8月27日(土) ユーコン川3日目
 7時30分、テントの入り口を開いて新鮮な空気を吸い込む。森の香り。仰向けに見上げる空が明るい。外に出て辺りを散策してみると、昨日は気づかなかったきのこが、苔の地面に生えていた。椎茸によく似ている。肩・腕・脚の柔軟。薪を並べて火を焚く。2つの鍋の水を火に掛ける。8時、湯が沸くまでに朝食の支度。
 カヌーからバレルとクーラーを運び出し、必要な食料を地面に置かれた板の上に並べる。木匙、紙コップも用意。二つ目のプレーンヨーグルトにブルーベリーや苺、葡萄を載せる。これも良い景色だ。いつものドリップ珈琲、袋を開けると素晴らしい香り。沸いた湯を僅かに冷まし、コップに掛けた粉にめがけて湯を落とす。良い香りが立つ。少し蒸らして湯を加えること2度3度。コップの半量を越えたくらいで、粉をフィルターごと火にくべた。しばらくすれば燃え尽きる。湯気の立つ珈琲が朝食の景色に加わる。レーズンのスコーンを遠火にかざして温める。ずしりと大きい。少量残しておいたサラダにドレッシングを合わせ、半分に切ったバンに挟んでサンドイッチに。父はラーメンを炊いていた。
 眺めが良い。カヌーの赤が湖水と森の青・緑に映える。対岸の山肌は朝陽を受けて薄いオレンジ。パチパチと音の立つ焚き火の前で朝食を。素晴らしい時間だった。瑞々しいフルーツの甘みにヨーグルトの酸味、ほどよく温められたスコーンに三日振りの温かい珈琲、シャキッと歯ごたえの良いサラダのサンドイッチ。充分なエネルギーだ。
 9時、食事と景色に気を取られて、バレルやクーラーが焚き火の熱を受けていた。もう少し離しておくべきだったか。木匙や紙コップは燃やし、ビニルやプラスチック等は袋に、食料の片付け、寝具やテントの片付け、火の尽きた焚き火台の片付け、荷物をまとめてカヌーに積み込む。出発も3度目、だんだん手順に慣れてきているようだ。手の届くところにベアスプレー、ナッツのボトルと水筒、朝食に並べていた真っ赤な林檎を携行食に。ライフジャケット、カメラ、パドル。
 9時40分、後席が乗り込み前席も続いて、重心が据わったらパドルで瀬を押し後退、岸を離れた。再びの水上、揺らぐカヌーにパドルで行き先を与えてなだめる。進路に向き直ったら出発時刻を地図に記しておく。早ければ午前中に8km進んで湖を抜け、再び川に戻れるだろう。多少の波なら構わず進んで、川の入り口、”LOWER LABERGE”の”GOOD CAMP”で休憩をしよう。いよいよ50kmの湖を走破する。晴れ空に淡い雲が掛かる快適な天候だ。肩腕を鼓舞して3日目の一櫂一櫂を漕ぎ出した。
 水色の空と白いすじ雲を背景に、木々の緑に満ちた低地の岸、なだらかに上る斜面、岩肌を見せる迫り上がった小山が2つ見渡せる。豊かな緑の所々に、黄色に染まった木々が混じる。優しい彩りの好ましさと荒々しい地形の迫力に惹かれてカメラを向ける。
 対岸、湖の西側には野営地が多い。”EXCELLENT CAMP”も5つ表記されており、そのうちの3つが丁度今、視界正面に含まれるようだ。「低地の木々を伐採して拓かれた草地」であると地図に書かれていた。しかしながら左岸を進む案もイメージも浮かばなかった。この旅への渡航前、野営地の載っていない地図で見たときも、自然と右岸寄りを進むものだと考えたし、スコットからの指南も同様、左岸には言及していなかった。川地図の解説ページによると、左岸は岸が入り組んでおり、陸側への湾曲も大きいので、右岸よりも走行距離が長くなるらしい。また夕方には西側の山や森に隠れるため、日陰になる時刻も早いだろう。
 10時20分、昨日目指していた”EXCELLENT CAMP”に差し掛かる。右岸には唯一の最上位野営地。どんなものかと気になる。その岸にはカヌーが3艘、青いバレルも3つ、そして沢山のクーラーやドライバッグが並んでいた。丁度そこへ、荷物を運び出す中年白人男性が。手を振ると気づいたらしい。森の内側までは見通せないが、先客だったのだろう、荷物からして大所帯だ。広さによっては自分たちが辿り着いても使用できなかったかもしれない。
 南寄りには針葉樹の影になった砂利浜があり、石と長い流木を組んだ腰掛けがあった。付近に荷物が並べられ、カヌーも3艘逆さに置かれている広さ。中央の焚き火には横に倒した1mほどの丸太がそのままくべられて煙を上げている。北寄りにはまばらに木の立つなだらかな岩の丘があり、朝陽に照らされていた。その奥では更に岩のドームが重なっており、東に巨大な一枚岩のドームが見える。
 パドルに注意を戻す。右舷左舷を何度も交互に漕ぎ直して進路を取る。波は高くはないのだが、小刻みに南西から寄せており、カヌーをその場に吸い付けるような進みにくさがあった。揺れも速く対応しにくい。船首に束ねて据えていた舫い縄が乱れ、躍り出ていた。
