わせてテントに運んだ。
 22時、まだ足元の見える内に明日の分の薪を集めて回る。たわむ丸太の橋で対岸に渡り支流沿いを上がってみたり、岸の先まで戻ってみたり、南の森へ分け入ったりと方々探してみたが枯れた木は無かった。崩れた岸に倒れかかった生木を切り出して、火のそばで乾かしておく。歯を磨いていつもの柔軟、火を見送る。カメラのレンズを50mmに付け直す。テントに入ると妙にマットがざらつくのを手で感じた。砂の付いたレインウェア下を脱がずに入ってしまったようだ。慎重に脱いで外で砂を払う。マットの砂を払って着替えを。この日の着岸の悲惨さを思う。思い浮かぶだけ思えば涸れるだろう。
 23時。支流の流れが間近に見える、木の根元の砂地にテントを張っていた。少しでも雨をしのげる乾いた所を選んだから、出入り口から岸の縁まで50cmも無いような場所だ。川の水音を聴きながら、乾いた地図に記録を残した。焚き火の香りがする。