8月26日(金) ユーコン川2日目
 夜明けの弱い光に気づいて目を醒ます。そうだ、川の旅の途上にいた。何時だろう、もう起きた方が良いのだろうか。早い内に、凪の内に。今日はどのくらい進めば良いのか。
 普段時間や時刻に追われて生きている。その習性が、それに相応しい思考を受け取る。しかしテントの入り口を開け、爽やかな朝の空気が喉鼻肺を喜ばせる。吐く息とともに出る言葉は「まあええやろ」。眠りたいだけ眠る。眠気も全行程に必要な道具。食事を待つ空腹も心地良い。
 7時。また目を醒ますと地面には陽が当たらないうちに空は明るく青く見え始めて、日の出から時間が経っていることを感じた。東の森が陽光を遮っていたようだ。寒さもなく、寝心地は充分だった。身体を伸ばして深呼吸、香り豊かで爽やかなエア・ド・ユーコン。熟練空気ソムリエの利き空気、遠征。続いていつもの柔軟を。体力の温存にトレーニングは中断していた。
 湖の景色を見に坂を下る。よく晴れて、航空航路か細長い雲が西へ1つ伸びている。後は山を越えた風が薄雲になり、空の低いところを少し霞ませている程度。小さな波が等間隔で寄せて来ていた。光の加減で波の表は青黒く、波の背は青白く。昨夜の荒波はどこへやら、穏やかなものだ。正面西の山は陽を受けて朱い。土肌、木々の緑、僅かに残る雪の白も朱に染まっているのだが、手前にもう一つ丘でもあるかのように、水辺から山なりに黒い影が残っている。それを見て湖面にもまだ朝陽が当たっていないことに気づく。背後遠くの山が湖面と対岸にまで影をつくっているらしかった。
 随分大きな影遊びに放り込まれた気分だ。起き出したときの光の違和感が晴れた。空も快晴。衣類の首元を緩くして澄んだ波を掬い、顔を洗った。すぐそばのカヌーの縁を持ち上げて、食料を取り出す。荒らされてはいないらしい。坂の途中の小屋の前まで運び出し、軒先の横板に腰掛けて、クーラーから西瓜を。バレルからプレーンヨーグルトを。荷物から木の匙を。クーラーを小さなテーブル代わりに朝食を並べて手を合わせる。40kmの航路の後、33時間ぶりの食事。どこで作られたものだろう、不思議な巡り合わせを想う。園芸と、酪農と、物流の賜物だった。探せば探すだけ多様の表現を以て、これら生命力の結実した糧への讃美を記すことが出来そうだ。背すじを駆ける、自身の生命力。
 眼前に、薄紅の西瓜の一角。手に取るだけで、口に含む前からそうと分かる瑞々しさを湛えている。静かに一口。噛むより早く、冷たい潤みが喉を通って、淡く甘い澄んだ香りが鼻腔を駆ける。歯触りの良い果肉、噛むほど溢れるように果汁が湧いて喉を駆け下りる。渦巻いていた渇きと飢えの不均衡を、内臓に達した快い液が掻き消してゆく。
 欠けたパズルを満たすように胃に収まり、身体に染み渡っていく。消え去る抑圧、葛藤、不均衡の焦点。望んだ調和に完全に応える恩恵だった。普段見向きもしないこともあるほんの一掴みの西瓜の塊が、これほど渇きを癒やして意識を輝かせるものか。これ以上の西瓜はこの先しばらく巡り会わないかもしれない。
 その感覚を少しの間味わってから、”OIKOS”プレーンヨーグルト。初めて食べたがこちらの美味しさにも驚く。空腹のためか、製品の良さなのかはさておき。多分何を食べても大体美味しいだろう。
 8時。食事に気を取られてバレルやクーラーを陽に当てていた。いや、いつの間にか日が当たっていることに気づかなかった。影に置いた方が良かったか。まあええ。飢えの去ったところで、凪の内に出発するか、それとも父が起きるのを待つか。きっと自分以上に休息が必要だろう、波風は気にせず自然と起き出すのを待とう。
 それまで今後の行程を計画・計算しておこうと地図を開いた。7日間、毎日43kmずつ進めれば累計301kmに達する。丁度良さそうだ。それに合わせて都合良くキャンプ地が有るわけではないから、その前後で大体の見当を付けていく。だがしかし、そもそもまずこの日だ。早速今日どれだけ進めるのか見当が付かない。またあの波の中を行くことになれば、更に明日も湖で波に揉まれているかもしれない。それだと以降は時間に追われる旅になりそうだ。やはり早くに出発するべきか?・・・まあええわ、だ。考えても行ってみなくてはどうにも分からない。予測を越えた範疇に、思考が迷い込まぬよう気をつけよう。差し当たって43km先がどの辺りかと地図をめくっていくと下流側へ4ページ先、湖の北端に近い右岸”GODDARD POINT”「ゴダードポイント」と名前がある。
 その他にも湖岸の状態や地形の情報が並んでいるのだが、それに並んで”EXCELLENT CAMP”の表記があった。おお。ここまで見かけなかった表記だ。野営にどの程度適しているか、地図の作者によって何段階かで評価されている。ページを前後しながら改めて確認した。それらの表記を語感の順に並べてみると恐らく以下のようになるだろう。
