9月10日(土) アラスカ5日目
 7時半、いつもの柔軟。アラスカといえど朝が来る。そして自前の朝食を先に。西瓜、林檎、チーズを食んだ。染み入る。片付けをして着替えを済ませ、8時過ぎ、宿の朝食を戴きに上の階へ。高い天井、広いリビングダイニング、窓から溢れる朝の光。窓の外でもバルコニーのチューリップの束、緑の木々や庭の芝生、黄色の落ち葉、レトロなバスにも似たキャンピングカーが照らされている。木漏れ日が金色に、森のように沢山の庭木から注いでいるのだった。
 庭の向こうに離れだろうか、納屋には大きい白い小屋、広い窓も二つあり、中央に扉があった。その扉、両脇と鴨居の部分に赤い板が付けられている。母屋と同じ配色のため?と思ったが、鴨居中央に小さい羊の頭の飾りが付けられていた。遊牧民の厄除けや、過越際の故事に習った飾りだろうか。日本の鳥居や中国語圏の正月飾りにも似ている。部屋の飾りといい、花の鉢植えと良い、様々行き届いているのが分かる。
 朝の挨拶、お好きな席にと勧められる。広いダイニングテーブルには8人分の席に食器やナプキン、シルバーも4つずつ、グラスにカップ、飲み物各種、水にはミントやレモンの輪切り、パウンドケーキやバターやジャム、チョコレートソースやスプレーホイップ、メープルシロップに蜂蜜も有り、小ぶりの林檎や台座に載った茹で卵、チーズやサラミも数種類・・・。それだけでもう朝から大変豪華な景色だ。
 先に食事をしている男女の向かい、部屋を見渡す席に座ると、向こうの窓から昨夜の国旗が揺らいで見えた。宿の奥さんが「紅茶か珈琲どちらにしますか」と勧めてくれる。珈琲を注いで下さった。それに続いて焼きたてのパンケーキが。「お好きにとってお召し下さい。欲しい分だけ焼きますので。飲み物は足りていますか?」と親切だった。
 リビングの大きなテレビから、英国エリザベス女王御隠れになったとの報。奥様はテーブル横で我々ゲストに話題を投げかける。あれこれと話が進むとトーキョージャパーンへおいでになったことがあるとのこと。なるほどやはり、それでジャパンという部屋があるのですねと伺うとやはりそれで名を付けたらしい。
「そうそう、私のゲストノートにひと言日本語を書いてくれませんか。色々な国の言葉を学んでいるんです。」見せていただくと、中文や英文で、多くの旅人たちが素晴らしい朝食への感謝を記していた。確かにこの朝を経験することは、旅路を活気づけ有意義な一日にするだろう。そしてまたアンカレッジを訪れるなら必ずやここに泊まるであろうし、アラスカの旅の記憶の一部になる。
「一期一会 One time, one meeting」とだけ書いた。人に与える「経験の質」に傾注するのだ。ここで学んだことの一つだ。たった一晩ではあったが、一生残る経験になった。
 さて9時、良い気分、勇気をもって帰国の前のひと仕事。オンラインでの日本入国書類の提出。時はコロなか。コロあけコロぬけ間近であろうか、三度の接種証明でようやく検査も隔離も無しでの渡航が出来るようになって間もない。御役所業務に付き合わされて、その証明書をネットで登録。父のは数度試して通ったのだが、自分のものだけ何度やっても審査が通らず、何が悪いというのだろうか。証明書の画質を変え、データファイルの形式を変え、書式を改め組み合わせを変え、それら全ての組み合わせを試し、1回1回審査を待たされ・・・。
 激動のこのコロなか、実に言霊の幸う我が国は開国を果たしているのか。この年の春、この任意の事前申請をせずに帰国したら下総国佐倉藩の関所・御役所・御奉行様に引っ立てられて、何十人もの立ち話に興じる御役人を前にしながら気の遠くなるほど待たされ候のち罪人の如く尋問詰問取り調べ市中引き回しの上打ち首獄門晒し首に庭先で火刑切腹、加えて終生遠島江戸百里四方所払いに遭う苦い思い出。何としても済ませておきたくアラスカで、値千金の2時間を費やす。
 11時、諦めよう。尽力も甲斐無く出発の時刻になってしまった。待っている間に空港行きのバスの路線を調べて荷づくりをしておいた。バス代の小銭を用意できなかったが、宿の奥さんに挨拶をし、外へ出て宿の構えを写真に撮る。屋根高くから星条旗、アラスカ州旗、欧州旗に続いて上から3色赤白青のオランダ国旗が。よく見れば玄関扉のすぐそばに木靴が掛かっているし、鉢植えの花はどれもチューリップ、外観も白地の壁に赤い窓枠、アラスカ州旗を模した青壁、オランダ国旗と同じ3色。天ぷら、かすてら、金平糖はポルトガル語か。博多どんたくがオランダ語。良い宿であった。父も大層感心していた。