 風が西から音を立てて過ぎていく。さっきまで見えていた晴れ間は、山際で生まれた西からのうね雲でみるみる隠れていった。勇んで出発したがやはりまだ湖内、気楽には行きそうにない。
 波に応じて漕ぐ。昨日一昨日の緩急同様、一波二櫂、一波櫂せず。二度連続のストローク、次の波は漕がずに送る。どういうわけか、このリズム。ーーー行進する人の列が歩調を合わせて吊り橋を渡ると、同期した振動が大きくなって吊り橋を壊すと聞いた。敢えて足並みを乱すのだそうだ。アナログのメトロノームも別テンポで設定しているにもかかわらず、3つ同じ板の面に載せると左右にぶれて振動をいなし全てのテンポが同期する。コンサートの聴衆の拍手も、アンコールに同じ拍子を打つ。蛍の点滅も集団では同期するという。ーーー波に合わせて速度を増しているのか、それとも合わせないようにして波の影響を脱しているのか、理屈はよく分からない。気のせいにしては快適だ。
 11時、湖岸の風景も見慣れてきた。砂利浜の水際には広葉樹。岩場には針葉樹、高くせり出した岩もそれほどの圧迫感はない。5mほどの岩の壁が続く岸に差し掛かる。崩れて間もないのか、割れた角やひびが鋭く残った部分が有った。その内側は真っ白で、やはり貝類の堆積した石灰岩で出来ているらしい。ここから海岸までは200km以上有るが、環太平洋造山帯の一部分。かつて海底に有った地層だとしても不思議ではない。しかし岩の古い表面のほとんどは黒ずんで紫がかった色をしており、それにオレンジ色の斑点がちりばめられている。礫岩に含まれた石の色かと思ったが、点在する様子や広がり方を見ると苔の色のようだ。昨日見た岩の薄オレンジ色も、全面を覆う苔だったのだろうか。どこもかしこも生命で埋もれて。
 地質や色も興味深いのだが、もう一つ、表面に刻まれたひびや溝が、まるで甲骨文字やヒエログリフを人の手で刻み込んだようで不思議だった。眺めていると、何かを読み取ろうと頭が勝手に知っている文字を当てはめようとする。「先住民の文字では」などと勝手な想像が浮かぶが、ネイティブアメリカンは文字を持たなかったそうだ。
 12時、湖岸の風景も見慣れてきたが、進む先まで知っている訳ではない。岸の途切れ目を探して右往左往、あれか、あっちか、いやあれか、と何度も進路を取り直しながらラバージュ湖の北端を探した。湖岸線が東西にうねっており、最寄りの突端を目指してはその先へ、また目指してはその先へと度々の落胆。「川に入るのだから、どこか見えるところに岸や木々の途切れた部分があるはずだ」と単純に考えていた。川沿いにも木は並ぶだろうし、川が曲がれば岸も重なって見える。
 そんな右往左往するカヌーの横をモーターボートが追い越していった。アジア系の女性がこちらにおーいと手を振っている。隣に釣り竿を持った男性、運転席にももう一人。そのボート、木の葉型ではなく、蓋を伸ばした封筒のような五角形で、カヌーを2艘積んでいる。船尾に2つの動力。こちらは二人の腕力。スピード差は歴然、みるみる遠ざかり、北方の岸に向かって木の陰に消えた。進路のヒントをもらった。
 追い越されてから15分。チャプチャプ荒波掻き分けて、ついに漕ぎ着け走り通したラバージュ湖、その北端。12時20分。ボートの泊まる岸を少し過ぎ、テーブルの待つ砂浜に到着。パドルを杖に地に下りて、振り返りざま船首を引きつけ、下りた父と更にカヌーを引き上げる。立木に縄を結んだ。これにてチャプチャプ生活、完。
 到着を待っていたかのようなテーブルと腰掛けに、地図や水筒を置いて一息。出発から2時間40分で7.5km。時速2.8kmほどしか出ていなかったようだ!歩くよりも遅いだろう。ともあれ無事に、流域中で最大の難所、あの果てしなく思われたラバージュ湖を乗り切った。だが到着の安堵はまだない。まだ今日の行程の6分の1ほどしか進んでいない。
岸から風が吹き付けて冷たい。カヌー後方のボール箱に入れていた再生紙の卵パックが濡れてふやけていたので、保管の仕方を改めようと持ち上げたところ、隅の部分が特に弱く1つ卵が波打ち際に落ちて割れた。殻は拾い上げたが、全卵は波に誘われ旅に出てあっという間に荒波に揉まれて掻き消えた。南無、湖水と融合したか。一足先に川下りを再開したのか、武運を。
 少し離れたところでは先ほどのモーターボートの3人が昼食の支度か、岸に備えられたドラム缶製の焚き火釜から煙を立ち昇らせていた。カメラをもって付近を散策してみると、装飾も整った立派な看板や、広いテーブルが3つ4つ、屋根付きのものもあるし、芝生の広場に置かれたものもあった。そばには岸と同じくドラム缶の火床、そしてどうしたことか相当古い型のトラックが、表面全体余さず錆びた状態で、背後の森とほぼ同化しかけているのだった。複数の手洗いブースや猟小屋などもあり、場所のわりによく整備されていた。湖をスキップしてここからツーリングを始める旅程も耳にしていたし、その影響もあるのかもしれない。と思っていると、まさにその旅程で、出発前の支度をしていたモーターボートの釣り具の彼に声を掛けられた。背の高い、不惑過ぎの白人男性であった。