 ”EXCELLENT CAMP” → “VERY GOOD CAMP” →
“GOOD CAMP” → “FAIR CAMP” → “POTENTIAL CAMP”
( “ごっついええ” → “ほんまええ” →
“ええ” → “ぼちぼち” → “いけるんちゃう?しらんけど” )
 最も表記の多かったものは最下の”POTENTIAL CAMP”、次いで中位の”GOOD CAMP”で合わせて8割を越える印象だ。語感からして”GOOD CAMP”以上の場所で泊まりたい。そしてここから丁度ノルマの43km先に、数少ない”EXCELLENT CAMP”があるのだと書かれている。つまりそれは目指さなくてはならないということだ。そうなのだ。つまりそれは今夜”EXCELLENT CAMP”に泊まれるということなのだ。そういうわけで今日は波も風も無いのであり、ルンルンで進むというわけだ。そしてその後も順調に43kmずつ進めるということなのだ。もうゴールしたも同然なのだ。
 9時30分。長いこと地図を眺めていたのか、もうテントにも陽が当たっていた。中の荷物を出して逆さまにし、底の部分を陽に当てて乾かす。マットや寝袋もしばらく日の光に当てて干した。そんな作業の音でようやく父も起き出して、同様に寝具等を乾かし始めた。
 通信はここまでだろうから、家族に連絡をしておく。次の連絡は早くて5日後。昨晩のあの情景は、写真だけでも伝えておきたい。そしていま貴重な歴史ある廃村にいることも。
 その後揃っての朝食に、何食わぬ顔でシーザーサラダを食べる。朝食その2。袋の中でベーコンやチーズやクルトン、最後にソースを混ぜ合わせて割り箸でつんつん。野菜でも充分満たされる。いや、満たされていると野菜の美味しさが分かる。父は湯を沸かして袋麺、パン。
 食事を済ませてマット、寝袋、テントを畳み、その他の荷物を取りまとめてドライバッグに収納。テントや寝具の片付けならば、もう何の試行錯誤も思考もなしに日が出れば干し、食事が済めば折って畳んで片付けるという習慣になっている。いつのまにやら慣れたものだが、しかしその後どうするのか、手が止まっているのに気づいてようやく考え出す。そういえば野営後の出発は初めてだった。荷物の取りまとめや出発の支度に対して「身体が勝手に動いてくれる感覚」がまだない。
「先に食料を運ぶのか?ドライバッグに詰めるのか?ライフジャケットを付けるのか?」そんなのどれが先でもいいのだが、それが分からずわざわざ思考にお伺いを立てる。アタマの中委員会本会議両院協議会国民投票大統領選挙諦めを経て「どれが先でも良いのでは?」との結論に至りようやく行動に移すといった状態。で、あとになって「ライフジャケットは後回しで良いのでは?」という上記一連の民主主義的手続きを再び経て「ライフジャケットは後回しで良いのでは?」という法案が可決公布されたりする。
 ああ、久しぶりの、学びの真っ最中だ。いわゆる”老い”によってこの学習速度が遅いとか、慣れたパターンの行動しか思いつかないとか、手当たり次第に試行錯誤して学ぼうとしなくなったりということがいわれる。それとも逆に意欲が無い状態が、”老いている”のと同様に学びや適応を困難にしているのか。確かに歳を経るほど目新しい、経験の無い状況に出会うことが少なくなっていく。こどもの頃と学習速度はそれほど変わらないとしても、学習の機会が減ってるから、学習や習得の意図だけ忘れていたのかもしれない。
 岸辺に運んで表に返したカヌーを水際に、それから荷物を積み込んだ。積んだ荷物の上、手の届くところに地図や水筒、ナッツで満たしたボトルを置いておく。木に結んだ舫い縄を解いてまとめ、舳先の持ち手の穴に収める。手が黒ずむのを嫌って左手に軍手。
 10時45分。支度は済んだがこれで出発して良いのかどうか確信が無い。湖に半ば押し出して乗り込んだカヌーから、念の為ともう一度下りて周囲を見回した。忘れ物は特に見当たらないし、荷物の積み方も昨日と同様。今日はカメラも背負っている。不慣れさが、考える範囲や確認する範囲を大にする。まあええやろ。印象深い夕べを過ごした場所だから、名残惜しく想ったのか。岸から見上げた木の葉のトンネルと坂の景色を写真に収めた。
 カヌーに戻り、パドルで瀬を押して後進、水にふわりと浮かび出る感覚が、川の旅再開の合図。右舷を掻いて進路北方に向き直ったら、出発時刻を記して地図を背後に。腰を据え、パドルを両手で構え直し、双肩両腕を鼓舞する。自然と意識が波、風、気温に注がれていく。必要な情報が詰まっているらしい。いざラバージュ走破へ。
 波は昨日よりも低く、進路と同じ向きに進んでいた。空は快晴、陽が温かい。昼から風が強まると予報にあったが北向きに吹くとあり、それならむしろ都合が良いのではないかと楽観している。追い波追い風追い日光だ。
