9月 9日(金) アラスカ4日目
 7時に起きると昨日の雨が嘘のよう、からりとしてテントを乾かす必要がないほど爽やかな秋晴れ朝だった。柔軟をして片付け荷づくりを済ませる。今日は正午過ぎの列車に乗ってアラスカ南部の街まで進む予定だ。8時05分、又は30分の上り西行きのバスならば、現在の国立公園最も奥の地点まで、乗ってそのまま下れば間に合う。見物もでき、そのまま帰れて都合が良い。乗ってそのまま下れるのかは不明だったが。
 使いかけのガス缶を共有用の保管箱に残し、荷物を引きずり山道へ。景色を観ながらバスを待った。8時15分。東の山の背後から、太陽の輝きがこぼれ出す。極地の冷え込む風の中で、黄色い木の葉の密度を薄くしてゆく木々が、待っていたとばかりに輝き出す。その山の斜面はまだ陰、青い空気をまとっていた。同様に南の山は陽を受けず、眠ったように鈍い色をしていたが、陽が照り出すと昨日を超える木々の鮮やかさと岩場のブラウン、背景の爽やかな青空との対比で一層美しく見えた。
 8時半、大勢を乗せた緑の上りのシャトルバスが来る。荷物は前席に、空いた席に腰掛けて西へ走る。昨日歩いた場所なんて5分と掛からない。15分、驚くほど爽やかに晴れた青空の下に、広大な黄金の絨毯が広がる丘陵地帯。くぼんだ溝には僅かに雪も残っている。その絶景を左手に、下り坂を飛ばしていく贅沢なシャトルバス。突然一人の乗客女性が叫ぶ「カリブー9時!」まだ9時前や。進行方向丁度左手9時の丘に、米粒ほどの大きさでカリブーが草を食んでいるらしいのが見えるような見えないような。バスは停まり、乗客は沸き立って双眼鏡やカメラを向ける。写真を撮って拡大してようやくこれか?と思うくらいの小さな何か。トナカイ1頭写しているのにこの米粒!漫然と景色の広さを自分の物差しで判断しながら眺めていたとようやく気づく。目の前で見ているよりも遙かに広いその丘の、金の絨毯の巨大さにこそ驚いてしまった。
 充分に時間を取って、皆充分にその大型動物を眺め終えたら再び出発。崖下に広がる平面、流れる幾筋もの浅い川が見えてくる。9時を過ぎた頃、”East Fork Bridge”着。道幅が広くなった橋のたもとに停車した。川の向こうには管理車両と簡易手洗い、車輪の付いた三角形の小さな小屋が置かれている。ここが現在公園車道の最奥、この先は地滑りの為通行出来ない。
 10分駐まって折り返し東へ行くという。バスを降りて外に立つとこの上なく爽やかだ。ひんやりした風、温かい朝の陽射しと真っ青な空、川辺や斜面の金錦。天地の間に連なる雪山、それをなぞるように煙り立つ雲。良いものを呼吸している。川幅は随分広いが流れる水は細々として瀬も淵も浅い、雪解け水の名残だろうか。バスには戻らずハイキングに向かう人々も多い。川辺に下りて砂利岸を伝い、遠くの山の方まで歩いて行く様子。素晴らしい経験になることだろう。
 休憩を終えてバスに戻る。前方窓際の席に着いた。走り出すと今度は右手に丘陵地帯と遠い峰々。男性運転手の抑え気味の抑揚、和やかで美しい英語の解説。聴いていると「デナリ山の頂上が見えますよ」と言う。沸き立つ乗客。どれであろうか、手前に丘、その奥に山、雪は無い。更に奥へと山が連なりその向こう、山際の奥、雲に霞んだ白い峰が二つ。右手に鋭い北のピーク標高5934m、左に南の最高峰、標高6194mのデナリ山頂。見えた!一瞬でも観られる日が夏でも月に4日程度という景色らしい。随分運が良かったようだ、天気に、巡り合わせに感謝。
 その後も沿道で雷鳥を見かけたり、野生の黒い鶏を見たり、雛鳥3、4羽連れの雷鳥も見かけたり。運転手もこんなに見かけるのは初めてだという。戻る途中の真っ赤な景色は、ほんの僅かな時の経つ間に、紫色でも混ぜたかのように更に色濃く染まって見えた。
 全部合わせて3時間走り、沿道の景色を全て眺めて国立公園入り口付近に戻って来る。バス運転手に声を掛けると駅の付近で下ろしてくれると親切だった。11時半、降りた車道を逸れて進むと見覚えのある建物がある。一番始めに入った観光センター、その隣にはカフェや土産屋。まだ時間があるので荷物を置いて、父は家族にアラスカ土産、デナリ土産を買いに入った。
 12時。買い物を終え、線路横の小さな駅舎に向かって坂を下る。切符を発券、外で甲斐甲斐しく行き来するフォークリフトに声を掛け、行き先を告げて荷物を預ける。列車はようやく駅に入って来たところだが荷預けはもう皆済んでいるらしかった。前から眺める青と黄色の機関車両が厳めしい。乗客が降りていくのを並んで待つ。降り切ってしばらくすると男乗務員が狂った声量で乗車の呼びかけ。
 12時半、定刻通りに出発した。アラスカ南部のアンカレッジまで400km弱8時間、長い列車の旅になる。
 走り始めて1時間、山岳地帯が長く続いた。濃い緑と鮮やかな黄色が織り混ざった山の裾野の広い森、間を流れる薄青の川。遠くに見渡す赤黄の丘や山並みは、空気で青く霞んでいる。背後に走る薄雲の白とターコイズの空。山を下りると緯度も低まる。黄色に色づく広葉樹は減り、川辺に広がる草原地帯か湿地帯か。その背後、山際に掛けて針葉樹の森、そして後ろに高さに応じて雪山か又は岩肌の山。撮ってうとうと、撮ってはうとうと。