「湖を越えたのですね、カヌーピープルからですか」「ええ、なんとか越えましたが相当タフでした」「我々はご覧の通りで、ここからの出発です。旅程は?」「カーマックスまで7日か8日で行ければと思っています。3日目です」「なるほど、我々も3日ほどです。またどこかで行き会うかもしれません。どうぞ良い旅を」「どうもありがとう、お互いに」
 ここから先の”30 MILE RIVER”、テスリン川の合流地点までは、ユーコン川流域で最も美しい区間であるともいわれる。それもあってここから出発する旅行者が多いのだろう。
 川地図にあった開拓の歴史を読んで分かったのだが、その開拓初期1900年頃は狭く速い川の流れが、往き来する多くの人々に怖れられたという。往き来というのは現代のようなカヌーツーリングではなく、汽船による金の採掘者等の行き来であったらしい。カナダ政府の国土交通省に当たる部局の働きで、危険な岩の除去等の開拓事業が行われたが、鉄製の船を転覆させ3名の犠牲を出した。他にも2艘の汽船が沈み、うち1艘は引き上げられてもいないという。ホワイトホースから北のドーソンまで、往復1470kmを往き来するための燃料として1.2m×1.2m×250m分もの体積の木材が必要だったそうだ。(下りの順行と上りの遡行では3:10の燃費の差があったという。)後に、その燃料をまかなう材木の切り出しを減らし自然に与えるダメージを抑え、これらの土地を国家の重要な水系遺産として保存する選択がなされた。その一環として、人々の活動が自然のダメージを増やすことなく、また快適さをも提供できるようにとの配慮からこの野営地も整備されたという。なるほど、「場所のわりに」というのはこの先を行って初めて分かることなのだろう。またここまでの旅と道中の風景も、そのような事業の歴史、遺産であったのだと知る。「この特徴ある風景がそのままの豊かさで将来の世代に楽しまれ、質の高い保養や教育的経験を与えることを願って意図・立案された事業である」との結び。自力独力のサバイバルではなかったのだと反省するのだった。「鱒釣りも楽しいよ」と追伸。
 周囲の森は整備のお陰か草木の緑が瑞々しく、小道の脇に見られる豊富な植物も彩り美しかった。薄緑の、タマゴケを大ぶりにしたような下草がつややかに地面を覆い、そこからのぞく濃い緑の葉は小指の爪ほどの大きさで、その濃緑に映える真っ赤な実を所々で抱えている。合間にブラウンの小さなきのこが列び、木々の葉が覆って影に入れている。細い露草、折れた小枝、枯れ葉、黄の混じる葉や白く光る葉、様々な植物が息づいていた。歩く小道も柔らかい腐葉土、割れた流木の破片が敷かれたところもあった。写真を撮り歩いて岸に戻ると再び釣り具の彼に声を掛けられる。
「今朝荷物の積み忘れがあったようで、もし持っておられたらマスタードとマヨネーズをお借りしたいのですが」「持っていると思います、ちょっと待って。ああマヨネーズだけですがこれを。開けてしまって構いません」「助かります。交換に何がいいでしょうか」「それじゃあええと、まあ何でも構いませんよ」「ではチョコレートやオレンジを持ってきます」小袋のマスタードも1つ余っていたので探したのだが、どこへ入れたのやら見当たらず。「御礼のリンドール、上質のものです。」「おやそれは、どうもありがとう御座います」「あとこのオレンジをどうぞ。マヨネーズはこのくらい戴きました、助かりました」「いえこちらこそ素敵なものをありがとう」
 街を離れた川の途上、戻るまでは札束も火の焚き付けにしかならない。困ったら物々交換、エネルギーの交換だ。質量の無い情報の遣り取りも互いの活力になる。こちらも軽い昼食に、林檎を切り、苺や葡萄、ナッツやチーズ、パンを並べた。
 食後にもらったチョコレートを一片。それがまさかの、まさかの、まさかのミントチョコレート。口腔鼻腔を駆け抜けて、思考・感覚・意識の全てを支配し尽くすファントムの歯磨き体験。恩に仇とはこのことだ!貴殿らのつゆ知らぬ、壮絶な荒波を掻き分けてようやく辿り着いたこのめでたきラバージュ北端にて、よもやこんな仕打ちに遭おうとは思わなんだ、遺憾千万!さっさと片付けてしまおうとばりばりいわせ、大量の水で飲み下し、まるで食後に歯を磨いてしまったような気分で昼食を終えた。
 日本一周中のあの苦行が無かったら、ここでこの旅を断念していたかもしれない。腹腔に渦巻くブラッシングのファントムを、禅とヨガと敬虔なる祈祷をもって浄化し、うっ、気を取り直して出発。うっ。