 昨日の反省もあり、東の岸伝いに進んだ。湖岸には砂利、低木、流木や真新しく倒れた木、手前に広葉樹、奥に針葉樹などが並ぶ。西側の岸は3~4km離れており、なだらかで広々とした裾野に森の緑が見えるか、所々岩肌が覗いているか。その背後の峰は空気に霞んで青く見える距離。山脈に含まれているのか、尾根が南北に長く高低差がないから目印になりそうな形はない。北の方を眺めると遙か遠くに青く白く霞んだ稜線が、空の低いところ、湖水と混じりそうな色でやっと見える。自然と谷になっている方へ進んで行くことになるのだろうと考える。知覚に頼った単純な考えか。
 ・・・それにしてもあの白く霞むほど遠くまで、こんな小舟と櫂で行けるのか。50kmといえば、一度に走ったことも歩いたことも無い。身近な距離感覚で捉えようとすると恐ろしいほどの道のりを波に揺られて進むことになる。東京駅から西に八王子、相模原、北に鴻巣、つくば、東に成田までの距離。そもそもそんな大きさの湖があるのかと、今その波に揺られ遙か遠くを見渡しながらも実感が湧かない。渡航前、地図を見ても何の想像も浮かべずにいたが、いざ目の前に立たされると気の遠くなるような行程だ。
 只一櫂一櫂進むほかないのか。ないはずだとは分かってはいるが。
 まあええわと漕ぎ出したはずが、昨日と同じ疑問が頭をよぎる。わざわざ不自由しながら進む意義は何だ。
 同じ答えがそれに応じる。アタマの予測の範疇を超えている。実足にのみ授けられるどろりと熱い現実の経験。
 長年の恋着と莫大な投資を続けている”ぼくのよそうとかんがえ”の渦から、何とか意図を引き離し、アタマをなだめて連れて行くにはとても不十分な誘い文句だ。何の説得力も確証もない。でも、だからこそやってみないとね。疑い深い思考を黙らせるには。望んだとおりになると信じて。
 今は専ら東岸との距離を保ちつつ、せり出した岸があればその突端に向けて進もう。カヌー後方から前方へと舟底を過ぎていく波、追い波と考えていたが、舟を後押しするわけではないようだ。漕がずにいるとただカヌーを上下に揺らすだけ、川の勢いとは別物だった。津波との違いを思わせる。波は水面で上下している。縦に揺らした大縄と同じ、その上下動は連続的に場所を変えているように見えるが、水が横に移動している訳ではない。ただその場で高さを変えているだけだ。
 だから船尾船首を交互に揺らし、身体の重心を高く低く、漕ぎづらくするだけだった。これでもまだ穏やかな方だろう。荒れる前に少しでも距離を稼ぎたい。となればともかく漕ぎ続ける。左手の軍手が手の力を散らしてしまうように感じた。軍手を外して予備のパドルに持ち替える。
 速さを気にして岸を横目に見ながら漕いでいると、前日の川での移動速度より随分遅い。歩いた方が速いのではないかと思ってしまう。それに対する単調なパドリング、単調な波、景色も大きく変化はしない。何かに意識を注ぐ感覚が遠退いて、うとうと眠気を感じ出す。舟を漕ぐとはこのことだ。こんな波間で、のんびり揺れつつ眠れるのなら心地良さそうだが。
 出発から1時間。波に応じながらの進行に疲れて、早くも休憩に上がれそうな岸を探していた。地図上の「古タイヤ、ドラム缶の残された浅瀬の浜」がそろそろ見えてくるはずで、”GOOD CAMP”の表記もある。あれかこれかと目を凝らす。しかしその目印がなかなか見当たらず、現在位置にも自信がなくなってくる。そんな中、流木の横たわる白い砂利浜が見えた。「少し休もう」と後席に声を掛けて進路を岸寄りに、上下に揺れながら瀬に近づき荒々しく着岸、縄を持ちながらすぐに下りて引き寄せる、舳先の縁に手を掛けて更に引き上げる、後席が下りた後で尚引き上げる。すぐに縄で陸に繋いでおきたいところだが、まともな立木が一つも無い。大ぶりの流木を頼って気休めに縄をまとわせる。
 少しの休憩ならばと思って手近に見つけた浜に飛びついたのだが、奥行きがほとんど無い。カヌーの全長を収めるのがやっとだ。岩場まで下がって砂利の上に腰を下ろしたが、波が迫る様子に気が休まらない。父は平気な様子で、カヌーの横、波が足を洗うのではないかというほど水の近くに寝転んで写真を撮っている。こういうとき、陸育ちの自分が持たないものを垣間見る。父は走行中も好んでダブルパドルを用い、後席を水浸しにしても平気な様子だった。ーーーかつて両親と弟、4人で帰省した遠くの島の故郷の海で、泳ぎ飽きた自分のゴーグルを貸せといい、着の身着のまま小刀を片手に、波の砕ける磯浜の岩の下めがけて飛び込んだ。その両脚が海面から逆さに出ていると思ったら、ごうとうねる波に揺られてほどなく水中に消えた。その光景が浮かぶ。その後数分ひと潜りで、あれやこれやの海の幸を抱えて戻る父。何が起きたのか理解の追いつかない我次男、気づいてもいない末三男。焼いて食べた。ーーー海育ち、淡水の細波など何でもないというごとく。陸育ち、心細い。