 2、3の街に停車して乗客の乗り降りがある。一つ目「ハリケーン」は山中の渓谷。二つ目、デナリの駅から200kmほど南下した「タルキートナ」はデナリ山等への登山者がベースとする街。僻地での罠猟や採掘場として始まった街だそうだ。「電気もガスも水道も無し」の居住場所が一年を通じて貸し出しされているのだとか。三つ目はアンカレッジまであと70kmほどの所に「ワシラ」。入り江の先の川注ぐ街。肥沃な農地や犬ぞり等のレジャー。
 17時、食堂車で父に軽食を。クッキー3枚、林檎ジュース。しばらく景色を眺めて戻り、再び写真を撮ってはうとうと。音楽を聴いたりなんだりしていると森が途切れて入り江、水辺が見えだしたり、速度が落ちて市街地に差し掛かったり。
 20時。西の海辺に向かって進み、アラスカ最大の都市アンカレッジに到着した。列車を降りるとホームがあった。進行方向西の先には雲間に眩しく輝く夕陽。大きな駅舎に掛かる看板、青と黄色で”ANCHORAGE, ALASKA”とある。外で荷物の受け渡しを待つ列に並ぶ。風が冷たい。壁際で待ち30分、ようやく回収すぐさまタクシー。日の入りの後の街を行く。アラスカだからと考えていたが、遙かに広くて大きな街だ。
 21時、日も暮れた住宅街、ミッドタウンそばの宿に到着。北米らしい立派な佇まいの邸宅を、素敵な寄せ植えや大きな庭の大きな木々が囲んでいる。2台分のガレージに続くなだらかな斜めの屋根には、欧州各国の国旗が並ぶ。確かにここだろう。明るく照らされた玄関扉の小窓には紙が1枚、自分の名が。入ってみると階段の踊り場同様、上下の階への途中であった。さてオーナーはどちらだろう、靴は脱ぐのか、入って良いのか?
 感じの良い中年女性の奥様が、どこからともなく現れて迎えてくれた。平易な英語、宿の名前からしても、欧州からの移民の方であるらしい。パスポートを見せチェックイン、玄関横の郵便受けから名前の書かれた封筒を出し、巨大な1セント硬貨のキーホルダーが付いた鍵を受け取る。CD大の金属の板に小さな鍵がおまけのようだ。下階の部屋へと案内された。部屋の名はイターリア、欧州だけかと思いきや惜しくも向かいの部屋がジャパーン。そろそろ行くからまあいいか。
 下階リビングで少々待つ。アラスカの詳細地図の本が近くに。「一生来ることはないと思っていた」と言う父。地図有る場所は、その気になればどうにかなる。地上ならば何処へでも、バスも列車もタクシーも、人の仕事と働きあれば。
 冥土浄土の地図は無いのか。一生行くことはないと思ったまま行く。遅かれ早かれこれからそちらへ行こうという父、半世紀も経てば追う己、1世紀後には全ての人も余さず続く。
 このアラスカの絶景くらいに、恋い焦がれて待つ場所であろうか。それとも忌避して止まない場所か。生き方が、それをそのまま表している。生き方に相応しい場所に行き着く。人生望んだ通りになる。
 呼びが掛かる。ベッド2つを並べ合わせた部屋のしつらえを、オーナー夫婦がすぐ申し出て1台ずつに直してくれていたのだ。備品や設備、明日の朝食の時刻や場所、「食事には”Moose’s Tooth”というレストランをおすすめします」と地元の料理(つまりピザ)を出してくれる早口言葉のような店まで教えてもらい、部屋に入ってようやく一息。
 朝の8時半からこの時間まで、12時間以上移動続きだった。座っていただけのはずだが、いや、むしろだからこそ大儀に感じる。日々は黄泉への移動のさなか。部屋には名前の通りにベネチアやローマの写真、舞踏会など思わせる仮面が飾られていた。ジャパーンの飾りは何だろうか。
 21時半、荷物を広げては整えて、夜歩きがてらひと歩き買い物へ出た。来る途中に見たフレッドマイヤーへ勘で行く。道すがら、家々の軒先に見るバスケットゴールのボードや小型のトレーラーカーなどを帰り道の目印に。芝生の広場は斜めに突っ切る、やたら深い、水音もする。暗い夜空に向かって巨大なパラボラアンテナが立っていた。
 22時前、巨大スーパーフレッドマイヤー。入り口にガムだのカプセルだののガシャガシャ。入ってすぐに惣菜類が並んでいる。ハムやチーズや野菜を挟んだ、自分の腕より大きなパニーニ。広すぎて買い歩くのが面倒だ。林檎と西瓜で充分ですよ。「ビールを」と言われていたが酒の並んだ区画は閉ざされていた。林檎1個とカット西瓜を買って出る。
 再びてくてく、芝生の広場は斜めに突っ切る。芝生を見るとまるで何者かが踏み荒らしたかのように、広場を斜めに突っ切っている恐ろしいほど克明な足跡が。
 22時半、足跡と目印を辿り宿に戻ってひと仕事、カナダ入国のウェブ手続きをもう一度。それが済んだら機器を充電、ゆっくりシャワーを浴びて柔軟。日記を付ける。
 24時に眠りについた。
 開けた窓からひやりと冴える夜の空気。
 アラスカの旅を遂げた。