 住宅街を歩いてバス停へ向かう。通りすがりに軒先の広い庭、煌めく木漏れ日に青々と美しい芝生、黄色の落ち葉。その家は平屋のログハウスに黒い積み石の壁を組み合わせた建物で、調和した色合いが実に良い。外壁に大きな木彫りの魚が掛かっている。泊まった宿の玄関にも群れて泳ぐオーナメントが掛けてあった。何だろうこれらは。節分追儺、鬼遣らいの柊鰯か。はす向かいでは家の前に立てたバスケットゴールに向かって、ドリブルしながらシュートをしながら片方の手のスマートフォンでYouTubeを見る半裸の少年。貴様一事に傾注せよ。
 大通りに出て交差点を越えバス停で待つ。待っていても陽射しがあって寒くはない。来たバスに乗り、不意に5ドルを見せたら1日乗車券を発券、買ってしまった。1ドル空費、米ドル残りを完璧な配分で残していたので乗り継ぎが出来なくなる。運転手に事情を伝え、二人ともそれで乗せてもらった。御陰で何とか乗り継ぎも出来、12時無事に空港に着く。
 離陸は15時15分、搭乗は14時40分。PCRが不要な分、朝から随分のんびりとして余裕がある。エアカナダのチェックインカウンターは空港内の一番端で、早くも長い列が出来ている。並んで待たずに座って待つ。目の前に2頭のホッキョクグマの剥製、牙を剥き出し仁王立ち、グリズリーベアも仁王立ち、見上げるタヌキか何かの剥製、鹿の骨。
 日本帰国の証明書類を再度登録。何度か試すがやはり変わらず、ネット回線の不具合という訳でもないようだ。昨夜の渡加の申請は当然一度で数分で済んだのだが。まさか異国語が読み取れないのか御役所一同!三度とも英語圏で接種したため証明書類も英語だった。必要事項に馬鹿丁寧な赤線を引き、いやまさかさすがに和訳は要らないだろうと若干疑いながらも送る。始めのものと同じファイルで難なく通過、受理された。何だそりゃ、小学生のままごとか。
 13時半、列び始めてもう少し待ち、荷物を預け航空券をもらって移動、保安検査へ。その後売店で父は再び家族へ土産、自分は小銭の整理に薬品に似たサプリメントか何かを買った。残りの小銭は五月雨募金。大抵の空港には、探せば募金を募る箱なり何なりが置いてある。それを探して歩き回るとやはり何やらそれらしい、真紅のブラックホールがひとつ。途上国の医療品への募金だそうだ。円周付近に伸びている高さを付けたスライダーからコインを入れるとブラックホールをくるくるくるくる回転しながら最後に奈落に落ちる寸法。全てのコインを握りしめ、全額投資、五月雨式に募金してゆく。全米セントを投じて眺める、まるで天かける銀河の如し。リターンはプライスレス。
 よく読みもせずサプリメントか何かの包みを破り、粒剤を口に流した。突如爆発的な炭酸ガスが発生し、鼻腔口腔肺胸腔まで駆け抜けて焼き尽くされる!よく読んでみれば水に溶かして飲むジュースの素だ。ビタミンC的な何かであることはひと目で見抜いていたのだが、これは凄まじい気つけだ、キマるやつや。その名も”Emergen-C”、「危ないC」とでも訳しておく。もう一袋は密輸しよう、末端価格は天文学的桁数になろう。
 搭乗、北米路線の高い読書率。座席は通路側。飛行時間は3時間12分、現地時刻の19時27分着。珈琲と音楽でやり過ごす。降機、入国、荷物の回収、スカイトレイン、カナダライン。毎週のように繰り返しているこの移動、さすがにもう周囲に珍しがるものも無い。バンクーバーの都心で降りてICカードに入金しておき、道を下って前回の宿、21時にチェックイン。
 21時半、荷物を置いて、小さなリュックを持って買い出し。「ビールがあればあとは何でも」それは即ち肉も魚も。豪華にいこう。近くのスーパー、肉も魚も腸詰めも買い、サラダに卵に玉葱に、前の酒屋でビールも3本買って帰る。
 22時、キッチンへ。鮭もステーキもチョリソーも焼く、卵も焼いて目玉焼き、玉葱も焼いて玉葱焼き、サラダにオニオンスライスを載せ、ビールを用意し軽く片付けバルコニーへ。22時過ぎ、即製豪華な遅めの夕食。無事達成の安堵もあって普段飲まない御酒もなかなか。
 宿の裏通りを見下ろすと、向かいの駐車場にある白コンテナに黒スプレーを吹きかける男。大通り向きに視線をちらちら。2色目緑、3色目青、4色目白、5色目オレンジ。
 23時過ぎ、食器を任せて日記を書いて、部屋に戻ってシャワーを浴びる。熟練シャンプーソムリエによる夜のシャンプーのテイスティング。未だ分からずこの日も三度。日々精進。
 夜1時、柔軟をして寝ようかと思ったが、窓の外を眺めると例の5色のスプレー塗装は完了していた。電線にはスニーカーがぶら下がっていた。夜中遠くに聞こえるサイレンの音が懐かしい。