 13時50分。気を取り直し直して出発。そうだ、ここからがユーコン川下りのハイライトと言える”30 MILE RIVER”。幅2kmの湖から幅数十mの川に進み入る。もう進路や方角を気にする必要がなかった。川の流れがゆっくりとカヌーを押し始める。水勢に乗って進んでいた頃を、随分前のことのように感じる。この心に染み入る静けさも、数千数万の波音が刻まれた耳には深く響いているように思われた。空には低くうね雲が寄せていて白く光り、あるいは薄暗く陰っている。遠くから珍しく鳥の甲高い声が届いている。軽いストロークのパドルで進み、音に聴き入る静謐と、風の穏やかなことと、波に揺られず自然と進むカヌーの快適さを楽しんだ。
 川の曲がった外側部分には削られてゆく砂の岸が10mを越えるような高さでそびえていたり、内側の部分には堅牢な岩が構えていたり、また低い岸には変わらず針葉樹が並んでいたりする。14時25分、川の上方高いところを横切るケーブルを通り過ぎた。”WATER SURVEY CABLE”と書かれているので水位か水質の調査に必要なのか、それとも電力が通っているのか。地点の目印には便利だった。
 地図をめくって次のページを見ると目を引くカーブの連続が載っており、間もなくの所に迫っているらしい。”U.S.BEND”と名前まで付いている。まるで”R”の字を一筆書きして最後に跳ね上げるように、ほとんど円の形も含んでいる。水の流れは一つ目の時計回りでほぼ360度、二つ目の反時計回りでも300度近く向きを変えながら進んでいるようだ。入り組んだ山の尾根が交錯する場所のようで、その間を縫うように水が伝っている。砂の岸がこれらのカーブを取り囲んでいて、今でも形を変えつつことが見て取れる。ユーコン川は遠い昔、この瀬を流れていたのではなく、ラバージュ湖北端から別の瀬、”OGILVIE VALLEY”を通って流れていたそうだ。いつから、またどれほどの時を掛けて、こんな曲線の連続を形成したのだろう。この先、地質学的”もうすぐ”、砂が除かれて直線になるのか、それともより長く折り重なったような川になるのか、あるいはまた全く瀬が変わってしまうのか。あまりに遠い過去未来。回顧も予測も当てにならない。
 大きなうねりを繰り返しながら進んでいるうちに方向感覚を失うが、ただ川の流れに従うだけで良い。難しい進路の確保も特に必要ない。最後の大曲がり中間に中洲があって、流れが左右に分かれている。どちらを行っても支障はなさそうだが、地図には右岸を進むよう指示があり、方向を定めてパドルで推進力を付ける。右の流れに乗ったところで中洲を眺めると野営地があり、下流側の端に屋外テーブルがあった。上流側の端にもあるそうだが見つける余裕はなかった。そしてこの中洲が、初日に出発したホワイトホースからの100km地点。この旅の3分の1を終えたのだ。川半分、湖半分。
「100km地点ですね。今、どのような心境ですか?」
ええーと。100km進んだんですね。
「200km残っています、達成への意気込みを教えて下さい」
ええーと、あと200km進みたいです。
 ・・・旅路や時を数字で分けても、その場で体験していることに比べると、大して心に影響しない。「過去の回想は壁に空いた穴だが、未来の予想なんて壁の無い穴だ」心理学者のDaniel Gilbertが”Stumbling on Happiness”という本に書いていた。70過ぎてユーコンを下るとは思うまい。自分だって思わない。半年前カナダへ行くとは微塵も思わず、半年後どこにいるかも分からないでいる。もっと最近の回想や予期ですら当てにならない。
 ”U.S.BEND”を抜けた。スコットが「ここから先は波立つ場所がある」と、蛍光ペンで付けてくれた印の場所へ差し掛かる。緩やかではあるが下りの傾斜が付いているようで、川の流れが加速している。波に揺られ、波音を聞くと、ラバージュ湖でのあの苦しい経験を思い起こす。防衛本能なのだろう。避けるようにとか、抵抗するようにとか。苦々しくて思い出したくはない。
 だが後々、思い出せなくては困るのだ。帰り着いて安堵した街で、ホテルで、日本で、実家で、その他の地で、日常の中で。それぞれの温かい湯船の中で、柔らかい布団の中で、更には新たな険しい旅や挑戦の途中で。
 寿命を日々に漫然と費やすだけでは癒やせない、世俗の根源にある「不均衡」を、余計に大きな荒波で打ち消そうと試みた後。それが成就した後。そして乗り越えた勇気を新たな活力に変えるとき。
 もうその不均衡に駆られずに済み、挑まずに済むように。もう何かを遂げずに済み、もう追い求めずにいられる安らかさにいられるように。いずれもう回顧せずに済むように、もう予期せずに済むように。
 生まれる予定も知らずに生まれ、死んだ後の予定も知らないで死ぬ、儚い人智。その不確かさに「自分だけは正しい」などと、すがることなくいられるように。
 水面が割られて波立つ箇所を前にする。勢いのある水音が響いている。腰を据え直し、パドルを構え直す。身体がこわばり緊張する。
 波がカヌーを上下にやや揺らして、勢いを増して押し出していく!