 さて時刻は12時20分、出発から90分ほど漕いだ。どのくらい進んだのだろうか。現在位置を把握しようと、双眼鏡で特徴のある対岸の地形を読み取ろうと試してみたが、奥行きを判別することが出来ず分からない。
 地図の作者も承知のようで、岸に沿って”急な坂”、”低い岩場”、”低地”、”岩の斜面”、”木々の並ぶ砂利岸”、”茂み”などといった情報が細かく記されているのだが、如何せん波に注意を取られて地形の把握は疎かだった。GPS。まだ携帯電話の電波はあったが、現在位置の把握はオフラインでも可能だ。渡航前に行程全域の地図データもダウンロードしておいた。さて現在位置は。なんとまだやっと5km進んだだけ、時速に換算すると約3km、落胆。父にも告げるとやはり落胆の色。このペースではあと12時間、24時まで漕ぎ続けても目標に達しない。まだ波も穏やかな方だと思うのだが、それでもその有る無しが体力気力に大きく影響している。この後荒れ始めたらと考えると前途多難である。ナッツをパクパク。
 12時45分、休憩を終えて再出発。波際の心細さに休まりもせず、前途を思えば気も重かった。それでも天気は良い。風も追い風のようではある。変わらず木々の並ぶ砂利岸沿いを進んだ。
 木々の間や低木の茂みに刺さるように、太い丸太のまま白くなった流木が並んでいる。水面よりも高いところで、地面を隠すほどの数。森の豊かさを感じる。流れ着いたものというよりも、その場その場で育ち、枯れ、倒れ、朽ちるのを波に濯がれながら待つようだった。いずれ再び同じ生命力が、木の表現を以てその場に育ち、枯れ、倒れ、朽ちる。何の思考も抵抗も執着もせずに、あるべき通りを全うしている。自身一本の生き死に拘うことが無い。育っては朽ち、育っては朽ち、その永遠に巡るサイクル自体が生命か。木も人もその器、一時の容れ物と思えば、ほんの数日数時間の差を憂うのも微笑ましい。
 太陽も高くへ。風が吹きはじめる。波が高くなってきた。
 自然の奏でるリズムを探す。同じ宇宙の量子の波だ、互いに気の合う波長もあるだろう。ロックかパンクかブルースか、ワルツか演歌か舟唄か。
 身体に馴染むリズムに合わせて漕いでみると、2ステップか2ビート、そんな気分。
 追いかけて来る波頭に櫂を挿すと背を押されるように。
 過ぎて行く波の背に櫂を挿せば引き寄せられるように。
 一つ目の波の表、二つ目の波の裏。
 一つ目の波の表、二つ目の波の裏。
 なんだこれでいいのか、と思う。緩急を交互に、深い呼吸とその脈のように。櫂が呼び波が応える。船首を過ぎる波を追うように、船尾を持ち上げる波には坂を下るように。湖面を滑るように、波の上では休むように。進んでは留まり弾んでは緩み、大きな振り子のようだ。
 そのリズムのままペースを保って漕ぎ続ける。探すのを諦めていた古タイヤの浅瀬が見えた。ドラム缶は見当たらないが、ここを指していたのだろう。それに続いて低木の茂る岩の丘が目印。木々並ぶ岸の水際から10mほど奥に、手で丸くしたような大岩。4階建てのアパートほどの大きさで、その岩肌をこちらに向けている。その背後から奥に針葉樹の並ぶ急斜面、続く土肌は更に急で木々も立たないやや赤い土、もうひと息上ったところが頂点で手で撫でたような丸い岩場が、手前の岩の倍ほどもある見上げるような高さで構える。石灰岩か、側面は陽光に照らされて白く見える。どうやって出来たのだろうかと想像を巡らせる。雨・風・雪に千年万年撫でられて丸みを帯びたのであろうか、それも地質学的ごく最近のことだろう。ーーー北米大陸西部の4800kmに連なるのロッキー山脈、そのカナダ側は主に貝類などの生物が堆積して出来た石灰岩の地質だと聞いたことがあった。耳を疑う死屍累々、否、それほどまでに生命の楽園!眼前に、標高4000mにも届くようなその山々を見ながら。ーーー貝の生き死に、木の生き死に。同じ宇宙の量子の波か。
 わたくし的ごく最近の1時間で、前の休憩場所から5km進んでいた。波の中では良いペースだ。このままもう5~6時間も速度を保てるだろうか。どうだろう、ありそうもないことのように感じる。パドルのシャフトを引く右手が緩んできていた。出発時に使っていたパドルより若干太く、滑りやすい。多少軽いのが救いだが、滑り止めの付いたグローブなどが頭をよぎる。しようのないことだ。パドルを左舷に持ち替えたり、漕ぐ位置や角度を工夫したりして僅かでも省力に、疲れないようにと思考が守りがちに。まさにそのとき、自然の最善のリズムが崩れて、思考の渦の中に消えた。アタマばかりが働き出せば、結局は不安がちになる。苦しいのを受け入れまいと抵抗し、むしろそのせいで疲れていく。行き着く先は病院送り。
 探すべき”疲れない方法”があるのではない。そもそも「どうして疲れると信じたのか」。そういえばどうしてだろう。
 物理の根底を覆す根源的な問いに行き着いた。その瞬間、無限に活力が得られると気づいた。自然と笑みが浮かぶ。なんだ、別に疲れる必要は無いな。昔、武道の稽古中にもあった。運動競技や舞踊、ただのアルバイト中の出来事としても聞いたことがある。これが念願の永久機関だ。
 好きなだけ力を込めてパドルを操る。ハートに任せる最適なリズム、最善のフォーム。”物理”も”波”も、”カヌー”も”パドル”も、アタマが用いる記号だった。疎通や応用には便利だが、いまは要らない。全く分離のない、名の付けられる”部分”が無い経験。
 すいすい進んで面白い。心が問いから自由になって、それが身体に反映される。”疲れ”という「仮説」「幻想」「記号」「制限」を去っていた。好きなだけ次のパドルに力がこもる。好きなだけ活力が湧いた。追い風ぷいぷい波チャプチャプ。
 空の青さ、木々の緑を湖面が見事なエメラルドの無限色でグラデーションに反映する。遠く対岸、丘の中腹、その林には小粒ながら目立つ赤い小屋。少しずつ少しずつ、西の景色の後方へと去って行く。
 稀少な”VERY GOOD CAMP”が近い。気分も良いし、父も休み無く漕ぎ続けているから補給とリフレッシュに少し寄っていこうと思った。しかし地図上の表記よりも実際の岸が大きくせり出しているように見えたり、それが2か所、3か所と繰り返したりしている。思っているよりももっと進んだ場所なのだろうかと、それらしい表記を探して照らし合わせる。そんなことをしているうちに、キャンプ地は過ぎてしまっていたらしい。他に寄れるところがあればそこにしようと思うとすぐに、波の無い入り江が右岸奥に見えた。
 浅瀬の水底から生え並ぶ、枝の細い木々。背後に岸を見え隠れさせている。どういうわけか、岸を封じる柵のように横一列になっており、丁度中央にカヌーの横幅くらいの隙間が。これは「進めの標識」か。「吸い込まれろ」か。吸い込まれるようにその隙間をめがけて進むと、内側はあつらえ向きの砂利の岸。人の手で作られたのではないかと思うほど。
 何の苦も無く岸に上がる。14時30分。カヌーは浮かべたまま、念のため近くの木に舫う。静かで落ち着く陸育ち。更に4km進んだ今日の累計12km地点。
 荷物はそのまま、水分のあるもので補給を。クーラーからカットフルーツを取り出した。色の鮮やかさに惹かれて買ったのだ。真っ赤な苺、半分に切られて断面の紅白も鮮やか。対比を成すような濃い藍色のブルーベリーはビー玉ほどの大粒。赤紫の葡萄、それより甘い薄緑の鮮やかなマスカット。底の方に2色、明るい黄緑と淡いオレンジ色のメロン。染み渡る甘み、冷たさ、瑞々しさ。手に入らない場所で食べる有り難さ。遠く携えるほど価値が増してゆくように感じた。
 14時45分。ほんの15分の休憩で英気を保って走行を再開。前向きに柵状の立木の間を抜ける。いつの間にやら湖上全域に雲が掛かっていた。南側、太陽の方向で輝く白と青み掛かったグレーのコントラストが強いうね雲。南北に延びる形、西の山並みを越えた風生まれか、山際で濃く厚い。山の途切れた北方では薄雲が覆っている。
 入り江から出よう。再び南西からの波の上に進み出る。差し当たって西向きにせり出した”LAURIER CREEK”「ローリエクリーク」を目指して進む。前席で右舷側を漕ぐと、中心線を逸れた力が反作用となり舟の進路を左に逸らす。後席はパドルを船縁に沿って水中でかざし、操舵のごとく用いて逸れた進路を安定させる。単独の場合は、水を掻いた後にパドルをひねるなどして進路を安定させる漕ぎ方がある。ラダーストロークやJストロークなど。現在は後席がダブルパドル、波風も迫りそれどころではなく、なかなか進路が安定しない。船首側の船縁にパドルをかざして水を受けたり、横向きにパドルを動かしたりと妙な方法で何度も進路を正しながら、無限に湧く体力を頼って進んだ。順調な速度だった。
 目指した陸の突端、小さな岬がだんだんと近づく。波の上下は相変わらず。上下に斜めに揺れ動く視界の正面、木々の茂みの手前で、黒くうごめく何か。おやまさか。まさかくま。すかさずカメラを構えレンズキャップを外してシャッター。数枚連続で撮っていると本当にくま。岸辺を四つ足で進みながら地面に鼻を近づけている。そのまますぐに木々の茂みの奥へと姿を消した。見た撮った!黒毛の熊で、這い歩く背の位置は人でいう腰の高さ、立ち上がれば成人と同じくらいかもしれない。
 熊を見た高揚で、最後の手段の緊急電話を見逃していた。まあ、いまは要らない。熊の方が波風以上の脅威だ。熊が姿を消した先が、まさにその電話の置かれる私設小屋と地図に描かれている。そうと知ると、何か人工物でも探していたのかと考えてしまう。人や食品等との接触の経験はあるだろうか。ともあれ貴重な経験をした。この先このまま貴重であればよいのだが。