 ・・・以上。
 これだけなのか?・・・なんだ。今日の回顧や一寸先の予期だって当てにならない。むしろウォータースライダーのようで楽しい。他にも無いかと探す。油断をして左岸の枝々に突っ込んだ。薄手の生地のジャケットなら突き破りそうだった。
 15時30分。”JOHNSTON ISLAND”付近の浅瀬に差し掛かる。浅瀬と気づくまで、川底が視界に入ってから少し時間が必要だった。正面進路を見上げていると、ユーコン川のエメラルド色がふとグレーやブラウンに変わっている。見下ろすとその色は水底の砂利や石。それが水面の間近に迫っているのだった。
 いつも視界に映っている水面の波紋は併走、カヌーと同じような速度で進む。だからカヌーが川に貼り付たように感じて、進んでいる感覚が乏しくなってくる。
 ところが浅瀬では、目下の河底が非常な速さで過ぎ去っていくのが同時に目に映るのだった。こんなに速かったのか。
 底にパドルが届く。そんな浅瀬をこんなカヌーが大人二人も乗せており、あれこれ荷物も積み込んでいるというのにこの速さ。まるで地面から浮いたまま、揺れも音も加速度も無しに宙を滑る宙舟。これがリニアか。
 16時。快適なスピードで、川が只延々続く。雲が途切れて爽やかな晴れ間が見え出した。山や岸辺の緑と合って、夏らしい景色だ。進む先、青空に白く眩しい綿のようなうね雲。その下方は暗く灰色をして遠くの山を陰らせている。その灰色が、風になびきながら下界に向かって垂れている。どうも雨を降らせているようである。
 そういえばここまで、天気には恵まれていた。パドルを持つ手は早くも日焼けしていて、レインウェアの袖口を引くとその跡がくっきりと横線を引いている。夏に日焼けをしながらも、着ているのは長袖というのが不思議だ。
「このまま晴れ間を行ければ」とは思う。そうもいかないだろうとも思う。そしてもし選べたとしても、「ずっと快適」では味気ないだろうと思う。モーターボートですっ飛ばして、景色だけ観て帰ってしまうのは”快適”だろうけれど、それでは旅情も何もない。「リニアで飛ばせば京都も10分」って、旅する魅力が減りそうだ。
 16時45分、奇岸”TWELVEMILE ROCK”。地図の川沿いに小さな突起の表記が並んでいる。付近は小高い砂の岸、もう珍しくもないのだが川の蛇行するのと合わせてなのか岸の砂地の崩れ方が小刻みに深い溝をいくつも並べて目を引いた。その上部は削れて一つ一つ山型に丸みを帯びていた。残る上辺には針葉樹が立ち並んでおり、いずれ根こそぎ崩れて流されるのだろうと目に浮かぶ。それらが流木となり、風化して、風に吹かれて消えてゆくのか、川に溶けて流れるのか、どこかで岸辺を作っているのか。人の旅よりも長そうだ。水・風・土の大きな循環の中で、生命を宿して活動したり、無生物で過ごしたりする。生きたり休んだり、どちらがバカンスなのだろうか。
 それらの砂岸の断面は全て薄いクリーム色をしていて、砂浜の砂の色によく似ていた。その上辺は12~13mといったところだろう。その上辺から2~3mほど下がった断面に白い横線が入っている。見渡す限り砂岸の断面にはその白い線が同じ高さで続いていた。地図には「紀元前750年ほど前に、ホワイトリバー上流で起こった噴火の火山灰だ」と書かれていた。つまりその上に約2772年分の砂が横たわっており、その下はといえば1万年を超える分の砂が堆積しているのかもしれないわけだ。制作期間1万数千年の風景を横目に進んでいるのかもしれない。そんな歳月を生きたり休んだりしながら、生物や無生物が折り重なって創り上げる。そこを生まれたばかりのホモサピエンスらが通りかかる。なかなか味わい深い生命の循環である。これが旅情というものか。
 17時、風が冷たく、辺りが暗くなってきた。雲行きが怪しいが、今日の走行分43kmに加えて昨日の足らない数km分も、更には今後の為にもなるべく遠くまで進んでおきたい。”FAIR CAMP”、目もくれず。波立つカーブ、ものともせず。「雨が降る前に少しでも」という思いが焦りになったのか、2度も続けて右岸に舳先をぶつけて止まり、艫の方から大回りさせて進路を戻した。
 そしてそこに雨。「降らないでほしい」などというのは「待ちわびている」ようなものだ。「ふらないで」といわれたら「ふる」だろうに。そして「ふられた」あとには「やんでいる」。再び晴れ間が見えだして、僅かの雨で済んだ。防滴とはいえカメラを雨に晒したままで心配だった。地図も少し濡れているが、このくらいなら心配ないだろう。
 ”CAPE HONE”を過ぎると左岸に低地の広い草地があった。水際まで薄緑の草で満ちており、育ち始めの小さな低木が同じ高さで赤や黄色の葉を見せている。周囲に珍しく白樺が林立していて、木肌の白と森の奥の暗がり、木の葉の黄緑が鮮やかだった。広い場所でありながら音も無くひっそりとしており、それが一段と風景の美しさを引き立てる。
 ”TYRELL BEND”は「N」字のカーブに加えてその終わりに「D」の字型の中洲をもっている。この地の採掘技師として尊敬された地質学者の名前が付けられたのだとあった。N字の乱流に翻弄されたのか、右岸寄りに中洲の外回りを行こうと思っていたが、左岸の細い流れに入ってしまった。水面から顔を出す草の葉が見慣れず、不安を誘う。案の定「戻らないのか、あとで面倒なことになるかもしれないぞ」と、不安が発話する。「まあええやろ」とドキドキ直進。ドキドキを大切にしよう。何のことはない、案の定主流に合流するだけだった。