 何度か岬を振り返り、その後も岸の奥の森の様子を窺いながら進んだ。それにしても本当に熊に気をつけなくてはならない。実際に目にしてようやく気が引き締まる。
 西に回り込んで岬を過ぎ、進路を北向きに直す。波は変わらず南西から。横波を受けるとカヌーがどう揺られるか分からない。なるべく早く船尾から波を受ける進路に立て直す。波間を漂うカモメが2羽、白い親鳥、茶の若鳥。どう揺られても何の差し障りもないようだ。荷物も持たず、地図も無しに親子で湖水浴だろうか。飽きれば飛んで行く。水泳教室も、幼稚園も病院も無しに、よく子育てができるものだと思う。水泳教室も、幼稚園も病院も行かなかったら今の自分はどう違っていただろう。もっとあちこち飛んでいたのか。
 15時15分15km地点。右岸はジグザグと西寄りに狭まっていく。地図によると、湖の東西の幅は今朝出発した辺りの半分程度にまで狭まっているようだった。対岸斜面の森は空気に霞まず緑に見え、木々の一本一本が見分けられる距離だ。それでも対岸まで2kmはある。いざとなっても西岸の野営地を頼ることは出来ないだろう。いまのところは東岸に砂の浜が点在し、野営地も多しと地図にある。しかしその先には「巨大な何か」の表記が10km近く、東岸だけを埋めるように描かれていた。何であろうかこの斜線地帯。地図上、全行程のうち最も大きく目立つ表記だ。山なりの枠線で囲まれた内側を、等高線のような等間隔の線が埋めている。直観的に岩場を表すものであるように感じるのだが、さっきの千年万年手で撫でたような巨岩の場所には描かれていない。行けば分かるのか。
 16時。尚もチャプチャプ20km地点。この一番幅の狭まった辺りが、丁度ラバージュ湖全長の中間だった。いつの間に、あの果てしなく思われた遠景も半分を過ぎようとしている。本当に?「50km漕げ」といわれても実感が湧かなかったが、「もう半分過ぎた」といわれても実感が湧かない。何のことやら。やはり単なる”記号”では、疎通に有用でも実感を与えることが出来ないのだ。チョコレートをその”成分表”で味わおうするようなもの。伝達は不可能でも、ここまで波に揺られ、岸辺で休み、疲れを忘れ、巨岩を見上げ、熊を見かけた実感は、意識に余さず織り込まれている。それで充分。
 さて今日ここまでの平均時速は4km程度だろうが、5時間も続ければ積み重なる。43kmは無理でも、どうにかこの川の旅を完遂しうる走行距離を稼げるのではないかと希望が湧く。時速3kmでは途方にくれていただろうが、時速4kmでは希望が湧く。不思議なものだ。
 右岸にはまもなく岩の上、休憩に適した場所があると聞いてメモしていた。地図にも”GOOD CAMP”と記されている。しかし、距離を稼ぎたい思いで波とパドルに注意を注いでいると、なかなか地形や位置の判別が付かない。それにまだ休み無く進めそうでもあり、進んでおきたくもあった。その岩場での休憩は見送る。そしてそのままあの「巨大な何か」沿岸へ進むことに。
 すでにその姿を見せている巨岩。これまでとは違って水際に立てる瀬が無く、断崖絶壁が湖に接している状態だった。波が直接ぶつかって砕けている。やはり地図のあの表記は岩を示すものだったようだ。そしてその巨大さに見入る。見上げても上辺が見えない。真横までくると風や波が強まり荒れ出した。巨岩の影響なのだろうか。
 23km地点。波の荒さに気圧されながら漕ぎ続けた。奥行き僅かの小さな砂利浜を見つけ、藁をも掴む心境で休憩。10kmのうち3つのキャンプ地の1つだった。そのどれもが”POTENTIAL CAMP”。カヌーを斜めにして浜に上げ、船首側の縄だけ流木に結んでおく。16時45分。高くなった波がすぐそばに迫り、座って休んでいても水飛沫が飛んでくる。いざという場合にはこんな場所で夜を明かすというのか。・・・ナッツパクパク。いちごパクパク。もう味わってリフレッシュしようという心の余裕はない。
 17時20分。長らく休んでいたが、波風が弱まる気配もない。意を決して再度荒波の中へ漕ぎ出す。後席は乗り込んで待機。自分が縄を解いてまとめ、船尾側から水上へ、後退するようにカヌーを押した。狭い岸、高低差が付く。そしてそこに荒波が。後席の父がまともに波を被った。「うひゃー」だ。見ている自分まで「うひゃー」だ。
 何とか水上に戻り、揺れに揉まれながらパドルを頼りに進む。空一面を朧雲が覆って晴れ間は見えない。やや薄暗く風も肌寒くなり、それだけで困難さが増したように感じ始める。そこに高波が寄せ、舵をとられて直進すら難しい。間隔も、寄せる方向も定まっておらず、まさに波に翻弄される感覚だった。それでも進路を念頭に、一櫂一櫂。1回で1m、10回で10m、100回で100m、1000回で1000m。只々それを積み重ねる。1万回で1万m。2万回で2万m、3万回で3万m。進路に沿えば、どれも有意の一櫂だ。指針の無い、闇雲な奮闘や足掻きではないから焦らずに、冷静に、安心して一櫂ごとに注意を注ぐだけで良かった。
 断崖からは距離を保つ。砕ける波にも注ぐ波の荒々しさが、カヌーを岩壁に投げつけて逆さにしそうだ。岩肌に薄いオレンジ色があり、波の当たる部分や降水に濯がれたような部分でそれが多い。堆積岩、礫岩か?岩は高いところでは丸みを帯びて見えるが、中腹や波際では角張った欠落部分や斜めになった層状の崩落が目立つ。苔か草かが岩の上辺に、それに針葉樹も細い谷間やくぼみを埋めるように立つ。緑、オレンジ、薄青い水面の彩り。水面近くをよく見ると30cmほど白く横一線の縞がある。氷や水位の上下によるものだろうか。
 断崖を過ぎても同じく高い岩が続いてはいるのだが、それが陸側奥へ下がっていて気圧されるような高さに感じない。手前にはなだらかな段丘状の坂があり、表面を草原や低木が覆っている。水辺には立木や横たわった流木も並んでいて、もしカヌーから投げ出されても掴まるか、水から上がることが出来そうだった。荒波の中でも、草木の緑の穏やかな眺めと見慣れた岸の様相に安心する。
 小鳥が2羽、こんな波間でチャプチャプ生活。鋭い嘴に茶の身体、黒みがかった羽を広げると白い帯のような縞が見えた。こちらは既に姿勢を維持するだけでも気を取られ手が止まるような有様だったが、あちらはまるで湯船に浮かんだあひる人形のごとき余裕を誇示していた。カメラを向けると飛び立った。
 30km地点。「巨大な何か」であった巨岩沿岸1万mを過ぎた。この先にも巨岩を表す同様の表記が数あるが、幅はどれも1kmに満たない。それでも充分巨大だが、乗り越えてきたものと比べれば自信とあひるを、いや自信と余裕を感じる。とはいえ厚い雲に日も隠れて寒く、風が強まっていた。18時を過ぎている。日照時間に余裕はあるかもしれないが、漫然とは進めない。そろそろ目指す野営地を絞りながら、地形をよく観察して着岸場所を定める必要があった。
 今朝目指すと決めていた”EXCELLENT CAMP”を、まだ目標にしていた。13km先となると早くても21時の到着か。一方、一番近い野営地はここから2km先。”GOOD CAMP”だが、1日の走行目標に10km以上足りない上、まだこの湖の中盤という感覚も焦りになりそうだった。疲れは無いから目標は朝の通りに、進めるだけ進んでおこうと思う。
 地図にある巨岩を、実際の岸と照らし合わせて進もうと試みた。幅が短いとはいえこれだけの高さならば簡単に見つかるだろうと思ったのだが、どれを指しているのやら判然としないまま、どうやら3つ過ぎて、最寄りの”GOOD CAMP”も通り過ぎていた。地図をよく確かめると「岩の面は北向きになっており、南から進む場合には目印にならないかもしれない」とある。そもそも山間の川・湖を進んでいるので、左右とも基本は山や丘の景色だ。そこで高さを目印にするのはうかつだったか。
 しばらく見晴らしの良い草地の湖岸が続き、支流も威勢の良い水音を立てていて地図のとおりに見つけやすい。34km地点だ。波は変わらず荒く姿勢を保つにも難儀するが、着実に歩みを進めていると思えば心に余裕が出てくる。
 地図には再び巨岩が5、6描かれている。いくつかには「南からも視認できる」と書かれていた。北寄りの岸に視線を上げると、一番手前に山高帽子のごとき巨岩が目立つ。続いて複数、ドーム型の岩。どれも巨大な手で撫で続けたかのような不思議な造形だ。
 対岸に目を向けると山際に微かに晴れ間が見え、その上空で雲間から横向きの陽光が漏れ出ている。太陽は山寄りに高度を下げていた。19時だ。山の背後に隠れるだろうから、日の入り時刻よりも暗くなるのは早いだろう。あとどのくらい余裕があるのかは察しが付かない。まだ体得できていなかった。日本で夕陽がこの高さならば、すぐにでも夜の支度に掛かるだろう。その焦りの感覚が、距離を稼ぐ意図と合わさって先を急がせた。まだ目標通りに進もうとしていた。
 37km地点、陸側に入り込んだ岸に沿って進む。背後に山高帽子の巨岩たちを見送った。濃いブラウンの鮮やかな岩岸は、短い草や針葉樹、黄色く色づいた広葉樹などにも彩られていた。その奥に変わらず岩場が積み上がり、崩れて欠けた岩肌を見せている。
 岩場を越えると岸は陸側へと大きく湾曲している。地図に描かれた地形はもっと真っ直ぐに見えるのだが、まるで入り江のように木の立ち並ぶ岸が広がっていた。東に折れてその岸沿いを行く。夕凪か、突然風も波も無くなった。波音すら無い。ありがたいのだが、突然どうしたことかと静けさを不穏にも感じる。漕ぐのもやめて、長らくぶりの静寂に注意を払った。そのまま惰性で進む先に、ふと自然と目が留まる。木々の途切れた岸辺があった。戸口のようなその岸辺に、白い何かが光っている。何だろうか。