 不安は1000も2000も予測を並べて、ようやく当たった2つ3つの経験を後生大事に、「ぼくがおもったとおり、正しい賢いだからえらい」と思わせる。お望み通りの不幸コレクションである。予期に頼るほど自ら不幸を望んでいるから。そんなもの無くても乗り越えられるのに。むしろ無い方が不幸を招かず快適なのに。
 似た研究にROBERT WESLEYAN COLLEGEの”35,000 Decisions”という「人は1日に何度決断をするか」の報告があった。食事だけで2250回以上だ。そのうち実際に食べるのは3度かそこらだというのに。1マイルの運転で200回以上、全て合わせて最大で3万5000回にも上るという。増やしても速くしても疲れるだけだろう。いっそ0まで減らしてみては。
 雲間から金色の陽光が射す。銀色に輝く雨のシャワーが注いで、エメラルドの水面全てをざわめかせる。見上げた右岸の森から、左手の山に架けられたのは見事七色の虹、それに沿って更に大きな虹が外側に。まるで進むべき道を示すように、誘うように、導くように。雨が止む、背景は空色の天然キャンバス、強力な明暗を流動させる雲。絶景に押し黙る。
「よし、くぐろう」と思う。
「よし、くぐった」と思う。
 依然導くように光る虹。「ああこのまま降らないでほしい」と思いながら進む。再び降るのは言うまでもない。
 また雨だ。ぱちぱちぱちぱちと強まる。確かに、今まさに旅情を彩ってくれた。とはいえ降ればやはり厭わしい。早く止めばと思う。カメラは背中で雨晒しに、脱いでいたダウンの上着も濡れる、地図もなるべく開かないように進んだ。
 どこまで進もうか。濡れながら、分からないまま決まらないまま、虹に任せて漂う。「まあええわ」と諦めた頃にまた雨が止んだ。
 岸から倒れた針葉樹が、その末を川に差し込んでざぶざぶと波を立てている。水流に押されて下流向きにしなり、「もうこれ以上は」というところでざぶんと飛沫を上げて戻る。また水に押されてしなり、「もうこれ以上は」というところでバネのように戻る。
 横目に見ながら通り過ぎる間、それを何度か繰り返して止むことがなかった。
 いつからそうしているのだろうか。
 いつまでそうしているのだろうか。
 何というか、人のようだと思った。
 日々働いては休み、働いては休み。
 押されては起き、押されては起き。
 生まれては死に、生まれては死に。
 流れに負けて折れるまで、何の意義も無しに繰り返すようにも見える。しかし、強い弱いに関わらず只そこに木が存在するだけで、あとに流れる波紋や潮流が、全く再現不可能なほど変化する。存在することは、絶大な違いを生む。観測者や観測意図の有無が実験結果や光子の振る舞いを変えても不思議ではない。私たちも日頃、人目の有無で振る舞いを変えているし。他者も己もただそこに居るだけで、良くも悪くも場の雰囲気を変えているように。
 この旅は変化した。素朴な光景だったが、あの木が存在したことで。
 この人生も変化する。この旅をしたことで。
 ・・・それで、どこまで進もうか。まだアタマでは決めかねていた。18時20分、木々に埋もれたいくつかの中洲が見えてきて、それらの左岸寄りを通り過ぎた。すると全く静かなままで、川幅が倍ほどに広がる。テスリン川が東から合流したのだった。流れは強まるのかと思ったが、むしろ穏やかさを増したように感じる。そういえばやや遅い川だと聞いていた。
 静かな湿地に差し掛かる。心が静まる。今までこんなに緑色の種類を書き分けたことはない。ーーー山の上で僅かに空気に霞む明るい緑、若葉、染まり始める黄緑。手前の斜面に密に列ぶ濃緑の針葉樹のそれぞれが、先端細くにかけて黄に移りゆくグラデーションをもっている。岸に立つものは先端ばかりを覗かせて列を作り、その手前にやや低い白樺が横並びになって最も鮮やかなライムグリーンの葉をまばらに。一番水際寄りではまだ若い針葉樹や広葉樹、低木の木々が赤や黄色、茶を混ぜたような緑色を様々にちりばめて賑やかに。そして浅瀬に生えた水生の抽水植物は、クリーム色をまぜたような薄緑で、岸に寄り添うように続く。最後にエメラルドグリーンの水面が、さざ波に合わせてそれら全ての緑色をゆらゆらと反映していた。ーーー
 本当に静かだった。ようやく「ここで過ごしたい」と、上がれそうな岸を探し始める。すぐに土肌の、緩やかで上がりやすそうな岸が目に入る。少し過ぎると小高くなった岸にテーブルや腰掛け、ドラム缶の火釜まで見えた。小鳥や鴨が飛び立つ音。「ああここだったのか」と理由もなく腑に落ちる。虹がようやく見えなくなった。
 18時35分、静かに着岸。まるで身体の一部になっていたパドルを手放し、カヌーを近くの木に舫う。上がりやすいが地面は雨でややぬかるんでいた。岸の名は”HOOTALINQUA”。静けさや整った外観に自然と引き寄せられて着岸を決めたのだが、地図を開いてみればスコットが勧めてくれていた”GOOD CAMP”で、岸辺の眺めの良いところに昼と同じ、短いドラム缶の火釜やテーブル、腰掛け、森の奥には手洗いブースも備えられた快適そうな野営地だった。昔から金の採掘の為に整備され使われてきた場所であるらしかった。