 19時50分、降り立つつもりもなかったのだが、静けさと岸辺の緑の美しさに惹かれて、気づけばカヌーを着けていた。地図にあるはずの川が見当たらなかったが、まだ先なのだろうか。周囲を観察。野営地のようで、木の板や丸太が並んだ様子から人の過ごした跡が分かる。光っていたのは何のことはない、誰かの残した古い白バケツだった。
 現在地がまだ判然としない。沿岸湾曲のイメージが地図の線とは合わない気がする。岸を南へ少し進むと、森の方から微かな水音が聞こえ出した。もしやと近くへ寄ってみると、か細いせせらぎが森の奥から伸びてきて、足元の石を水に浸しながら湖に注いでいるのだった。これが表記にあった支流だろう。とするとここは39km地点の”GOOD CAMP”。山高帽子に近寄りすぎて方向感覚がずれたのだろうか。
 目標の”EXCELLENT CAMP”には至らなかったのだが、あの波の中では充分以上の距離を進んだだろう。そしてこの美しい岸辺。無用の遺物に誘い込まれて辿り着いた、静謐の美しい岸。時刻も20時前、丁度良い巡り合わせだ。ここで第二夜を過ごすことにした。太陽が対岸の山の上で、雲を柔らかい夕焼け色に染め始めている。小さな波が水際でささやくような音を立てていた。カヌーの引き上げも後回しにして風景を写真に収める。
 砂利岸の波際には流木や板が溜まっている。浅瀬に細い木が並び、岸のやや広くなったスペースが炊事食事に丁度良い。森の方へ少し入るとテントの設営にも充分適して、実に快適なキャンプ場所だ。そして驚くほど地面が柔らかく心地良い。木々の合間も炊事場所も、苔や木の葉に覆われて、ふわふわと布団の上にいるような心地がした。 
 一旦カメラやライフジャケットを置いて、荷物を運び出し野営の支度に手を付ける。ベアスプレーを手近に、世界最強の呼び声高い蚊取り線香「パワー森林浴」を焚き付けてから、森の中を観察。地面が平らなで柔らかそうな場所、かつ木々の下という最適な位置にテントを張り、寝具を広げて荷物をまとめておく。バレルやクーラーを食事場所に運ぶ。父は早くも焚き火台を組んで薪を並べ、焚き付けも済ませていた。地面に直火の火床はなく、新しく増やすことも避けるようにユーコン準州環境庁の呼びかけがある。焚き火台は、薄手の金属板を大きな皿のように組み合わせて骨組みに載せる。その上で薪を燃やしても土や植物を傷めず、鍋を火に掛けて調理することもできる。軽量で畳めばA4用紙サイズ。自分は不要と思って携えなかったが、父は念にと荷物に含めていた。持ってきた甲斐があったようだ。
 キャンプといえばやはり焚き火だ。夜を前に身体を温める。虫除けにもなる。ただ見るだけで心落ち着く。ーーー祭礼のかがり火、夏の夜の花火、盆の灯籠。落ち葉焚きに焼き芋。冬の食卓には鍋とコンロ。誕生日ケーキにろうそく。ーーー火を使う場面は思い出すことが多いと思う。
 もう一度カメラを手に、焚き火の風景や夕焼け、美しい自然の夕べを写真に撮り収めたら火を前に小椅子を据えて、食事の準備をした。ガス缶をストーブに取り付けてメスティンを載せる。油を引き、スパイスを振るった牛ステーキを焼く。良い音が立つ。くし切りにした半分の玉葱を一緒に炒めてしまう。もう半分は薄切りにして、スイートケールの袋サラダに加える。クランベリーだのナッツ類だのの小袋をその上に空け、ドレッシングを混ぜる。蜜柑も1つ。
 心安らぐ無事の到着に感じ入りながらも、あの過酷な湖面の荒波がありありと思い出される。絶え間なく重心や姿勢、進路を乱し、櫂を、小舟を翻弄する。砕ける白波に次の波がぶつかる断崖絶壁。気の休まらぬ狭小の浜。見失うキャンプ地や現在地。9時間。転覆も怪我も無しに、よくこの距離を漕ぎ進めたと思う。未だに身体が揺れ続けているような心地がする。
 21時過ぎ。手を合わせて、焼き上がった牛ステーキを頬張った。うんまい。優しい波音を聞きながら、暮れてゆく空を見ながら、火を囲みながら、木々に囲まれながら。格別の味だった。心身に、活力を注いでくれることだろう。残りのもう1枚も焼いて、ありがたく味わう。妙な甘みのあるサラダも、爽やかな酸味のある蜜柑も、長い運動後の身体に染み入る。英気を授かって、明日もまだまだ進めそうだ。
 食器を綺麗に拭き上げて、使った割り箸や拭った紙は火にくべた。バレルやクーラーを岸に運んでカヌーを逆さに被せる。この日見かけた熊のことが頭をよぎる。22時、雲間に残っていた明るい夕焼け色が弱まる。ようやく空が山の向こうで夕陽を見送り、紫、青、紺、藍と眠りを促す色に変わっていった。しばらくは火を観て過ごした。火の出す熱も弱まってきた頃、腕や肩、脚などの柔軟を始める。昨日に続いて1日よく動いてくれた。良い食事や休息、柔軟くらいしか方法がないが、旅の何よりの道具として、明日も無事に進めるように労る。肌を拭い清めて着替えをし、衣類やその他の道具を片付けた。23時、早めに眠ろう。テントの中、柔らかい森の地面が、床冷えもせず寝心地も良い。