 この日の走行は休憩も含む9時間で55.5km。累計で136kmの所まで来ていた。陸に上がり、ほっと一息。日の入りまで充分時間もあることだろう、そういえば日照のサイクルにも慣れてきたらしい。荷物を上げたら薪探しも兼ねて、どういった場所なのかと先に周囲を散策しておく。
 北へ続く、踏みならされた草間の道を辿って歩くとすぐ、左手、岸の側に小さな丸太造りの納屋があった。右手、山の手すぐ、坂を上がった側には大きめの丸太小屋があり、バドミントンコートに収まるほどの大きさで、正面入り口のドア2つを川に向けていた。
 納屋には古く錆びたフライパンや丸鋸の歯、バケツやトングやバールのようなもの、鉄鎖やその他古めかしい道具類が無造作に残されている。入り口ひさしのところにはカリブー(トナカイ)の立派な角が掛かっており、土地柄を象徴しているようだった。4畳ほどだろう、風雨で随分弱くなっているのが分かる。
 坂の上の丸太小屋は、中央寄りのドアが2つとも開かれていた。近くに立てられた看板には「歴史を伝える遺産、かつての電報局」としてその発祥等が紹介されている。1900年にこの土地まで電報通信の線が引かれ、近辺の採掘労働者の報告を受けたり電報のサービスを提供したり、夜を明かしたりする場所として機能していたらしい。100人前後の労働者がこの土地に住み、他にも駐在所や商店、宿泊・飲食・娯楽施設としてのロードハウスが開かれた時期もあったそうだ。
 足元の確かさを確認しながら中に入ってみる。家具などは見当たらずひっそりとしており、薄暗がりの空間だけが残っていた。踏み込む床板は砂を被っており、乾いて軋んだ。
 もう人が集まることはないのだろう。それでもはや機能をもたなくなった抜け殻のようだった。すぐに外へ出る。5000年で埋もれるくらいの丸太小屋。100年待たず役目を終えた小屋。踏みならされた道のほうがまだしも人の往来を感じさせる。その傍に伸びる露をまとった草や木が、見下ろすあの納屋を静かなまま、ゆっくりと呑み込もうとしているように思えた。呑み込むというと恣意的だが、風化させ、環境に溶かして均質にし、再び循環を促すように。
 全く意図をもたないまま、完全にその在るべき姿を全うしている。回顧も予期も介入せず、欲も怒りも、虚栄に煩わされることもない。人が維持し守ろうとする個人の生活や、集団的な文化や伝統に見出すような”価値判断”を超えて、生命の純粋な姿を体現しているようだった。
 人が集まって栄えるもの、人が去って栄えるもの。今、その狭間を舟に揺られて旅している。
 19時、川辺に戻ると再び虹が輝きだしていた。西日を受けて、今度は東に。対岸水辺を発端に、森、丘、空を背景に、七色二重の弧を描く。
 南には真っ直ぐの尾根が美しい錐形の山。上空に真っ白な雲、背後に真っ青な空。向き直るたびに山も雲も色を変え、明暗が移動する。緑の山肌に西日が射すと、西側を薄朱く東側を陰に暗くして、夕暮れの近いことを思わせた。
 薪を集めて火起こしを試みる。火釜のそばに、誰かが切り出した長い生木の大枝が残されていた。しかし先ほどの雨に降られた後で、どれも濡れてしまっている。差し当たって枝葉を落としておいたが使えるのだろうか。森の木々の下で乾いたものを探してみるが、細い小枝か葉っぱくらいしか手に入らない。「まあ試しに」と燃えやすそうな細い枝から並べて焚き付けてみたが、火が続かない。焚き火が無くとも過ごすことは出来るが、雨晒しの衣類や冷えた身体に熱が欲しかった。「やはり諦めるべきか」などと考えていると、まるでそれを促すような雨が再び。心折るようだ。
 タープを張って荷物の雨避けにしようと、奥の両隅を立木の枝に結びつける。手前の両隅にはまず一箇所、先ほど枝を落としておいた大枝を通して結び、タープ紐で地面側へ引っ張ってペグで固定。もう一本手頃な大枝をと、積まれた生木を父が鋸で切り始める。風の中、雨の中、疲労の中での作業。焦りも募ってか百戦錬磨の熟練職人が、まさか己の指を切りつける。偶然ではない、自分たちの弱りつつある心境を、精妙なほどに表現していた。
 最後の一枚、透明絆創膏を渡したが、とても血を留めるには足らず。それでもティッシュやテープやあり合わせで手当をして軍手で隠し、枝を地に立てタープを張り終えた。気力を費やした。雨は止んだが無駄ではないだろう。
 余計に降られた後の焚き火なら、諦めて心を折れば良いのか?それは付ければ希望もともるという意味か。ならば何とか火起こしをと意を決めて、それから40~50分試したのだった。湿ったボール紙や拾った小枝にライターの火を当てて、乾きながら火が宿るのを待つ。その作業を重ねておいた木の葉や枝の下で続ける。燃え上がっては尽きる紙片、燃え上がっては消える枝、火にかざされて燃える木の葉、火にかざされて乾く枝、それを何度も繰り返し「もうこれ以上は」と思った頃、長く残る火が現れる。
 火吹き棒で風を送る。ぱっと燃え立ち直ぐに尽きてしまう。もう一度紙切れから、火を移し、燃え立たせ、それをかざして乾いた枝葉を焚き付ける。薄い木の葉は緑であっても、火を受ければすぐに燃えた。それを逆立て周囲の葉にも繋いでゆく。繋がらなければ再び手順を繰り返す。そのうちに枝も乾いて燃え始め、消えては点き消えては点き、徐々に太い枝に火も移り、ようやく充分な熱をもって燃え続ける焚き火に至った。
 どこかの時点で臨界点を越えたのだ。こんな焚き火一つでも、意志が勝るか失意に屈するかを試されていたように感じる。只々心の選択が、火を付けるのか惨めな思いに浸るのかを決定していたかのように。
 火を見守りながら、残った枝を切り分けて薪にする。網目の上に並べておけば燃えずに乾いていくだろう。随分太い薪もあるな。頼もしく熱を溢れさせる赤い炎に、冷えた手が温まるとほっと一息、ああ良かった・・・。
 キャリアーを持ち出して焚き火の近くに立て、ハンドルを伸ばす。濡らしてしまったダウンの上着、フードの部分をハンドルに被せ、背を焚き火に向けて乾かした。レインウェアもハンガーに掛け、タープの柱の枝残りに架けて干す。
 20時半。ホワイトホースから携えていた水、バッグの2L分が尽きていた。水辺に下りて、川の浅瀬の透明な水を静かに掬いげる。GRAYLの濾過器、その外側のボトルで水を掬い、その上から、底に濾過フィルターの付いた内ボトルを挿し入れて押し下げる。両手でふちに体重を掛け10秒ほど、25cmくらいの外側ボトルに収まれば500mL弱の浄水が出来る。2L分の水の濾過を繰り返して水のバッグを満たしておいた。味も匂いも無し、水道水よりも良いくらいだ。
 焚き火に鍋の水を掛けて湯沸かし。それらを済ませて木々の下、乾いている場所にテントを張り、寝具や荷物を投げ込んでおく。
 21時。少し遅くなってしまったが、ようやく夕食の調理に取りかかった。雨も止んでテーブルが使える。沸いた湯をアルファ米に注いでおく。ガス缶、ストーブ、メスティン、油。割り箸、まな板、ナイフと食器。
 毎度おなじみ玉葱を短いナイフでみじんに切って、炒めたらJohnsonvilleスパイス入りの挽肉も炒め、早く使っておこうと卵を4つ割り入れて、塩胡椒を振り卵とじ。作りながら「これはなんという料理だっけ」と名前を探して首をかしげる。「玉葱と挽肉を炒めて玉子でとじたやーつ」だったか。若干違う気がする。火を止めて、味を見て、まあええやろで小鍋によそった温かいご飯の上に。多分スペインオムレツ。ああそうだ、材料はほぼスペオム。
 21時半。早々に張り終えていたテントで、火に当たる気力も尽き早々に休んでいる父に、匙と合わせて差し入れた。温かい食事は、特にあんな冷たい雨風の後だったから、心・身体を温める。父は食べ切らなかったようだが美味いと言って喜んだ。残りは小鍋のまま外気で冷やし、熱がなくなったら蓋を閉じてクーラーに保存。
 一仕事終えてようやく安堵に立ち返り、焚き火のそばで夕食を手に、見事な景色を振りさけ見る。こんな場所で焚き火に食事。最高に決まっている。無事の到着と温かい火。見事な山景、止んだ雨。清らかな水、凪いだ川。湯気立つ夕食を静寂の入り江で。
 感じ入る。手を合わせて食べた。
 もう一品、片付けを兼ね普段は食べない袋麺、懐かしのMR.NOODLE。茹でてスープの素を入れ、卵を一つ割り入れて。味はそれほどではないが、思い出す。昔アルバータの山暮らしで買い出し前に食料僅かになった頃、「味はそれほどではないが」と思いながら食べた。スープが身体の内を伝って芯から温めていく。焚き火と景色と静寂を味わいながら。
 そんな夕べを過ごしていたら、あまりに静かで、その美しさに自然と自分も迎えられていて、それが平和で特段述べることもない、注目するべき焦点もない、何も求める必要のない穏やかさ、安らかさがあった。
 為すべきことは克明で、遂げたか否かは明白で。
 その他の選択肢は無くて、意図したとおりに帰結する。
 力みも思考も雑念もなく、欲も不安も憂いもなく。
 止まらず淀まず滞らず、疲労も苦労も感じない。
 行為が天地に完全に調和する。
 一切軋むことの無い、極上の、黄金の歯車。
 求めた静寂はだから、その中で過ごしている間は気づけないのかもしれない。
 普段の日常を漫然と過ごすよりも、不便で困難な時を過ごしているにもかかわらず。
 普段の日常を漫然と過ごすよりも、満ち足りて平和で穏やかな、何も望まずにいられる静寂があった。
 多分今、歳をとっていない。
 こういう経験を、いつも心から求めている。
 実際これなら、どの街外れの河辺でも、出来ないことではない。それなのに日銭稼ぎや蓄財や、ゆく末の不安に憂き身をやつしていた。その鈍い痛みに甘んじる世俗の日常を立ち去って、極北まで来てようやく見つけるのは、贅沢さの為なのだろうか。貴重な時間であるからなのか。
 ふと我に返ると日も沈んでいて、辺りも暗くなっていた。身体に疲れが表れている。”疲れるはずだ”と信じた分だ。ひどい手荒れ、肩の張り、唇の乾き、喉の痛み。心の状態が表出しているのだと感じる。天候や怪我やこの先の長さに心情が捕らわれていた分。ならば残るは身支度をして休むだけ。
 22時、食器を拭き上げて片付け、その他の道具類もドライバッグへ。干していた上着類はよく乾いていて安心した。バレルやクーラーを岸まで運んでカヌーを被せる。
 23時、歯を磨いて身体を拭き清め、着替えを。
 その後、火が尽きるのを見届ける。暗がりに浮かび上がる火床のオレンジ色。いつもの柔軟が腕に、肩に、首元に、誠にありがたかった。枕する土地から土地へ、同じ夜をそして朝をもたらす習慣。いま確かにこの旅路の支えとなっている。
 テントに入り寝袋に脚を潜らせて、この日の記録を付ける。今朝出発した野営地も良かった。苦しい波も、爽快な波もあった。雨が、虹が、旅情を彩ったこの入り江も思い出深い。進んだ距離も充分だ。傷も得たが、心にも印象ーーー美しい回想を授ける精妙な傷ーーーを得た。名残のない出発を願い、身体を休める。